I left my heart in San Francisco (part 4) | 空乏層のブログ

I left my heart in San Francisco (part 4)

img096
『img096』
サンフランシスコ・シティの北端にTelegram Hill という丘があり、そこから南に広がるダウンタウンの景観である。手前に見える住宅街はいわゆるアップ・タウン(山の手、と言ったところか!)で、表通りから一本内側に入ると、木造平屋の白いペンキ塗りの家屋がけっこうみられる。雨が降らないから、ガーデニングにもけっこう苦労しているようである。丘陵地に分譲されているので、平らな所が少ないから余計大変なのだろう。戦後流行った”サンフランシスコのチャイナタウン~♪”という歌謡曲、写真中央の高いビルの左手一帯の中国人街を歌ったものだ。日本人街もあるが、チャイナタウンの規模の比較ではない、殆どの市民の胃袋をまかなうと言ってもけして過言ではないほどの華僑の影響力は目を見張るものがある。神戸・横浜を全部合わせてもまだ及ばない文化的地位を築き上げているのではないかと思っている。

ダウンタウンには南北を貫くマーケット・ストリートという通りがあるが、私はあまり歩いたことがない。ティファニーや日本の名だたる百貨店が軒を並べて、観光客目当ての商売をしている。東京から来た友人や同僚には、ティファニーで$200銀貨をお土産に買ってあげたものだ。公用通貨ではむろんないが、ずしりと重い銀貨の感触は、古銭銀貨の様な鈍い光沢の優れモノである。そのマーケット・ストリートの北のはずれを海岸に沿って左に折れると、観光人気スポットの”Fisherman's Warf”がある。

いわゆる漁師町だが、海軍の軍港やアリーナ、多くのシーフード・レストラン、魚市場と併設のショッピング・アーケードが軒を並べる活気のある町だ。日本人ハネムーナーやセカンド・ハネムーンに来ている熟年カップルもけっこう見かける。名物のケーブルカーに乗らずに、写真ばかり撮っているから、なんとも微笑ましい限りである。中には、市バスをケーブルカーと間違えて、どこにケーブルがあるんだと、訊ねられることもあった。ケーブルは地中埋設なのだ。欧州のトラムの様な空中ケーブルではないのも、またサンフランシスコ・ダウンタウンの名物の一つかもしれない。停車場が用意されている訳ではないので、ゆっくりと走るケーブル・カーに随時飛び乗る、飛び降りる風景はまたケーブルカーが走る街中の旅情をそそる眺めだ。停車場がない時、どうやって乗車切符を手にするかって?是非ご自分で試されたらいかがと思う。ただ乗りできる可能性もあるから、そんなスリルもまた楽しいのではないかと思う。知事がまだあのシュワルツネッガーだったら、”I'll be back !”と睨まれるかもしれない。