空乏層のブログ -416ページ目

ライン川を遡る・・・ローレライを抱いて

空乏層のブログ

ローレライを紹介してくれた友人の娘、フィオーナ、今は立派な大人になってライン下流の大都市、ケルンの市役所に勤めている。ケルン大聖堂近くの市庁舎のトラベル・エージェントにいるから、ケルンを訪問の際は是非声をかけてやって欲しい。

中西部ドイツの晩秋は恐ろしく寒い。渓谷を吹き抜ける風もまた大陸の冬を呼び込む様な冷たさを感じさせる。ローレライの大岩はその辺りで一番高い丘、景観はみごとだが、大陸をあまくみた私の様な旅行者には冷たい洗礼を浴びせる。その寒暖の差がモーゼル・ワインのぶどうをちょうどいい味にするそうだ。この写真を撮ってもらった時にはもうグラス二杯のワインを飲んでいたから、顔はほてっていたが、体はがたがたと震えていた。フィオーナはオーバーにマフラー、手袋しているが、私はセーターとジャケットだけ。滞在が長くなって冬の装備がなかったのだ。それでも、日中は陽があたるので、心細くなることはなかった。なによりも、ドイツ語の喋れない私にとって、フィオーナの通訳が心を暖めてくれた様である。


ライン川を遡る・・・ローレライ

img004

ライン川を遡りモーゼル地方に入る頃、あのローレライで有名な渓谷、ザンクト・ゴアレスハイゼンに行き着いた。渓谷の南斜面はモーゼル・ワインのブドウ畑である。時々その崖の高い所に、中世の古城がそびえ立っているのが見える。

ドイツ駐在がながくなってしまい、ホームシックになっていた頃、友人家族に誘われてライン渓谷に来てみたのだが、中西部ドイツの田舎の生活を体験できておおいに命の洗濯よろしく、旅を楽しむことができた。ローレライは小学校時代、音楽の時間に歌わされた歌で知っていても、その由縁までは知らなかったから、コペンハーゲンの人魚の像が如く、返らぬ恋人を待つ乙女の像だとばかり思っていた。友人の娘は英語が堪能で、その像はラインを下る船の船頭さんを惑わす妖精だと上手に説明する。実際、その像が見下ろすライン川は、大きく張り出した岩で急流を激しく蛇行させている。その岩のことをローレライと人が呼ぶようになり、川下りの難所の代名詞となったそうだ。

晩秋の渓谷を渡る風は恐ろしく冷たい。近くのレストランでモーゼル・ワインでも飲んで温まり、それから古城巡りでもしようかと、渓谷を遥かに望んだ。

カナディアン・ロッキー・・・ロッキー越え

img126

本当はバンフからコロンビア氷河を抜け、ジャスパーから米国オレゴン州ポートランドへ向かう予定だったが、寒さと天候により断念し、またバンフからカルガリーに戻った。オレゴンへの空路、なんとロッキーの真上を飛び越すという粋なルートではないか!国際線は高度3万フィートなのだろうが、流石に眼下のロッキー、機の真横に見えるくらいに行く手を覆う。流れる雲、機は上下、左右に揺れる。ロッキーを越えて大陸の奥深く吹き降ろす風の凄まじさ。絶え間なく機長のロッキー越えの感動のトークが流れ、翼が振られる。席を移動しなくても、眼下のロッキーの名だたるピークが、まるでパノラマの様にキャビンの両側に現れては遠ざかる。乱気流であろうか、時々、凄まじい勢いで落下する機、腰骨に重圧を感じてはまた上昇し、ひたすら明るい西海岸方向へと飛び続けた。アルピニストになった様な感動はなかったかもしれないが、確かに北米の屋根を突き抜ける感動が心に宿った。

天地創造の生きた遺産を目の当たりにできた自分を誇りに思えた。風も雲も岩肌も、みな一瞬の過ぎ去る幸福の駅路、宇宙に瞬く光のほんの断片、生きていることって、そんなにも素晴らしいものかと感極まった航路だった。