空乏層のブログ -419ページ目

I left my heart in San Francisco (part 2)

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サンフランシスコ湾内から見たものより、太平洋側から見たゴールデン・ゲート・ブリッジは雄々しく見える。この写真、露出不足の失敗作ではなく、名物の霧をついてのものでご容赦願いたい。太平洋からの寒流が湾内に流れ込み、温暖な陸地との温度差で生じる霧だという。サンフランシスコは夏でも日陰に入ると肌寒い反面、冬でも毛糸を着なくとも過ごせるほど暖かい。色々な街を訪れたが、住んでみたい街をあげろと言われれば、真っ先にあげる街だ。過ごしやすい気候もさることながら、人々の暮らし方が一番気に入っているからだ。滞在ビザの関係から、半年に一度は日本に返る生活を3年あまり続けたが、できることなら、年老いて体が動かなくなるまでサンフランシスコに住んでみたいと思った程である。

このゴールデン・ゲートを渡って街の北へゆくと、ミア・ウッドという森がある。ヨセミテ公園にある巨大杉をしのぐ杉の大木、老木で有名な森だ。小学校の教科書に出てくる自動車がその根っこを通れるあの巨大杉だ。ダウンタウンから観光バスの日帰りツアーでちょっとしたハイキングも楽しめる。

森に至る道路に設けられた”View Point ”から見る湾岸一帯に広がった街もまた素晴らしい景観である。北米の西の拠点として、合衆国独立前から開かれた港町の開拓の息吹が望める思いがする。


I left my heart in San Francisco (part 1)

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何十年振りかでサンフランシスコに行ってみた。見慣れていたはずのゴールデン・ゲート・ブリッジも、湾内遊覧船から見ると、異様なほど巨大大橋である。湾内・外を出入りする海流も凄まじい勢いだ。その昔訪れた時に得た穏やかでのどかなサンフランシスコの印象とは大分かけ離れていた様である。旅の印象とはその時の境遇や社会情勢に影響されるのだろうか、・・・。だとすると、その時の自分は随分のんきな生き方をしていた様で、なんとなく微笑ましい。

サンフランシスコの南、サンタクララに長期滞在していた頃の話しだから、日帰りで何度となく来ていた。東京から人が来る度に、知ったかぶりして街を案内した憶えがある。だが、遊覧船で優雅に湾内めぐりをしたことがなかったので、そんなに荒々しい景観もあったとはゆめゆめ思わなかったから傑作なものである。先達あらまほしけれ、じゃあないが、何事も知った様にふるまってはいけない。

しかし、変わらないのは澄み切った大空だ。Californian Sky Blue とはこのことを言ったに違いない。若かった頃の空も、歳を重ねて見る空も、変わらぬ天空の色彩の広がりこそ、♪I left my heart in San Francisco~、・・・。

Thanks Giving Day

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『img052』
先週のことだ、近くのコンビニの入り口で外人さんが売れ残ったボジョレー・ヌーボーを抱えて出てきた。はちあわせになりそうになり、とっさに避けると、”Excuse me !"と笑った。普通ならオーム返しにそう言うのだが、”Not at all, Have a nice Day ! "ときざった。そしたら、生真面目な外人さん、"You too, Enjoy Thanks Giving Day" と言ってそそくさと自転車に乗っていった。信心のない私、日本にいると感謝祭などということになかなか関心がゆかない。

写真はカリフォルニアはサンタクララに居た頃、友人宅にお呼ばれしたときに撮ったものだ。七面鳥が出来上がったのでカットしないかと言われ、いい経験だからと言われるままにさばいてみた。友人と私で全部さばいてしまったのだが、奥方にえらく怒られた。普通は食べる分だけナイフで削ぎ取るものだそうだ。アメリカでも男子は厨房には入ってはいけないらしい、・・・?

今の様なご時世ならいざ知らず、アメリカが強かった頃は、Thanks Giving Day からクリスマスまで休暇(Vacation)をとる人がほとんどだった。おそらく、その間、七面鳥は冷蔵庫で生きつづけるのであろう。

コンビニですれ違った外人さん、この金融危機に飲み込まれずに、ヤング・ワインを飲み干してくれればいいが。日本では七面鳥の丸焼きなぞとっても手に入らないから、せいぜいターキーのサンドイッチで我慢していいクリスマスを迎えられればと、全くの他人ながら礼儀正しいその態度に世界的な大恐慌の前触れが妙な悪さをしなければいいと願った。この年末、耐え切れずに倒産、解雇、等とろくな話題しか見当たらない。今日発表された流行語大賞、”グー”とは、年を越せない腹の虫の声か!