私は、もう十年~二十年以上も前の話にはなりますが、中学受験をして開成中学に合格し、世間的には東大に云十年と合格者を送り込んでいる名門の中高一貫校で青春を過ごし、大学受験では現役で京都大学工学部建築学科に入学したという自分で言うのも変ですが、華々しいキャリア(学歴)があります。過去の事実といってももう既に過去の栄光なので、自分のことというよりは客観的に見て珍しい特異な環境を与えられ、その中で育ってきた存在として、自分の内面で経てきたことをここにありのままに書き記そうと思います。
 一般に「受験」というと、競争社会というイメージがありますが、人と競って成績で一位を取りたいとか、どうしてもこの学校に入りたい・トップの学校に行きたい、といった競争意識やブランド意識というものは全くありませんでした。当時、通っていた小学校は、そのまま公立の中学校に行くと男子は皆、坊主頭にしなければならない…という背景があり、坊主になるのが嫌で受験勉強を始めたという時代背景/そもそもの個人的動機(きっかけ)があります。始め通っていた近所の塾で毎週あるテストで系列の塾の中でトップの成績になった時も、若い塾講師の先生から「〇〇(私の本名)は、スターだからな」と言われたときは正直嬉しかったですが、自分から1位になりたいからなったのではなく…自分なりにベストを尽くして与えられたテキストや問題をこなして結果的に1位になり、その先生からはスターと思われるようになったというのが事実です。
 小学生の5年生から6年生までの大手の塾の支部があった津田沼まで総武線に乗って通っていた頃が特に楽しかったです。学校を早く切り上げて、母親が作ってくれた保温性の高い大きな瓶に入った3~4段くらいのお弁当を持って、始業時刻よりも1~2時間早く教室に行って友達と普段は先生が使っている黒板でテトリスの様なゲームをしたり、定規をペンで弾いて飛ばす「ジョー戦」をしたり、そういうアナログの遊びをするのがとても楽しかった、という思い出が今も胸に残っています。先生に褒められると塾のロゴマークが入ったクリアファイルをプレゼントしてくれたりして、それを卒業まで20~30枚近く集めました。一般には、勉強=つまらない、将来のため?親のため?仕方なく我慢してするもの、反対に(テレビゲームやゲームボーイなどの)ゲームは、親に何時間もやるなと言われ、でも楽しくて長時間やってしまう、という印象が当時でも今でも多くの人が持つイメージかもしれません。ところが、ゲームを攻略してステージをクリアしていったりポイントを貯めていく喜びと、毎週与えられた教科書の部分の知識を吸収したり、計算や問題の解き方をマスターしていき、週に1度日曜日にある週間テストで良いポイントをはじき出すために勉強し(正式な採点を待ちきれずに)テストの直後に自身で採点をし国語は何点、算数は何点、理科は何点、社会は何点、合計何点と点数を付ける喜び、良い点数をはじき出した時の達成感と爽快感、これらがどう違うのか?当時の私には全くわかりませんでした。逆に、視力が弱くメガネをつけていたため、テレビゲームやゲームボーイをするのがあまり楽しくないという(社会の平均からしたら)変わった体質の持ち主でした。結果的に、勉強するのが楽しくて楽しくて、その結果、開成を受験し合格するという経験を踏むことになるのですが、志望校を選ぶときも、6年生の夏休み明けくらいに母が津田沼の塾の講師陣に進路相談行った際に、母は「早稲田か、慶応くらいに行ければと思っているのですが」と話したところ「○○(私の本名)くんはもっと上を目指せますよ。開成などどうですか?」と返され、びっくりして帰ってきたというのが事実で自分が好きな尊敬する先生達が勧めてくれたならそうしようということで、開成を目指すようになりました。開成に入学して「やはりそうか」と再確認したことですが、このレベルになると“将来のため、親のために嫌々勉強している”というタイプの人はほとんど見受けられませんでした。みな勉強することの楽しさを知っている、かと言ってガリガリと机にかじりつくタイプというわけでもなく、スマートに要領よく勉強してきたというタイプの人が多いように見受けられました。
 中学受験や高校受験をこれから経験する若い人たちに、何か伝えられるメッセージとしては…ありふれた陳腐な言葉ですが、人と比べたりするよりも「自分のベスト」を尽くしていくこと、そしてその努力の結果はどんな結果でも受け入れるということではないでしょうか?
 開成に合格する前に、1月中旬の千葉県の入試で東邦大東邦と渋谷幕張の2校も合格していましたが、渋谷幕張に合格したときは、最も仲の良かった友達が渋幕を第一志望にしていたこともあり、「ああ、もし開成がダメでも、渋幕に行けば、中学高校も友達の△△くんと一緒に学校生活が送れるなぁ~」と考えていました。開成の合格発表は、学校の校舎内に掲示される受験番号の結果を母と見に行きました。私には記憶がないのですが、最寄りの西日暮里の駅から学校の校舎までの途中で、不合格で母親に泣きついている子がいて「もしこの子が不合格だったら自分も同じような思いをするのだろうか」とその子を見て思ったと後日、母から話を聞きました。結果的に合格しましたが、不合格でも全く動じず、その結果を受け入れてたと思います。かといって合格しても、合格したことを知ったテレビクルーのカメラマンにインタビューを求められても、「こういうときは浮かれてインタビューに答えるものではない」と一蹴しました。「どうして?答えてあげればいいのに」と母は私のそっけない素振りを見て言いましたが、合格した本人より母や塾の先生などの方が喜んだ、という側面はあったかもしれません。
 大学受験の方については、過去の記事で大学生になる直前の高校生の私が当時通っていた塾のために記した合格体験記を転記したものがありますのでそちらを参照下さい。(勉強や学習に対する基本的なスタンスは中学受験でも大学受験でも変わっていません。)

→ 勉強~モトオーイ!「私的学習術」

 「運命」という言葉を聞いてこの本を読んでいる方はどんな印象をお持ちでしょうか?
 自分は運命を信じる/信じない。今まで自分に起こってきた過去のことはすべて必然だったと思う。はてまた運命なんて信じたくない。自分の力で人生を切り開いていくのだ。いろいろな考え方・感じ方の人がいることでしょう。
 私は、運命という言葉で考えるのは、物事が起こるにはその背景にさまざまな要因/ファクターが存在しているということです。そして、そのファクターというものは、例えば私たちの存在し目の前にある空間には数え切れない無限といっても差し支えない数の原子・分子が存在していますが、その原子・分子のようなものと捉えています。空間中や水中などの気体や液体中の分子や原子は、ランダムに振動し、さまざまに運動していて、流動的に移動しています。ずっと同じところに石のように動かず変化せずに存在しているということはありません。
 例えば、人がひとつの恋をするという例をとって考えてみましょう。まずその人が存在するという原因が必要です。これは当たり前のように思えるかもしれませんが、人が存在するには誰でも父親と母親が出会い肉体的に結ばれてその愛の結晶としてその人が生まれ、赤ん坊にお乳を与え離食を与え、おむつを替え、夜は寝かしつけ、大きくなっても1日3食と快適な家(シェルター)という物理的空間とお父さんやお母さんやそれに準ずる大人に見守られるという精神的な空間の中で健康的に暮らしていき、幼稚園や保育所そして小学校、中学校と社会的な環境の中で様々な刺激を受けながら知的にも精神的/情緒的にも肉体的にも成長していき、その人というモノが成り立っていきます。まずは恋をする人=主人公が存在するというだけでも、ただ単に「ポン」と人が宇宙の中からある程度の年齢を重ねた肉体が出現するということはありえないのです。
 人が恋をするという例に戻ってそのファクターを考えましょう。まずその人が恋をする年齢的な時期が来ているという時間的なファクターがあります。そして、相手の人(運命の人?)と出会うには…なにかのキッカケ(仏教的には「人との縁」という言い方をしますが)が必要です。日常生活のふとしたきっかけで出会う(学校に向かうバスの中で出会う…など)か?旅先などイレギュラーな所で出会うか?出会うには、これまた空間的な制約…その人の行動範囲~パターンというものがあります。自分と相手の行動領域が重なり、その中で声をかける~話をする~あるいはどんな人なのか?下調べをしてから思いっきり告白する…など具体的な行動がなければ「出会う」というまでにはならないでしょう。
 いまここに述べたのはあくまでも「外的」ファクターです。生きていれば無数の人達と目が合い、出会います。その中で“恋の火花(スパーク)”が内面で化学反応を起こして燃えなければ、「恋をする」という結果には行き着きません。しかし、この「内的」なファクターもどこまで「内的」と呼ぶことができるのでしょうか?人が「この人いいなぁ」と判断し、考えたということは、脳の神経回路が働いたということですし、恋をするときには脳の愛情ホルモン(オキシトシン)が分泌されると言われています。人間の内面も(肉体を持って生きている限りは)科学的=医学的には、脳の神経機能の現れであり、ノルアドレナリン・ドーパミン・セロトニンなどの神経伝達物質が作り出す精神状態ということができるので、どこまで「内的」「外的」と区別することができるでしょうか?
 私たちには、人生を選択する(小さく言えば、日々の献立で何を食べるか?という選択など)という(見かけ上の)自由があります。「人生、ああすれば良かった/こうすれば良かった」という人がいますが、こういう考え方には過去のレッスンから学ぶという意味では意義のあることですが、注意深く過去を振り返るとその時の自身の知識・経験・精神状態からすれば他に選択肢はなかった、つまり人は常に最善の選択をしている、ということは言えるのではないでしょうか?そういった外的/内的ファクターという観点から見ても、すべてのファクターを処理速度およびメモリー容量が無限大の宇宙AIコンピューターで私たちの人生を解析すると、「運命」というコンセプトをより深く理解することができるのではないでしょうか?

 キリスト教の言葉には、「一匹の雀とて父なる神のご意志によらずに地に落ちることはない」という言葉があります。宇宙の繊細で深い意志/流れ=神の考えということは言えるのではないでしょうか?

 インドには、「カルマ」や「ダルマ」という考え方があります。
人生の流れや宇宙の仕組み~世界がどう動き回っているか?と深く認識し、悟り=光明を得た人のことを覚者やマスターと呼びます。彼らの視点に立つと、人は皆、定められた運命の道を一歩一歩、歩んでいる。でもそれは、どんなことが起きても思慮深い神のご意志であり、魂にとっては経験の糧となるレッスン(学び)である。
 


 波動テクノロジーについて語ろうと思います。
 まず、波動測定器はダウジングやフーチ、オーリングテストと同じ類のモノという認識をしています。なぜなら、MRAやQRSなどのラジオニクス型と呼ばれる波動測定器は、測定者の体の電気抵抗を音に変換していわゆる測定行為を行っているに過ぎないからです。
 オーラ写真(オーラカメラ)というモノも世の中にはありますが、あれはプリクラのようなものだと思っています。科学的には、指の電気抵抗を測りそれを分析することで、オーラの色や位置を決めている…というのが技術的な見解です。このオーラの色と指の電気抵抗の関係性については、オーラを見ることができる能力者と技術者が共同で研究を行って生み出したものですので、あながち変なモノでもないようです。ただオーラの色がわかったところでそれが何になるのか?自分の精神状態やストレス状態などを知ったりする以上には、「自分のオーラは○○色なんだ!」というエンターテインメントとしての意味合いしかないのではないか?という意味で「プリクラのようなもの」という表現を使わせていただきました。
 オーラカメラのように「オーラを写す」と言われているものに「キルリアン写真」と呼ばれるものがあります。片方の手に電圧をかけて放電したものを写したもので、こちらはエーテル界を写したものだと思われます。キルリアン写真を専門的に解析すると5本の指は、陰陽五行の木火土金水を表しているので東洋医学的な内蔵の五臓六腑の状態がわかるとされています。キルリアン写真の解析学についての詳細は、カラーパンクチャー協会に問い合わせ下さい。

 一方の波動転写機についてですが、これはホメオパシーの薬と同程度の効果という認識をしています。ホメオパシーとは、ある物質を水で希釈して何万分の一~何億分の一というレベルにまで成分を薄め、希釈レベルによっては理論上、元の成分の分子が残らないくらいにまで希釈した水を、砂糖玉に塗りそれを服用することで薬のような作用があると謳っています。けれども、現代科学的にはその効果はプラシーボの域を超えないという結論が出てしまっていますが、ホメオパシー発祥のドイツでは「代替医療」のひとつとして専門のホメオパスと呼ばれるホメオパシー医がおり、専門の学校=教育機関もあるなど、日本で漢方薬が西洋医学の薬と同じレベルで浸透しているように、ドイツではちゃんとした市民権を得ているようです。オーラ=HEF(ヒューマンエネルギーフィールド)の第一人者でNASAの元科学者であり、ヒーラーであり、世界三大ヒーリングスクールの1つBBSHの創設者でもあるバーバラ・アン・ブレナン博士の著書によると、ホメオパシーはHEFに作用するようで、希釈率が高ければ高いほどHEFのより高い=精妙なレベル(肉体よりも精神に近い領域)に影響を及ぼすと記されています。
 波動転写機で発生される電磁場は、科学的には微弱なものです。そして、この“波動”というものをどのレベルで捉えるか?ということが波動転写機の働きを科学的に理解する上で重要だと考えています。Wikipediaで波動と調べると、波動(物理学)と波動(オカルト)という風に2つに分類されています。波動転写機が発生させる電磁場も、波動(物理学)のレベルでは…どのようなコードを入力しても、例えばAさんのために作る波動水でも、Bさんのために作る波動水でも、現代科学的には同じ電磁フィールドです。しかし、その電磁フィールドに乗っかっている情報のレベル=ラジオニクス的には例えば免疫のコードや心臓のコードなど、つまり波動(オカルト)的には全く別物だということができます。もっとわかりやすくこの話を掘り下げると、例えばラジオの電波/電磁波はAMでもFMでも周波数が決まっています。TOKYO FMのラジオ局が発する電波=私たちが受信するラジオの電波は、現代科学的には=「波動(物理学)」レベルでは、80.0MHzで変わることはありません。でも、クラシック音楽などの自然と調和したプログラム(内容)を放送するか?それとも激しいロックのような自然と調和しているとは言い難い音楽を放送するか?で「波動(オカルト)」レベルでは違ってくるというお話です。
 ちなみにロックは、前出のバーバラ・アン・ブレナン博士によるとHEFの第一レベル(肉体の一つ上の次元)と第四レベル(愛と人間関係に関する次元)に作用し、フィールドーチャージし、チャクラでは第1チャクラと第4チャクラに影響を及ぼすという報告があり、一概にロック=悪いものという認識は持っていません。
 いずれにせよ、現代科学技術が利用している電波というのは、ラジオのみならずテレビや携帯電話とスマホの4G/5G通信などに利用されている電波/電磁波はすべて同じで、「波動(物理学)」的には周波数というのは変わらないけれども、テレビでどういう内容を放送するのか?携帯電話・スマホでどういう質の会話をするのか?どういう内容の情報(Webページ~SNS~動画~写真)を通信するか?で「波動(オカルト)」的には振動波として作用するものが微弱ですがあるだろうと考えて良いのではないでしょうか?
 以上のことから、波動転写機の科学的作用としては、「ホメオパシーと同程度」という認識をしています。

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波動機器/波動測定器

私が高校生の頃、最も頻繁にそばに置いていた本=最も図書館から借りていた本は、バーバラ・アン・ブレナン博士の「光の手」「癒しの光」です。

今現在の自分のHSP(超感覚知覚)のひとつ…波動のエネルギーを感受する能力やたまに人のオーラ(エーテルの光)が見えたりするのは、この本たちのお陰ではないかと思っています。

なによりも、バーバラ・ブレナン博士の功績は、通常は目に見えない「オーラ」や「チャクラ」を…凡人が想像し妄想する=イマジネーションすることができるようにしたことです。バーバラ・ブレナン博士の「光の手」「癒しの光」を通して、目に見えないHEF(ヒューマンエネルギーフィールド)は、目に見える形をとることが出来たのです。そして、その構造や機能を伝えるのがこれらの著書の大きな役割のひとつでもあります。

自分の肉体の周囲にもHEF第一層(エーテル)~第七層(ケセリックテンプレートレベル)のフィールドが存在するのだな…ということがイマジネーションできるか?できないか?によって大きく人生が異なります。

人間が肉体を持って生きているのは、その周囲と肉体の奥にHEFが取り巻き浸透しているからなのだということを分かりやすい図を持って示してくれます。

また、バーバラ・ブレナン自身もへヨアンという守護存在を書籍の中でもよく登場し、チャネリングしていますが…そのような霊的存在が誰にでも守護霊や指導霊として存在しているのだというレッスンを与えてくれます。

ヒーリングやオーラに興味がなくても、自分自身の存在や現実の仕組みを知るという人間としての大元を揺るがしてくれる内容も含まれています。

ある人は、バーバラ・ブレナンの功績を物理学と生物学と心理学(神学)を統合した…と形容していますが、まさにオーラが肉体に与える影響やチャクラと分泌腺の関係性などの生物学的なHEFの機能や人格構造とオーラのパターンやチャクラの心理学的機能などの心理学的なHEFの機能を詳しく解説しているのが、まさにこの本のテーマです。NASAの元科学者で衛星の打ち上げにも携わったという経歴から、その理性と発達した知的感覚とオーラを詳細に解析し見ることができる類稀な視覚的HSP(超感覚知覚)能力やへヨアンをチャネリングするなどの優れた聴覚的HSP能力=通常、霊的能力とされるものが融合してこれらの著書は世界的なベストセラーとして多くの人を魅了しました。

著名人からの推薦などを以下に紹介します。

バーバラ・A・ブレナンは、欧米で最も優れたスピリチュアル・ヒーラーである。
本書は、意欲的なヒーラーはいうまでもなく、人間存在の真実を知ろうとするすべての人にとって必読書である。
―――E・キューブラー・ロス(「死ぬ瞬間」の著者)

バーバラ・ブレナンのヒーリングの才能を個人的に体験した者として、本書を推薦できることを誇りに思う。彼女は広汎な科学的知識に裏づけられた研究方法に直感と本来の智恵を結びつけた。彼女は現代医学を広げ、より人間的にしたのだ。
―――ロロ・メイ

NASAの科学者から著名なヒーラーとなった著者による決定版ヒーリング・ガイド。“オーラとヒーリングのバイブル”として世界的大ベストセラー。奇蹟の実践法を伝授!待望の邦訳。
―――出版社の広告から

私は、バーバラブレナン式ヒーリングによって20年来患ってきた不整脈が消滅するという奇跡を体験しましたが(※個人的体験~ヒーリング)…なんとバーバラ・ブレナン博士に直接ヒーリングをされるという恩恵に預かり、脳脊髄液減少症という難病を快癒された日本人女性とその伴侶の方が書かれた「光のシャワー/ヒーリングの扉を開く―バーバラ・アン・ブレナン博士に出会って」という本を最近、読みました。

日本人の手かざしでは、HEF第五層のエーテルテンプレートレベルまでは治るが…それより高い層の第六層~第七層やチャクラの修正などのテクニックがBBSH(バーバラ・ブレナン博士が創設したヒーリングの学校/職業訓練校)にはあるということが書かれていました。

なにより、実際にヒーリングを直に受けたのは15~20分間の出来事でしたが、その後もバーバラ博士は…意図的か無意識的かは本人に確認しないとわかりませんが…遠隔でアストラル界においてヒーリングをしてくれていたそうです。また、へヨアンくんの臨在も二人そろって経験したそうです。

このへヨアンが著者に与えた“光のシャワー”が本のタイトルにもなっています。

4年間のBBSHの厳しい訓練を受けた優秀なヒーラーが日本で活躍されるのを私も願っています。

すでに医師の方とヒーリングが人体に与える効果などを検証するという雑誌の記事を読んだことがあります。(浜野登文枝さんというBBSHヒーラーだったと思いますが…)

「光の手」「癒しの光」は90年代に日本で紹介され、島国日本においてもベストセラーとなり各地の図書館でよく見かけました。時代を超えて、これらの本はその内容の普遍性や独自性(オリジナリティ)から今なお輝いています。

 

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個人的体験~ヒーリング 

バーバラ・ブレナン公式プロフィール(アメブロ/英語版Wikipediaの翻訳記事)  

「エネルギー構造療法」委員会?~22世紀の医学書?!「光の手」バーバラ・ブレナン氏プロフィール(アメブロ) 

バーバラ・アン・ブレナン/Barbara Ann Brennanの写真集(アメブロ)

昔読んでいた本の整理をしていたら「宇宙からの光と波動」(阿部憲治)という本と再会しました。

この本から最も心に引っ掛かったパートを紹介します。

菊池霊鷲さんという方の「舟を岸につなぎなさい」という著書を紹介している部分です。

「仏教は宇宙という言葉を用いないで、十方無限世界といっているのです。そして超日月光というものを発見してはじまっている。超日月光とはね、日光、月光を、超越した光という字義です。大無量寿経のなかでは、十方無限世界の本体は、魏々たる光である。この魏々たる光に比べられるものは一つもない。・・今日でさえ、太陽オンリーで拝んでいる人があるのに、三千年も昔の人間が、太陽の光でさえ、光の中に入らないという、途方もない超強大な光を発見している。しかし、この光、目にきらめかなくて、寂かな光で、心を照らす光であるのです。それで寂かな光、寂光と名づけ、心を照らす光で、心光とも名づけてあります。またこの光は、人類はおろか太陽や月さえ発生していない以前の、昔の昔、兆戴永劫の昔から・・つまり始めなき始めから、終わりなき終わりまで、延々と輝き続けているのである、ということでその寿命は量り無しということで無量寿光とも名づけてあり、これが永遠から永遠へと、不断に輝き続けていて、休むことがないので、不断光とも名づけられている。・・・これは実に智慧を具えた光であった。・・・この超強大な光は、智慧そのものだったという発見。光は智慧を具えているという発見。・・この光というものは動いてやまぬものであって、のびにのびること自体が、力の如く感ぜられる。この起伏を持って動いている力の如きものであるが光であってみれば、光は力〔エネルギー〕であるともいえる。ということから【光は波動するもの】だとわかった。・・空間が先か、物質だと思われているものが先か、いずれを先とはいい難い。微妙な相関関係の中にあったことが、見え始めて来た。すると次々とお釈迦様の発見が続出して、ついにお釈迦様は、十方無限世界の、本質、本相、本用のあり方を、究め尽くされた。これを究め尽くしたことを、〝開眼〟というのです。そして開眼者のことを「覚者」というのです。・・此処で注目して貰いたいことは、お釈迦様はこれだけを見究めるについて、道具も機械も用いられなかったのではないかと思うのですが、この道具も機会も用いないで、あらゆる学問を究めつくされた、ということです。・・」

この部分に触発されて、ネットで「舟を岸につなぎなさい」を注文してしまいました。この超日月光や十方無限世界のことについて、より多くの情報が記してありとても良い買い物となりました。

また「宇宙からの光と波動」の著書の中では、高橋信次さんや政木和三さんについても紹介しているのですが…
googleの動画検索でお二方の名前を調べると、過去の講演録を見つけることができました。お二方の著書は拝読したことは過去にありますが、音声情報というのは多元的な情報を含んでいるので、動画を拝見することは、講演内容とそれ以上にとても良い刺激となりました。

ちなみに、菊池霊鷲さんの生前の動画もYouTubeにアップされています。一見の価値ありです。

当Webサイトは、波動テクノロジー研究所のブログということになっていますが、「波動」の本質とは、この菊池霊鷲さんの説かれる「超日月光」であり、それは(神であり仏である)アミダさまの住まいである十方無限世界そのもの(あるいはその構成要素)ではないかと思うのです。

この「超日月光」そのものを自らの身体を通して発見(開眼)したいものだ…と思う今日この頃でした。

書籍とは、本来さまざまなカラーや味わいを楽しむモノですので、波動が高い/低いで判断すべきものではないと思います。
しかし、精神世界の本を数千冊読んで来て、最もエネルギーが高く素晴らしかった本はなにかと聞かれたら、この本を推薦します。
それは、「心身の神癒」「ディヴァイン・ヒーリング」です。
(「心身の神癒」は、ヒマラヤ聖者の生活探究シリーズを翻訳した仲里誠桔さんが翻訳された本で、「ディヴァイン・ヒーリング」は、同著を日英対訳本として新調した本です。)
これは、著者のマクドナルド・ベイン氏にイエス・キリスト本人が宿り、愛や神について語った講演を本に起こしたものです。
この本が本物であることの証左として、「心身の神癒」の巻頭にイエス・キリストの念写写真があります。
ある能力者は、イエス本人のエネルギー体とともに導き手として9つもの高次元生命体が感知されると数値で示しています。
本とは、意識を映し出すものです。波動の高い本とは、キリストの意識を現したものだということです。

【Update】最も波動が高い本

 

【2023.6.23最新情報追記】
最も波動が高い本「心身の神癒」と2番目に波動が高い本「解脱の真理」が
Web上で無料で全文を読むことができるようになりました。

 

■解脱の真理、心身の神癒
M.マクドナルド・ベイン(著)、
仲里 誠桔(翻訳)の2大著作を無料で公開しています。
https://ameblo.jp/macdonald-bayne/

Jesus_Christ_Edited

世間一般に広く知られている「般若心経」には、マントラが収められています。
この経典によれば、それはこの世で最も大いなるマントラ(真言)/是大神呪。大いなる悟り(光明)をもたらすマントラ/是大明呪。これ以上ない無上のマントラ/是無上呪。これと同じレベルのものもない無比のマントラ/是無等々呪文。
一切の苦しみを取り除くマントラ/能除一切苦。真実にして嘘偽りのないマントラ/真実不虚。
と説かれています。
この般若心経そのものの成り立ちや内容について、賛否両論がありますが、霊的にこの般若心経の意義を捉えると、その「空」の世界観を伝えるものであると同時に、この呪文/マントラ(真言)の脳(魂)へのエネルギー的効果にあると個人的には思っています。
日本で、お経というと…男性の僧侶が低い声で淡々と意味の分からない呪文を唱えているという印象があります。このイメージを払拭する素晴らしい楽曲/アーティストがいます。それは「imee ooi」さんです。
サンスクリット語と中国語の般若心経を音楽にしたものをYouTubeなどで聞くことができます。それは、とても美しく、また素晴らしいエネルギーを伝えてくれています。
imee ooiさんの音楽を聴くも良し、「羯諦羯諦、波羅羯諦~」と心の中や声で唱えるも良し。
(個人的には、心の中で唱えると…頭上から仏教でいう如来や菩薩と呼ばれる存在なのか?自分の守護霊/守護神なのか?エネルギー的存在からとても甘味で、自分を引き上げるような高いエネルギーが送られて来ます。)
般若心経のエネルギー的存在意義があるということをここに記したいと思いました。

波動を上げる方法

個人的に気に入っている霊界通信は、二つあります。
ひとつは、霊的な事柄に関心があり能力も兼ね備えたアメリカの弁護士が、同じく弁護士で癌に侵され亡くなったスーザンという女性の霊と交信して得た霊界通信です。こちらの方は、現代科学などの教育を受けた人が死後の世界=霊界を論理的合理的に理解するための一助になるという観点でオススメし、また読み進めるのを楽しむことが出来る一冊です。弁護士の先生が書いている文体なので、理路整然としてまたユーモアやボキャブラリーに富んだ作品となっています。誰もが避けることのできない死後の世界を前もって知っておくことの大切さが記されていますが、それがなぜ大切なのかもしっかりと分かりやすく説明してあります。宗教家ではなく、地に足のついた弁護士が書いたというところを注目して欲しいと思います。
もうひとつの霊界通信は、ドイツで20世紀初頭の第一次世界大戦で亡くなった音楽家の兄の霊と、トランス状態に入ることなく通常の意識状態で交信した妹の書き記した霊界通信です。こちらは、時代背景や霊界通信の相手の死因が戦死であることやキリスト教の思想を基盤とする地理的な要素などが色濃くあります。言葉はシンプルでエネルギーは強いですが、目に見えない世界やキリスト教などの信仰のある方の方に響きやすい作品となっています。かのルドルフシュタイナーが「本物の霊界通信です」と太鼓判を押したという正真正銘のモノです。
いずれにせよ、死後の世界について、死んだら三途の川を渡ると帰ってこれない。渡らずに帰って来た人がよく死の淵を彷徨った事故や大病をした人の中にいる。というくらいしか一般的に理解されていない日本では、死後の世界についての情報源としての霊界通信として、この二冊の本は貴重な存在であるということが出来ます。
また、最近知り読んだ本の中で感動した本が、臨死体験をしたシスターの鈴木秀子さんの書かれた「あの世のこと」です。「死」にまつわる体験談が豊富に書かれていて深く考えさせられる作品となっています。
これらの本が広く人々に読まれることを願ってやみません。

バーバラ・ブレナン博士は、スピリチュアルなリーダー、ヒーラーそして教育者として、世界中に広く知られています。

エネルギー意識体研究の先駆者であり革新者で、前NASAの物理研究員であるブレナン博士は、30年以上にも渡ってヒューマン・エネルギー・フィールド(HEF)及びその意識体系の分野で研究を続けています。グリーンウィッチ大学においてエネルギー医学博士号、ヒーリングの神学博士号、ウィスコンシン大学において、大気物理学修士号と物理学学士号を取得しています。
そして科学研究員としてNASAのゴダード宇宙飛行センターで勤務していました。また博士は、インスティテュート・オブ・コア・エナジェティックス(the Institute of Core Energetics)を卒業し、シニア・パスワーク・ヘルパー(Senior Pathwork(R) Helper)でもあります。

ブレナン博士の最初の著書である「光の手」:自己変革の旅(河出書房新社)は1989年に出版され、アメリカの出版元であるバンタム・ニュー・エイジ社のベストセラー著書となりました。スピリチュアル・ヒーリングにおいて偉業を成し遂げたこの著書は、26ヶ国語に翻訳され100万冊以上出版れています。博士の2作目の著書である「癒しの光」:自己ヒーリングへの旅(河出書房新社)もまたベストセラーとなり、世界中で出版されています。
これらの著書はエネルギー・ワークや代替医療の分野では代表的な書物になっています。

個人的体験~ヒーリング

 科学や技術、芸術さらには経営などの分野で素晴らしい業績をあげた人は、みなその背景に独自の感覚や感性に裏打ちされた世界観をもっているものです。
 僕は特に、アルバート・アインシュタインに惚れ込みました。彼は科学における業績のみならず、その個性、ユーモアのセンス、卓越した人間性によっても世界的に有名でした。ここで彼の言葉を紹介しましょう。

「わたしたちが体験しうる最も美しいものとは、神秘です。これが真の芸術と科学の源となります。これを知らず、もはや不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなった者は、死んだも同然です。」
「この世界を、個人的な願望を実現する場所とせず、感嘆し、求め、観察する自由な存在としてそこに向かい合うとき、われわれは芸術と科学の領域に入る。」

 私たちは毎日、三度の食事をし、さまざまな人と接しながら生活しています。しかし、創造的な科学者や芸術家にとっては、自身の好奇心や探究心、感覚を刺激させる「驚き」や「感動」、「美」なども、生きていく上で欠くことのできないエネルギー源なのでしょう。僕はそのような生き方―宇宙のエッセンスを感じて生きること―に大いに憧れました。
 そしてアインシュタインには非常に興味深いエピソードがあります。それは彼が相対性理論を打ち立てる時、その仮説を導く際に、計算間違いをしていたということです。しかし、その(仮説の)考え方そのものは正しかった。つまり、既知の科学法則や原理を基にして計算し論理を組み立てる前に、感覚的にその内容(空間が重力によって歪むこと)をまず理解していた!?ということになります。これには驚かされました。人間存在のコアは、西洋社会を中心に日本でもそうですが重要視されていえる理性や知性ではなく、感覚・感性ではないか?そしてそれこそが創造性の源ではないか?といったことは心理学でも言われていることですが・・・。

【挿絵】(アインシュタインの写真)Albert Einstein (1879-1955)

 日本で「波動の法則」という本がちょっとしたベストセラーになりました。その著者、足立育郎さんは、妹の幸子さんとともに、ある時期、「宇宙の全ての存在・現象は波動の組み合わせで成り立っている」ことを直観し、それを科学的に(デジタルかつアナログに)情報を得て研究活動するようになったのですが彼が得た“情報”は、非常に論理的・体系的にまとまっていて「直観(力)」のもつ究極的可能性を示してくれています。これにもびっくりです。ちなみに妹・幸子さんの方は、宇宙の本質をアートで表現され、コンテンポラリーアートEXPO'89(NewYork)などに入選され、また最近では彼女の講演録をまとめた本「あるがままに生きる」が雑誌で女優・松雪泰子さんに紹介され、他にもたくさんの人々に愛されています。
 これからの時代、どんな立場、状況の方でも役に立つ人間の究極の能力は、直観力でしょう。

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 僕はこの約3年間、人間(の意識)に深く興味をそそられ、自分なりに取り組んできました。図書館などをうまく利用して、まず心理学の本を読みあさりました。しかし、人間に対するより本質的な洞察を得るべく、アメリカのニューエイジや日本の精神世界の本に切り換えました。その中で、現代の心理学にはないけれども非常に重要な概念をここでは紹介します。
○「意識の自由度」…その人の意識がどれだけ自由かということ。逆に言えば、いかに「こだわり」「とらわれ」が少ないかということです。人は何かにこだわったりとらわれたりすると、それだけ視野が狭くなり、視点も固定化されていきます。しかし、そのようにある枠の中で生きるが故の安定感や楽しさもあるのでしょう。創造性という点ではそれは障壁となりますが・・・。どう生きるかも、その人に委ねられている=自由なのです。この自由度と対応するのが「融合度」です。真に自由でグローバルな視野をもつ人は、自分だけ、自分の家族だけ、自分の国だけ、人間だけ、良くなればよいという限定された視点で考え、行動することはないでしょう。また、自由な人は、ものごとをありのままに見ようとします。素直で謙虚です。そうなろうと努めているのではなく、それが自然なのでしょう。自分には分からないことがたくさんあることを受け入れ、よく理解し、あらゆることから学ぼうとしているだけです。どれだけ“意識の調和がとれているか”ということでもあります。
 あまり堅いことは書きたくなかったのですが、これからの地球において、大変大事なキーポイントになることがらだと思ったので“仕方なく”書き記すことにしました。

 そして、、この意識の調和度(自由度・融合度)が、宇宙のしくみ、自然の法則に対する理解(科学的なものも含めて)や美に対する感覚や感性などと大きく強く結びついていることを強く感じます。
 人間の意識がより調和がとれ自由になればなるほど、感覚が洗練され、研ぎ澄まされて自然のしくみや宇宙の本質をより深く理解するようになるということです。

「人間とは、わたしたちが宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部である。わたしたちは、自分自身を、思考を、感情を、他と切り離されたものとして体験する。意識についてのある種の錯覚である。
 この錯覚は一種の牢獄で、個人的な欲望や最も近くにいる人々への愛情にわたしたちを縛りつけるのだ。
 わたしたちの務めは、この牢獄から自らを解放することだ。それには、共感の輪を、すべての生き物と自然全体の美しさに広げなければならない。実質的に新しい思考の形を身につけなければ、人類は生き延びることができないだろう。」
(アルバート・アインシュタイン)

「わたしは、アインシュタインに『あなたはあらゆることが科学的に説明することができると信じているのですか?』」と尋ねました。『ええ』と彼は答えました。『でもそれは意味のないことでしょうね。ベートーベンの交響曲を聞いたとき、これは音波の変化が組み合わさったものだと表現するように意味のないことです』」(ヘドビッヒ・ボルン)


最後に…

【挿絵】(足立幸子さんによるチューニングスケッチ)
▲「時間とは何か?」というテーマでプログラムされた絵(作品ではない)
 時間(と空間)の本質が理解できない限り時空間移動装置(UFO)を製造することはできないらしい。

 いやー、時が経つのは早いもので、もう、六年もの月日が流れていったのですね。とくに後半の三年間はせつなかったなぁー(ムフフ…)。これからも自分がやりたいと思ったことだけをやっていこうと思う今日、この頃ですね。はい。ではでは…

2000.10.9
K.Naoki