世直しオヤジの勝手に言わせろ!!

うわべだけの人生はもうやめた。





建前じゃなく、本音で何でも言ってやる。








ただし、オレは押しが強い。  が、 突っ込まれると弱い。





そこんとこ、ヨロシク!

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心に染みる貴方からのペタ・・・

ブログを止めて半年が過ぎた。

殆ど見てはいない。


仕事がどんどん忙しくなり、かまけていた。


最後に書いた文字が、いつもと変わらずそこにある。


順位が何番だろうと、もはや、このオレには関係はない。


余裕ができたら、もう少しみなさんのブログへおじゃまするもんだと、自分で思っていた・・

人は、とても冷たい、オレも冷たい。


それなのに、貴方はペタをしてくれる・・・


胸の奥に熱いものがこみ上げてくる。


あ・り・が・と・う・・・

ttp://jp.youtube.com/watch?v=STl8wqvtbqo&feature=related

去り行く人

ブログを一応今日で終わりにする。


好き勝手に言いたいことを今まで書いてきた。


これだけ偉そうに書くテメーは何様なんだと、自問自答することもあった。


ならば、現実に自分の生き方を実践するしかないと結論に達した。



これからは、時々こんなオレのブログにコメント戴いた方のブログへおじゃま出来ればと思っている。



ありがとう。



コンプレックス

オレは政治家の息子に生まれた。

子供の頃から、お前のお父さんは偉い。

なのに、何故お前はダメなんだ?と小学校、中学校の教師から言われ続けた。


これが、オレのコンプレックス。


オレはオレ。


親父は親父とその当時は反発した。



選挙の時にも、一切オレは親父の手伝いなんてする気がなかった。


恥ずかしいとさえ思っていた。



そんな親父が2年前に他界してから思った。


親父は息子の交通違反のもみ消しさえ拒む、清廉潔白な政治家だったと・・・


金儲けは下手だったが、いい政治家だった・・・

日本人として・・

俺はある時期、日本という国が嫌いになった。


政治家は金が一番で、選挙の時にだけ、「みなさんのお役に立ちたい」と詭弁を使い、日本の未来なんか考えちゃくれない。


官僚は自分たちの保身に躍起になり、天下り先ばかりを作り、税金なんて、所詮人の金としか思ってない。



TVは偏向、捏造てんこもり、圧力に弱く、真実が何処にあるのかさえ、分からなくなっている。



国というものは進化している。進化すれば、するほど荒廃が形になって現れる。



金儲けのことしか考えなくなってきた世の中。


本当にそれでいいんだろうか?



もっと、違う生き方があるんじゃないのか?







お金を持ったことのない人間のヒガミかもしれない。



自問自答。



自分が求めているのは、心の豊かさなのではないだろうか?



金は人生の目的じゃない。


金は人生の手段でしかない。


少しずつ、精神性に傾倒し始める。



この国は、もうダメだ。



行き着くところまで、行くしかない。



ならば、海外で暮らそう。


どこの国へ行っても、やれる自信はある。


せっかく、苦労して築きあげたものを、簡単に捨ててしまう。


いつも、そうだった。


俺の最大の長所であり、最大の欠点でもあった。



気持ちが移住に傾いてから、図書館通いが始まる。

図書館には様々な文献がある。


ある時、日本の歴史書を読み、歴史にまったく興味が無かったオレが目覚める。


明治以降の日本の劇的な変化と第二次世界大戦で負った深い傷。


今の、日本の礎を垣間見る。


今日の腐敗した日本ではなく、人情や、清廉さ、潔さがあの頃にはあったのだ。


日本が駄目になったのではなく、進化の過程には必ず起きる事なのかもしれない。


少しずつ、脱日本から日本への郷愁の思いが募る。


オレは紛れも無く日本人である。


ならば、日本に生まれた誇りを持とう。


昔の日本人には誇りがあった。


その精神をほんの少しでも、伝えたいと今は願う。



日本という国は、いまは退廃しているが、間違いなく素晴らしい国で、民族として優秀だと思う。


hagetaka的 成功の法則

あなたが、どんな世界で何の仕事をしていようとも、

成功の法則はある。




それは、


「自分がして欲しいと思うことを、相手に先にしてあげる」 ことである。

不倫論

相手に家族がいるひとを好きになってはいけない。



不倫は反社会的行為であり、その人の倫理観が疑われる。



これ常識。



でも、ちょっと待ってくれ。



ひとを好きになるのに理由なんて必要あるのだろうか?


オレは理由なんて必要ないと思っている。



例えば、好きになった人が現れたとき、相手が恋人がいるかどうか確認する。

その相手に恋人がいるとわかったら、諦める。   

そんなの本当に好きじゃない。     

ただ、自分が可愛いだけ。    

恋する自分に恋してる。                                                                                                                                                                                                                                                                         自分がみじめになるのがきっといやなんだ。



相手に子供がいて不倫した場合。確かに子供は傷つくかもしれない。

その代償は計り知れない。





だが、世の中すべてが理性だけで片付けられない。





ひとが生きていく上で、瞬間、瞬間その流れに身をまかせる時があってもいい。



それは決して安易でもなければ、惰性でもない。





素直な自分になるということ‥



世間を気にして生きていても、何の役にも立たない。



あなたが本当に困った時に、世間はとても冷たく、何もしてくれない。



本当に何もしてくれない。



だから、相手を本当に想っているのなら、すべてを失う覚悟で不倫をすればいい。



もし、その勇気がなければあきらめた方が良い。



子供がいる場合は・・・他人がとやかく言えることじゃない。

老人と青年

代々木上原駅。

改札を出ると下りのエスカレ—タ—があり、真直ぐにビルア—ケ—ドが続く。

突き当たりの本屋の手前左側に石で出来たベンチがある。



ちいさな老人が背中を丸めながら腰を下ろしていた。

すぐ横には杖が置いてある。



お昼が過ぎた。



俺の横に20代の青年が割り込むようにして座った。

パン三つに牛乳パック。

それが彼のお昼だった。



一つ目のパンをかじる青年。   

二つ目のパンを食べようとした時に、青年はそのパンを半分に折って老人に渡した。



「いつもすみませんねぇ」



「……」



青年が三つ目のパンを食べる。ゴクッゴクッっと牛乳を飲む。

それをただ老人が見つめている。



一息ついた青年が初めて口を開いた。

「最近足の調子はどう?」



「はい。おかげさまで…」



会話がそこで途切れる。



青年はタバコを取り出し、老人は携帯灰皿を差し出しす。



青年が吸っているタバコを老人はただ眺めていた。 

「今日は天気がいいね」



老人が「はい」と答える。



青年はおもむろに本を取り出し読み始める。



「その本 面白いですか?」



「うん、結構面白いよ これ」



「へぇ そうですか」



老人が何度か軽くうなずいた。



しばらくすると、青年は本を閉じ、それじゃまたと言って席を立った。 

老人は青年を見送ると杖で身体を支えながらゆっくりと腰を上げ、静かにそこを立ち去った。



おそらくふたりはここで知り合ったのだろう。そして何度か見るうちに会話をするようになった。



どこにでもある光景だけど、俺にはとても優しい時間だった。



老人は青年と会えるのを楽しみにし、青年はとても口数が少ないけれど思いやりに溢れていた。



人って言葉だけじゃないんだ、ただふたりがそこにいるだけでいいんだな。

スチュワ―デスの世界

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女性のあこがれ的職業でスチュワ—デスは常に上位を占める。

最近はキャビンアテンダント(CA)と呼ばれているらしいが、なんとなく、なじまない気がするが、CAと呼ぼう。

CAはパイロットや地上職などと関係性はあるが基本的には女の園に近い組織である。

先輩、後輩の上下関係がとても厳しく、入社時期が一期違うだけで、かなり態度がかわる。
会話の中で常に○○は何期で、××は何期と自分より一期でも下なら呼び捨てになる。

これが普通と言えば普通なのかも知れないが、CAのイメ—ジに多少違和感をおぼえる。
一般からこのような特別な見方をされるとかなりストレスが溜まるに違いない。

更にロ—テションが特殊で、国内線だと3—1、3—2
国際線だと5—2、5—1のように三日間働いて一日休み。その後三日間働いて、二日休む。
変則なロ—テと万が一に備えて、フライトしない、スタンバイという待機日がある。

しかも、国内外両方とも到着先に泊まるステイが必ずある。

かなりハ—ドな世界でしかも、意外と出会いが少なく、30歳前後のCAもかなり多い。

これがあこがれの職業なのだろうか?

高気圧病。

フライトで気圧の高い所にいるCAは生理不順や腰痛を含めて体内異常があり、高気圧病で退職したCAもかなりいると聞いた。

CAは体内調整上かなり厳しい仕事だと思われる。

どんなに体調が悪い時でも笑顔を要求される仕事は人が思うよりきつい。

いじめ防止プログラム

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アメリカでもいじめは深刻な問題になっている。



ロ—レル・ハイランド中学校というところで実施されているオルベウスプログラムというのがいじめに対して非常に効果を挙げている。



このプログラムはまずアンケ—トから始まり、問題点を抽出する。

その問題点を教師と親で話し合う。

家庭と学校双方が同じ問題を共有し、認識する。





学校では授業が終わり休憩時間になると、先生は職員室に戻らず必ず廊下に立っている。

いじめは先生達が見えない所で行われる。

だから常に誰かに見られている意識を生徒たちに植え付ける。

たったこれだけでいじめが7割以上へった。



次にプログラムが進むと、大切な授業を潰してまで

オルベウスプログラムの時間を組み込んで生徒たちに自我を目覚めさせる。



教壇の上に布に包まれたお皿を置く。



生徒を指名して、今迄言われた事のある悪口を紙に書いて皿にのせ、その紙に書いた言葉を言いながら力一杯ハンマ—で布の上から皿を叩く。

先生が布を開き、生徒たちに質問する。



「だれかこのお皿の意味が分かる人いますか?」



何人かの生徒が手を挙げる。



先生に指名された生徒が答える。



「そのお皿はこころです」



先生が優しく微笑みながら言う。



「その通り。このお皿は人間のこころです。そして布や紙は身体です。いじめは身体は壊れません。こころが壊れてしまうのです」



このお皿の実技を見た生徒が言う。

「僕はいじめをした事があります。今迄いじめられた人の気持ちなんて考えたこともありませんでした。でも、この実験を見ていじめられた人の気持ちがわかりました」



壊れた皿は2度と元へは戻らないこの実験はどんな言葉よりも、リアルに伝わる気がする。



ここまでの課程は学校主導で行われるが、次のプログラムになると生徒たち主導で行う。

自分たちでいじめの問題点を話し合う。

そして自分たちでいじめ撲滅のCMを作り校内で流す。



お昼休みには食事中一人の人間を作らない。(子供の孤立はいじめを促すおそれがある)

一人で食事をしている子供がいると、話した事もない生徒が横に座る。

まず、握手から始まり、好きな事や遊びの話をする。



一度話せば次からは友達。



つくづくアメリカはすごい。



是非より、実行出来る事がすばらしい。



それでも、いじめは0にはならない。だが確実に減らすことが大切なのでは…



日本は何かしているか?



抽象的な言葉、あいまいな言動はもう見飽きた。



大人たちよ真剣に取り組もう。

朝高VS士館VS警察

朝鮮高級学校
通称 朝高

国士館大学附属高校

通称 士館

この二つの高校は30年以上昔から抗争に明け暮れていた。

士館はジャバラの制服が特徴的で不良の間では一種、恐怖と畏敬の念を抱かせた。(今はブレザ—になっている)

東京近県の各中学校で番長だった奴や、どうにも手に負えないワルの中のワルが集まる学校であった。

当然、学校内・外で喧嘩上等の毎日。

まず、士館に喧嘩で勝てる高校は個人では別だが、団体戦では俺の時代には存在しなかった。

こんな高校だから、就職先は警察かヤクザが多かった。

警察がヤクザの組事務所にガサ入れしたとき、偶然同級生に出会ってしまう事なんてなかったんだろうか?
朝高。

今はどうかわからないが、昔の朝高は身体が比較的小さかった。

常に複数の仲間と行動し、臨戦態勢に備え、一人で街を歩く事を避けた。

身体は小さいが、なかなか根性もんが多かった。

この両校が池袋の地下街で一戦交えた。

士館約15人
朝高約 8人
圧倒的に朝高が不利な闘いだった。
その時間帯は帰りの人々でかなりの数の人が歩いていた。

士館が朝高と見るや、いきなりオリャッ—という気合いとともに一斉に朝高に殴りかかる。
人数が不利な朝高は防戦で手一杯になる。

だが、朝高もかなりケンカ慣れしている。

1対1に勝った奴はすぐさま1対2 1対3で不利なところに助けに入る。

一般人が運悪く巻き込まれたり、女性のキャッ—という悲鳴が地下街に響き渡る。

友達と間近で見ていた俺達は何も出来ずたた見ているだけ。

時間が何分経ったのか?まるでわからない。

そこに4人の警官がかけつけた。

その後の光景は今も目に焼き付いている。

止めるとか、仲裁に入るなんて、なまやさしいものじゃない。

警官4人は柔道ではなく逮捕術を駆使して、あっという間に全員をのしてしまったのだ。

士館が強いだの、朝高が根性あるだのなんて思いは、一瞬で消えた。

何が強いって、警官があきれるくらい強かった。

いくら大人と高校生だからと言っても、体力なら圧倒的に高校生の方がある。

よく見ると警官はおっさんが二人もいた。

警官がやったのは、全員一斉に柔道で言うところの一本背負いの投げ技だった。
ただし、隙間を一切作らないで投げた方もそのまま体をあずける逮捕術。

背中を警官の体重とともにコンクリ—トに浴びせ、打ち付けられた高校生は呼吸が出来ない悶絶の苦しみにあえいでいる。
このくるしみはハンパじゃない。とにかく息が出来ないのだ。
まるで映画の世界のようにバッタバッタと倒れて行く。

警官は凶悪犯に遭遇した場合、運が悪ければ死ぬこともある。


生き死にを賭けた訓練をしている人間と、勝ち負けを優先している人間との差がここにあるような気がしてならない出来ごとだった。

警官はいざとなったら、恐ろしく強い。

なめたらアカン!
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