ヤマギの手記 -7ページ目

競馬の話とパナシはなしって話。

越智志帆さん本当に素晴らしい歌手だね。
越智志帆さんと秦基博と金城さんの「楓」ヤバいね。是非、YouTubeで観てほしい。本当だったら貼りたいんだけど、技量不足なんだ僕。本当に涙しそうになったわ。ギリギリ泣かなかったけどさ。歌の力って本当に凄いよ。越智志帆を推してるのはSuperfryのスペルに不安を覚えてるからです。

こんばんわ。ヤマギです。

以前、我が家には不幸が続いていると話ましたが、最近はなにかと幸せです。

まず、僕の妹が第一志望の大学に合格しました!本当に嬉しかった。自分事のように喜び、素でホッとしました。努力した人間が報われる瞬間って本当に感動的で、努力する美しさを体感。感動をありがとうって妹とレッドディザイアに言いたいです。ウオッカは最後まで格好悪いな、とは思う。
そんなわけで昨日は割と浮かれた一日を過ごしていたわけで、幸せ過ぎるとブログに書けるようなネタがないということに気が付いたわけです。

んで、今日は報知杯弥生賞を視野に入れながら遅めの朝食を頂きつつ、ヴィクトワールピサの真価を見極めつつ、のんびりしてたんだけれど、急遽バイトのミーティングに呼び出され、慌てて街へ。
僕は基本ヴィクトワールピサをまだ信用してなくて、ローズキングダムの方がスケール的に今のところあるかなぁーと。弥生賞は結局ヴィクトワールピサみたいな爆発的瞬発力がウリの馬が好走するレースなので、今回は安心の◎。それなのに、ミーティングのせいで、というか対抗が決まらなくて結局買わなかったよ。ますます、ヴィクトワールピサが嫌いになったね。


そんな僕にも、なんだかいいニュース。何気にパチスロに1000円入れたら、3万になって返ってきましたよ。ハハハ。貧乏な僕から脱出できたわけで、さぁ、僕はなににお金を使おうか、頭の中はそればっかり。美容室、靴あたりが候補なんですが、ああ本当にどちらにしよう。というか、パチスロって面白いね。エウレカセブン好きっす。早く打ちたいっす。


というわけでね、結局普通の日記になってるんだけれど、まぁそれはそれでよしとしようじゃないか!ええじゃないか!

こすくこすく生きよう。

ショーンホワイトって僕と同じくらい顔長いけど、結構かっこいいよね。僕もダブルマックツイストやりてぇんだ。というか、あの鼻と目をもらえたら、それ我慢するけどね。

こんばんわ。ヤマギです。


最近、「こすい」ってことについて考えることがある。「こすい」とは狡賢いとか、せこいとかの意味を曖昧に表現した言葉だ。だから、この問題を考えるにあたって、僕は狡賢さとせこさの両方を曖昧に兼ね備えている必要があり、仮にものすごくせこさばかりが目立つ人間であったりしてはいけない。なぜなら、それはこすいというかせこいだから。この辺りの説明は難しい。多分、フローラン・ダバディは理解しきれないレベルなのかも。


まず、僕の狡賢さから検証したい。これは客観的に判断する問題であって、主観的に判断しにくいことではあるけれども、ブログの性質上やむを得ないのでご理解いただければ。それに、僕は割と自分を客観視できてると思ってる。それも主観だけどさ。

はっきり言って僕はなかなか狡賢くない。狡賢いって僕としては言われて悪い気はしない言葉だ。狡賢いって言いかえると要領がいいってことのような気がするからだ。あくまでも気分的な問題だが、実際狡賢い人間はなかなかうまく世の中を渡り歩けると思う。僕は自分自身を賢いとも思ってない。バカだとは思わないけれど、賢いってのは僕の中でチェスや将棋がやたらと上手なタイプの人だと思ってて、僕はそういうのが下手だし、下手だから嫌いだ。

頭がいいと賢いはほぼ似てるけど、賢いと勉強が出来るは違う。賢い人と勉強が出来る人では今の時代勉強が出来る人の方が優秀だとは思うけれど、勉強が出来るってのはスポーツが出来るのと似てて、つまり、努力が出来る人を指してる。賢さは努力でどうにもならない、センスや生きてきた環境とかに深く根ざしているものだと僕は思う。僕はよく人から賢いといわれるけれど、やや違って、僕としては言葉遊びが上手な人間、だと自負している。それは主観だから、本当は下手の横好きにしか過ぎないかもだけど、言葉遊びが好きで、多分、言葉の巧みさが僕の賢さを演出している気がする。


ズルい。これは誰しもが大体ずるいだろ。人間なら。と僕は思うので、ズルいは当てはまってる。

つまり、ズルいけど少し賢い風。おおーちょっとこすいに近づいてる感じやばひぃーー。


続きまして、せこい。これにはかなり賛否があると思いますが、僕はせこくないと思う。損得勘定で動くのは僕の基本スタイルではありますが、せこいってのは常に節約し続けることが正義、神、ディルド、っていうやや宗教じみた考えだと思う。僕は節約が嫌いではないけれど、別に好きで節約してるわけではなくて、カツカツだからだ。僕はだから服とかには惜しみない金銭を注ぎ込むし、おめでたいことがあれば、支出は惜しまない。ただ、無駄遣いを減らそうとかそういうことを意識してるのは確かにある。

昔の僕は常に財布に10万入ってて、金を湯水のごとく使い狂い、毎日コンビニで2000円くらい買い物してたと思う。そんな僕がこの状況になるまでにはかなりの時間と苦労を要したのだが、この話はまた別の機会に。

昔に比べたらしみったれた金の遣い方だが、分相応というか、人には人にあった金の遣い道があって、だれしもがややせこさを持って生きた方がいい。金がないときに遣うのを我慢するのは普通、金があるときに遣うのを我慢できるのが異常だと僕はしみじみ思ってる。


というわけで、僕は一般的な感覚の持ち主で、せこいというには少しインパクトの足りない人間だということがおわかりいただけたと思う。


ただ、日本語の妙と言いますか、このこすいという表現は観る人が観ればこすいってことになる。人の価値観は様々であり、僕らは皆違ったレンズに人を通して見ている。たとえば、「彼氏がマジ毎日割り勘なんだけど、超せこくね?」みたいな顔も下も真っ黒なギャルがいたとするなら、そのギャルは「男がおごらない=ケチ、せこい、包茎」ってことになるわけで、じゃあおごったら僕をズルムケにしてくれるのかい?それなら安いもんさ。おおっと話が逸れたが、意外にも金銭感覚は皆かなり違った持論を展開している傾向があるように思う。

もしかすると、皆僕と同じように自分を擁護するための見解を持っていて、それによって百人が百人せこいと言わしめる性格の人間が存在しているのかもしれない。それを考え始めると僕はやっぱり少なからず、ケチでせこくて包茎なのかもしれない。僕らはどうしてわかり合えないのか、なんとなくわかり始めた今日この頃。

ハンサムスーツ

ハンサム★スーツ スペシャル・エディション 初回限定チェンジング仕様 [DVD]/谷原章介,塚地武雅,北川景子
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「ハンサムスーツ」(2008・日)

監督:英勉

脚本:鈴木おさむ

キャスト:谷原章介、塚地武雅、北川景子、佐田真由美、大島美幸


おすすめ度:★★★☆☆


今回はネタばれしてまで書きたいようなこともないので、さらっと読んで欲しいと思います。

まずはじめに言いますが映画としての出来は正直ひどいの一言でしかない。テーマ性、メッセージ性は全て「人間顔じゃない」というタイトルとあらすじ観れば誰だってたやすく想像することのできるレベルに集約され、展開、オチその他全てが凡庸。これはテレビドラマですね。完全に。


ただ、製作側も意識したのかどうかはわからないが、とにかくテンポが良く、不覚にもあっという間の2時間だったなーと思わせられた。観終わった後の空虚感はマスターベーションの後のそれと酷似するものがあるが、リラックスして見ることが出来た。とても思い切りがよく、作品全体に一切の飾り気、かっこつけ、こだわりなどが排除されている裸の作品だともいえる。


塚地という最高のキャスティング、谷原章介の光り輝くイケメン具合、それは予想できたが、大島美幸がなかなか良かった。正直、これ以上を望むことはできないが、こういう感じなら全然アリだな、と。佐田真由美の綺麗さも半端なかった。全然好きじゃなかったけど、かなり僕の中では株を上げた。こういう高飛車で妖艶な女は彼女によく似合ってる。


しかし、僕の最大の思うところとしては、結局イケメンの人生を選ばなかった主人公が正しい、とは万人が思うのには無理のあるストーリーだったというところ。僕は観ている中で谷原章介みたいになれたらどんなに素敵だろう、と何度も思わされ、逆にブサイクの人生を、やはりハンディキャップだな、と素直に思った。どうしても、ブサイクの小さな幸せを描く力が足りなかったように僕は感じた。


それにしても、どうでもいい感じだね。おすすめ度が割と高いのは別に観ても得でも損でもない、というポイントを評価してのことです。どうぞ、選挙の日にでも観てください。




コンプレックス・ヒーロー

風の谷のナウシカを生まれて初めて見て、19のあの紙ヒコーキなんちゃらかんちゃらっていう歌の意味がわかったよ。早速、僕も紙ヒコーキを作ってメーヴェと名付けたい。

こんばんわ。ヤマギです。


誰にでも多かれ少なかれお顔のコンプレックスを抱えていることだと思う。日本ではまだまだ認知度の低い美容整形も欧米、韓国などでは当たり前に行われていて、おそらく日本だって芸能人の半数近くはイジル程度の施しはしていると僕は思っている。つまり、世界規模で皆顔にコンプレックスを抱えているのだと思う。


男は顔じゃないよ!って言う女、じゃあ、市川海老蔵とせんちゃん(クールポコ)どっちと付き合いてぇんだ、って話だ。ジャニーズなんかが売れまくってる昨今、むしろ男こそ顔、女なんて小森純だの加藤ミリヤだのベッキーだの普通のブスが少し厚く化粧を塗ったらテレビに出れるっていう時代なんじゃないか?うん?やっちまったなぁ!!


そして、ご多分に漏れず、僕もコンプレックスを抱えており、ミスターコンプレックスといえば僕だと言ってもいいくらいだろう。


僕は顔が長い。しかも、あまりつっこまれてないが、密やかにエラも出ている。僕の血統背景をさらっと紹介しとくと、父親は近代競馬の結晶はあんただよ、と井崎脩五朗をもうならせるであろう馬面。母親は泥まみれの野球少年が勢いよく突っ込んできそうなホームベース型。僕はその親あってのこの面と言ってもいい。


自分の顔が長い、と気付いた時の少年の気持ちわかります?悲壮感で言えば、少し疎遠なおばあちゃんが死ぬくらいのレベル。僕が気付いたの高2です。とっても、女性を意識する年ころですよ?むしろ今までよくお前見過ごしてきたな、って自分を半笑いで罵倒するくらいのもんです。それから、このように気持ちを乱すことなく、むしろ、どや顔で僕顔長いよ、って言えるようになるまで要した時間1年と半年。

プリクラを撮影するときにも、常にあごに手を当て考える人のようなポーズばかり、冬になれば持て余したアゴをマフラーにスッポリと埋め、ハイネックを着て上野クリニック状態、この逃亡者のような生活、お前らにはわかるまい。


しかし、仲間というのは大事なもんで、大学に入ると、アゴにコンプレックスを持っている奴らが吐いて捨てる程いた。アゴがラージヒルのようにしゃくれた男、アゴに震源を持ってる男、普通にアゴが長い男、アゴがなく首との境目があいまいな女、僕にとってはそこは楽園だった。

「僕、顔長くても生きてていいんですね」

その境地である。

それから僕はどこに言っても自分の顔の長さを売り物にして、安い笑いを隅から隅まですくい上げた。世の中は顔の長い人の顔が長いですカミングアウトがお好きなようで、これさえあれば一年は笑いをコンスタントにとり続けることが出来る。僕は本当に顔が長くてよかった!と思ったことは一度もないが、コンプレックスは意外においしいな、と思っているのは事実。エラが出ているのも、顔の長さでカバーできたと思えば、なんとなく得な気持ちになったりもする。


ところが、最近僕は凄いことに気付いた。・・・・目が小さい。いや、気付いている人もいたかもしれない。僕も薄々は感じていたものの、それが相対的に見てどうなのか、この目はコンプレックスと呼ぶには少々インパクトに欠けるのではないか、など顔の長さという定規でコンプレックスのサイズを測っていた僕がいた。

しかも、離れてる。これはかなり致命的。いや、見て見ぬフリをしてきた。そういえば、中2のとき、メル友に写メ送ったら「魚みたいだね」って返ってきてthe endになったこともあったけか。あまりに顔の長さに悩まされて、他のコンプレックスを見失っていたよ。

だが、目が小さいというのはなんだかひどくありきたりなコンプレックスでもあり、公の場で言ってもあまり説得力がない。顔が長い=悪、という社会通念上妥当とされる概念を皆共通してもっているから生まれる笑いであり、目が小さい=悪、とは必ずしもなり得ない。そうなってくると、別にいいじゃん、結構その目いいと思うなぁー、など毒にも薬にもならない戯言が返ってくる危険性の方がかなり高くなる。


色々な懸念材料があるにせよ、僕は格好よくなりたいという気持ちに一点の曇りもない。ナルシスト、そんな風に言われても構わない。二枚目?全然言ってくれていいよ。僕は自分の外見上の格好悪さに嫌気がさして毎日暮らしているといってもいい。地下鉄の窓に映る僕、彼女の瞳に映る僕、鏡に映る僕、それが特に最近苦痛でしかない。


とはいえ、僕にも最近思いなおしたところもあって、僕が彼女が出来ない、色恋沙汰との縁が希薄、という案件については外見上の問題より、むしろ内面に大きな問題が潜んでいるのではないのか、と本気で訝しんでいる。そして、その悩みは外見の問題以上に難しく、非常にデリケートな問題であり、内面がクズという真実を無視できず、悩み始めたら、僕は多分セミ以上に短命だと思う。


美人薄命、まぁ、そういうことにはなる。


変わっちゃいけないものを守れるように変われたら。

薄暗い夕方のすすきのからこんにちは。

最近ではすっかり日も長くなってきて、「奥さんお絵かきですよ」に並ぶDQN母さんにも優しい季節になってきました。というか、いつの時代にも子供をテレビに出したがる親が多いのはなんでだろう。そんな自慢したいか?どうせあと10年もしたら息子の息子は真っ黒だっていうのが世の常なのに、せめて輝かしい時代を電波に載せてやりたい親の心情か、あのマカロニみたいな息子の息子を見せてやりてぇってか?知らねぇけど反吐がでるとだけは言っておく。

しかし、こんな平和なニポンの裏側では大地震がおきて市民が略奪と暴動を繰り広げ、もはや、東区の治安など比較にならないくらいの無法地帯と化しているらしく、僕らの平和はいつまでも続いて欲しいと願うばかりです。

そんな僕は先程言った通りすすきののど真ん中でこの日記を綴っている次第であります。
すすきのはいつもどおり、マクドナルドの店員は日夜ギャル男のタメ語にフラストレーションを募らせ、おばあちゃんの難聴に自分の行く末を重ね合わせて空にため息を吐いている。

ただ、少しずつ変わったこともある。
マクドナルドのポテトがすべてのサイズ平日限定150円という革新的なシステムの導入。これには先程まんまと四千円すった僕の懐にも暖かい風が吹き込むってもんで、いつまでやるのかは知らないですが、できるかぎりこの機会を活かしてポテトヘッドの名を欲しいままにしようと思う。

街中で会った高校時代の同級生も加藤ミリヤみたいになってて、時代が変遷しているのを感じるとともに、「たたん」と呼ばれて約5秒自分の存在に気付かなかった僕もまた変わったなぁーと思う。