のらねこ、海を渡る インド編その2 | ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊

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アインシュタイン2

 

 アインシュタイン没後50周年。2005年はそんな謎の年でした。

 

 アインシュタインの没年月は1955年4月。日にちもわかっていますが、ぼくの生年月日とピッタリ一致するので、ここに書くのはやめておきます。

 

 さて、そんなこんなで、のらねこ一行は相変わらず右往左往しつつも、精力的に行動していきます。

 

 

 これは、プログラムにない演示実験。

 多段水ロケットの打ち上げを見せようと、会場にかってに張り紙をしたら、いっぱい人が集まりました。その張り紙はぼくが頼まれて手描きしました。もう手元には残っていませんが、内容は「STRAY CATSが○○時に中庭で水ロケット打ち上げ実験するよ」みたいな感じでしたかね。

 ゲリラ的にやったデモンストレーションでしたが、すごくたくさんのひとが集まりました。大好評でしたね。

 

 そもそも夜のサイエンスショーも、たまたまセッティングされたものです。

 インドでICPEの大会があると聞きつけて、「Stray Catsで参加したい。デモ実験見せたい」とメールしたら、「枠を作ったので、サイエンスショーやってください」と返事が。

 パンフレットの原稿を見ると、ぼくたちのサイエンスショーが大きなイベントとして、2時間くらいの枠で組み込まれていました。びっくり。

 しかも、2回分でした。参加者向けと、インドの高校生向けの2回です。

 初めてのAAPT参加以来、何度かの海外交流を経て、「STRAY CATS」はちょっとした有名グループになっていたようです。

 

 その実験の内容は前回、一部を紹介しました。

 いろいろな持ちネタをつぎつぎにやったので、全部でいくつの実験を紹介したのか、覚えていません。

 

 高校向けの講座で一番印象に残っているのは、川上さんがやった「最速ルートはどれ?」という『いきいき物理わくわく実験』の実験です。

 

 

 発表が終わったとき、高校生たちが川上さんに群がって「なぜこれが速いんだ」と詰め寄るのが興味深かったですね。まあ、大学で習う内容なので、不思議だったんでしょう。

 でも、付き添いの高校の先生たちも同じように川上さんをとりかこんで質問攻めにしていましたのを見て、二度びっくり。

 

 あれ?

 この実験は、インドではあまり知られていないのかな・・・

 

 どちらの講座も、終了後に参加者との交流が持てたのですが、それが楽しかったですね。

 

 そのとき、インドの参加者に「物理や数学の塾の看板をたくさん見ました(*1)。科学の人材が豊富で、いいですね」みたいな話をしたら、「最近の成績の良い若者は、科学を選ばず、ITや経済の方に行ってしまうんだ。そっちの方が楽して儲かるというので。困ったものだよ」との答。

 あ、インドも日本と同じ路をたどりつつあるぞ!・・・と、思いました。どの国も同じですね。

 

(*1)この文章の後半に、その看板の写真を貼っておきました。

 

 

 なお、インドでコンピューター関係の仕事が人気なのは、国策もあるでしょうが、インド独特の裏事情もありそうです。

 建前上廃止されたとはいえ、細かく階層化されたカースト制度の名残りが色濃いインド。

 でも、コンピューター関連など、カースト制度が生まれたときに存在しなかった「新しい仕事」は、そのカーストの影響を受けにくいので人気なのだ、という説があります。

 たしかに、ありそうな話ですね。

 

 ところで、インドでは大会以外にも、さまざまな出来事がありました。まるでマンガ。

 

 ホテルはエレベーターがよく止まりました。

 むしろ、止まるのが標準仕様、というくらい、毎日何度も止まります。これはインドに限らないですね。海外行脚のとき、他国でも似たような体験を何度かしました。

 日本の建築技術の素晴らしさを再認識しました。

 

 テレビを見ていると、英語関連のグッズのコマーシャルが何度も流れます。

 何百もの言葉が混在するインドでは、共通語はヒンドゥー語と英語なんでしょう。インドの映画「踊るマハラジャ」で、まちがえて田舎に行ってしまったヒーローが、村の人たちの話す言葉がまったくわからずに立ち往生するシーンがあります。インドのお札も、なんだかいろんな言葉が書かれていました。

 物理・数学と並んで、英語教育も重要な国策なんでしょうね。

 

 英語教育といえば、ホテルでおもしろいことを体験しました。

 フロントのカウンターで、白人の参加者(国籍を聞かなかったのですが、たぶんアメリカかイギリスの人だと思います。流暢な英語をしゃべっていましたから)とインド人のホテルマンが、大声で口論していました。

 たまたまそこを通りかかったぼくが、なんだろうなと見ていたら、客がぼくの方を見て「この従業員は何語をしゃべっているんだ? 英語がまったく通じない。あなたはこの人のいっていることがわかるか?」と話しかけてきました。

 えーっ、英語の苦手な日本人にそれ聞くかなあ・・・と思ったのですが、しょうがないので、カウンターのホテルマンに「どうしたの?」と聞いてみました。

 そのホテルマンは「この客は英語ができないんだ。私のいう事も理解できないし、彼も私のいうことがわからない。非常に困っている」との返事。

 なんでオレの英語は通じるんだろう?・・・と思いつつも、客に聞くと、どこどこへ行くのはどうしたらいいかというような内容だったので、それをまたぼくのジャパングリッシュで言い直して、ホテルマンに伝えると、「なんだ、そんなことを聞いていたのか。それなら、これこれ・・・」というので、それをまたジャパングリッシュで客に言い直し・・・

 トラブルは無事、解決しました。

 ???・・・ぼくだけ、クエスチョンマーク・・・

 

 インド人のホテルマンは自分がしゃべっているのは完璧な英語だと自信満々でした。

 その完璧な英語が通じないのは、客が英語ができないせいだというのですね。

 でも、ぼくの見る限り、完璧な英語をしゃべっていたのは、その場では唯一、その客だけでした。

 

 インド人の英語は、巻き舌が強くて、しかもすごい早口です。

 ぼくらが聞くと、不思議に何をいっているのかわかるのですが、英語が母国語である人が聞くと、別の言語に聞こえるんでしょうね。

 

 英語は世界共通語ですが、冷静に数の問題として考えると、キングズイングリッシュ(イギリスの英語)やアメリカンイングリッシュ(アメリカの米語)を話す人口より、インドや東南アジアなどで英語を話す人口の方が多いんですね。

 つまり、世界標準の英語は、イギリスやアメリカの英語ではない、ということになります。

 だから、インド人とイギリス(もしくはアメリカ)人の会話の通訳が、日本人にできた、ということなんでしょう。

 この体験は、わりと衝撃的でした。

 

 もっとも英語に自信のない(実際に実力の無い)日本人のぼくが、英語に自信を持っている二人の通訳をするって、とても奇妙で、不気味なシーンですよね。

 

 

 ホテルから乗ったのは「リキシャ」と呼ばれる、輪タク。

 この写真は、いっしょにインドにいったのらねこの一人、伊東政夫さんの撮ったもの。

 

 日本で滅びた乗り物が、インドでは主力になっていました。

 中身はオートバイです。日本にも昭和中期くらいまで、町で見ることがあったものです。

 

 リキシャは人力車からきた言葉でしょう。

 

 自由時間には、ぼくとオクサンは、のらねこ一行とは離れて町の散策にでかけました。

 

 写真はありませんが、ニューデリーの中心部で車の洪水を見たときは、どうしようと思いました。

 

 広い道なのに、歩道に信号がありません。

 歩行者優先でなく、自動車優先。

 クルマは歩行者がいるのを見ても、止まろうとしません。

 窓から手を出して他の車を制しながら、走ります。

 クルマを自転車のように運転する国でしたね。

 歩行者も手でクルマを制しながら、強引に道を横切っています。

 

 こんなんでよく事故が起きないなあ・・・と感心していたら、目の前でいきなり、クルマがリヤカーつき自転車を挽きました。

 乗っていた人はケガはしなかったみたいでしたが、大事な自転車が歪んでしまいました。このあと、どう決着がついたんでしょうか・・・

 

 クルマを制しながら、小走りに道を渡る人たちをしばらく見ていたら、なんとなくコツがつかめました。ここは気合いだと、ぼくもやってみることにしました。

 斜め下に向けた手のひらをクルマを押さえ込むように向けて制しつつ、足を踏み出すと、クルマが少しスピードをゆるめます。(が、決して止まりません)

 手のひらを自分の進行に合わせてやってくるクルマにつぎつぎに向けて、同様に制すると、無事、向こう岸に渡ることができました。

 慣れてくると、案外やれるものだな、と思いましたが・・・

 よく見ると、インドの人なら全員がこれがうまくできるわけではなさそうです。

 いつ出ようかと迷い、なかなか足を踏み出せない人を、何人か見かけました。

 

 

 この写真は、コンノートプレイスとよばれる商店街。泊まったホテルのそばにあったので、行ってみました。映画館なんかもあるので、まあ一番の繁華街でしょう。

 東京の浅草やアメ横みたいな感じでしたね。

 もう、人がわんさかいました。

 

 このコンノートプレイス、ぼくたちが帰国して10日ほど経ったあと、テロにより映画館が爆破され、死傷者がでる事件がありました。

 

 テロの犯行日時が少しだけずれていれば、ぼくたちの誰かが爆破に巻き込まれていた可能性があります。

 

 開会式のときの、軍隊のものものしい警戒態勢は、伊達や推挙じゃなかったということが、ようやくわかりました。帰国後、そのニュースを知って、のらねこ一同、震え上がったものです。

 

 

 オートバイリキシャの印象があまりにも強かったのですが、もちろん、自転車で牽くリキシャもありました。こちらはまさに人力車ですね。

 

 

 これはニューデリーではなく、そこからかなり離れた田舎村ですが、壁の宣伝文句を見てください。

 

 英語で「数学と物理の塾」と読めます。

 

 これと同様の看板が、都会、田舎にかかわらず、あちこちにありました。

 数学と物理に特化した塾なんて、日本では滅多に見られません。

 

 「立身出世は物理か数学で」というのが、現代インドの基本みたいです。

 

 これは、ハンガリーと共通するものを感じました。

 ぼくたちが行った当時は、ハンガリーは物理が必修でした。(今も続いているかどうかは、知りません)

 ソ連邦から抜けて自由主義経済に移行したハンガリーは、国力を高めるため、西側世界から遅れている科学技術を補うために、物理を必修教科にしたと、ハンガリーの物理教師、トス・エステルさんから聞きました。

 

 かつての日本の姿ですね。

 

 日本は、文部省(当時の名称。今は文科省)がある時期からアメリカ教育の真似をするようになり、個性にあった教育をという題目で、理科教科を選択制にしました。それまでは、日本では物理化学生物地学の4つを必ず学習していたのですが、この選択制導入で、まず地学が滅び、物理も風前の灯火になりました。

 

 ちょうどその頃、アメリカでは小学校〜高校までの生徒の成績が他国に比べ振るわないので、日本の教育を真似する時期にさしかかっていました。皮肉なものですね。

 

 科学立国日本は、もうすぐ滅びます。

 いや、もう滅びているのかな・・・

 

 

 これは・・・

 日本の昔のポストとそっくりな形をしていたので、思わず撮ってしまいました。

 その形が偶然似ていただけなのか、なにか関係があるのか、わかりません。

 

 

 これは郊外の風景。神の使いの牛が当たり前のように軒先にいます。

 

 それでは、今回はこのへんで。

 

 

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