モモです


今年は猛暑と、隣の工事の騒音にやられてバテバテですしょぼん

そんなわけで、今日は簡単に映画の紹介を。


ガイアシンフォニー(地球交響曲)

http://www.gaiasymphony.com/

というドキュメンタリー映画を知っていますか?


現在、第7番を恵比寿の写真美術館で上映中です。

基本的には、自主上映会が主で、不定期に全国各地で

行われているようです。


第4番ぐらいまでは、うちの近所の映画館で上映されていたので

毎回観に行っていたのですが、今年の新作第7番に、アンドルー・ワイル氏が

出るというので、恵比寿まで観に行ってきました。

想像以上に素晴らしかったです。


ワイル氏以外の2名の出演者も、素晴らしかったです。

たくさん良いセリフがあったので、暗い映画館の中で思わずメモを

取ったのですが、一部読み取れないほど字が汚い(x_x;)


ここで文章にするには時間がかかりそうなので

また今度時間が取れたらじっくり書きたいと思います。


恵比寿での上映は8月28日までなので、取り急ぎお知らせしておきます。

ちなみに、静岡も近日中に上映会あるみたいです。


余談ですが、私が観に行った平日昼間の回は、結構空いてたのですが

私のすぐ後ろで、監督の龍村仁さんが観ていらしゃったようで、

上映後には、サイン会&握手会をやっていました。

私はサインもらわずに帰ってきちゃったけど、素敵な方でした。


もし観る機会があったらぜひ!


HPのブログの中から、谷川俊太郎さんの紹介文だけ

引用しておきます。


谷川 俊太郎氏(詩人)

それぞれに違う生き方をしているのに、この第七番の中で龍村さんが見つめる三人は、意識するしないにかかわらず、共通してからだを通して霊性へ向かう道を歩んでいる。
私たちのからだとこころの内なる自然は、私たちがいま生きている地球と宇宙の外なる自然と決して切り離せないと、この作品は静かに語りかけてくる。

明太子です 音譜


以前こんなことがあったの。


倍音のレッスン(要は、発声練習)の時、

10数名で輪になって、先生に指示されながら


声を出すのですが…。


7つのチャクラを下から順に意識して、発声する


1つだけ、次は2つ目とつなげて、次は3つ目を意識して

1,2,3、とつなげて発声する・・・


「つなげて」と言ったって、別につながってるのを確認する

すべもないわけです。


そうして、輪のまん中にいる先生に指されて、ひとりずつ

発声していきます。7つのチャクラをつなげて。


すると、後ろで手を組んで立っていた私は、何人かの発声の時

身体がよろけてしまうんです。

1人目の時、「あれ?おかしいな」くらい。

2人目の時、「!(明らかに変)」と感じる。

3人目の時、「何で何で??」


結局、10数人のうち、そうなったのは数名でした。

しかも他の人は引っ張られていない。


なぜそうなるのか、ホントのところはわかりませんでしたが。

 

明らかに7つのチャクラを同時に響かせて発声している人の時に、

身体が引っ張られてしまったのです。ある種の引力??


これは、私がチャクラという「もの」?の不思議さに

遭遇した、2度目のできごとでした・・・。


この話を書いたのは、とてもおもしろい本を読んで、

その中にも、音とチャクラの関係の不思議さに驚いたという

著者の体験が載っていたからです 笑


寺山心一翁(てらやま しんいちろう)『がんが消えた』日本教文社


ってことで、また、本の紹介でした・・・(・・。)ゞ



明太子です 音譜


この前、モモに教えてもらった伴梨香さんの『健やかに逝く』


7月30日、日中感じた経験が

その3日後、読んだこの本に書いてあって

ビックリしたり、感謝したり。

モモ、ありがとう♪


----以下、引用------------------


アーユルヴェーダは、「人生の目的は幸福の拡大である」と断言する。ここでいう幸福も、 もちろんいっときの快楽のことではない。永続的な幸福、つまりダルマを遂行することで得 られる幸福をさしている。では、人はどうやって自分が生まれるときにたずさえてきた使命、 ダルマを見出すことができるのだろう?

本来自分のダルマは容易に見出せるはずです。というのも、ひとりひとりの性別、国籍、両 親、環境などは、どれもそのダルマを遂行するために最も適切なものが選ばれ、用意されているからです。そしてもちろん本人の資質には、何をなすべきかが明確にあらわれているは ずです。


私たちはいともたやすく世の中の様々な情報や価値観にまどわされ、自分の方向性をゆが め、自分自身を見失い、誤った目標をたてて一心に突き進んでしまいがちである。しかしダ ルマへと導く出来事は幾度となく本人にふりかかり、それがダルマだと示すサインも明確に あらわれるのだという。

そのサインはとは、そのような出来事と出会ったときに心の底から直接的にもたらされるの だという。そのサインとは、そのような出来事と出会ったときに心の底から直接的にもたら される「まさに、これだ」という確信、そしてそれにともなく恐怖感だという。


確信がもたらされるということは理解できるが、なぜ自分のダルマを発見したときに、人は恐怖を感じるのだろう?

「人は未来にむけて成長するとき、怖れを感じるものです。まだ見ぬ自分、経験したことの ない自分へと進化していくということは、本質的に怖いことですから。ダルマと出会ったと きの恐怖感は、そこからくるものです。人はこういった局面に出くわすと、この恐怖のため に逃げてしまい、成長するチャンスを自分から遠ざけてしまうことも少なくありません」

自分は決してこのまま素通りしてはならない重要なものと出会ったのだという、高揚感を伴 うゆるぎない確信。そこには大きな喜びの予感がすでにある。そしてそのことの重大さを直 観しているがゆえの、脚が萎えるような緊張感、そして未知の重大事に飛び込んでいくことへの怖れ・・・。その人をダルマに従事させる方向へと導く、ひとりの人物、一冊の本、あるいはちっぽけな新聞記事が目の前に差し出されたとき、そのサインは全身を走りぬける。

このダルマを進むためのサインは、すでにダルマを見出し、従事している人にも、岐路にさ しかかったときには進むべき正しい方向を教えるためにやってくる。また、ダルマを実現す るために、その準備となるような活動に向けさせるため、適切なタイミングと順序をもって人を導いていくということも起こる。



明太子です音譜


書きたいことがあっても

どんどんタイミング外しちゃって

キリがない・・・(;^_^A



・・・ってことで、超短い引用だけ



精神というから物質は考えないのじゃなしに


また生命というから無生物は考えない

ということではなくて


何か宇宙生命、宇宙認識みたいなものが

活動しているということではないか。


科学を生み出すのも

価値を生み出すのも

何ものかの全体的な活動


その中の一環であって、切り離されておらん




湯川秀樹、梅棹忠夫『人間にとって科学とはなにか』中公新書、1967 より



あんまり暑くてびっくりしてきたこの夏。
それでもここしばらくは暑さにも幾分慣れたり、
お湿りもあったり過ごしやすくなったとは思います。

古くから住んでる農家のおじさんから今日こんな話しを聴きました。

古い日本家屋は大きな敷地にゆったりたててあるので
マンションの一戸の我が家と違って風もとおって涼しげです。
周囲に我が家とちがって多少の木立もありますし。。
今年は特別暑い、前は「暑いなあ」と思っても、
30度をこえることは一年に1,2回だった、と。

さらに今の家の前はわらぶきの屋根だったと、
瓦にする前のほうが夏は涼しく、冬も暖かかったと。
(すきま風は前の方がずっとあったはずなのに)

小さな娘をつれて、夕方やっと外へ出すと
娘は跳ね回って猫の額ほどの小さな公園で、
様々な楽しみを見つけ出して輝きます。
ちょっと登って飛び降りたり、葉っぱをちぎったり、
およそ大人には意味の無いと思われる行為が彼女には、
子どもには欠かせない栄養であることを感じます。
蝉の抜け殻、誰かが捨てたザリガニのハサミ、死んだ虫、、
大人の目にはあんまりすてきなものではないけれど
(やっぱりわたしも見たくはないし触りたくない)
それを発見したときの子どもの目は
多少の怖い気持ちもありながら何か生き生きとしています。

やっぱり家の中だけでは、子どもの育ちには栄養不足なようです。

「外で遊んでらっしゃい」
そう言えない、そういって放り出してもらえない我が子たちは
かつての自分たちより、やはり不利な気がします。

もう10年まえぐらいから思ってましたが夏の昼間は公園にも誰もいません。
朝、夕、散歩に連れ出そうとはしますが、
外遊びがどうにも不足しがちです。

我が子同様かそれ以上にそういう栄養不足な子どもたちは、多いのだろうな、、と
なにか不安になります。
戦後の酷い環境でも子どもたちは育ったのですから
たくましく、それなりにどっかからか栄養をみいだし、吸収して成長してくれると信じつつ。