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2023年を迎え、ますます韓国・朝鮮語(以後「ハングル」と言う)が身近になるよう「ハングル千一夜話」というテーマで「ハングル語彙の語源」を学ぶ資料を月初めに掲載いたします。
なかなか聞けない「ハングル」語彙の語源を紐解くお話をUPしていきますので、お楽しみに
まずは「ハングル」の語源・由来です。
「ハングル」の語源・由来を探求すると、朝鮮半島で生活してきた人々のものの考え方・とらえ方が透けて見えます。また、朝鮮半島の歴史や文化に触れることができます。「ハングル」の語源・由来をたどることで、朝鮮半島の人々が、姿かたちの類似性や実際の現象を比喩的に、見たままを単純明快に言語化する感覚の優れた民族だということが理解できると思います。
한글の語源
한글(ハングル)とは、1444年1月に創製された「訓民正音」の名称で韓国・朝鮮文字のことです。한글という名称は、주시경(周時經、1876~1914)によって1913年頃から使われ始め、1927年「한글」という朝鮮語研究誌が出版されてから広く使われるようになりました。한글ということばは、큰 글자(大きい文字)、으뜸가는 글자(一番の文字)、하나밖에 없는 글자(唯一の文字)という意味を持っています。このような意味から「偉大な文字」とも言います。こんな意味を表すのは、한が持っている意味と関わりがあります。한は、中期朝鮮語において큰것(大きいもの)、많은것(多いもの)、높은것(高いもの)、깊은것(深いもの)という意味で広く使われていました。15世紀には큰물(大水/洪水)のことを한물、큰비(大雨/豪雨)のことを한비と言っていました。現代語の한숨 (ため息)も크게 쉬는 숨(大きくつく息)という意味からきたことばです。한길 (大通り)や한시름(大きな心配事・悩み)、한걱정(大きな心配事)の한も同じで큰(大きい)という意味を持つことばです。한가둑(いっぱい、ぎっしり) の한は많은(多い)という意味、한밤중(真夜中、深夜)の한は깊은(深い)という意味を表します。
한글の글は「文、文章、文字、学識、学問」という意味を表すことばで、古朝鮮時代から使われてきた固有語です。語源は그리다(書く、描く)です。그리다の語幹の그리にある母音「ㅣ」が脱落して글になりました。この時代の資料はありませんが、三国時代の高句麗の地名には글という文字が出てきます。1145年に出版された「三国史記」では高句麗の地名である문현(文峴)を글바호と言い表しました。また、12世紀に書かれた見聞録の「鷄林類事」にも「글 서(書)」の글を걸(乞) と表記した資料があります。これは글の発音に当たる漢字がないので글に似た発音の「乞(걸)」で代用したものです。この글ということばは、그스다(긋다)、그리다の名詞形で、「書くこと」、「描くこと」という意味を表します。
가르치다の語源
「教える」を「가르치다」と言います。가르치다(教える)の語源は、この語の成り立ちを見ればよくわかります。가르치다は가르다と치다が合わさってできたことばです。가르다には包丁のようなもので「割る、割く、裂く」という意味があります。また、「(是非を)分ける」「(ものを)分類する」「(良し悪しを)見分ける・識別する」という意味もあります。가르치다の가르다は後者の意味を持つことばです。치다は돼지를 치다(豚を育てる・飼う)、새끼를 치다(子を産む) 、닭을 치다(鶏を飼う)、꿀을 치다(蜜を作る)、가지를 치다(枝を出す)で見るように「育てる、飼う、産む、作る、出す」という意味を持つことばです。このことから가르치다は、「(ものを)分類したり識別して何らかの結果をもたらす」というような意味を表しました。
科学とは、一定の目的・方法のもとにいろいろな事象を研究する認識活動ですが、その認識活動は分類から始まります。自然界や社会の様々な現象や物事を教えることは가르치는것【가르(고):分類して,치는:創造する, 것:こと】から始まると捉えた朝鮮民族の秀でた洞察力を가르치다ということばから見て取ることができます。言い換えれば、「人間を科学研究の道へと案内し、知識や方法論、能力を育む」ことが가르치다の本来の語源的な意味だと言えます。
배우다の語源
배우다(習う、学ぶ)は배다を語源とすることばです。아이를 배다(子をはらむ)の배다です。배다は人や動物が「(子)を身ごもる、はらむ」という意味を表すことばで、「しみこむこと」や「内部に浸透する」という意味も持っています。물이 배다(水がしみこむ)、땀이 배다(汗がしみつく)、몸에 배다(身につく)などの배다と同じものです。知識も몸에 배는것(体にしみこむこと=身につくこと)なのです。この배다の語幹배に우をつけて배우다という使役の形にすることで배게 하다(しみこませる、身につかせる)という使役の意味を表しました。배우다には、身につかせるために努力する人間の能動的な活動の結果、知識や技術を得るという意味があるのです。子をはらませるように、頭や身体に知識や技術を身につかせるための意識的な活動をすること、まさにこれが배우다の本来の意味なのです。배우다ということばの成り立ちから、努力なしには学ぶことができないと考えた朝鮮民族の世界観を見て取ることができます。
<カラム先生☆語源の話>より