眠たい目を擦ってカップに入ったインスタントのアサリの味噌汁を飲みながら、コンビニで買った弁当を食べる。 

 

昨晩1人で家に帰った親父が8時過ぎにやってきた。

「昨晩は弔電書き直していたら寝れなかったよ。自分で読み直して号泣してしまった。」 

とりあえずオヤジにも味噌汁とお茶を渡す。 

 

告別式は10時からの予定だが、9時頃になると親族が集まりだしてきた。

 

「告別式に来るのは親族と親しい友人ぐらいなので、今日はそんなに多く無いよ」と聞かされていたのだが、9時半を過ぎた頃には満席になってしまい、今回もエレベーターホールに人があふれ返っていた。 

お通夜に来れなかった方、2日続けて来てくれた方々など、実際100名ぐらいの方が遠路はるばる馬橋まで来てくれたのだ。 

 

9時50分頃に昨晩のお坊さんが来てくれた。

今日は別のお経を唱えてくれるといいんだけども、と有りえ無そうな願いを思い浮かべる。 

 

司会の人が告別式を始めるというアナウンスをする。 

 

 


出た! 


やっぱり昨日と同じ怪しげなお経だ・・・ 

 


初七日法要も行ったが、お坊さんのお経は30分ほどで終わった。

アニキの亡骸が焼き場に行く時間だ。 

 

今日初めて来てくれた方々へのご挨拶も出来ないまま葬儀場の担当者に指示され、両親と喪主の奥さん以外は1階のホールへ誘導されエレベーターで降りてくる棺を待つ。 

アニキの会社の方々は今日も8名ぐらい手伝いに来てくれていて、棺を運び出す役も買って出てくれた。 

 

しばらくするとエレベーターが開き、代車に載った棺がホールに出された。



アニキの会社の方々が棺を取り囲む。

俺は棺の一番後ろに手を掛けた。 

 

担当者が「ただいまより出棺になります」というようなことを言い、皆で一斉に棺を持ち上げた。


重たい・・・ 

 

亡骸と一緒にドライアイスが沢山入っているのだろうか、棺がこんなに重たいとは思わなかった。

そのままエントランスに止められた霊柩車に運び入れる。 距離としては5mほど。


焼き場に行く人々がマイクロバスとそれぞれ4台の車に乗り込む。

霊柩車に乗り込んでだ点になって初めて「これでアニキとお別れなんだな」と思った。


「本日、運転手を勤めさせていただくxxxです」と運転手が振り返って挨拶をした。

 

この運転手、髪がボサボサでフケが凄い。 

運転席のヘッドレスト周辺及びドアの内張りに粉が大量に落ちている。 

高級な外車の霊柩車なのに・・・

 

出発の準備が整い、クラクションを長く鳴らしながら霊柩車は葬儀場を出発した。 

 




2009年1月22日 

控え室は六畳二間になっていて、その奥に綺麗な洗面所と風呂がある。トイレはエレベータ横だ。 

俺は友人と“お清め所”でそこそこ食ったが、他の3人のためにコンビニへ晩飯と朝飯をごっそり買いに行き、控え室に戻ると皆と一緒に一息付いた。

お袋が
「トイレはエレベーターの横にしかないのよね?」と家内に尋ねた。
「そうですね~ 夜中行くとき起こしてください」と家内が答える。

お袋は幽霊が怖いのだ。
俺がお袋を安心させるために「大丈夫だって。 出るとしてもアニキぐらいしか居ねーって」と言ったところお袋がマジ切れ。 あんなに怖い顔のお袋を今までに見たことが無い。
 
お袋はビビったままであったが、明日も早いと言うことで寝ることにした。 
  

 

寝づらい。




寝れない。
 
 
やっぱり何だか寝づらい。


まったく寝れない。。。 
 
 
トイレに行くことにした。
 
 
アニキが出てくることも無く用を足し、部屋に戻る途中で祭壇の前の棺に入っているアニキの様子を見に行った。アニキは相変わらず棺の中で寝ていた。 異常なしだ。
火と線香が燃えているが、火はアルコールランプ、線香はグルグル巻きの物で箱の説明書きを読むと12時間燃えるとのこと。 こちらも順調に燃えているので異常なしだ。 
 
再び布団に入るが眠くならない。 
家内も寝れないようで起きてしまった。 
お袋とアニキの奥さんは寝ているようだが、頻繁に体勢を変えている。 
この部屋やっぱり何か変だ。 
 
寝づらいと言えばラブホテルを思い出す。
ラブホテルには霊が居ることが多いと聞くが、寝づらいホテルの場合は霊感の強い家内が「何かいる」と必ず言っていた。 
パチンとかカンッやポンッという音が引っ切り無しに鳴っていたホテルがあった。ものすごく寝づらい部屋で、音もするので余計に寝れない。しばらくして家内が「うるさいっ!!」と怒鳴った瞬間に音が無くなったのだ。 結局そのホテルではほとんど眠れなかった。 

今回泊まるのが葬儀場だからなのか?

寺や墓ではなく、ただ葬儀を行うだけの場所なので関係ないような気もするのだが。。。 

 

やはり朝まで一睡も出来ずに告別式を迎えることになった。  

お経の途中で眠ってしまうのではないかと心配になる。



2009122
10時に家を出て、11時過ぎに実家に着く。
和室には既に祭壇の準備が整っていた。

早速本物のチワワのティオに縫いぐるみのチワワを授け、臭いでもつけてもらうことにした。
最初は見たことが無い縫いぐるみにビビッていたが、しばらくして興味を持ったはティオは元気にカブり付きはじめた。 「こりゃヤバい、ここらで取り返さないと引きちぎられそうだ。」強引に縫いぐるみを奪い返す。

実家で喪服に着替えたのだが、あろうことかうっかりベルトを忘れた。 
アニキのベルトを借りようとしたがイカツいバックルが付いた物であったため、オヤジの地味なベルトを借りることにした。 「オヤジ ベルト忘れたからこれ貸してくれ」

お通夜は18時から行われる予定だが、担当者から16時半頃に来てくれと言われていたので15時半頃家を出る。家から30分の距離なので、斎場には16時に着いてしまった。
家を出るまで何をやっていたのか記憶に無いが、とにかく慌しかったことだけは覚えている。 
 
葬儀場に到着すると直ぐに担当者が出迎えてくれ、5階の葬儀を行う場所へと案内してくれた。
どんな感じになるのか心配であったが、大量に飾られた花で壮大な祭壇であった。迫力さえ感じる。 
祭壇の前には真っ白な棺桶にアニキが入っていた。棺の上には花と守り刀が載っている。死者はあの世へ刀を持って旅立つそうだ。 実際に持ってゆくのかどうかは判らないが、見送る方の俺としては「アニキはこれから知らない場所へ一人で行くのだろう。だが刀を持って行くなら道中何があっても安心だ」と思い、何故か不意に涙が出そうになってしまった。

棺の中に横たわるアニキは少しだけ開いた唇が乾燥し、その一部が歯にくっ付いているのを除けば病室で寝ていた時とまったく同じに見えた。 今にも目を覚ますのではと思える感じだ。 

その頃オヤジと喪主であるアニキの奥さんは、控え室で坊さんと打ち合わせをしていた。  
生前のことについて尋ねられたとのことだ。 その場で戒名を考えたのかどうかは判らない。

担当者による式の進行の説明が終わると、受付や駅から斎場までの間誘導で立ってくれる方々が到着した。アニキの会社の専務及び社員の方々が78名来てくれ、オヤジの知人が3人協力してくれた。

足を運んでくれた方々にお礼の挨拶をしたいところだが、葬儀開始間際になると喪主と身内を筆頭に親族は指定の席に座らされろくに挨拶をする時間が無い。 
それでも早めに来てくれた方々には挨拶ができた。

小学生の頃西武線沿線の小さなマンションに住んでいた時に、隣の部屋に住んでいた元西武ライオンズの強打者の夫妻が大阪から駆けつけてくれたことに驚いた。白髪になっただけで、他は昔のままである。小さな頃よく遊んでもらったことを思い出した。

その他ご無沙汰していた人たちと再会できた。 葬式の時は再会のときでもある。

葬儀開始時刻に近づくと続々と人が集まってきた。 60しかない座席は既に満杯である。
その頃には親族一同は祭壇近くの指定席に座り、皆神妙な面持ちで坊さんを待った。
既にエレベーターホールはお焼香しに来てくれた人々で溢れかえっていた。 

色鮮やかな袈裟を身に纏った背の低い坊さんが現れた。
親族は合掌して坊さんを迎えるようナレーションが入る。
皆手を合わせた。。 

祭壇の前に着いた坊さんは、額に閉じた扇子を当て膝をまげて3度腰を少し落とし何やら呪文のようなものを唱え始めた。 着座し、今度は枝のような棒を振り回して呪文を唱え始める。
えっ?・・・  なんだアレ? 

対面に座っている親族は皆キョトンとした顔をしている。
多分俺の後ろに座っている親族も「なんじゃありゃ?」という顔をしていたに違いない。

呪文を良く聞くとインド方面の言葉のような感じもする。 仏教はインドが起源と言われているが、それを考えれば坊さんが祭壇の前でやっていることは変では無いような気がしてくる。
でも、変な新興宗教の儀式っぽくて嫌だな。。。 

うちのお袋方の祖母の葬式の時はお経を読み上げている最中に突然「渇っ!!」と坊さんが怒鳴り声を上げ、半分目が閉じていた俺は飛び起きた。 世の中色々なお経があるんだなと思った。
 
しばらくすると坊さんは聞きなれた感じに近いお経を読み上げるようになったのでちょっと安心した。 

3
列に並び焼香してくれる参列者の方々に頭を下げながらお経を聞いていた。  
何度頭を下げたか判らない。列は途切れなく続く。 一体どれだけの人が来てくれたんだ?
葬式に来てくれる人の数でどれだけの人から故人が慕われていたかが判るのかもしれない。
南は九州、北は東北など遠い所から人々が駆けつけてくれ「随分遠くから来てくれたんだなあ」と思っていたら、シンガポールや香港からも沢山の人が来てくれていた。「スゲーぞアニキ」

1
時間近く続いた坊さんのお経が終わりオヤジが弔辞を読み上げる。
講演などで演説に慣れているオヤジだが、途中何度も涙で声が詰まる。 聞いているこちらも流石に涙が出てきた。だがオヤジは、最後までしっかりとアニキについて語った。 

焼香をあげてくれる人々の列が途切れることは無かった。

しばらくして焼香する人もまばらになった頃、俺の友人が磯子から駆けつけてくれた。1945分ぐらいだったと思う。
「この度はご愁傷様。 大丈夫か?」と更に毛が薄くなった友人が声を掛けてくれる。
「ああ 大丈夫だ。焼香し終わったら上へ何か食いに行こう。」と促した。 

棺の中で横たわるアニキを紹介した。
「これが死んじまったアニキだ。病院にいたときとまったく同じで、死んでるけどそのまんまだ。」
「苦しまず逝ったんだな。。。」
 
6
階は“お清め所”となっており、寿司などの食べ物が円卓に載せられていた。
親戚の叔父と叔母だけが座っている円卓に友人と席に着いた。
叔父さんが「ヒデキ君大変だったね。気を落とさずにお父さんとお母さんの面倒を見てあげてね」と言葉を掛けてくれる。 

俺は友人とビールを何杯も飲んだ。グラスだったが。 
友人の叔父も昔ガンで苦しみ亡くなったそうだ。そのときのことを忘れず、俺のアニキのことを心配してくれていたのだ。 酔いが回って他に何を話したのか覚えていない。
20
時をちょっと過ぎた頃、友人は相模原の自宅へと帰っていった。 本当にいいヤツだ。

通夜に来てくれた方々を見送り、親族もそれぞれ帰っていった。

2009121
昼近くまで寝ていた。

13
時頃、車で川崎にあるショッピングモール“ラゾーナ”へ買い物に出かけた。
アニキは読書が好きだったことを思い出し、棺に本でも入れてあげようと一階の本屋へ向かった。
棺に入れて火葬したところで一緒に持って行けるかどうかは知らないが、持って行けるという前提で選ぶことにした。 

冥土の土産ってやつだ。

小説売り場へ行くが、どんなジャンルを買えばよいのか迷った。
大学生の頃、アニキの部屋にあった小説は赤川次郎の推理物が多かったのを覚えているが、最近はどんなのを読んでいたのか判らなかったので俺が読みたい物を買う事に。選んだのは高嶋哲夫の“TSUNAMI”。 俺も読みたいので同じものを2冊買った。 
漫画も好きだったので続いて漫画コーナーへ向かったが、また迷ってしまう。続き物はダメだと思い読切りタイプの漫画にすることにしたのだがなかなか良さそうな物が見つからない。
結局は「何でもいいや」となり相原コージのギャグ漫画を買った。 
表紙が全部ピンク色で一見エロ漫画に見える。 
ついでに俺の愛読書でもあるゴルゴ13のベストセレクションも1冊買った。 アニキは好きじゃなさそうだが、他の2冊を読み切ったら読むしかないだろう。 
 
家内が「チワワの縫いぐるみも入れてあげたら?」と提案してくれた。
アニキ夫妻はシンガポールで“ティオ”と名づけた白いチワワを飼い始めた。今でも健在で奥さんが面倒をみているが、アニキが12月に入院してから最後の最後まで犬と再会することは叶わなかった。

チワワの縫いぐるみはなかなか見つからず、横浜まで探しに行ったがやはりダメであった。合計20店舗ぐらい回り、諦めてラーメンを食いにいく途中最後に立ち寄ることにした大手スーパーのおもちゃ売り場で白のチワワの縫いぐるみを見つけた。 「これ本当にチワワか?」と思い棚の上に置いてあるカタログには「ホワイトプードル」と書いてある。茶色の方がチワワとなっていたのでガッカリ。アニキのは白いチワワなのだ。しかし茶色いのも白いのもまったく形が同じだ。「形変わらないじゃん。名前変えてるだけじゃねーか?」と縫いぐるみの耳に付いていたタブを見ると、ちゃんと“White Chihuahua”と書いてあったので家内と二人で喜んだ。 
見つからなければ、翌日実家へ向かう途中で店を回って探そうとしていたのだ。

夜、家内の友人からメールが着た。
俺の事を心配してくれると共に「数年前に弟が病気で亡くなったが、親が亡くなったときよりも辛かった」と書いてあった。 
俺の両親は健在だが、兄弟が死んでしまうのはやはり辛い。

この日は早めに布団に入り、直ぐに眠ってしまったようだ。 

2009年1月20日
まぶたが真っ赤に腫れた状態で昼過ぎに実家へ到着した。
「寝不足だと思うだろう、大丈夫だバレない」 と思っていたがそんなのバレバレだ。
お袋は心配して家内に俺の状態を聞いていたそうだ。

この日は色々な方面に葬儀の日程を連絡した。
様々な方面・各界に友人が大勢いるオヤジは片っ端から連絡している。極端な話、360度知人だらけと言っても過言ではない。 「えっ、この人とアニキって関係ないんじゃないの?」というような方々へせっせとFAX送信をしていた。 しんみりとした葬儀よりも、アニキのために最後は盛大にしてあげたかったのだろう。
 
ひと段落し、お袋とアニキの奥さんが買い物に出た。寝不足だったオヤジは昼寝を始める。
俺と家内はやることが無くなったので家の掃除を始めた。
親も70才に近い、機密性の高いマンションは結露がひどく窓ガラスにもカビが顔を出し始めている。

夕食を皆で一緒に食べているときに通夜の時に葬儀場に泊まるのはお袋と奥さんと家内と俺が行うと決め、俺と家内はこの日も遅くに自宅へ戻った。

昨晩メールを送った友人から「会社を早退してお通夜に行くから場所を教えてくれ」と返事があった。
彼の会社は磯子にあり、葬儀場は松戸のちょい先、自宅は相模原。 ちょっとした旅行に近いが来てくれるとのことであった。

明日は中休み。 

この日も布団に入ると涙が止め処なく流れる。
布団から出て家内に思う所を聞いてもらった。 
顔を洗い、再び布団に入ったのは5時半頃。 泣き疲れたのか俺は直ぐに眠ってしまったようだ。

2009年1月19日 夜 
実家に到着し、急いで部屋の片付けを行い布団を敷いた。
朝から何も食べていないというオフクロに、コストコで俺が食いそびれたピザを食べさせた。

その頃オヤジは病院で葬儀屋に連絡を取っていた。
元々祖母のためにオヤジが葬儀屋に積み立てを行っていたのだが、オヤジの兄貴である叔父さんが祖母の葬儀代を出したので積み立て金が残ったままだったのだ。
その積立金は皮肉にもアニキの葬儀のために使うことになってしまった。

実家の部屋の準備が完了したので「これから病院へ戻る」とオヤジに電話をしたところ、アニキのような場合は自宅に連れ帰って布団に寝かせると体液が止め処なく出てきてしまうとのことで、そのまま葬儀場へ移送しアニキは冷蔵されることになる。
葬儀屋へ打ち合わせに向かう前に皆病院から実家に来て晩飯を取ることになった。

19時半頃、俺はお袋を車に乗せ大鷹の森のショッピングモールへ弁当を買いに行った。
夕食の買い物の時間を過ぎていたため食品売り場の各店舗にはほとんど弁当が残っていなかったが、半額の値札が着いた弁当が10個残っていたのでそれをまとめて買った。1つ300円ぐらいだ。

実家に戻りしばらくすると全員が揃い、各自弁当を食べるが皆あまり食欲が無い。

21時前に2台の車に分乗し全員で葬儀屋を訪ねた。
車の中で宗派をどこにするかで少々言い争いになった。
2006年に亡くなった婆さんが信仰していた宗教があるのだが、親戚が現在も信仰している。最初オヤジはそこの宗派にしようと言い出した。うちの家族は誰も信仰している宗教が無いのだが、オヤジが親戚に気を使って言い出したのか、あるいは何も考えず思い付きで言ったのかは良く判らない。
結局先祖代々の宗教にすることで決まったのだが、ハッキリ言って俺には宗派なんてどうでも良かった。死んだアニキも「そんなのどうでもいいよ 面倒くせー」と言うだろう。 

到着したのは常磐線・千代田線の馬橋駅前にあるセレモというチェーン店の葬儀屋。

出来てからそんなに時間が経っていないのか、綺麗な葬儀場である。
早速2階の応接室へ通され葬儀の段取りの打ち合わせが始まった。 
 
葬儀屋の担当者とはオヤジと喪主であるアニキの奥さんが話し、まずは葬儀の基本的な流れの説明の後、値段の説明が行われる。
見た目30代半ばだろうか、基本的に丁寧な口調だがやや事務的な感じがする。たまにタメ口になるのが腹立った。高額商品を売るセールスマンと言った感じだろうか。

葬式代はべらぼうに高い。
積み立てを行っていたために会員価格ということで半額になるのだが、正規の値段だといくらになることやら。

アニキの葬儀のおおよその値段だが、大きな額の物を並べると
・葬儀代 約150万円 (会員価格で半額)
・返礼品の代金 約2700円x300個(追加・返品可能) 約80
・お清めの食事代(飲み物は栓を開けたぶんだけ請求)約90万円
・告別式の後の食事 5000円x人数分 今回は40人前後
・坊さんにお経をあげてもらう代金は下の通り

坊さんに支払う代金は戒名のランクによって値段が変わる。
担当者に言われたのは信士(しんし)、それから1つ上のランクの居士(こじ)などがあるということ。
オヤジは初め信士で依頼をしたが、しばらくして居士で頼むことにした。 個人的に戒名のランクであの世での待遇が変わるとは思えないが、俺自身のことではないので口を挟まなかった。 
と言うことでお経の代金が信士の30万円から居士の40万円にアップ。坊さんには通夜と告別式の2日分の足代2万円を別途支払って欲しいと言われた。坊さんは自分の車で移動するとのこと。

結局、どこの宗派だろうと分け隔て無くお経をあげてくれるお寺に頼むことになった。
墓が決まるまで骨壷も預かってくれるとのことだ。

後で聞いたのだが、葬儀に合計で500万円ぐらい掛かったらしい。

葬儀のランクも下から数えた方が早い方にしたそうだが。。。
これから墓石と墓地にいくら掛かることやら。 しばらく用意出来ないだろう。 

葬儀屋との打ち合わせの最中その場にいた者は皆「簡単に死ねないね。。。」と口にしていた。
たいていの遺族は誰かが亡くなった当日に色々と決めると思うのだが、自分がその立場になり「身内は泣いている暇が無い」と言うのは本当だと感じた。

打ち合わせはまだまだ続いた。 
途中で聞いているのに飽きてしまった俺は携帯電話をいじり始めた。
一度もアニキに会ったことが無い俺の親しい友人が、アニキがガン治療を始めてからずっと心配してくれていたのを思い出し、「アニキが死んだ。今まで心配しれくれてありがとう」とメールを送った。 

次はお通夜を行う日を決めることになったが、暦で行くと翌日20日か22日のいずれかとのこと。
翌日は急過ぎるとの事で22日にお通夜を行うことにし、打ち合わせを終了したときには夜中の12時を回っていた。 その後冷蔵室に入れられたアニキと対面し焼香をする。 アニキに触れると冷たくなっていた。

アニキの奥さんが実家にいるので、俺と家内は自宅に戻った。家に着いたのは3時頃。
「アニキ死んじゃったな・・・」と思いながら風呂に入り、明日も実家へ行くために直ぐに布団に入った。
眠ろうとしたのだが、涙が出てきて止まらなくなってしまった。仲が良い悪いは別として、兄弟が辛い目に遭った挙句に死んでしまったことが悲しかった。
家内に気づかれないよう歯を食いしばって堪えようとしたが、体が痙攣したように動いてしまい泣いているのがバレてしまった。
「ヒデ君我慢しないでいいんだよ。泣きたいだけ泣きな。」と家内が声を掛けてくれた。

小さな頃、角刈りで鬼軍曹のようだったオヤジに散々「泣くな!」と言われて育てられてきた。 「泣くわけにはいかない、ましてや人前で」という思いが強かった。   
1
時間ほど涙が止まらなかった。
 
そして顔を洗い、何事もなかったかを装い眠りについた。

翌日も実家へ行く。 

2009119
起きたのは1230分。

この時間から出かけると言っても遠出は出来ないので、家内と一緒に川崎のコストコへ食材を買出しに行くことに。13半頃家を出た。

何かパッとしない日だった。コストコの巨大なカートを押しながら、いつも変わらない巨大な空間の売り場を歩き回るが、どんよりと湿ったように感じたのを覚えている。
買い物に来てみたもののあまり買うものが無く、巨大なカートに野菜類と牛乳だけを載せて会計を済ませた。

「何か食べていこうか?」 会計を済ませるとホットドッグやピザを売るフードコートがレジの向こうにある。260円でお替り自由なLサイズのジュースのコップがセットになっているホットドッグを買い、巨大なピザも一切れ買った。
「こんなに食べたら晩飯は遅い時間になるな。」と話をしていたところ、1552分にお袋からパニクった感じの口調で電話があった。 
「シュウちゃんが  シュウちゃんがもうダメ 呼吸が遅くなって  もうダメだから」
「おい 落ち着け!大丈夫だから。 何があった?!」と言ったところで電話が切れ、俺は一瞬頭が真っ白になった。「あり得ない」という思いと共に正直怖かった。

俺が「落ち着け!」と店内で声を張り上げたため家内は心配そうな顔になっていた。
「どうしたの? 何かあったの?」
「お袋がパニクって電話してきた。 アニキがもうダメだって言ってる。 よし!病院へ行くぞ。」

まだ口を付けていない紙皿に載ったピザを持ち、巨大なカートを押して出口に向かった。
出口ではレシートと購入した品の数のチェックを受ける。今日はガラガラでスムーズにチェックを通過できた。 そのまま平坦なエスカレーターで2階の駐車場へ向かったが、長いエスカレーターの遅さにイライラする。2階に到着するまでにオヤジ・オフクロ・アニキの携帯のメールアドレス宛てに「今から行く」とメール送信した。

エンジンを掛け走り出したのは1559分。 
 
産業道路を東京方面に向かい、横羽線の“大師”のランプから高速に乗った。
常磐道の柏インターチェンジを出て東病院へ到着したのは確か1645分頃だったと思う。 可能な限り素早く車を駐車し、病院のエントランスへ向かった。 
すると、アニキの奥さんの親御さんと弟さんに出くわす。 
おじさんおばさんは泣き顔であった。俺は「いやいや、死んだわけじゃないんだから。」と、まだそのときは思っていた。 
久々に会った義兄弟に俺は「よっ!久しぶりじゃねーか 元気?」と軽々しく声を掛けたが、義兄弟は沈痛な面持ちであった。 「そんなに暗い顔するなよ。」と思いつつ、そのときになって本気で心配になってきた。俺の家内を含め5人で病室を目指し例の長い廊下を歩いた。
そして103号室へなだれ込むように入った。
一瞬「誰もいない・・・」と思ったのだが、アニキがベッドで横を向いて寝ていた。
鼻に当てていた酸素のチューブが外れ、口からは黒いよだれのような物が沢山出ている。

「何で死んじゃったの!」とおじさんおばさんは泣きじゃくっている。

えっ、本当に死んでいるのか?

「おい アニキ! 起きろ、来たぞ!」 と俺はアニキの体を揺すった。
頬を触ると温かい。「まだ温かい。」
すると「なんだ~ よかった~ 死んだかと思ったわよ」とおばさんが安堵の言葉を発した。

パニクった声で俺に電話をしてきたお袋とアニキの奥さんの姿が見えない。アニキをほったらかして何処へ行ったんだ? 「先生と話しているのかもしれないから俺探してくる。」と、俺は病室を出た。
ナースステーションで「すみません103号室の身内の者ですが、うちの親が来ていたはずなんですけど、先生と話しているんですか? それとアニキはまだ死んでないですよね?体はまだ温かいし。」と看護士に聞いた。
「お兄様はもうお亡くなりになられました。ご家族の方は服などの荷物を取りに一旦ご自宅へ戻られました。15分ぐらいで戻ると仰られてましたよ。」

えっ・・・

看護士と病室へ戻る。
皆アニキの体をさすって呼びかけていた。
「アニキ 死んじまったってよ・・・」俺は皆に伝えた。
「16時過ぎにお亡くなりになられました。最後まで普通にお話をされてましたよ。」 看護士はアニキが苦しまずに死んだことを教えてくれた。

皆泣いていた。 
俺は泣かなかった。アニキが本当に死んだとは思えなかったからだ。 
顔を横に向け酸素のチューブは外れていたが、今までと変わらず病室のベッドで寝ているだけにしか見えない。それに死んだと言う時間から50分近くも経っているのに、アニキの体はまだ温かいじゃないか。

俺は病院の外に出てお袋の携帯を呼び出した。 何度架けても通話中で出ない。
オヤジの携帯に架けると応答があった。
「今病院に着いてミサちゃんの家族も来ているんだけど、看護士に聞いたらアニキ死んじゃったって言ってる」
「・・・   残念だがそうだ。お父さんはもうちょっとしたら家を出るから待っててくれ。」
そう言って電話を切った。

曇り空の下、小学生の時の朝礼で貧血を起こしたような感じで体がフワ付く。その場に立っているはずの自分がその場に居ないような感覚だった。

会社へ連絡をし、今週1週間休みを取ると伝えた。

病室に戻ると家内が泣きながらアニキの膨れた足を一生懸命に摩っている。
もうアニキに何をしても意味が無いが、俺は家内をそのままにしておいた。
おじさんは泣きじゃくりながらアニキに怒りをぶつけていた。「だから言ったじゃないか!シンガポールから3年で帰ってくれば良かったんだよ! ミサコを一人にしてどうするんだシュウちゃんよぉ!!」
アニキは奥さんと日本に一時帰国したときは奥さんの実家によく泊まりに行っていた。

死んだと言われても俺には信じられない。
 
しばらくしてお袋とアニキの奥さんが涙目のまま病室へ入ってきた。
奥さんのご両親に挨拶を終えたお袋がアニキの最後を語り始めた。 パニクっていて時系列がごちゃごちゃになっている。 途中で涙が大量に溢れ出し嗚咽を漏らし言葉にならなくなった。俺は今にも泣き崩れてへたり込みそうなお袋を抱き寄せ椅子に座らせた。 
俺も涙が出そうになったが歯を食いしばり堪えた。 何故かは判らないが、「俺がここで泣き崩れるわけにはいかない。」そう思った。 

看護士がアニキの着替えを行ってくれると言うので、全員病室を出て応接室へ向かう。 
オヤジが携帯で電話していた。 あちこちに連絡しているのだろう。 オヤジも涙目になっていた。
 
俺も少し気が動転していたために、応接室で何を話したのかを覚えていない。
「だからあの時ああしておけばよかった。 こうしておけばよかったんだよ。」とオヤジが過去の事を言っていたのは覚えている。 今更何言ってもアニキが生き返るわけでは無いが、最後の最後、もうダメだという状況になるまで全力で事に当たる性格のオヤジは、自分の子供が亡くなった辛さと共に自分の力が及ばなかったことが相当悔しかったのだと思う。

アニキの亡骸を自宅に連れて帰るということになり、部屋の片付けとアニキの亡骸を迎え入れる準備のため俺はお袋と家内を連れ先に実家へ戻ることになった。
「ヒデキ、悪いんだけど病室にジャケットを置いてきたから取ってきてもらえる?看護士さんがシュウちゃんの着替えをしていると思うから私達が入ったら悪いから・・・」

病室へ入るがアニキしか居なかった。 またほったらかしかよ・・・ と思いながらジャケットを探した。
病室を出る前に「本当に死んでるのか? 本当は寝てるんじゃないの?」と声を掛けたが、やはりアニキの反応は無かった。 本当に死んじゃったんだ・・・

俺はオフクロと家内を乗せ、病院から15分ぐらいの所にある実家へ向かった。
車内でオフクロがアニキの最後を教えてくれた。

アニキが最後に居たところは24時間面会OKな病棟のため、オヤジとアニキの奥さんと交代で夜通し看病したそうだ。
俺が面会した夜に容態が悪くなり、一晩中苦しんだと言っていた。
アニキは寝言で「・・・・以上ご報告いたします」とか食べ物の話とか英語で何かを話していたらしい。
朝になると起きているにも関わらず夢を見るのか、俺はその場に居なかったにも関わらず「あれ?ヒデキどこ行ったの?」と喋りだし、家族が俺は病院には居ないことを伝えると 「あっ、ごめんごめん勘違いだった」と言うようなことが何度かあったそうだ。 最後の日にアニキは俺の名前を何度も口にしたことも教えてくれた。 「ヒデキ来るの? あいつパワーあるからな~」 アニキが俺の筋力のことを言っていたのか、精神的なことを言っていたのかは判らない。
アニキの体の苦痛が続いたために、家族は15時頃に医師呼び出され鎮静の薬をアニキに投与する提案をされたそうだ。 これが体に入ると苦痛が和らぐ代わりに喋ることが出来なくなるという。 あとは死ぬ時を待つだけだ。家族は辛かったようだが、アニキを苦しんだ状態にしてはおけない。 
ところが、そんな話をしているうちに「呼吸がおかしくなった!」と病室から知らせが入った。
目を閉じているアニキに呼びかけると「何で寝かせてくれないの?」と少々怒り気味の返事があったそうだ。
どんどんと1回の呼吸の時間が長く、そして遅くなっていった。
それでも声を掛けると目の下辺りがぴくぴくと動き反応を示したと言っていたが、声がアニキに届いていたのかどうかは判らない。眠り込んで安眠を邪魔されて反応していたのだったら良いのだが。

最後は本当に1回1回の呼吸の間隔が長くなり、そして止まったそうだ。 
激痛に苦しむわけでもなく安らかに逝ったのがせめてもの慰め。
2009118日 夜
オヤジから電話があった。
「明日はどういう予定だ?」と聞かれた。 
 
実のところ俺は年明けから胸の辺りが変な感じになり、13日から5日までの丸々3日間動悸が止まらず気道と食道が押しつぶされたような感覚に苛まれ、病院で検査を受けていた。
これを書いている現在はまだ胸部CTと胃カメラの検査が終了していないが、レントゲンを見る限り“気胸の形跡あり”ということである。自分でネットで調べたところ症状の中に動悸も入っていたので、もしかすると動悸がしていたときは肺に穴が開いていたのかもしれない。

話を戻すが、119日は24時間の心電図を取る装置を付けに行く日であった。しかし親に更なる心配を掛けるわけにはいかないため、以前から病院へ通っていた家内の検査の日だと適当な事を言ってしまった。
「そうか。 ところで今日シュウイチに会いに行ったんだってな。 シュウイチの様子はどうだった?」
「どうだったって、築地に居たときと同じような感じだったけども。 少し話して帰ってきた。」
「そうか。。。 ちょっと容態が変化して、調子悪くなったんだよ。 もしかするとってことがあるから、俺は明日のスケジュールを全てキャンセルして病院へ行く。 まっ、そういうことだ。」
「わかった」
と言って電話を切った。 この時は「一時的なことだろう」と思っていた。 

ネットでガンに関して調べていると、味噌がガンの増加抑制に効果があるというのを発見。
早速ネットショップで味噌を探し、蔵造り味噌と北信濃味噌を注文した。
早ければ120日には実家に届くだろう。 

2009年114
これ以上治療の効果が期待出来ないということで築地での最後の入院生活も終わり、以後緩和ケアに移ることになった。
両親は自宅での療養を行うことを考えていたようだが、自宅近くに国立がんセンター東病院があるため先生に「最初は緩和ケア病棟に入院し、それから自宅で療養されたほうが良いです」と言われたようだ。
繋がりを作っておいたほうが、何かあったときに病院での処置がスムーズになるという意味だ。

2009
115
アニキは民間の患者移送車両に乗って築地の中央病院から柏の東病院へ移った。
「久々に違った景色を見れたよ」と言っていたようである。
体の痛みが続く中車での移動も辛かったであろうが、少しは気分転換できたのかもしれない。


2009
118
家内の友人の知り合いに占い師がいる。
以前家内が占い師に視てもらったが、「次はご主人と一緒にいらしてください」と言われたようで予約を取った。 通常2ヶ月先まで予約で一杯だそうだが幸運なことに2週間前に予約が取れ、今日がその日だ。

予約した14時に占い師を伺った。
まず生年月日と自分が聞きたいことを紙に書く。
書いたのは
・健康のこと
・仕事のこと
・アニキのこと

言われたのは
・健康に関しては大丈夫
・スポーツ選手までは行かないがかなり体力は高い。

・集団より1人でいることが合っている
 今の仕事より起業して一人で仕事する
・まとめ役あるいは人に教える立場が合っている
・教える仕事が良い
・仕事を変えるなら来年
・何かをするに当たり、時期に関しては流れに逆らわず行けばうまく行く。

・お兄さんとは話をして元気付けてあげること

・長男の役目を負う
・守護霊に非常に守られている。 
・(遊びの)ギャンブル運は無い → 一攫千金は無い 
・金はあるだけ使ってしまう。 

少々話が逸れるが、以前横浜中華街の手相占いを訪ねたことが何度もある。1回¥995と格安だ。
占いを100%信用しているわけでは無かったが興味はあった。
一人に診てもらうだけでは信用できなかったので、その足で別の占い師を連続で4件梯子したこともある。だが言われることはほとんど同じ。

まず手を出すと「ご長男ですか?」と聞かれることが多い。 次男であることを告げると「では将来的に長男の役割を果たすことになるのかもしれませんね」と言われた。 という事はアニキはこのまま日本に帰国せず海外で生活してゆくんだな、と当時は勝手に納得していた。 

他に言われ続けていたことは「墓参りに行きなさい」。 墓が仙台にあり、それまで墓参りなどしたことが無かった。 何人もの占い師に言われるので墓参りに行くようにしたのだが、それ以来言われることが無くなった。 
同僚からは俺が占い好きと勘違いされることになったが、今までに合計15回ほど手相を診てもらっただろうか。 その結果、個人的に「手相占いはあながち間違っていないかもしれない」という曖昧な結論に達した。 
手相だけに留まらず知り合いが紹介してくれた霊能者にも診てもらったことがあるが、「今後こうなる」とズバリ言われたことは無い。 

金はあるだけ使ってしまう”と毎回言われたが、“ただし一生食うには困らない”と言うのも毎回付け加えられる。

ギャンブルや仕事に関しても今回の占い師とまったく同じことを言われ続けていた。
ちなみに今回の占い師は手相は診ない。 生年月日だけだ。

話を戻すが、アニキがガンであることを告げると占い師の顔が曇った。
すると家内が「実は、昨晩お兄さんが夢に出てきたんです」と突然言い出した。
どんな夢だったのか聞くと、「お兄さん泣いてた。“俺はまだ頑張るからさ。 わがままだけどヒデキを頼むね”って言ってた。」と家内は涙目になりながら教えてくれた。

占い師と1時間ほど話し部屋を後にした俺は直ぐに車を走らせ、家内と一緒にアニキが入院している柏のがんセンターへ向かった。

高速道路は少し混んでいたが16時過ぎに流山インターを降り、オフクロに電話を架けた。
「今流山にいるが、これから見舞いに行くから病室を教えてくれ。」
「えっ? ちょっと待って。シュウちゃんは具合良くないから今日はダメかもよ。ちょっと待ってて。」と言い、“ヒデキが来るって言ってるんだけど どうする?!”とアニキに確認している声が聞こえる。
「少しの時間ならいいって言ってるから、病院に着いたら電話ちょうだい。」

日曜の夕方のためか駐車場は閑散としていた。広い駐車場だが直ぐに実家の車が見つかった。 
俺は車を降りたが家内が降りようとしない。降りるよう促すが、殻に閉じこもったように「行きたくない」と呟いた。 昨晩見た夢が虫の知らせか何かだと思い怖いのであろう。
オフクロの携帯に電話を架けるが、電源を切っているか圏外に居るというガイダンスが流れた。 
俺は一人で病院の夜間・休日通用口へ向かった。
 
初めて訪れた国立がんセンター東病院だが、築地の中央病院とは違って少々古臭い感じがする。
通用口の窓口に居た係りのおばちゃんにアニキの病室を訪ねた。
「あれ?名前載ってないな~」
115日に来たはずですけど。」
「ちょっと待ってね」 名簿をめくっていくとアニキの名前が見つかったようだ。 おばちゃんの顔が曇った。 「緩和ケア病棟ね・・・」 表情に“ご愁傷様”と表れているのを俺は見逃さなかった。 
もう助かる確立が相当低いという感じだ。 俺のような知らない人にも“可哀相に・・・”と思ってくれたことに対して何故だかありがたく思えた。おばさんは丁寧に病室までの道順を教えてくれ、俺は礼を言い病室へ急いだ。
 
昼間は人でごった返しているであろう広々とした平日の受付を通り過ぎ、おばさんに言われた通りに奥の廊下のドアを開けた。
別病棟へ繋がるその廊下は、隔離された場所へ向かうのを物語っているようで狭くて長く、なかなか近づかない反対側のドアまでが異様に遠く感じられた。 壁には入院していた人たちが描いた物か、非常に上手に描けている画が無数に展示されていた。その雰囲気に少々困惑し、まるで目眩が起きているように奥のドアが視界の中上下左右に揺れている。 
アニキはもう限界なのか?  

別病棟に入ると応接室の横にあるナースステーションへと向かった。
「すみません。病室を教えて欲しいのですが」とアニキの名前と身内であることを告げ、看護士に病室まで案内してもらった。 着いたのは103号室。 
個室のカーテンを開け「ご家族の方がお見えになりましたよ~」と声をかけた看護士の横を通り抜け、室内に入るとベッドに横たわっているアニキ一人しか居なかった。
頭の毛は相変わらず抜け落ちていたが、眉毛とヒゲは健在だった。

「よっ! 久しぶり」
「あぁ」と、呼吸しづらいようなあまり元気の無い返事が返ってきた。 
「そう言えばあのオイル、そのまま飲めって言うから、飲んだら喉がピリピリしたぞ」と“嘘教えやがって”というような感じでアニキは話し始めた。 
「オフクロはどこ行った?」とアニキに聞いたが返事が良く聞こえなかった。
もう一度聞きなおすと、「売店」とだけかすれた声で返ってきた。
辛そうであったので「わかった。じゃあもう帰るね。また来週来るよ。」と手を上げてさよならしようとしたところ。
「次来るときはお袋に連絡して聞いてくれよ。俺体調悪いことあるからさ」 もう来るな、という感じの口調だった。 気を使うアニキのことだ、裏を返すと「遠いところ大変だからそんなに頻繁に来なくていいよ」だと思う。
「わかった。次からそうする」とだけ伝え、じゃ!と俺はまた手を上げ病室を出た。


俺は長い廊下を戻り受付の方へ向かった。売店がどこにあるのか判らなかった。 その前に日曜日なのに売店ってやっているのか?と思いながら歩いていると、お袋が突然目の前に現れた。
「うお!ビックリした。」
「今着いたの?」
「いや、アニキに会って来たから帰るところ。」
「アキちゃんは?(俺の家内)」
「アニキに気を使って車で待ってるよ。」
「話があるから呼んできて。緩和ケア病棟に入ってすぐの応接室で待ってるから。」
「わかった」

俺は駐車場ま家内を呼びに戻った。
家内は何故かネガティブな精神状態になっており、少々閉じこもってしまっている。
「お袋が呼んでる。来てくれって。」
「行きたくない。」
子供じゃあるまいし、と正直カチンと来た。
怖かろうが不安があろうが何だろうが腹を決めるときは決めなきゃまったく先へ進めない。
俺はそれでも我慢して「いいから来いって。話があるって言ってんだから」と家内を促した。 
 
家内を説得した俺は再び長い道のりを歩き緩和ケア病棟に辿り着いた。応接室に居たお袋に声を掛ける。
「あっ アキちゃん、こんにちは。どうぞ座って。」と、お袋はいつもと変わらないそぶりで家内に声を掛けた。 
アニキはもうダメだろうという話から、今後親の自宅に連れ帰ること、訪問看護の話、再入院の場合の話など一通り話してくれた。 

この病棟の医者に「あまり延命のことを考えても・・・」と言われたこともお袋は教えてくれた。 
一瞬俺は「え゛・・・」と思ったのだが、がんを患っている人の場合、人によっては延命に努力することによって苦痛の時間を延長するのと同じである場合がある。人によっては息絶えるまで2週間前後も手足を固定され途轍もない苦痛を味わうことがあるようだ。 他人事で口から出たわけではなく、何十人、何百人もガン患者を診てきた医師としての言葉なのだろう。
このとき俺は「アニキは次の年越しは無理かもしれないな」と思っていた。 
 
家内はアニキとの面談は遠慮した。 家内なりにアニキのことを気遣っていた。
そして駐車場へ向かい病院を後にした。

「お兄さんどうだった?」
「呼吸しづらい感じだったけど話したよ。ニンニク入りオリーブオイルをそのまま飲んで苦かったとかを話してた。」
「本当。。。 あ~お兄さん元気そうで良かった。」 
「元気とは言えないけね。」
「そんな心配になるようなこと言わないで」 家内はまた泣きそうな顔になった。
「本当のことだから仕方が無いだろう。」 
 
アニキと話せたことに満足し、俺は自宅へと車を走らせた。

2009年元旦
アニキは何とか2009年を迎えることが出来た。


2009
15
俺が12時半頃築地の病院へ見舞いに行った時、相変わらずアニキはベッドの角度を頻繁に変えていた。体が痛くて同じ姿勢でいられないのである。
俺はお袋が何時頃病院へ来るのか確認の電話をしに病室を出た。14時頃にオヤジと車で来るとのことであった。 アニキの奥さんはいつも通り13時に来る。 
電話を終え病室へ戻ると「悪りーけど部屋に居てくれないか? 落ち着かないんだよ。」とアニキに言われた。 「一人でいるのが怖い」と漏らしていたことを以前親から聞いていた。 気を抜くと呼吸が止まり死んでしまうという強迫観念に囚われていたようだ。 そんな状態にまでなっているとは知らなかった俺は、それを聞いて胸を締め付けられる思いになった。

しばらくするとアニキが「遅せ~な~」と眉間に皺をよせながら呟いた。
「何が?」と聞き返すと、「オフクロとミサ(奥さん)が来ない。大丈夫かなー ・・・」と物凄く心配そうな顔であった。
実は13時から開始の面会時間をまったく気にしていなかった俺は、病院に12時半に着いていたのだ。


そのことを告げると「なんだ、まだ13時前だったか。」と少し安心した様子であった。