明太子です
この前、モモに教えてもらった伴梨香さんの『健やかに逝く』
7月30日、日中感じた経験が
その3日後、読んだこの本に書いてあって
ビックリしたり、感謝したり。
モモ、ありがとう♪
----以下、引用------------------
アーユルヴェーダは、「人生の目的は幸福の拡大である」と断言する。ここでいう幸福も、 もちろんいっときの快楽のことではない。永続的な幸福、つまりダルマを遂行することで得 られる幸福をさしている。では、人はどうやって自分が生まれるときにたずさえてきた使命、 ダルマを見出すことができるのだろう?
本来自分のダルマは容易に見出せるはずです。というのも、ひとりひとりの性別、国籍、両 親、環境などは、どれもそのダルマを遂行するために最も適切なものが選ばれ、用意されているからです。そしてもちろん本人の資質には、何をなすべきかが明確にあらわれているは ずです。
私たちはいともたやすく世の中の様々な情報や価値観にまどわされ、自分の方向性をゆが め、自分自身を見失い、誤った目標をたてて一心に突き進んでしまいがちである。しかしダ ルマへと導く出来事は幾度となく本人にふりかかり、それがダルマだと示すサインも明確に あらわれるのだという。
そのサインはとは、そのような出来事と出会ったときに心の底から直接的にもたらされるの だという。そのサインとは、そのような出来事と出会ったときに心の底から直接的にもたら される「まさに、これだ」という確信、そしてそれにともなく恐怖感だという。
確信がもたらされるということは理解できるが、なぜ自分のダルマを発見したときに、人は恐怖を感じるのだろう?
「人は未来にむけて成長するとき、怖れを感じるものです。まだ見ぬ自分、経験したことの ない自分へと進化していくということは、本質的に怖いことですから。ダルマと出会ったと きの恐怖感は、そこからくるものです。人はこういった局面に出くわすと、この恐怖のため に逃げてしまい、成長するチャンスを自分から遠ざけてしまうことも少なくありません」
自分は決してこのまま素通りしてはならない重要なものと出会ったのだという、高揚感を伴 うゆるぎない確信。そこには大きな喜びの予感がすでにある。そしてそのことの重大さを直 観しているがゆえの、脚が萎えるような緊張感、そして未知の重大事に飛び込んでいくことへの怖れ・・・。その人をダルマに従事させる方向へと導く、ひとりの人物、一冊の本、あるいはちっぽけな新聞記事が目の前に差し出されたとき、そのサインは全身を走りぬける。
このダルマを進むためのサインは、すでにダルマを見出し、従事している人にも、岐路にさ しかかったときには進むべき正しい方向を教えるためにやってくる。また、ダルマを実現す るために、その準備となるような活動に向けさせるため、適切なタイミングと順序をもって人を導いていくということも起こる。