開運童子のブログ -54ページ目

雨のあとに虹 その190

「この海岸線は電車に沿っているからゆっくり歩こうよ。」

小さな店で軽食と珈琲を注文したあとに俊之が言った。時々見かける店で焼きそばやソーセージなどを食べているからふたりにはそんなに空腹感はなかった。

「この海岸をゆっくり歩いたことはあとできっと良い思い出になるでしょうね?」

久美子が意味を含ませて言った。俊之は久美子の目を見て次の言葉を捜した。

「寒いけれどふたりで海岸を歩くのは忘れられない思い出になると思うよ。」

俊之は言いながら珈琲を口にした。

「私も忘れられなくなりそう。」

久美子も珈琲を口にして言った。

「この新しいデザインの方が前のより良いよ。」

大介が春香に言った。

「こちらの方が落着いているでしょ?」

春香が言うと

「落ち着いて大人の女性をうまく表現しているね。」

大介は言った。褒められて春香は嬉しくなった。

「もうひとつデザインが出来たらはじめるわよ。」

春香が言うと

「HARUKAーSHIRANIを設立だね。」

大介が言うと

「総武とは別の事業を開始するわよ。」

春香は決心するように言った。

「波の音と言うのは静かなように大きいね。」

俊之は言った。久美子も耳をすませて打寄せる波の音を聞いていた。周囲にはほとんど人はいなかった。北風が冷たく俊之も久美子も身体を少しばかり振るわせていた。太陽が傾き日中の輝きから夕日へと変わっていくのがよく解った。ふたりだけで借り切ったような海であり波であり空であった。その海が静かではあるが力強くふたりを迎えているような錯覚を覚えるのは俊之も久美子も一緒だった。

「俊さんに話があるから聞いてください。」

久美子は決心したように言った。波が静かであるが力強く押し寄せて来た。

「僕にどんな話なの?」

俊之が言うと久美子は一呼吸して辛い表情を浮かべて

「私は春になったら1年間国際協力隊に参加するためにカナダに行こうと思っています。」

と言った。その瞬間に波は大きな音を立てて言葉と共振していた。

「久美ちゃんが1年間カナダへ行ってしまう。」

言いかけた俊之の耳に久美子の言葉と押し寄せる波の音が響きあった。思わず自分の耳を疑った俊之であった。

「トレンドカフェの経営母体であるワールドコミュニケーションズが海外で国際交流などの活動を展開していています。」

久美子が言うと

「世界40カ国に展開しているそうだね。」

俊之は言った。

「ワールドコミュニケーションズの社長からカナダへ行って活動をして広い世界を見てはどうかと勧められました。」

久美子は言った。久美子の言葉は俊之の耳を通貨するだけであった。

「どうしても行かなくてはいけないのかい?」

俊之はそれだけ言うのがやっとだった。

「そんな事はないですよ。」

久美子は言った。

「久美ちゃんの意思で決めた事だね?」

俊之が言うと

「私もカナダで国際交流活動を経験して俊さんのように少しでも広い価値観を持った人間になりたいです。」

久美子は言った。

「広い世界を見る事は良い事だよ。」

俊之が言うと

「そのためには1年海外へ行くのも良いと思いました。」

久美子は言った。久美子の言葉が音楽を奏でるように響いて波の音や沈む夕日が形容しきれない美しさを映し出していた。俊之はその水平線に輝く光と久美子の顔を交互に見つめていた。

「それは今しか出来ない事だと思うよ。」

俊之が言うと

「私も今しか出来ないと思います。」

久美子は言った。

「久美ちゃんは若いからいろいろな事に挑戦した方が良いかもしれないね。」

俊之は小さな声で言った。冬の海は美しく寒かった。夏にはない大人の憂いを映し出して俊之と久美子の心にメッセージを送るようにいつまでも空は赤く輝いて海の青さを変えていた。今の季節には珍しく鳥が一羽だけ飛んでいた。

「OKです。」

監督が言うと声が大きく響いた。

「今日の撮影はこれで終わりです。」

スタッフが言った。

「みなさんお疲れ様でした。」

監督が珍しく優しく言った。少し離れた所で時計を見た。

「少し長引いたね。」

一緒に参加していたメンバーが直子に言った。

「でもこのくらいは当たり前だからね。」

言いかけて直子は知っている顔を見つけていた。いつの間にか現れた翔太が直子の近くに立っていた。翔太は直子に軽く会釈をした。

「笹川さん。」

直子は言うと翔太の方へ寄って歩いて行った。

 純一はビデオが入った鞄を持って歩いていた。オリジナルは家に置いてコピーを持って来ていた。純一は弘子にオリジナルではなくコピーを渡そうと考えていた。待合わせの時間まではまだ余裕がありファーストフォード店で珈琲を飲んでゆっくりしようと考えていた。ファーストフード店の入口に立った純一はふたりほど待っている客を見て振り返ろうとした。

「今だ!」

と言った関口が支持を出すと3人の若者が純一に体当たりをしていた。

「何をする!」

純一は叫んでいた。3人はビデオが入ったバッグ抱えて走っていた。

「スピードを出して走り抜けろ。」

関口は言った。

「泥棒!」

純一大声で叫んで追いかけていた。周囲の人が純一を見た時には4人の姿は近くになかったかなり遠くであった。純一は必死になって走った。純一が3人を見失いかけた時に道端にバッグが落ちているのを純一は発見して痛いた。純一は急いでバッグの中を見とビデオだけが抜かれていたのである。

「私は胸が張り裂けそうでした。」

久美子は電話の向こうにいる育子に言った。

「久美ちゃんも落着いてね。」

育子は優しく言った。

「私は俊さんの顔を最後まで見られなかったです。」

久美子は涙声になって言うと

「辛くても通らなければならない試練だからね。」

育子が言った。

「それは解っています。」

久美子は言ったが他に言葉が出てこないのである。

「高村さんは普通の男とは違うからきっと乗り越えてくれると思うよ。」

育子は確信して言った。

雨のあとに虹 その189

「気分はどうですか?」

多恵子は榊原に言った。

「最近は体調が良いよ。」

榊原は穏やかな表情で言った。入院してからくゆっくり身体を休めたおかげで以前のような不調はなかった。静かな病室は榊原に精神的な安らぎを与えたのかも知れない。

「それはよかったですね。」

多恵子が言と

「不思議なものだな。」

榊原は言った。

「何が不思議だとおっしゃるの?」

多恵子が言うと

「高村に会ってから体調が良くなっているよ。」

榊原は言った。

「主治医の先生も驚いていましたよ。」

多恵子は正直に言った。

「このお寺は梅雨時に来ると紫陽花がきれいだよ。」

俊之が言うと

「今度は梅雨になったら来たいね。」

久美子は言った。

「梅雨になったらまた来ようよ。」

俊之が久美子の目を見て言った。

「もう一度来たいです。」

久美子は言うと吹いてくる北風から寒さを感じて俊之に自分の身体を寄せていた。

「お待たせしました。」

ひとみはいつのもようにお客に言った。今日は久美子がいないが小百合とカウンターに入っていた。

「お次のお客様こちらへどうぞ。」

小百合も明るい声で言った。いつまでも久美子だけに頼るわけにはいかないのである。早く久美子のような人材を育てなければいけないとひとみは考えていた。

「この大仏は大仏殿の中にあったけれど津波で神殿が流されて今の状態になったと聞いたよ。」

俊之が言うと

「津波がここまで来たとは大きな台風だったの?」

久美子は驚いたように言った。

「かなり大きかったようだね。」

俊之が言うと

「当時の被害は大きかったのかしら?」

久美子は言った。

「あとで調べてみるよ。」

と俊之は微笑みながら言った。久美子は台風とは言え海岸からかなりの距離があるこの位置に津波が来た事もあるのかとびっくりしていた。

「これであと戻りは出来ないわね。」

育子が翔太に言った。珍しく都心のショッピングモールをふたりで歩いてそこで催されたイベントも楽しんでいたのである。

「始めてしまったからあとは答えを出すしかないと思っているよ。」

翔太はいい他。

「高村さんの心にある傷は厄介かもしれないわね。」

育子が言うと

「それは大丈夫だと思うよ。」

翔太は言った。

「少し時間がかかりそうだね。」

育子が言うと

「何とかなるよ。」

翔太は言った。

「みんなが協力するからうまくいってほしいよね?」

育子は心配そうな顔で言った。矢島も春香も天門も育子と同じ気持ちだったはずである。

雨のあとに虹 その188

弘子の携帯が鳴ると

「出ろよ。」

牛島が言った。倉庫の中は携帯電話の着信音が大きく響いていた。く。弘子は携帯を耳に当てと電話の向こうから純一は

「ビデオを500万で買ってくれないか?」

と言った。

「ちょっと待ってね。」

言って弘子は牛島を見た。

「買うと返事をしろ!」

牛島が言うと

「本当にオリジナルビデオを持って来てくれるわね?」

弘子は言った。

「大丈夫だよ。」

純一が言うと

「コピーを撮る事も考えられるわ。」

弘子は言った。

「そんな事はしないよ。」

純一が言うと

「どうして及川友宣が撮ったビデオをあなたが思っているの?」

弘子は言った。

「小学生だった友宣くんは映画少年で偶然にも斉藤さんが入江麗子さんを突飛ばすのを撮影したようだ。」

純一が言うと

「そこまで知っているわ。」

弘子は言った。

「友宣くんは本当にテレビドラマの撮影だと思ったらしくその場面を私に見せてくれた。」

純一が言うと

「あなたは及川友宣とどんな関係なの?」

弘子は言った。

「中学生になった友宣くんがうちの石井園にバイトに来て私と親しくなって偶然に見せてもらった。」

純一が言うと

「それをあなたが買い取ったのね?」

弘子は言った。

「そうだよ。」

純一が言うと

「そうだったの?」

弘子は言った。

「当時は警察から斉藤さんの事は聞いて知っていたが容疑者ではなかったからね。」

純一思い出すように言った。

「休み明けまで待ってくれたらお金は用意します。」

弘子は言った。電話を切った純一はビニールハウスから出て来て周囲を見回していた。急いで関口は物影に隠れたて純一が離れて行くまでじっと動かなかった。

「このデザインはどうかしら?」

春香は大介に言った。画家の大介はファッションデザインには興味がないのだが春香はこの家の跡取りであり自分は養子という立場で肩身が狭かった。

「君が書いた物に僕は批評できないよ。」

春香が描いたデザインを見た大介は言った。

「はっきり批評をしてもいいのよ。」

春香が言うと

「君は自分のファッションブランドを立上げようとするほどの実力者だからね。」

大介は言った。

「はっきり言ってよ。」

春香が少し甘えたように言った。

「僕は売れない画家だからね。」

大介が言うと

「それは関係ないわよ。」

春香は言った。

「僕は会社の経営も出来ないから高村さんが現れて助かったよ。」

大介が言うと

「人には適性があるのよ。」

春香は言った。

「高村さんにずっと社長をやってほしいね。」

大介が静かに言った。そんな大介が春香は好きだった。俊之とは違う魅力が大介にはあったのである。

純一が帰宅しても静江はまだ帰って来ていなかった。千晴の姿は見えないが自分の部屋にいるのかもしれないと純一は思っていた。純一は疲れた顔でリビングのソファーに座ると

「ふっ!」

と言ってため息をした。純一が珈琲を飲もうとすると玄関のドアが開いて静江と千晴が帰って来た。

「ただいま。」

と静かに静江は言った。無言の千晴に純一は視線を向けて

「今日も帰りが遅いな?」

と言うが静江も千晴も純一の言葉には無言であった。純一にとって長い一日が終わろうとしていた。

 俊之と久美子を乗せた電車は静かに歴史の玄関口に滑り込んでいた。関東では武家政権が確立した時に政治の中心地となったこの土地には歴史を肌で感じる事ができる寺があった。大仏をはじめ有名人の墓もあり海岸線はどこまでも続いているように長く見えていた。少し足を延ばせば若者が集まる海岸がありシーズン中は賑わっていた余韻が残っていた。今は一年中で一番寒い季節であり訪れる人も少なかった。俊之は久美子とゆっくりとこの地を見て回る事にしていた。駅の改札口を出て大きな通りを歩くふたりを冬の北風が出迎えた。久美子の右手が俊之の左手を強く握り締めてくる。ふたりの指と指が絡み合い今日は特別な何かを予感させていた。

「この池が歴史的にも有名なものらしいよ。」

俊之が言うと

「この池は以前に一度来たけれどこんなに小さかったかな?」

久美子は言った。

「久美ちゃんがいくつの時に来たの?」

俊之が言うと久美子は

「中学生の時に友達とふたりで来ました。」

と言った。

「大人になってから見ると小さく見えるものもあるらしいよ。」

俊之が優しく言った。

「あの時には池がもっと広く見えたのにね。」

久美子は正直な気持ちを言った。