郷土資料館に行った真の目当ては、岩付城(岩槻城)のジオラマ。

息子は、「ジオラマ」という言葉にウキウキしていましたが、勝手に鉄道模型をイメージしていたようで、「どこにも電車が走っていないよ」と、不満げでした。




城下町から、三の丸方向を眺めてみました。

こうして眺めてみると、天文16年から17年にかけての岩付城包囲戦の時の北条氏康の本陣は、諏訪神社(写真右端の赤い鳥居付近)の辺りに置かれたのではないか、という気がしてきました。

この位置ならば、壕越しに城内を伺うことができますし、大手門(追手門)前の先鋒勢に指示を送るのも容易。加えて、城側からの反撃も受けにくい位置です。
当時まだ曲輪(くるわ)化される前の新曲輪に、物見役を置いていたかもしれません。

そんな妄想が広がりました。