ゆめこの引き出し -3ページ目

6月17日



(昨日の散歩道)

お母ちゃん

3年前のこの時期は、
ゆんちゃんが学校に行けなくなり
毎日歩きながら電話していましたね。

同じことを何度も言ったり泣いたり
ゆめこの話を聴いては
いつも優しく諭してくれました。


お母ちゃんとたくさん
話せたことは
それはそれで
よかったなぁ〜。

今ならもっと
明るく前向きな話が
できると思うのに。。
ごめんね、心配ばかり
かけて。

スマホに指一本触れたら
数秒後には
お母ちゃんの声が聞けた
あの頃、
魔法みたいだったな。


6月16日



写真は父より📷
妹がケアハウスに飾ってもらうよう
いつも持って行ってくれてます。


お母ちゃんが
天国で幸せで
いられるように、
ゆめこたちも
楽しく暮らしますね。




お父ちゃんはこの調子です。



6月15日



(写真は2008年のお堀のタチアオイ)



お母ちゃん

梅雨の前に
夏が来たみたいだよ

🍧🍉🍧🍉


危篤になってから1週間。
毎日お母ちゃんに会いに行き、
耳だけは聞こえてるからと
歌を歌ったり
昔のおもしろエピソードを
話したりしていたね。

目も閉じたままだけど、
たまに口元が緩んで
笑っているように見えたり
なにか言いたそうで
看護師さんの耳にゴニョゴニョ。


看護師さんは
「お母さんはみんな仲良くね」と
言っておられます。

それは多分本当だと思ったよ。


私は、静かに
お母ちゃんの呼吸に合わせて
お祈りしながら
お母ちゃんの意識に合わせました。
口がかわくようで
ぬれた綿棒で
ふきました。


お母ちゃんも苦しかっただろうけど、
今思えば
家族はゆっくりと
お別れに向かう時間を
過ごせたと思うよ。

毎回、今日が最期かもと
思いながら。。
また明日来るねと約束して
帰りました。

6月14日




お母ちゃん


さみしい悲しいばっかり
思ってても、
そこから抜け出せないしね。 

 あれ?と思う瞬間に 
お母ちゃんかな?
守ってくれたのかな。
ありがとう。

と思うと 、
 なんでいないのかなと思うより 
 やっぱりお母ちゃんの娘なんだ。
守ってくれたんだ。
って元気になるような 
気がしてくるよ。




6月13日




お母ちゃん

去年のことを
思い出すのは今日はやめよう。



この地球で
ゆめこのお母さんになってくれて
ありがとう。

一緒にお出かけ
した時も
いつも手を繋いでいたね。

一卵性母娘だね。
とお母ちゃんはいつも
言っていました。


6月12日



先生の東京出張の帰りを
待っていた母。

先生との約束を果たして
頷いていたと。

しゃべれないけど
たまに目を開けたり呼びかけが
わかることも
まだこの時はありました。




6月11日



お母ちゃん

暑くなったね。
1周忌のことや初盆のこと
納骨や仏壇のことを
家族で話しているよ。

二人姉妹が嫁いでしまって
いろいろとごめんね。
誰もいない実家に、
妹と交代で
お父ちゃんを連れて帰ることが
今の親孝行だと思っているよ。


6月10日



去年のブログ、
6月9日からは【母との時間】という
タイトルにして①から⑰まで
毎日アメンバーに書いて
いました。

詳しく母の様子や私の気持ちが
書いてあり、あぁそうだったっけ?と
思い出しました。

今となっては
残しておいてよかったなぁと
思います。
あのときは何が何だかわからない
毎日だったから。

今年の日記ものちのち読んだら
1周忌までは
こんな気持ちだったんだなぁと
思い出すのかな。

そしてだんだんと母が思い出の中の
人になってゆく。


それでいいのだ。



6月9日



お母ちゃん

今日は、お母ちゃんが危篤に
なった日です。

家族が呼ばれました。


主治医から
今の状態(数値)で生きているのが
奇跡に近いと言われました。


私と妹の夫たちも駆けつけました。

少し意識が戻って
夫がゆめこちゃんとゆんちゃんを
守ります。と言った時、
二人の手を重ねて包むようにして
◯◯さんありがとうと
夫に言いました。

それが意識がある母の声を聞いた
最後でした。
母は安心したのでしょう。

思い出すと胸が苦しくなります。
でもだからこそ
私は夫とゆんちゃんと
3人で幸せになるからね。って
決意のようなものが
生まれます。

6月8日



お母ちゃん


あまえんぼのゆめこに

ゆめこちゃんは
頑張り屋さんだからなぁ。

甘えるときには甘える。
それでいいんだよ。


お母ちゃんはよく
そう言ってくれました。


もうお母ちゃんに甘えることは
できなくなったけど、
ゆめこは毎日
頑張っています。