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I left my heart in San Francisco (part 5)


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昔の Fisherman's Warf の風景である。今はすっかり整備されてしまい、この様なのどかな、日本でいうお祭りの夜店やオープン・マーケット感覚の店頭ショッピングの活気はなくなってしまった。生牡蠣やクラム・チャウダーの立ち食いは不衛生なのだろう。

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海岸沿いを歩いてみたら、ヨット・ハーバーの辺りに昔よく行ったシー・フード・レストラン、”Pier 4”が見えた。大手レストラン・チェーンの一つになっている様だが、昔はNYヤンキースにいたメジャー初の4割打者、ジョー・ディマジオのお店だった。かっての私の秘書が勧めるので、行ってみたのだが、太平洋の海の幸をふんだんに味わうことができた三ツ星レストランだった記憶がある。実は、何の因果か、その秘書は60歳の若さで”Joh Demajio's Diseas”でつい最近亡くなった。あの屈強なディマジオでさえ克服できなかった難病、ALSのことだ。

”Pier 4”でシー・フードではなく、その秘書が好きだったスペア・リブを食べた。骨にへばりついた薄い肉片をむしる様に食べた。窓の外を見ると、無数のヨットが外海に向かってでてゆくのが見えた。きっと夕方は外洋へ出るのに風向きがいいのだろう、真っ白い帆が段々広がって、丘を吹き降ろすカリフォルニアの風をいっぱいに受けて、ゴールデン・ゲートの方へ滑ってゆく。お世話になったギリシャ移民の秘書の顔がふっと浮かんだ。

I left my heart in San Francisco, I only kew she called me、・・・。


I left my heart in San Francisco (part 4)

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サンフランシスコ・シティの北端にTelegram Hill という丘があり、そこから南に広がるダウンタウンの景観である。手前に見える住宅街はいわゆるアップ・タウン(山の手、と言ったところか!)で、表通りから一本内側に入ると、木造平屋の白いペンキ塗りの家屋がけっこうみられる。雨が降らないから、ガーデニングにもけっこう苦労しているようである。丘陵地に分譲されているので、平らな所が少ないから余計大変なのだろう。戦後流行った”サンフランシスコのチャイナタウン~♪”という歌謡曲、写真中央の高いビルの左手一帯の中国人街を歌ったものだ。日本人街もあるが、チャイナタウンの規模の比較ではない、殆どの市民の胃袋をまかなうと言ってもけして過言ではないほどの華僑の影響力は目を見張るものがある。神戸・横浜を全部合わせてもまだ及ばない文化的地位を築き上げているのではないかと思っている。

ダウンタウンには南北を貫くマーケット・ストリートという通りがあるが、私はあまり歩いたことがない。ティファニーや日本の名だたる百貨店が軒を並べて、観光客目当ての商売をしている。東京から来た友人や同僚には、ティファニーで$200銀貨をお土産に買ってあげたものだ。公用通貨ではむろんないが、ずしりと重い銀貨の感触は、古銭銀貨の様な鈍い光沢の優れモノである。そのマーケット・ストリートの北のはずれを海岸に沿って左に折れると、観光人気スポットの”Fisherman's Warf”がある。

いわゆる漁師町だが、海軍の軍港やアリーナ、多くのシーフード・レストラン、魚市場と併設のショッピング・アーケードが軒を並べる活気のある町だ。日本人ハネムーナーやセカンド・ハネムーンに来ている熟年カップルもけっこう見かける。名物のケーブルカーに乗らずに、写真ばかり撮っているから、なんとも微笑ましい限りである。中には、市バスをケーブルカーと間違えて、どこにケーブルがあるんだと、訊ねられることもあった。ケーブルは地中埋設なのだ。欧州のトラムの様な空中ケーブルではないのも、またサンフランシスコ・ダウンタウンの名物の一つかもしれない。停車場が用意されている訳ではないので、ゆっくりと走るケーブル・カーに随時飛び乗る、飛び降りる風景はまたケーブルカーが走る街中の旅情をそそる眺めだ。停車場がない時、どうやって乗車切符を手にするかって?是非ご自分で試されたらいかがと思う。ただ乗りできる可能性もあるから、そんなスリルもまた楽しいのではないかと思う。知事がまだあのシュワルツネッガーだったら、”I'll be back !”と睨まれるかもしれない。

I left my heart in San Francisco (part 3)

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やっと霧が晴れたので、アルカトラス島越しにサンフランシスコ湾南岸の街が見えてきた。若い頃、随分と街中を闊歩したものである。社会人になって初めての海外出張だったから、見るもの触れるものの全てが新鮮で、繁栄の国アメリカの息吹が心地よかったのだろう。ダウンタウンでゲイに声をかけられても楽しかったくらいだ。

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南岸からアルカトラス島を望遠レンズで見ると、こんな風に見える。確かに昔の牢獄の島といった感じだ。クリント・イーストウッドやショーン・コネリーが活躍した牢獄島、昔、アル・カポネが実際に収監された終身刑極悪人の刑務所でもある。今は現役を引退した観光名所だそうだ。日本では網走刑務所が人気スポットになっているとか、真っ当な生活をしている観光客だからこそ、有名な刑務所を観てみたいと思うのかもしれない。困った風潮だ、・・・。さりながらそういう私も、わざわざこの様な写真を110ミリの望遠で撮るのだから、人のことは言えない。東京の府中にも刑務所があり、高い塀の横を車で通過すると、なんとなくいや~な気持ちになる。それが、アルカトラスを見ると、少しも嫌な気がしないのは、きっとサンフランシスコという街の持つ雰囲気がそうさせているのだろうと思う。湾の南岸から中央に向かって少しせり出した港町がサンフランシスコ・シティである。次回はいよいよ港町を一緒に歩いてみようではないか、いったことのある諸氏も懐かしき旅の一コマを思い出してみてはいかがかと、・・・。♪I left my heart in San Francisco ~