普段何気なく使っている言葉
その言葉って、実は
「環境」が影響しているなぁと思う今日この頃
このところ、相方(夫)からよく言われていた
「窓、ちゃんと閉めてね」
という言葉
あ、洗濯物干している時に
部屋からベランダへ数回出入りしてて
そういえば最後に鍵を閉めずにいたかも・・・
と反省し
そうかそうか、と翌日から
最後には鍵を閉める!
と心でつぶやきながら気を付けて施錠
それでも言われる
「ねぇ、窓、ちゃんと閉めてね」
と言われる
ちょっと前より声大き目に言われる・・・
えー?あたしアホなのかなぁ
やっぱり閉め忘れてたのかー
やだやだ、ちゃんと閉めないとー
・・・これ、その後も数日間繰り返される・・・
そして、やっと理由が判明!
相方が言いたかったのは、
「鍵のツマミをぐるっとまわして
カチッというまでまわしてね」
ということ
(あ、うちは窓の鍵は回すタイプです。)
どうやら、私の鍵のかけ方が甘い、ということに対する
「ちゃんと鍵かけてね」
という言葉であったもよう
鍵のかけ方が甘いと
窓をガタガタと揺らしただけで開いてしまうことがあるそうな・・・
なんだ
そうだったのか
私は毎回鍵をかけ忘れてたのかと思って
自分はアホなのかと思っていたよ・・・
ということを話すと
相方は苦笑い・・・
そして気づく
わたくし
育ちは秋田県で、
家族構成は両親と姉
放任ではっちゃけた母
無口で人の好い父
妹が大好きで世話焼きの姉
そんな家族の中で育った私にとっての
「ちゃんと鍵をかけて」
という言葉は、
鍵をかけるかかけないか
というところが基準の
「ちゃんと」
なのである
それは
やるかやらないか
ONかOFFか
その違いを正すのが
「ちゃんと」
もし私が鍵を甘くかけている人に言葉をかけるなら
「しっかり鍵をかけてね」
か
「きっちり鍵をかけてね」
である
鍵を閉めていない人に対してのみ
「ちゃんと鍵をかけてね」
もちろんこれは私個人の見解
相方と同じ使い方の人もたくさんいるだろうし
私と同じ使い方の人もたくさんいる
秋田出身の話を出したけど
秋田県の人が全員私と同じわけでもない
日本語だけど
普段よく使う単語だけど
その言葉に対するイメージって人それぞれ
ということは
自分の想いを伝えたいときは
もっと言葉をたくさん足して
伝えたい言葉の前後に
もっとたくさんの言葉を足して
相手に
自分の主張・希望・願望ナドナドをお伝えする
これが大事なんだ!
わかるやろ
空気読めや
と面倒くさがって言葉を省略すると
受け取る相手も省略して受け取るんだ!
これって
子育てでも大切なこと
確かに子どもに対して伝わらないこと
今までもたくさんあったし
気を付けないとこれからもずーっとあるはず
自分が思っていること
相手は同じように思っていない
人はそれぞれいろんな想いを持っている
我が子は自分と同じ考えだ
なんて思い込まないこと
そうすれば
日々のイラっとすることがきっと減る
改めて言葉選びの大切さ
めんどくさがらずに
想いをちゃんと伝えることの大切さ
気づいた
そう
気・づ・い・た
ここが大事よね
気づいた
その日から改善できる喜び
今までの反省はほどほどに
気づいたことがもうご褒美なんだよね
そう思っているのに
「ちょっとちょっと、宿題ちゃんとやってんの??」
うわっ!
また言うてしもた!
これこれ
これ、あかんやつだーーーーー