서울の語源
国の都・首都を서울と言います。この言葉は、소부리→서부리→서불→서울という変遷過程を経てできました。「三国遺史」(13世紀末)によると、부여や백제では首都のことを소부리(所夫里)と言い、신라では서벌と言っていましたが、その他にも서라벌(徐羅伐)、사 라/사로とも言っていました。사라/사로は서라벌/서라버리から벌/버리が脱落した形です。사라/사로/서라は「東側」を意味する古語で、現代語の새바람(東風)や새벽(明け方)の새と語源が同じものです。また벌/버리は「広い土地、平原地帯」を意味する言葉でした。日本語の「原」の語源でもあります。서라벌の縮約形の사라/사로/서라は「東側の広い土地、東側の平原地帯」を意味した言葉でした。この言葉が後に신라になりました。このように서울という言葉は、元は「東側の平原地帯」を意味していたのですが、後に「首都」という意味で使われるようになったのです。
평양の語源
평양(平壌)は、高句麗の首都の古語だった固有語の「부루나」の吏読式表記(리두:漢字による韓国・朝鮮語表記)から生じた言葉です。부루나は「平らな所、平原、広い土地」という意味を表す言葉で、부루は「平野、野原」、나は「土地、場所、地帯」を意味します。「平壌」の「平」は벌(野原)の古語の부루-버러の吏読式表記で「河を挟んだ広い平野」という意味です。「平壌」の「壌」は「土地、地帯」を表す古語の나の吏読式表記です。평양は古朝鮮、高句麗の首都でした。高句麗は평양を한성とも呼んでいました。한성の한は「大きい」、성は「城」で「大きい城」という意味です。これは평양が大きな城のある都市であるというところから名付けられた名前です。高麗は、평양を西の方角にある首都ということで서경(西京)と呼びました。また평양は昔から柳が多い首都だったことから류경(柳京)という名前でも呼ばれていました。
<カラム先生☆語源の話>より
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