和歌山県立 耐久高等学校 | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

昨年から近畿各府県の学校を取り上げていて、今回の和歌山県でようやく一区切りです(笑)

先日、第96回選抜高校野球の出場校が決定しました。

その中でも校名や歴史が話題となったのが和歌山県の耐久高校。ペリー来航以前からある超伝統校というのが興味をひかれたようですね。

https://www.taikyu-h.wakayama-c.ed.jp/

あと開設当初から同じだったPC上のブログデザインも変えてみました。

 

今回は、そんな耐久高校の校歌です。

湯浅町は和歌山県の北東部、湯浅湾と呼ばれる湾奥にある町です。湾に注ぐ広川を境に北側が湯浅町、南が広川町です。
湯浅町はなんといっても”醤油醸造発祥の町”で知られています。金山寺味噌という味噌の仕込み樽に溜まる液体をもとに試行錯誤の末、最初の醤油を完成させたそうです。その後は全国で改良が重ねられ、世界に誇る調味料のひとつとなりました。また蜜柑などの柑橘やアジやシラス漁業も盛んな土地です。

学校はそうした紀州の町の一角、JR湯浅駅北の紀勢線沿いにあります。
簡単な歴史としては1852年(嘉永5年)創立の耐久社を源流とし、幾度か変遷を経たのち昭和23年の学制改革で旧制耐久中有田高等女学校を統合して耐久高校となりました。
校地は湯浅町の有田高女を受け継いでいます。耐久中の校地はそのまま新制の広中学校となり、後に耐久中学校に改称しました。

高校の校歌は作詞:清水康夫 作曲:植村保で昭和23年制定です。
耐久高校 (全3番)
 東雲なびく 生石山

 夕日に映ゆる 那耆の海
 自然の恵 身に受けて

 道を修めん 若人の
 学びの庭の名も高し

 讃えよ耐久 吾等が母校

 

1番は学校のある湯浅町の自然環境を歌います。生石山は和歌山県北部の長峰山脈中の主峰であり、生石高原と呼ばれるススキ草原が有名です。「那耆(なぎ)の海」とは湯浅町と広川町に面する入海・湯浅湾のことでしょうが、梛(なぎ)の意味をなすとすれば南紀熊野三山の神木とされたり護符代わりに身に着けていたとも言われ、学校近くの広村堤防にも植えられているそうです。あるいは海が「凪ぐ」にも掛かっているかもしれません。

作詞者の言によれば「応募した詞とはずいぶん変わってしまった」ので作詞というより原作に近く、教師によって大幅に校訂されたというのが正しそうです。

 

耐久の源流に遡ってみれば、醤油の元祖ともいえるヤマサ醤油(株)の7代目を襲名した濱口梧陵と他2名によって1852年に開設された私塾「稽古場」に始まります。この頃は剣術や槍術、国学や漢学を教えていたそうです。

2年後に発生した安政南海地震による津波で被災しましたが再建、1866年(慶応2年)に移転し梧陵自ら”永続”と”自学自労”の精神に満ち溢れた人材教育を願って「耐久社」と命名されました。明治25年に校風を一新して普通教育を開始、校名も耐久学舎に改称しています。

最初の校歌は作詞:濱口恵璋 曲:金剛石の歌、明治36年頃に作られたようです。
旧制・耐久学舎 (全3番)
 たたふる波も那耆の海 たなびく雲や生石山
 わが学び舎は礎を 嘉永の昔ここに置き
 耐久学舎の名とともに 幾年月を過ぎにけり

 

作詞者の濱口恵璋は濱口家菩提寺の住職のかたわら耐久中の教員も務められた人です。濱口梧陵と姻戚関係があるのかは残念ながらよくわかりません。

旧制中学校は藩校由来を除き早くとも明治初期からなので、「嘉永の昔」とわざわざ言及するあたりに伝統の重みを強調したものと思うのですね。3番に「はげみ進みて久しきに、耐ゆとふことを忘れざれ、道義の山は高くとも、真理の海は深くとも」とあり、これは耐久高校の2番に形を変えて受け継がれたとも感じられます。

 

その後明治41年に中学校令による耐久中学校に改称し、大正9年に県に移管されています。

二代目とされる校歌があり、作詞:佐藤安一 作曲:陸軍戸山学校軍楽隊ですが制定年は不明です。
旧制・耐久中 (全2番)
 すめらぎの 遠つ御祖の

 めぐらしし 美し紀の国
 そこに 耐久の名に負ひて

 歴史は古き わが学び舎
 おお その誉も高く

 弥々進まん 男の子われら

 

2番は冒頭に「逆巻きて寄する海嘯(つなみ)を、防がんと築きし堤の、そこに鬱蒼と逞しく、嵐に吼えて立つ松群」とあり、これは広村堤防を指します。耐久の創設者・濱口梧陵がモデルとなった”稲むらの火”物語にある安政南海地震の津波のあと、梧陵自身が私財を投じて築いた防潮堤で、現に昭和の東南海・南海地震でも効果を発揮し死者を最小限にとどめたそうです。

昔も現在も防潮林として松が多く植えられていることを表し、剛毅さを学べということでしょうか。


有田高女の校歌は作詞:尾上八郎 作曲:幾尾純ですが、別資料では作詞者が山崎兼次郎となっています。
旧制・有田高女 (全3番)
 有田の川辺は 橘かをり

 湯浅の磯部は 松かげ青し
 栄ある里辺に 高くも立てる

 我等が学び舎は 光にみてり

 

今回の甲子園が初陣ということで、まずは初勝利を目指してもらいたいですね。

他の部活動としては、バドミントン部やマンドリン部が県内の強豪として活躍しているそうです。