先週末のことですが、岩槻郷土史料館の「岩槻古城八景」展を見に行きました。

「岩槻古城八景」は、かつての岩槻城の名勝を描いた屏風絵。
明治時代に入ってから、“ありし日の岩槻城の風景を後世に残そう”と、旧岩槻藩士達が絵師を雇って描かせたものだそうです。

描かれた時代には、既に岩槻城は取り壊され、存在していません。「岩槻古城八景」に描かれたのは、旧岩槻藩士達の記憶に残る岩槻城の姿ということになります。

旧藩士らは、かつての岩槻城の姿を時に正確に、時に美化しながら、絵師に伝えたことでしょう。

「岩槻古城八景」は、かつての岩槻城の姿と、懐かしくこの城を思い出す旧藩士達の想いを伝えてくれる屏風絵でした。


こんな感じの展示スペース。↓

岩槻城絵図と対応させて、八景がどの風景を描いたものかを紹介。↓

最も有名な大手門(追手門)の絵。↓

当たり前のことですが、大手門に向かう人々は、己の右半身を櫓(矢倉)に晒すことになります。刀や槍を持つ利き手側から、矢や鉄砲で狙われることになる、城造りの定石は、岩槻城にも適用されていました。

二の丸と三の丸をつなぐ橋。↓

岩槻城は、沼地の島々を本丸、二の丸、三の丸に仕立て上げた連郭型の城。その雰囲気がわかります。


新正寺曲輪の付近。↓

岩槻総鎮守・久伊豆神社が鎮座する、北の守り・新正寺曲輪。かつてはその北を元荒川が流れており、天然の壕となっていました。

元荒川を進む船、丘の上の久伊豆神社。
風情ある情景です。
実際には、この角度からは、久伊豆神社の鳥居はこんな風には見えない気もしますが(笑)。


「岩槻古城八景」をお題に詠まれた歌集。↓
岩槻には、文化があったのですね。


岩槻古城八景は、旧岩槻市がさいたま市に編入されてからは、岩槻郷土史料館から大宮のさいたま市立博物館に移されていたそうです。

しかし、残念ながら大宮のさいたま市立博物館の展示は、旧大宮市立博物館時代とあまり変わらず、岩槻関連の展示は貧弱です。
岩槻古城八景も、もて余したようで、常設展示には含まれていません。

その岩槻古城八景が、久しぶりに故郷岩槻に帰ってきた今回の特別展。

岩槻でこの屏風絵を見られたことを、私は嬉しく思いました。