2009年1月14日
これ以上治療の効果が期待出来ないということで築地での最後の入院生活も終わり、以後緩和ケアに移ることになった。
両親は自宅での療養を行うことを考えていたようだが、自宅近くに国立がんセンター東病院があるため先生に「最初は緩和ケア病棟に入院し、それから自宅で療養されたほうが良いです」と言われたようだ。
繋がりを作っておいたほうが、何かあったときに病院での処置がスムーズになるという意味だ。
2009年1月15日
アニキは民間の患者移送車両に乗って築地の中央病院から柏の東病院へ移った。
「久々に違った景色を見れたよ」と言っていたようである。
体の痛みが続く中車での移動も辛かったであろうが、少しは気分転換できたのかもしれない。
2009年1月18日
家内の友人の知り合いに占い師がいる。
以前家内が占い師に視てもらったが、「次はご主人と一緒にいらしてください」と言われたようで予約を取った。 通常2ヶ月先まで予約で一杯だそうだが幸運なことに2週間前に予約が取れ、今日がその日だ。
予約した14時に占い師を伺った。
まず生年月日と自分が聞きたいことを紙に書く。
書いたのは
・健康のこと
・仕事のこと
・アニキのこと
言われたのは
・健康に関しては大丈夫
・スポーツ選手までは行かないがかなり体力は高い。
・集団より1人でいることが合っている
今の仕事より起業して一人で仕事する
・まとめ役あるいは人に教える立場が合っている
・教える仕事が良い
・仕事を変えるなら来年
・何かをするに当たり、時期に関しては流れに逆らわず行けばうまく行く。
・お兄さんとは話をして元気付けてあげること
・長男の役目を負う
・守護霊に非常に守られている。
・(遊びの)ギャンブル運は無い → 一攫千金は無い
・金はあるだけ使ってしまう。
少々話が逸れるが、以前横浜中華街の手相占いを訪ねたことが何度もある。1回¥995と格安だ。
占いを100%信用しているわけでは無かったが興味はあった。
一人に診てもらうだけでは信用できなかったので、その足で別の占い師を連続で4件梯子したこともある。だが言われることはほとんど同じ。
まず手を出すと「ご長男ですか?」と聞かれることが多い。 次男であることを告げると「では将来的に長男の役割を果たすことになるのかもしれませんね」と言われた。 という事はアニキはこのまま日本に帰国せず海外で生活してゆくんだな、と当時は勝手に納得していた。
他に言われ続けていたことは「墓参りに行きなさい」。 墓が仙台にあり、それまで墓参りなどしたことが無かった。 何人もの占い師に言われるので墓参りに行くようにしたのだが、それ以来言われることが無くなった。
同僚からは俺が占い好きと勘違いされることになったが、今までに合計15回ほど手相を診てもらっただろうか。 その結果、個人的に「手相占いはあながち間違っていないかもしれない」という曖昧な結論に達した。
手相だけに留まらず知り合いが紹介してくれた霊能者にも診てもらったことがあるが、「今後こうなる」とズバリ言われたことは無い。
“金はあるだけ使ってしまう”と毎回言われたが、“ただし一生食うには困らない”と言うのも毎回付け加えられる。
ギャンブルや仕事に関しても今回の占い師とまったく同じことを言われ続けていた。
ちなみに今回の占い師は手相は診ない。 生年月日だけだ。
話を戻すが、アニキがガンであることを告げると占い師の顔が曇った。
すると家内が「実は、昨晩お兄さんが夢に出てきたんです」と突然言い出した。
どんな夢だったのか聞くと、「お兄さん泣いてた。“俺はまだ頑張るからさ。 わがままだけどヒデキを頼むね”って言ってた。」と家内は涙目になりながら教えてくれた。
占い師と1時間ほど話し部屋を後にした俺は直ぐに車を走らせ、家内と一緒にアニキが入院している柏のがんセンターへ向かった。
高速道路は少し混んでいたが16時過ぎに流山インターを降り、オフクロに電話を架けた。
「今流山にいるが、これから見舞いに行くから病室を教えてくれ。」
「えっ? ちょっと待って。シュウちゃんは具合良くないから今日はダメかもよ。ちょっと待ってて。」と言い、“ヒデキが来るって言ってるんだけど どうする?!”とアニキに確認している声が聞こえる。
「少しの時間ならいいって言ってるから、病院に着いたら電話ちょうだい。」
日曜の夕方のためか駐車場は閑散としていた。広い駐車場だが直ぐに実家の車が見つかった。
俺は車を降りたが家内が降りようとしない。降りるよう促すが、殻に閉じこもったように「行きたくない」と呟いた。 昨晩見た夢が虫の知らせか何かだと思い怖いのであろう。
オフクロの携帯に電話を架けるが、電源を切っているか圏外に居るというガイダンスが流れた。
俺は一人で病院の夜間・休日通用口へ向かった。
初めて訪れた国立がんセンター東病院だが、築地の中央病院とは違って少々古臭い感じがする。
通用口の窓口に居た係りのおばちゃんにアニキの病室を訪ねた。
「あれ?名前載ってないな~」
「1月15日に来たはずですけど。」
「ちょっと待ってね」 名簿をめくっていくとアニキの名前が見つかったようだ。 おばちゃんの顔が曇った。 「緩和ケア病棟ね・・・」 表情に“ご愁傷様”と表れているのを俺は見逃さなかった。
もう助かる確立が相当低いという感じだ。 俺のような知らない人にも“可哀相に・・・”と思ってくれたことに対して何故だかありがたく思えた。おばさんは丁寧に病室までの道順を教えてくれ、俺は礼を言い病室へ急いだ。
昼間は人でごった返しているであろう広々とした平日の受付を通り過ぎ、おばさんに言われた通りに奥の廊下のドアを開けた。
別病棟へ繋がるその廊下は、隔離された場所へ向かうのを物語っているようで狭くて長く、なかなか近づかない反対側のドアまでが異様に遠く感じられた。 壁には入院していた人たちが描いた物か、非常に上手に描けている画が無数に展示されていた。その雰囲気に少々困惑し、まるで目眩が起きているように奥のドアが視界の中上下左右に揺れている。
アニキはもう限界なのか?
別病棟に入ると応接室の横にあるナースステーションへと向かった。
「すみません。病室を教えて欲しいのですが」とアニキの名前と身内であることを告げ、看護士に病室まで案内してもらった。 着いたのは103号室。
個室のカーテンを開け「ご家族の方がお見えになりましたよ~」と声をかけた看護士の横を通り抜け、室内に入るとベッドに横たわっているアニキ一人しか居なかった。
頭の毛は相変わらず抜け落ちていたが、眉毛とヒゲは健在だった。
「よっ! 久しぶり」
「あぁ」と、呼吸しづらいようなあまり元気の無い返事が返ってきた。
「そう言えばあのオイル、そのまま飲めって言うから、飲んだら喉がピリピリしたぞ」と“嘘教えやがって”というような感じでアニキは話し始めた。
「オフクロはどこ行った?」とアニキに聞いたが返事が良く聞こえなかった。
もう一度聞きなおすと、「売店」とだけかすれた声で返ってきた。
辛そうであったので「わかった。じゃあもう帰るね。また来週来るよ。」と手を上げてさよならしようとしたところ。
「次来るときはお袋に連絡して聞いてくれよ。俺体調悪いことあるからさ」 もう来るな、という感じの口調だった。 気を使うアニキのことだ、裏を返すと「遠いところ大変だからそんなに頻繁に来なくていいよ」だと思う。
「わかった。次からそうする」とだけ伝え、じゃ!と俺はまた手を上げ病室を出た。
俺は長い廊下を戻り受付の方へ向かった。売店がどこにあるのか判らなかった。 その前に日曜日なのに売店ってやっているのか?と思いながら歩いていると、お袋が突然目の前に現れた。
「うお!ビックリした。」
「今着いたの?」
「いや、アニキに会って来たから帰るところ。」
「アキちゃんは?(俺の家内)」
「アニキに気を使って車で待ってるよ。」
「話があるから呼んできて。緩和ケア病棟に入ってすぐの応接室で待ってるから。」
「わかった」
俺は駐車場ま家内を呼びに戻った。
家内は何故かネガティブな精神状態になっており、少々閉じこもってしまっている。
「お袋が呼んでる。来てくれって。」
「行きたくない。」
子供じゃあるまいし、と正直カチンと来た。
怖かろうが不安があろうが何だろうが腹を決めるときは決めなきゃまったく先へ進めない。
俺はそれでも我慢して「いいから来いって。話があるって言ってんだから」と家内を促した。
家内を説得した俺は再び長い道のりを歩き緩和ケア病棟に辿り着いた。応接室に居たお袋に声を掛ける。
「あっ アキちゃん、こんにちは。どうぞ座って。」と、お袋はいつもと変わらないそぶりで家内に声を掛けた。
アニキはもうダメだろうという話から、今後親の自宅に連れ帰ること、訪問看護の話、再入院の場合の話など一通り話してくれた。
この病棟の医者に「あまり延命のことを考えても・・・」と言われたこともお袋は教えてくれた。
一瞬俺は「え゛・・・」と思ったのだが、がんを患っている人の場合、人によっては延命に努力することによって苦痛の時間を延長するのと同じである場合がある。人によっては息絶えるまで2週間前後も手足を固定され途轍もない苦痛を味わうことがあるようだ。 他人事で口から出たわけではなく、何十人、何百人もガン患者を診てきた医師としての言葉なのだろう。
このとき俺は「アニキは次の年越しは無理かもしれないな」と思っていた。
家内はアニキとの面談は遠慮した。 家内なりにアニキのことを気遣っていた。
そして駐車場へ向かい病院を後にした。
「お兄さんどうだった?」
「呼吸しづらい感じだったけど話したよ。ニンニク入りオリーブオイルをそのまま飲んで苦かったとかを話してた。」
「本当。。。 あ~お兄さん元気そうで良かった。」
「元気とは言えないけね。」
「そんな心配になるようなこと言わないで」 家内はまた泣きそうな顔になった。
「本当のことだから仕方が無いだろう。」
アニキと話せたことに満足し、俺は自宅へと車を走らせた。
これ以上治療の効果が期待出来ないということで築地での最後の入院生活も終わり、以後緩和ケアに移ることになった。
両親は自宅での療養を行うことを考えていたようだが、自宅近くに国立がんセンター東病院があるため先生に「最初は緩和ケア病棟に入院し、それから自宅で療養されたほうが良いです」と言われたようだ。
繋がりを作っておいたほうが、何かあったときに病院での処置がスムーズになるという意味だ。
2009年1月15日
アニキは民間の患者移送車両に乗って築地の中央病院から柏の東病院へ移った。
「久々に違った景色を見れたよ」と言っていたようである。
体の痛みが続く中車での移動も辛かったであろうが、少しは気分転換できたのかもしれない。
2009年1月18日
家内の友人の知り合いに占い師がいる。
以前家内が占い師に視てもらったが、「次はご主人と一緒にいらしてください」と言われたようで予約を取った。 通常2ヶ月先まで予約で一杯だそうだが幸運なことに2週間前に予約が取れ、今日がその日だ。
予約した14時に占い師を伺った。
まず生年月日と自分が聞きたいことを紙に書く。
書いたのは
・健康のこと
・仕事のこと
・アニキのこと
言われたのは
・健康に関しては大丈夫
・スポーツ選手までは行かないがかなり体力は高い。
・集団より1人でいることが合っている
今の仕事より起業して一人で仕事する
・まとめ役あるいは人に教える立場が合っている
・教える仕事が良い
・仕事を変えるなら来年
・何かをするに当たり、時期に関しては流れに逆らわず行けばうまく行く。
・お兄さんとは話をして元気付けてあげること
・長男の役目を負う
・守護霊に非常に守られている。
・(遊びの)ギャンブル運は無い → 一攫千金は無い
・金はあるだけ使ってしまう。
少々話が逸れるが、以前横浜中華街の手相占いを訪ねたことが何度もある。1回¥995と格安だ。
占いを100%信用しているわけでは無かったが興味はあった。
一人に診てもらうだけでは信用できなかったので、その足で別の占い師を連続で4件梯子したこともある。だが言われることはほとんど同じ。
まず手を出すと「ご長男ですか?」と聞かれることが多い。 次男であることを告げると「では将来的に長男の役割を果たすことになるのかもしれませんね」と言われた。 という事はアニキはこのまま日本に帰国せず海外で生活してゆくんだな、と当時は勝手に納得していた。
他に言われ続けていたことは「墓参りに行きなさい」。 墓が仙台にあり、それまで墓参りなどしたことが無かった。 何人もの占い師に言われるので墓参りに行くようにしたのだが、それ以来言われることが無くなった。
同僚からは俺が占い好きと勘違いされることになったが、今までに合計15回ほど手相を診てもらっただろうか。 その結果、個人的に「手相占いはあながち間違っていないかもしれない」という曖昧な結論に達した。
手相だけに留まらず知り合いが紹介してくれた霊能者にも診てもらったことがあるが、「今後こうなる」とズバリ言われたことは無い。
“金はあるだけ使ってしまう”と毎回言われたが、“ただし一生食うには困らない”と言うのも毎回付け加えられる。
ギャンブルや仕事に関しても今回の占い師とまったく同じことを言われ続けていた。
ちなみに今回の占い師は手相は診ない。 生年月日だけだ。
話を戻すが、アニキがガンであることを告げると占い師の顔が曇った。
すると家内が「実は、昨晩お兄さんが夢に出てきたんです」と突然言い出した。
どんな夢だったのか聞くと、「お兄さん泣いてた。“俺はまだ頑張るからさ。 わがままだけどヒデキを頼むね”って言ってた。」と家内は涙目になりながら教えてくれた。
占い師と1時間ほど話し部屋を後にした俺は直ぐに車を走らせ、家内と一緒にアニキが入院している柏のがんセンターへ向かった。
高速道路は少し混んでいたが16時過ぎに流山インターを降り、オフクロに電話を架けた。
「今流山にいるが、これから見舞いに行くから病室を教えてくれ。」
「えっ? ちょっと待って。シュウちゃんは具合良くないから今日はダメかもよ。ちょっと待ってて。」と言い、“ヒデキが来るって言ってるんだけど どうする?!”とアニキに確認している声が聞こえる。
「少しの時間ならいいって言ってるから、病院に着いたら電話ちょうだい。」
日曜の夕方のためか駐車場は閑散としていた。広い駐車場だが直ぐに実家の車が見つかった。
俺は車を降りたが家内が降りようとしない。降りるよう促すが、殻に閉じこもったように「行きたくない」と呟いた。 昨晩見た夢が虫の知らせか何かだと思い怖いのであろう。
オフクロの携帯に電話を架けるが、電源を切っているか圏外に居るというガイダンスが流れた。
俺は一人で病院の夜間・休日通用口へ向かった。
初めて訪れた国立がんセンター東病院だが、築地の中央病院とは違って少々古臭い感じがする。
通用口の窓口に居た係りのおばちゃんにアニキの病室を訪ねた。
「あれ?名前載ってないな~」
「1月15日に来たはずですけど。」
「ちょっと待ってね」 名簿をめくっていくとアニキの名前が見つかったようだ。 おばちゃんの顔が曇った。 「緩和ケア病棟ね・・・」 表情に“ご愁傷様”と表れているのを俺は見逃さなかった。
もう助かる確立が相当低いという感じだ。 俺のような知らない人にも“可哀相に・・・”と思ってくれたことに対して何故だかありがたく思えた。おばさんは丁寧に病室までの道順を教えてくれ、俺は礼を言い病室へ急いだ。
昼間は人でごった返しているであろう広々とした平日の受付を通り過ぎ、おばさんに言われた通りに奥の廊下のドアを開けた。
別病棟へ繋がるその廊下は、隔離された場所へ向かうのを物語っているようで狭くて長く、なかなか近づかない反対側のドアまでが異様に遠く感じられた。 壁には入院していた人たちが描いた物か、非常に上手に描けている画が無数に展示されていた。その雰囲気に少々困惑し、まるで目眩が起きているように奥のドアが視界の中上下左右に揺れている。
アニキはもう限界なのか?
別病棟に入ると応接室の横にあるナースステーションへと向かった。
「すみません。病室を教えて欲しいのですが」とアニキの名前と身内であることを告げ、看護士に病室まで案内してもらった。 着いたのは103号室。
個室のカーテンを開け「ご家族の方がお見えになりましたよ~」と声をかけた看護士の横を通り抜け、室内に入るとベッドに横たわっているアニキ一人しか居なかった。
頭の毛は相変わらず抜け落ちていたが、眉毛とヒゲは健在だった。
「よっ! 久しぶり」
「あぁ」と、呼吸しづらいようなあまり元気の無い返事が返ってきた。
「そう言えばあのオイル、そのまま飲めって言うから、飲んだら喉がピリピリしたぞ」と“嘘教えやがって”というような感じでアニキは話し始めた。
「オフクロはどこ行った?」とアニキに聞いたが返事が良く聞こえなかった。
もう一度聞きなおすと、「売店」とだけかすれた声で返ってきた。
辛そうであったので「わかった。じゃあもう帰るね。また来週来るよ。」と手を上げてさよならしようとしたところ。
「次来るときはお袋に連絡して聞いてくれよ。俺体調悪いことあるからさ」 もう来るな、という感じの口調だった。 気を使うアニキのことだ、裏を返すと「遠いところ大変だからそんなに頻繁に来なくていいよ」だと思う。
「わかった。次からそうする」とだけ伝え、じゃ!と俺はまた手を上げ病室を出た。
俺は長い廊下を戻り受付の方へ向かった。売店がどこにあるのか判らなかった。 その前に日曜日なのに売店ってやっているのか?と思いながら歩いていると、お袋が突然目の前に現れた。
「うお!ビックリした。」
「今着いたの?」
「いや、アニキに会って来たから帰るところ。」
「アキちゃんは?(俺の家内)」
「アニキに気を使って車で待ってるよ。」
「話があるから呼んできて。緩和ケア病棟に入ってすぐの応接室で待ってるから。」
「わかった」
俺は駐車場ま家内を呼びに戻った。
家内は何故かネガティブな精神状態になっており、少々閉じこもってしまっている。
「お袋が呼んでる。来てくれって。」
「行きたくない。」
子供じゃあるまいし、と正直カチンと来た。
怖かろうが不安があろうが何だろうが腹を決めるときは決めなきゃまったく先へ進めない。
俺はそれでも我慢して「いいから来いって。話があるって言ってんだから」と家内を促した。
家内を説得した俺は再び長い道のりを歩き緩和ケア病棟に辿り着いた。応接室に居たお袋に声を掛ける。
「あっ アキちゃん、こんにちは。どうぞ座って。」と、お袋はいつもと変わらないそぶりで家内に声を掛けた。
アニキはもうダメだろうという話から、今後親の自宅に連れ帰ること、訪問看護の話、再入院の場合の話など一通り話してくれた。
この病棟の医者に「あまり延命のことを考えても・・・」と言われたこともお袋は教えてくれた。
一瞬俺は「え゛・・・」と思ったのだが、がんを患っている人の場合、人によっては延命に努力することによって苦痛の時間を延長するのと同じである場合がある。人によっては息絶えるまで2週間前後も手足を固定され途轍もない苦痛を味わうことがあるようだ。 他人事で口から出たわけではなく、何十人、何百人もガン患者を診てきた医師としての言葉なのだろう。
このとき俺は「アニキは次の年越しは無理かもしれないな」と思っていた。
家内はアニキとの面談は遠慮した。 家内なりにアニキのことを気遣っていた。
そして駐車場へ向かい病院を後にした。
「お兄さんどうだった?」
「呼吸しづらい感じだったけど話したよ。ニンニク入りオリーブオイルをそのまま飲んで苦かったとかを話してた。」
「本当。。。 あ~お兄さん元気そうで良かった。」
「元気とは言えないけね。」
「そんな心配になるようなこと言わないで」 家内はまた泣きそうな顔になった。
「本当のことだから仕方が無いだろう。」
アニキと話せたことに満足し、俺は自宅へと車を走らせた。