野口雨情氏からもうひとつ。
氏が作った中で今年(2024年)の選抜高校野球の出場校は、愛知県の豊川高校です。
https://toyokawa.ed.jp/index.html
豊川市は愛知県の東南部、豊橋市に隣接する町で豊川稲荷の門前町として古くから歴史があります。また東海道の街道筋にあり、御油宿と赤坂宿が置かれ賑わっていた土地、太平洋戦争では豊川海軍工廠があったため空襲の被害にもあっています。
日本三大稲荷のひとつともされる豊川稲荷は1441年の創建とされ、県内でも熱田神宮と並ぶ初詣の参拝客数が多い寺院として知られています。神社ではなくお寺で、円福山豊川閣妙厳寺が正式名称。また”いなり寿司”のルーツのひとつとも伝えられています。
その一大寺院が運営する学校は、明治15年に子弟教育のための豊川閣家庭学校として設置したのに始まります。昭和3年に夜間中学に準ずる豊川学堂に改称、さらに豊川夜間中、豊川中と変遷して戦後の学制改革で豊川高校になりました。
戦前の校歌は作詞:野口雨情 作曲:駒井一陽で昭和13年制定です。
旧制・豊川中 (全4番)
本宮山の 朝風に
若き希望は 漲りて
仰ぐは高き 大み空
日々のつとめに 励まなむ
姫路工業高校と同じように野口雨情の校歌の半数ほどが駒井一陽氏作曲です。この人については詳しい情報がなく、生涯や人柄については今のところ皆目不明です。
学校史によれば昭和12年春に野口氏が豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)を参詣した折、学校側からこの機会に作ってほしいとの依頼をうけて承諾、完成しました。これもほとんど姫工と同じ経緯ですね。
現在の校歌は作詞:丸山薫 作曲:駒井一陽で昭和24年制定です。
豊川高校 (全4番)
けだかきすがた 本宮の
嶺の光を 窓にうけ
名もかくれなき 豊川に
そそる甍は わが母校
高校になった直後の昭和24年に当時愛知大学の講師だった詩人・丸山薫氏に新しい校歌を依頼した際、従来の曲に合わせた詞にすることをお願いして現在のものになりました。旧校歌の内容も一部取り入れたと見え、「霊地の鐘」や「難きゆくて」にその影響がみてとれます。
高校野球の愛知県大会でもいつ頃からか校歌が歌われるようになったのですが、私がこの県大会のテレビ中継で初めて聞いたのが豊川高校の校歌でした。当時は歌詞字幕がなくよく分からず、それより胸の大きな宝珠紋が目を引きました。
高校野球では平成26年春に甲子園初出場、3勝を挙げてベスト4入りを果たしています。今回はその時以来2回目の出場で再び躍進が期待されますね。
部活動では駅伝部が高校駅伝の強豪校として知られ、女子部は全国優勝4回、男子部も1回優勝しています。水泳部もインターハイ3連覇や男女アベック優勝も成した名門です。