対価
先日父が入院している病院から連絡があり、 ここ最近は傾眠が強く、食事の時も覚醒が悪く、誤嚥の危険性が高いので、今後の対応について話し合いたいと、呼び出しをくらった。 いつかこういう話が出るとはわかっていた。 昨年2月に入院して、一年以上父に対して経口摂取を継続してくれた事は本当に心の底からの感謝に値する。 しかしそれでも、言いたいことは沢山あった。 でも、何も言えない。 だってお世話になっているのだから。 ただ請求されたお金を払うだけというのは、本当に楽なものだ。 介護費用は高額で、施設に入れば、その費用の支払いも勿論大変だが、その介護を自分でとなると、それもまたとてつもなく大変な事なのである。 私は介護する方の労力も、支払いする方の大変さも理解しているつもりだ。 だから請求されたものは素直に支払う。 文句など言えるはずがない。 ただ、何も言えず飲み込んだその言葉は、 その傾眠は作られたものではないですか? という事。 無論、彼らは故意に傾眠を作っている訳ではない。それは重々理解している。 ただ、入院してからの生活では、徐々に車椅子での時間は減少し、今では入浴時間以外は始終ベッドの上である。 排泄は常時おむつ内。 排泄のタイミングで変えてくれるはずもない。 ただ寝かせて、必要な時にベッドアップだけして食事と薬を与えているだけ。 薬の調整をしても活動量を増やさなければ傾眠は改善するまい。 時間の経過と共に家族の意向は風化するというか、いつしか介護する側の都合で介護され、家族はそれを黙認するしかなくなる。 私はそんな介護の世界も大嫌いだった。 誰しも自分の大切な人を自分自身で介護したいと思っている。でも技術がない、知識がない、時間がない、環境がない、だからお金を払って人に任せるのだ。 華桔梗はそんな介護の世界を変えようと、私がたった一人で創り上げた介護事業所である。 知識と技術と心と、三位一体で提供する質の高い介護であれば、皆喜んでくれるはずだと思っていた。受けたサービスについて、その対価を気持ちよく支払ってくれると思っていた。 でも、私のそんな考えはやはり甘かった。 困っているから利用する、でも出来るだけ払いたくはない。 全ての人がそうだとは言わないが、そういう考えの人々も確実に存在していて、時に私達を落胆させる。 私達はボランティア団体ではない。 私は経営者で、サービス提供するスタッフにその労働に対する費用を対価として支払わなければならない立場にある。 仮に私が資産家であったとしても、サービスの対価を私が身を切って支払う道理はなかろう。 経営をしてみて初めて知る人間の醜さ。欲深さ。 少々嫌気がさしてきている。 それでも、父のような経過を見ると、やはり華桔梗が積極的な離床を進め、本当の意味での高齢者の尊厳を守っていかなければならないと思うのである。 とりあえず父は、経口摂取を毎日1回のトライにして、胃瘻で栄養補給する事に。 口腔機能は低下する事だろう。 唾液の誤嚥のリスクはあがる。 父には間に合うだろうか? 進行した認知症状を改善できるだろうか? それもまた、腕の見せ所という事か。 楽しみである。 ご拝読ありがとうございます。 次回は8月5日になります。 宜しくお願い致します。