先日、お盆を前にして、隣の町内会のIIさんから、今年もたくさんの小菊や輪菊やケイトウの束を頂戴しました~♪。
今の時期、旧盆を前にして花卉(かき)栽培農家のIさんは、お墓参り用の切り花(仏花)の出荷作業に追われていて、大変忙しい中まことに有り難い限りです。
金沢では、7月の新盆や8月の旧盆が近づくと、花屋さんは急に値を上げるので、これまでJA金沢市が運営するほがらか村で花を買っていたのですが、それでも結構値が張るので大助かりです。
私の住む地域は“花園地区”といって、その名のとおり昔から花の産地で、かつては“河北郡花園村”と呼ばれていました。
特に、今町と月影町は藩政時代から続く花卉栽培の盛んなところです。
伝説に、ある僧が今町から月影にかけての山手の方に一寺を建立し、以来ここを寺山というようになったのですが、この僧がこの辺りの土が花をつくるのに都合が良いことを発見し、医王山(いおうぜん)の草花を移植したのが、当地の花づくりのはじまりだと伝えています。
下って、江戸時代初期の寛文年間、金沢三社三構町(現・芳斉2丁目)の正福寺第三代住職・更學(こうがく)が、三代藩主・前田利常(まえだ としつね)の茶の湯の師をしていたことから、花を愛する利常が、領内でなんとか花卉栽培を奨励したいと考え、更學に相談したところ、更學は今町が花づくりに適した土壌であることを教えました。
正福寺の僧は代々「お香坊(こうぼう)さん」と呼ばれて、年1回今町に来て物故者の法要を営んでいたので、先人より花づくりのことを聞かされていたのです。
更學は、利常より藩主家の家紋である「剣梅鉢(けんめばち)」の紋の入った鉈(なた)を授かり、これを今町に与えました。
つまり、これで加越能三州(※領内の加賀・越中・能登のこと)の花木を、“思う存分伐り取るのに差し支えなし”とのお墨付きを殿さまより頂戴し、今町は仏供用の切花栽培の特産地として知られるようになりました。
ですが、現在は就農している主力は60~80代が中心で、高齢化とともに後継者不足が一番の問題です!。
今町では、お盆期間中の今、小菊やケイトウなどの出荷の最盛期を迎えています。
年間を通しての仏花(ぶっか)や、春は猫柳、梅、桜、桃、木蓮、山吹などの花木(かぼく)、初夏は菖蒲(しょうぶ)や杜若(かきつばた)、夏は前述の盆花(ぼんばな)、秋は萩や秋菊、桔梗、女郎花(おみなえし)、鶏頭(けいとう)などが季節ごとに出荷されております。
で、Iさんから戴いた盆の切り花の小菊と輪菊ですが…。
当家は神道なので、これにお榊とケイトウを加えて束ね、昨夕は家族全員で先祖塁代の墓所へ詣で、お花を捧げて参りました。
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