校歌の広場

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

第50回大会は興國高校、第51回大会は松山商業高校が優勝しました。

昭和45年、第52回大会の優勝校は東海大相模高校でした。今回は、神奈川県の東海大相模高校・中等部です。

https://www.sagami.tokai.ed.jp/

 

神奈川県でも1,2を争う高校野球界の名門校です。春夏とも12回の出場があり49勝を挙げています。直近では令和3年春を含め春夏5回の優勝、3回の準優勝など全国でもトップクラスの戦績で、東海大学系列校としても決勝進出経験があるのは相模だけです。(ベスト4は第一、甲府、菅生の3校も)

追加:決勝進出は相模だけでなく東海大札幌も第四高校時代の平成27年春に準優勝しておりました。失礼しました…

 

神奈川県相模原市南区、市域の南東部端に所在し、西方向は座間市に面しています。最寄り駅の小田急相模原駅から南東に徒歩15分ほどでしょうか。野球グラウンドも同敷地内にあります。

昭和35年頃、渋谷区富ヶ谷にあった東海大学代々木キャンパスが学生増で手狭になり、一部(教養学部)を神奈川県相模原市に移転する計画が持ち上がっていました。そして同県平塚市に現在の湘南キャンパスが建設されるにあたり教養学部も同キャンパスに移動、跡地を附属高校として開校する、という流れだったようです。

その際、長野県茅野市の第三高校(現・東海大諏訪高校、昭和38年開校)の次の設立だったので校名も当初は”東海大学第四高校”に決定しかかっていたところ、松前総長が当時の牧野氏(後の第7代学長)等の意見を採用して”相模高校”に翻意した、とあります。こうして神奈川県初の附属校、東海大相模高校として昭和38年に急遽開校しました。

校歌は作詞:松前重義 作曲:松前紀男で、制定年は不明です。東海大相模の学校史も閲覧したことはあるのですが、校歌について触れている項目がないので…

東海大相模 (全4番)

 果てしも知らぬ 平原に
 相模の流れ せせらぎて
 天に星座の 冴ゆるとこ
 これ我が母校 我が母校

 

東海大学系列の校歌に関して知られることとしては、ほぼ全ての歌の作詞を東海大学の創立者にして元総長・松前重義氏、作曲をその子息・松前紀男氏が手がけていることで知られます。もっとも松前紀夫氏は各校をその都度作曲したのではなく、ベースとなる6/8拍子の曲を作ったということなのでしょうが…

 

その他の部活動では、全国トップレベルの柔道部や吹奏楽部、全国常連のラグビー部、近年台頭してきたサッカー部などが活躍していますね。

第41回大会優勝校は中京商業高校で夏6回目の優勝でした。

第42回大会、学制改革後の創立として初めての優勝校となったのが習志野高校。しかも開校5年後に初出場、10年後には早くも全国優勝を果たしました。

その後は昭和50年夏に再び優勝、やや間が空きながらも出場し最近では平成31年春に準優勝、通算では戦国千葉にあって26勝を挙げています。

今回は、千葉県の習志野高校です。

https://hs-narashino.edumap.jp/

 

習志野という地名は、明治6年に津田沼(これも谷・久々・鷺の合成地名)で行われた明治天皇が統監された陸軍大演習の際に、全体指揮を取った篠原少将の活躍ぶりを称えて「篠原を見習え」と宣したのを「見習篠原」→「見習志野原」→天皇の勅諭をもって「習志野」となったという説があります。

これに演習場に相応しいところの意味をも付けたもの、とする地名でしょうね。

 

さて、学校は昭和32年に市立の習志野高校として開校しました。開校当初は当時新様式の学校建築として注目を集めつつあった円形校舎を採用、募集パンフレットにも同じく円形校舎が先に完成していた津田沼小学校の写真を載せたといいます。普通の階層型でなく、少しずつ高さがずれていく螺旋型だったそうですが、現在は取り壊され市役所が移転してきて新しい市庁舎が建っています。

 

校歌は作詞:山田継雄 作曲:森脇健三で開校同年の昭和32年制定です。

習志野 (全3番)

 君知るや ここ津田沼の 花薫る丘に

 今日も鬱勃と 湧きやまず 青き雲波

 逞しく 四海を望む

 これぞ 叡智と愛の学び舎

 われらが母校 習志野

 おお 聳え立て 誇りもて 美しく

 永久に 永久に 永久に 碧空に

 

テンポが速く6/8→4/4→6/8と拍子も変わる、素人目には難しそうな譜です。学校史に「校歌に初代校長山口氏の建学の精神が込められている」とあり、山口氏自身も習高新聞に「…習志野の花薫る丘々に鬱勃と、鬱勃として雲波が湧いている、教師諸君、生徒諸君、さあ前進だ」と寄せたそうです。

校歌が制定された頃は今の津田沼、習志野市役所のあたりに所在していたため「ここ津田沼の」となっていますが、2度目の甲子園優勝をきっかけに昭和50年に東習志野の現在地に移転しました。

 

現在の習志野高校は、習志野の期待するシンボルとして初代市長が述べた「習志野の王冠たれ」を体現せんと、スポーツ・文化・音楽などの幅広い分野で活躍しています。

特に吹奏楽部は野球部の応援時に”美爆音”の名で知られる日本有数の名門で、全日本吹奏楽コンクールや全日本マーチングコンテストで数多くの金賞受賞する他、プロ野球の試合のフェスや県内外で積極的な公演を行っています。

運動系では野球部の他に、IHや高校サッカーで全国優勝経験のあるサッカー部、同じく全国優勝のバレー部やボクシング部なども千葉県を代表する強豪校です。


第47回大会(昭和40年)の優勝校は三池工業高校でした。
今回は、福岡県の三池工業高校です。

https://miike-tech.fku.ed.jp/

 

昭和40年夏が唯一の出場ながら初出場・初優勝の快挙をあげ、また夏の大会で優勝した唯一の工業高校でもあります。(春は埼玉県・大宮工業高校があり)

そしてこの時以降は春夏とも出場は無いため、現状唯一の”甲子園の勝率100%”の学校でもあります。春では徳島県の海南高校がありますが、統合して海部高校となっているため同一校とは見なしにくいかと。

 

この優勝にはひとつのエピソードがあります。この約2年前の昭和38年11月に起きたのが三井三池炭鉱炭塵爆発事故。死者458人、負傷者も800人を超えたこの大規模な事故や、それ以前からの炭鉱労働争議により大牟田や三池は町全体が沈痛状態でしたが、三池工業高校の優勝でいっとき祝賀ムードで明るくなったそうです。また校内の中庭にある月桂樹の木も、優勝パレードの際に投げ込まれた苗を植樹し根を張り、学校のシンボルとなっています。

 

大牟田市は福岡県の最南端に位置し、熊本県との県境をなし有明海に面しています。

近代で最大の産業だったのが石炭の採掘です。炭鉱の歴史はかなり古く記録では紀元前からあったとされますが、近代までは小規模なもので個人的な使用も少なくなかったようです。18世紀に入ると主に製鉄の鍛錬に発展し、日本でも北海道から九州まで炭田が発見され次第採掘が進められていきます。

大牟田市から熊本県荒尾市にまたがる大規模な炭鉱は江戸時代から操業されていたようですが、これを明治22年に三井財閥が払い下げ、更に周辺の港湾や施設の拡充を推進して出炭量は日本でも最大規模に発展しました。しかし戦中の大牟田空襲や戦後のエネルギー革命により徐々に衰退していきます。出炭量の持続的な低下、炭鉱内で頻発した事故や劣悪な労働環境に対する批判も相次ぎ、ついに平成9年に三井三池炭鉱は閉山しました。

その後平成27年に、三池炭鉱関連資産は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録されました。宮原坑、万田坑から専用鉄道で三池港への積み出しといった一連の流れを把握でき、炭鉱産業景観が良く残るとの高評価を受けているそうです。

 

学校は明治41年、炭鉱を経営していた三井財閥によって創設された三井工業学校に始まります。工業界の”志士”として炭鉱関連事業従事者の育成や実習を兼ねたものだったようです。

学制改革で私立の三池工業高校となりましたが、2年後に福岡県に移管され県立となり現在に至ります。

現在の校歌は作詞:森利 作曲:藤枝昭俊で昭和31年制定です。
三池工業高校 (全3番)
 三池山 緑輝よひ
 朝風の すがしき丘に
 向学の 希もあつく
 若き友 笑みて集へり
 理想の灯 ともし連ねて
 進めいざ 三池工業

 

3番「日進のとどろきあげて、鉱工の栄ゆくところ」が、いかにも炭都・三池らしい詞ですね。

 

旧制時代の校歌は2つあり、初代は作詞:神作浜吉 作曲:島崎赤太郎で大正12年制定です。

旧制・三池工 初代 (全4番)

 秀才教育 旗手にかざし

 個性尊重 真楫とぬきて

 工業の海に 漕ぎ出ん為に

 まことや 我等の理想や高し

 

二代目は作詞:蓮尾良雄 作曲:山田耕筰で戦中の昭和18年制定です。

旧制・三池工 二代目 (全4番)

 三池の尾根の 雲ひらけ

 旭日生るる 空のむた

 しじ立つ煙 振りさけて

 雄姿かがよう 学舎ぞ

 健児われらが しるしなる

 

 「しじ立つ煙」とは四時立つで春夏秋冬、また朝昼夕夜、つまるところいつ何時でもあちこちの”ヤマ”から黒煙が立ち昇る風景だったのでしょう。その煙を空に眺めて屹立する学校はわれらの象徴だ、というわけです。

 

現在は日本最大規模を誇った炭田、炭鉱も全て閉山しエネルギー社会構造も大きく変容しましたが、南筑地域や社会貢献に寄与する工業人育成の教育方針は変わらず、120年近くの歴史を誇る伝統校です。

 

今年の選抜高校野球もいよいよ19日に開幕、休養日を挟んで13日間の熱戦が始まります。

今回出場する32校のうち、拙ブログで紹介しているのは以下の5校。

今回は割合少ないですね……

もう少し優勝校紹介が進んだら、東洋大姫路高校横浜高校が間もなくという段階でしたが。


山梨県 山梨学院

愛知県 中京大中京

岐阜県 大垣日大高

熊本県 熊本工

沖縄県 沖縄尚学


最近紹介した四日市高校が21世紀枠で選出とならなかったのは少々残念でした。

沖縄尚学高校の夏春連覇はあるのでしょうか?1982夏〜翌春の池田高校以来無いそうですが、もうあれから半世紀近く経っているんですね……


第46回大会の優勝校は高知高校でした。

今回は、高知県の高知高校です。

https://www.kochigakuen.jp/

 

高知県では通称”学園”とも呼ばれ、明徳義塾高校高知商業高校と並ぶ3強の一角に位置付けられます。

昭和30年の春夏連続出場を皮切りに、ほぼコンスタントに出場していて春夏1回ずつの優勝と準優勝が1回あり、近年では平成25年春にベスト4進出しました。珍しい記録では、平成21年夏の1回戦(対・如水館高校)が2回も途中降雨ノーゲームで流れ3試合目でやっと勝利しています。

 

高知市街から西方、JR土讃線・旭駅の北側に大学から附属幼稚園まで一貫教育を経営する高知学園のキャンパスが展開していて、中学と高校は併設型中高一貫校となっています。

明治32年に江陽学舎として創立し、4年後に江陽学校に改称しています。この江陽学校に商業科を設置、大正8年に独立して城東商業学校となりました。江陽学校はその後もしばらく存続していましたが昭和4年に廃止しています。

城東商業時代の校歌は、有志の方の厚意で教示していただき判明しています。

作詞は土井晩翠と伝えられていますが、作曲者や制定年は不明です。

旧制・城東商 (全3番)

 黒潮寄せ来る 南海高知
 城東商業学校 ここに
 健児の勇みて 勉むる処
 士魂と商才 あわせて兼ねん

 

学制改革で城東高校となり同時に中学校も併設、この頃は現在のはりまや橋の東側あたりに校舎がありましたが、昭和31年に高知中学・高校に改称し翌年に現在地に移転しました。

上記の校歌が城東高校でも受け継がれたかどうかは不明ですが、現在は詞を一部変更し応援歌となっているそうです。

高知高校の校歌は高知学園の学園歌でもあり、作詞:橋詰泰ニ 作曲:平井康三郎で昭和32年制定です。

高知高校 学園歌 (全3番)

 黒潮かおる 自由の土佐に

 萌えたつ緑の 鷲尾嶺こえて

 世界の鐘が とどろきわたる

 平和の光と 友愛こめて

 雲はるか 若き日の夢

 われらの声よ 遠くゆけ

 

世界の鐘」とは抽象的な表現ではなく、実際に世界25カ国のハイスクールから送られた銅貨を鋳込んで成形した鐘だそうです。

昭和32年から世界の平和と友愛をこめた学園のシンボルとして約半世紀もの間鳴り響きましたが、現在は世界40カ国の銅貨を元に鋳造された二代目の鐘になっています。

また、この年代に高知学園高知工業高校高知学園工業高専が相次いで開校していて、これらの学校でも同じ学園歌が歌われたようです。高知高専は国立移管、高知工はすぐに廃校となりましたが…

 

現在の高知学園は120年以上の伝統を持ち、高知大学、高知学園大学など、主に四国内や西日本の大学への進学実績が多い傾向です。

部活動では運動部が盛んで多くの部が全国大会で活躍、文化部では吹奏楽部が金賞獲得の実績があるようですね。