習志野市立 習志野高等学校(高校野球優勝校・戦後シリーズ その12) | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

第41回大会優勝校は中京商業高校で夏6回目の優勝でした。

第42回大会、学制改革後の創立として初めての優勝校となったのが習志野高校。しかも開校5年後に初出場、10年後には早くも全国優勝を果たしました。

その後は昭和50年夏に再び優勝、やや間が空きながらも出場し最近では平成31年春に準優勝、通算では戦国千葉にあって26勝を挙げています。

今回は、千葉県の習志野高校です。

https://hs-narashino.edumap.jp/

 

習志野という地名は、明治6年に津田沼(これも谷・久々・鷺の合成地名)で行われた明治天皇が統監された陸軍大演習の際に、全体指揮を取った篠原少将の活躍ぶりを称えて「篠原を見習え」と宣したのを「見習篠原」→「見習志野原」→天皇の勅諭をもって「習志野」となったという説があります。

これに演習場に相応しいところの意味をも付けたもの、とする地名でしょうね。

 

さて、学校は昭和32年に市立の習志野高校として開校しました。開校当初は当時新様式の学校建築として注目を集めつつあった円形校舎を採用、募集パンフレットにも同じく円形校舎が先に完成していた津田沼小学校の写真を載せたといいます。普通の階層型でなく、少しずつ高さがずれていく螺旋型だったそうですが、現在は取り壊され市役所が移転してきて新しい市庁舎が建っています。

 

校歌は作詞:山田継雄 作曲:森脇健三で開校同年の昭和32年制定です。

習志野 (全3番)

 君知るや ここ津田沼の 花薫る丘に

 今日も鬱勃と 湧きやまず 青き雲波

 逞しく 四海を望む

 これぞ 叡智と愛の学び舎

 われらが母校 習志野

 おお 聳え立て 誇りもて 美しく

 永久に 永久に 永久に 碧空に

 

テンポが速く6/8→4/4→6/8と拍子も変わる、素人目には難しそうな譜です。学校史に「校歌に初代校長山口氏の建学の精神が込められている」とあり、山口氏自身も習高新聞に「…習志野の花薫る丘々に鬱勃と、鬱勃として雲波が湧いている、教師諸君、生徒諸君、さあ前進だ」と寄せたそうです。

校歌が制定された頃は今の津田沼、習志野市役所のあたりに所在していたため「ここ津田沼の」となっていますが、2度目の甲子園優勝をきっかけに昭和50年に東習志野の現在地に移転しました。

 

現在の習志野高校は、習志野の期待するシンボルとして初代市長が述べた「習志野の王冠たれ」を体現せんと、スポーツ・文化・音楽などの幅広い分野で活躍しています。

特に吹奏楽部は野球部の応援時に”美爆音”の名で知られる日本有数の名門で、全日本吹奏楽コンクールや全日本マーチングコンテストで数多くの金賞受賞する他、プロ野球の試合のフェスや県内外で積極的な公演を行っています。

運動系では野球部の他に、IHや高校サッカーで全国優勝経験のあるサッカー部、同じく全国優勝のバレー部やボクシング部なども千葉県を代表する強豪校です。