介護
私がこのブログを始めたのは、父が倒れたからだ。 母を亡くした私が、介護事業を始めた矢先に父が倒れ、父は思いっきり介護が必要な人になった。 倒れてから約半年間は入院生活だったが、退院と同時に父を引き取り、同居生活が始まった。 てんかん発作や誤嚥性肺炎、天疱瘡等々、様々な疾患を繰り返しながらの介護生活だった。 自宅では要介護5の父を実質一人で介護するので、本当に大変な毎日だった。 自分自身の家庭を犠牲にし、家族を犠牲にし、父中心の生活でなければ成り立たなかった。 介護認定を受けても、軽度であれば自宅で生活できる。 しかし、介護度が重くなってくると、介護する家族は本当に大変な毎日を送っている。 これまで、介護に疲弊した家族を沢山見て来た。 介護が必要になっても、その介護量が、主介護者のキャパを超えない程度であれば、生活は成り立つ。 しかし、介護状態は固定されるものではなく、病気や入院などで、心身の機能は確実に衰え、必要な介護量は増えていく。 その結果、自宅での生活が成り立たたなくなり、施設に入る事になる。 この国は、まだまだ高齢者が増えていき、この先10年は介護が必要な高齢者も増えてくるだろう。 医療が発達し、健康寿命も延びてきているが、それでも命は永遠ではなく、人は必ずいつか迎える最期の時が来る。 その日まで、どんな風に暮らすかは、自分自身で決める事が出来る。 今介護が必要でない人は、出来る限り現在の身体能力を維持する為に、現在の生活を継続する必要がある。 また、今介護が必要な人は、今以上の介護が必要とならない為に、今の生活を継続する必要があるのだ。 そう言い続けて、介護を提供してきても、人は人だからこそ、尽きてしまうのが命。 これまでの時の中で、幾人もの人を見送ってきた。 突然的に旅立つ人もいれば、入院の先に旅立つ人もいる。 医療や介護に携わる者は、人の死に慣れているという説があるが、慣れているからと言って、平気な訳ではない。 ひとつひとつ悲しんで、うずくまっていることはできないが、だからと言って平気な訳では決してない。 心のダメージを最小限にする為には、向き合わない事が楽だけど、それでは旅立った方に失礼だと思うから、ちゃんと向き合って、区切りをつける。 命は尊いものだ。 尊いからこそ、尽きた時の衝撃は大きい。 もうこれ以上、誰も逝って欲しくない。 命を与えるのも奪うのも、そんな事が出来るのは唯一無二の神のみであろうと思う。 私は神にはなれないけれど、せめて神に祈る者として、誠実に責務を全うしたいと思う。 介護の仕事は大変で、なかなか成り手もいないけど、数ある仕事の中でも尊い仕事の一つであろう。 今後はこれまで以上に職員の定着に尽力し、質の高いサービス提供が出来るよう、努力していこうと思う。 これまで定期的にブログを見て下さった方々、本当にありがとうございました。 今後とも、華桔梗をどうぞ宜しく。 終