そんな訳で始まりました、“ひとりブラタモリ ♯岩槻城”です。



スタート地点は、岩槻駅(東武アーバンパークライン)の東口。↓

ロータリーのタクシー乗り場から、真っ直ぐ伸びる道を進みます。↓

真っ直ぐ進むと岩槻駅前交差点にでます。↓
ここを右折。県道2号線を進みます。

県道2号線(当時のこの辺りは市宿通り)を西に進むと蔵造りのお店が見えてきます。↓
和菓子屋の「藤宮」さん。我が家の行き付けです。

更に進むと、もう一軒和菓子屋さんが。「田中屋本舗」さんです。↓

市宿通りの2軒の和菓子屋さんですが、実は江戸時代創業の老舗は2軒目の「田中屋本舗」さん。「藤宮」さんは、蔵は本物ですが、和菓子屋の創業は戦後です。

どちらも美味しいのですが、私は「藤宮」派です。

更に市宿通りを進むと、かつて警察署だった建物を利用した「岩槻郷土資料館」が姿を見せます。↓

岩槻城のジオラマや、太田資正の判物のレプリカを展示する素晴らしい施設ですが、今回は寄りませんでした。

気になる方は、↓をご参照ください。

この「岩槻郷土資料館」の少し先が、岩槻城大構の玄関である加倉口です。

「児童センター前」の信号の場所が加倉口。↓

個人が置いたと思われる説明板?も↓。

加倉口は、江戸時代に徳川将軍が日光参詣をするために通った日光御成街道(戦国時代やそれ以前には鎌倉から東北に向かう奥大道)が、岩槻城下に入る際の表玄関。

江戸時代の岩槻城絵図で見ると、こんな感じです。↓



今日の加倉口付近には、上の絵図のような土塁はありません。

しかし、岩槻城と城下町が乗る台地に昇る入り口であることは、地形のなだらかな傾斜で察することができます。

この加倉口の更に西には、太田資正の父・資頼が開基した洞雲寺や、幻の合戦・加倉畷の戦いの古戦場だったと考えられる場所があります。しかし、今回は岩槻城下の端である加倉口まできたことで西方面らミッション完了。

ここでUターンしました。