ゆめこの引き出し -2ページ目

6月27日




去年はアメンバーに書いてたことを
振り返って書いてるので、
書けることだけ書きます。


この日、父を連れて面会に行こうと
家に迎えに行ったら、
どうもダメみたいだと言うので

お母ちゃんかと思って心臓が
バクバクしてたら
お父ちゃんでした。


そのまま面会せずに
父は外来で診てもらい、
点滴を2時間
してもらいました。

過労と寝不足ということで
睡眠薬をもらって帰りましたが、
病院から出る時に
突然ものすごい大雨になりました。

一緒にお昼ごはんを
食べようと言ったけど
いいからと
私は帰りました。

父は睡眠薬は飲まず、
自転車でスイカを
買いに行ったらしい。

🍉🍉🍉

私と一緒に行くはずだった面会が
できなかったので、
夜の面会に妹と行きました。

財布を忘れてまた病棟に戻った父💦
そのときはまだ大丈夫でしたが、
妹が父を送り
家に寄ったときにどうもおかしい。

父の異変に気づいた妹が
すぐに救急外来に連れていって
くれました。

脳梗塞と
首の動脈硬化で
そのまま入院となりました。

夜中に妹から電話があり
お母ちゃんかと思ったら
まさかのお父ちゃん!!
私はまた心臓がバクバクしましたが、
冷静に妹の話を聞きました。
助けてくれた妹には
感謝しかありません。



泣泣泣



その時はなにか
考える余裕はなく、
ただ目の前のことを
淡々とこなすしか
ありませんでした。

でも今考えると、
すべてが奇跡の連続で
父は守られていたんだなぁと
思います。



6月26日ひとやすみ







去年の今日の日記を見たら、
ハム友達のhimeさんが
ハムスターの変顔選手権を
企画してくれて
おもしろかった〜😄


うちの9代目ぼっちゃまの
ひなすけの絵を描いてくれて、
hime画伯の本名を
パピー先生が書いてくれました。
長っ(笑)




こんなふうに、
みなさんのブログから
元気もらったり
笑ったりしながら
過ごしていたんだなぁと
思い出しました。

そう言えば
ゆめこのブログは
そもそも
ハムブログでした💦



この日は、甥っ子が退院したから
妹が面会に行ってくれて
私は初めてお休みしました。



6月25日





お母ちゃん

この日もひとりで面会に
行きました。
帰りに父の様子を見に行くためでした。


病室ではお母ちゃんに
たくさん話をしました。

紫陽花が綺麗だったよ。

夕日がきれいだったよ。


そうしたら

眼球が少し動きました。


父の日の手紙の解読の話も

したら、

まさかの

首を横に振ろうとするような

しぐさをしました。



そこから涙がでて

お母ちゃん

お母ちゃんと

20回くらい

呼びました💦


お母ちゃんの

子供でよかった



お母ちゃん

ありがとう


そしたら

お母ちゃんが

手を少し動かして

顔も少し動かして

私の方をみました。


目が合ったような気がしました。


私があんまり泣くもんだから

お母ちゃんもビックリ

したのだと思います。


えーんえーんえーん


帰りに実家に寄ってみると

父は昼間なのにカーテンを

締め切ったままで

差し入れもあまり食べられず

しんどそうでした。


連日の面会と

いつ連絡があるかの不安で

まいっていたのだと思います。

それは私も妹も同じでしたが、

もう気力だけで動いていて

その他の記憶があまりありません。


それなのに父は

気分転換に午後からグランドゴルフに

行き、ホールインワンを三回もだして

いたので

私はどこか安心していました。




帰り道、運転しながら

光に包まれたような感覚に

なりました。


母からはたくさんの愛を

もらった。もう感謝しかないと

穏やかな優しい気持ちになりました。


6月24日





お母ちゃん


前の日に熱がでたそうで
点滴に抗生剤が入れられました。

病室にはラジカセが置かれ、
電波が悪いラジオが
静かな病室に響いていました。


お母ちゃんの好きな曲が
流れるといいね。

母は目を半分開けて
いましたが、私を見ているのか
わかりませんでした。


娘は車で待っていたので、
私は母とふたりきりで
たくさんお話しました。

娘がいないと気が緩むみたい。

涙があとからあとから溢れました。 




看護師さんにも
何度もお礼とお願いをして
また涙が出ました。


看護師さんは
父のことも心配されていましたが、
まだその時も
父のことを気に掛ける余裕は
ありませんでした。



6月23日



お母ちゃん

面会しても反応がなくなり
ただ顔を見て声をかけて
また明日もくるねと
後ろ髪引かれる思いで
帰っていましたね。


病院でコロナがでて
エプロンや手袋で面会でした。
お母ちゃんの手のぬくもりが
わからなくなりました。



この日、父は午後から
1時間半も面会させてもらった
ようです。


父はずっと食欲もなく
眠れなかったようです。


でもこの時は
お父ちゃんのことまで気が回らず
実家にも寄らずに帰っていました。


あじさいあじさいあじさい

一年はあっという間に
過ぎました。

1周忌のこと
お寺のこと
納骨のこと
墓土地のこと
仏壇のこと
初盆のこと


毎日、お父ちゃんと話して
長い話をふんふん聞いてあげて(@_@;)
家族ラインして(@_@;)
個人ラインもきて(@_@;)
慌ただしく過ぎていきます。



お父ちゃんは
この調子ですが、
まぁいろいろあり
妹と話が尽きませんガーン

お母ちゃんは
どう思っていますか。
一緒に
お父ちゃんのことを
あーだこーだ
話したいです。


6月22日



写真は、母と最後に一緒に買い物した
スーパーの駐車場より

お母ちゃん

去年の今日は
お母ちゃんに楽になって
ほしい気持ちと
ずっと生きていて
ほしい気持ちが
ごちゃまぜになって
苦しかったよ。



昨日は初盆の灯籠を
買いに行きました。
妹と相談して
決めたよ。
なでしこの柄です。
お母ちゃん
もしかして
お盆に帰ってくるのかな。



6月21日





お母ちゃん

今日はゆめこの好きな夏至の日だよ。

写真はね、ちびたろはむこちゃんの
学校からの景色だよ。
街を見下ろす天空の城みたいだよ。
お母ちゃんにも見せたかったな。


泣泣泣


主治医の先生から連絡があり、
前回の危ない状況からの
お母さんの頑張りは
自分も想像を絶するくらいの
奇跡のような頑張りでした。
今、炭酸ガスも増えていて
自発呼吸もあまりできていません。
これからもできるだけ話しかけて
あげてください。
と、言われました。

呼吸のモニターも
11になったり0になったり
また8になったり。。

お母ちゃん
もう一度目を開けて。
聞こえてるなら
手を握り返して。

お父ちゃんは
頭を何度もなでていました。

この日から甥っ子も入院して
妹は面会に来れなくなりました。


泣泣泣

だがしかし!
母のさらなる頑張りは
ここからでした。
夏至から七夕までの
あと17日間。。

私は、母への想いを
噴出し振り返ることで、
悲しみと向き合いながら
また浮上していきます。


引き続き
よろしくお願いします。

6月20日



お母ちゃん

今年は紫陽花を見ても
なにも感じないよ。

去年はいつ梅雨入りしたんだっけ。
(週末あたりから☔マークだね)

季節をすっ飛ばして
夏がきたみたいで。

さらには夏の終わりのような
寂しさと切なさを感じてるよ。

あじさいあじさいあじさい

昨日実家に帰り
(父のケアハウスにぶどうを届けてから)
誰もいない家に風を通しました。
お父ちゃんを
連れて帰らなくて 
ごめんね。


お母ちゃんの祭壇は
いつも花がいっぱい。
妹が
ユリとカラーを
たくさん
飾ってくれたよ。


線香のにおいで
胸が押し潰されそう。


あじさいあじさいあじさい


お母ちゃんが意識がなくなる前の
最後の反応、口の動きは
おかえり。じゃなくて
かえりたい。だったのかな。
いま、気づいたわ。


あじさいあじさいあじさい


お母ちゃん
一周忌に納骨するんだって。

ゆめこはまだお母ちゃんが
お骨になった意味がわからないから
ただ漠然と寂しいなぁと
思うのだけど、
お母ちゃんは納まるところに
納まって安心するのかな。


あじさいあじさいあじさい

ゆめこがいつも
お母ちゃんどこいった?と
聞くと 
お父ちゃんが
「そこにおるがな」と
お骨のことを
言っていますが、
お骨が
お母ちゃんなんでしょうか。




今日は長くなりましたね。
いつも見てくれて
ありがとう。


6月19日



お母ちゃん

危篤から10日目
この日からもう
反応がなくなりました。


去年の日記を見てみたら
前日は父の日で、

母は口を動かして
なにか言いたげにしたり
娘の絵を見てオッケーしたり
手を握り返してくれたり
父には紙に何か文字のようなものを
書いたようです。

いずれにしても
母はなにか私達に伝えたかった
のだと思います。



お母ちゃんはすごいね!
すごいね!

と私が言ったら、
そんなことないよと
言うように
私の手をつねるように
反応してくれました。



この頃のお母ちゃんを
思い出すと苦しいけど、

普段思い出すのは
元気な姿の
お母ちゃんです。

だからふとした瞬間に
夢をみているような
信じられない気持ちに
なります。

6月18日



お母ちゃん

ゆめこは
今日も元気でがんばるよ。
見ちょってね。

ゆめこちゃん
元気元気〜!

お母ちゃんの声が聞こえます。