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ロンドン野ざらし紀行・・・その4

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幼少のおり、夕飯時のラジオ番組で「”くろいわ・るいこう”のロ・ン・ド・ン・とう~」というこわ~いドラマをやっていた。母親の話しでは、私は上のオープニングのナレーションしか憶えていないのだが、怖くてご飯を泣きながら食べたのだそうだ。

ロンドン滞在間もない頃、その”ロンドンとう”という耳で聞いた名前を頼りにダウンタウンを探して歩いた。”Tower Bridge”という言葉を観光案内の地図に見つけ、さっそく行ってみた。これがとんだ間違いだったことを知ったのは、随分あとになってからだった。どう見たって、テムズ川にかかるたかが橋、おぼろげながら憶えているこわ~い話しがあった塔の様には見えない。

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黒岩涙香という作家がいた。「ああ無情」、「岩窟王」などの名作の翻訳をした大正時代に活躍した人である。あのラジオ番組の原作は写真の”Tower of London”で起きた数々のミステリーの集大成だったそうである。私の背景のお城はタワー・ヒルという建物で、実は、この中では随分怖いことが起きたらしい。あのトマス・クロムウェルもこの監獄で処刑されたとのこと、バッキンガム宮殿を守る城塞、ロンドン塔とは世界に君臨した大英帝国に成るまでの数々の悲劇の歴史を語る塔だった。

ちなみに、上のTower BridgeはナチスドイツのV-2号などによるロンドン大空襲で爆撃され、大破したが、戦後復興したそうである。その腹いせか、あのルドルフ・ヘスが投獄・収監され、死刑になったのは、下のロンドン塔だったそうである。



ロンドン野ざらし紀行・・・その3



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ダウンタウンのビクトリア駅を降りて、北に歩くとこのバッキンガム宮殿前に出る。その日は見てのとおりユニオンジャック(英国国旗)が翻っているから、女王陛下は執務されている様だ。そのことを知らない田舎者の私、滞在間もない頃の毎土曜日、ことによったら会えるかもしれないと思って足しげく通ってみたが、一回も馬車のお馬さんすら見ることは叶わなかった。随分後になって、土日は下の写真にあるウインザー城に旦那と居ることが分かった。



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それだからではないのだが、ダウンタウンからの専用列車でウインザー城に出かけたことがあった。随分古めかしい城壁があるが、町の雰囲気は極めて明るく、アンティークやブティックなどの見物もけっこう楽しめた。お城の中も見学できる仕掛けになっている。名前は思い出せないが、英国正教会の寺院には王家縁の歴代の王の棺が床に埋め込まれていて、大英帝国に君臨した王族の名をたどる散歩もまた、急に偉くなった様な気にさせてくれるので痛快この上ない思いがする。ただし、無学な私には、その多くは始めて目にする名前だったから、間の抜けた話しだった、・・・。

考えてみると、どの国に行っても国王にお会いする機会などある訳はなく、せいぜいお墓で過ぎし日の栄華の跡を垣間見るくらいが分相応なところかもしれない。

このブティックで買ったブランド物の真っ赤なベスト、還暦を過ぎてもまだ普段着に着ているから、大英帝国の歴史と伝統は半端ではないのだと思っている。














ロンドン野ざらし紀行・・・その2


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相変わらずの交通渋滞、どんよりした空、これがロンドンのダウンタウンだ。

滞在一ヶ月ともなると、仕事以外の時間の過ごし方も余裕が出てくる。ランチで外に出た時にはカメラを持って出る様にしていた。一番気に入っているダウンタウン(シティー界隈)の街の風景がこの写真、ダブルデッカーこそ走ってはいないが、煤に汚れたビルの間から見るビッグ・ベンもまたロンドンらしき風情だと思う。ステッキと葉巻でも咥えて散歩でもしようものなら、明治維新時代のジャパニーズ・デレゲーションと間違えられそうだから止めておこう。それでなくとも、たんそく、がに股、めがねにカメラとくれば、誰が見たってジャパニーズだ。この当時は£(スターリング・ポンド)=¥250の時代、”Japan as number 1”などという冷やかしの掛け声ばかりが聞こえてきたのを覚えている。規制緩和の嵐が舞い、とうとう赤字から抜け出した英国は威風堂々としていた様である。それを真似したどこかの宰相、今は21年度予算に2度は賛成票を投じないとか、投じるとか、・・・。

ちなみに、ビルの壁の煤汚れは暖房に炊く石炭の煤だそうだ、市の予算が余ると、やおら掃除を始めるから、いまだ斑な壁面で我慢しているらしい。古さと伝統とは比例する国とそうでない国がある様で、それもまた愉快な話題だ。