香川県の「眉」 | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

2024年、明けましておめでとうございます!

プライベートでは大きく変化する年になりますが、このブログもなんとか続けていけたらと思っております。

 

前回、香川遠征をアップして今回はその後日談を。

香川県の高校の校歌を眺めていると、かなりの割合で頻出するワードがあることに気付きました。それも他県の学校ではそれほど多くは使われていない言葉。

それは「」。全国を見渡せば甲子園出場校でも常総学院高九州国際大附高などそれなりにちらほら(山名など含め)使われていることもありますが、香川県で突出しており多くのバリエーションをもって歌われます。

 

例をあげてみると…

高松高校 「おお清き若人が

香川誠陵高校 「わが向学の清し

三木高校 「憬れ高くあげて

(小豆島高校) 「研鑽の凛然と

坂出高校 「高邁自主の清く

農業経営高校 「学ぶわれらの高し

(多度津水産高校) 「夢見るよエンジンよ

高瀬高校 「見よ強き「信」のあかりを照らす

尽誠学園高校 「行こうをあげて雄気あふれ

観音寺第一高校 「理想に挙るあげて

(観音寺中央高校) 「若き理想のは輝く

他にも高松高専主基高校(現・農業経営高校)、上戸学園高校(現・四国学院大香川西高校)にもあり、校歌には無いものの別途学生歌に出てくるところも(坂出商業高校や志度商業高校)。

 

なぜ「眉」がこれほど多く使用されているのかは大きく分けて2つの理由がありそうです。

1つは作者。他県でも、ある作者が県内の多くの校歌を作ったために作風の似た校歌が多い場合がありますが、香川県では主に脇太一氏と河西新太郎氏がそれに当たります。旧制では堀澤周安氏が代表格ですね。曲のほうは大川かづゆき氏が多いです。

脇氏、河西氏とも「眉」が好きだったのでしょうか?(笑) 脇氏は岐阜・阿木高校や三重・尾鷲高校でも「眉」を入れています。両人と関係ない学校であっても少なからず影響を受けたと見ていいのかもしれません。

2つはほとんどが昭和20~30年代の制定ということ。戦後いくばくもない頃、また学制改革で新制「高校」となり旧弊からの脱却、新しい日本を担っていくであろう学生が、下を向かずに「眉」を高く上げ、未来への希望を持って進めという意義を強く表した形なのだろうと思われます。

こうした県ごとの”特徴”、またいずれ検証する機会があればやってみたいですね。