美輪明宏さま
私は十年以上「麗人だより」の会員をしている、美輪さんのファンです。
政治的なテーマをお話しさせて頂きます。
美輪さんの消費税に対する考え方、国債に対する考え方は、なるほど!と眼を見開かされる思いがするほど、他にない!しかもシンプルな解説で初めて聞いたときは感動しました。
しかし、戦争のことになると、戦前・戦中に日本が軍部に支配されて、欧米の自由な文化や豊かな衣食住を否定されて弾圧された「怨」を引きずっておられるのかな?と推察します。しかし、一国が戦争に突入するというのは、内政=軍部の意向だけではなく、外交=アメリカとの交渉の結果でもあると思うのです。日本が真珠湾攻撃に至るまでのアメリカとの交渉や日本が戦争に突入することが当時のルーズベルト大統領にとってどれだけ望んでいたか?などの歴史的資料が明らかになりつつあります。
なぜ、日本が戦争にアメリカと戦争するに至ったかの原因については、昭和天皇が「遠因は対日移民排斥にあり、近因は石油の禁輸にあった」と語られているそうで、これが昭和の歴史を真っ只中でご経験された御方の歴史的証言だと思うのです。昨今のウクライナ侵攻についても、その発端となった出来事については、日本や欧米のメディアでは語られていない真相もあるようです。
戦争を二度と起こさせないためには、真に過去の歴史から学ぶということが必要だと思うのですが。私は、所謂日本のメディアや美輪さんが語られる東京裁判史観には理解はしますが抵抗を禁じ得ません。個人的には「太平洋戦争の大嘘」という本が最も分かりやすく簡潔に書かれている本で勉強にもなりました。美輪さんオススメします。

私は、先の大戦は日本がやりたくてやった戦争ではなくやらざるを得なかった戦争ではないかな?と思っています。結果的に沢山の人が亡くなりましたが、民間人をターゲットにした全国四十以上の都市への無差別爆撃や二度の原爆投下は、戦勝国アメリカの戦争犯罪です。太平洋戦争には負けましたが、世界史の上でインドや東南アジアの国々の欧米列強からの独立を促進したという点で、大東亜戦争には勝利した、と言えるかもしれません。
GHQのマッカーサー自身がアメリカの上院議会の議会証言で、日本の戦争突入は主にセキュリティのためだった、と証言しています。マッカーサーは、戦後日本を統治し、朝鮮半島での戦争やソ連の脅威など、日本が置かれた地政学的な環境を否が応でも体感させられてしまったのではないでしょうか?セキュリティとは自衛のためと翻訳できるそうです。すると、先の大戦は侵略戦争ではなく日本の自衛戦争である、とマッカーサー自身がアメリカの上院議会の公聴会で証言しているのではないでしょうか?
財政については、いつの時代もどの政党にも積極財政派と緊縮財政派とがいる。まず財政出動をして経済を活性化させれば税収も増えるというスタンスが積極財政派。単年度の財政規律、プライマリーバランス=基礎的財政収支を重んじ、小さい政府を目指すのが緊縮財政派。もしプライマリーバランスを軽んじ、財政収支が赤字になれば、国債が売られて金利が上昇し財政破綻してしまう。というのが緊縮財政派の論理。しかし、この論理には盲点が二つある。
一つは、日本の国債は95%が国内で償還されているということ。これは、一つの家族の中でお父さんがお母さんに借金しているようなもので家庭内でのお金の貸し借りだから、対外的には全く問題ないと例えられる。日本の財政赤字はGDPの250%とその額の大きさこそがPBを重視する財政健全化派がこぞって国民に印象付けたいもの。しかし、額の大きさではなく、中身を見なければならない。アメリカの財政赤字はGDPの130%だが、国内での償還は40%であとは日本や中国、サウジアラビアなどが保有しているという。額こそ日本より小さけれ、需給のバランスからすれば、もし中国やサウジアラビアが世界の基軸通貨ドルに対して未来が見えなくなる?(その時が刻一刻と迫っているという評論家もいる)ことがあれば、マーケット/市場でいつでも売り払うことができる。そうなれば日本の国債よりもアメリカの国債の方が不安定ということも言えるのではなかろうか。
もう一つは、国の借金と個人の借金を混同してはならない、ということ。個人が収入を超えて借金を重ねれば、支払いに追われまた借金をし、と雪だるま式に借金が膨れ上がり、いく末は住宅や貯蓄を借金の返済に充てて、一文無しになるという点で、借金は悪い物、してはいけないもの、とされている。これは道徳的には大切なことである。しかし、国家の借金は、個人の借金と違う。簿記を少し勉強した人間ならすぐわかるが、誰かの資産は誰かの負債であり、誰かの儲けは誰かのコストなのである。平たく言えば、国の借金が大きくなれば、国民の家計は資産が増えるとも言えなくもないのだ。実際、GDP250%超の借金大国日本は、同時に個人金融資産2000兆円超、対外純資産400兆円超の金持ち大国でもある。財政健全化=緊縮財政派は、プライマリーバランスという聞き分けの良いカタカナ文字を使ってさも、財政赤字=国の借金=絶対いけないものという印象操作を行なっているのである。
財務省は、海外の国債格付け会社向けに日本国債の安全性を訴えています。一方で、消費税増税などの理由付けとして、日本の財政破綻懸念でマスコミを煽っています。日本の総理は、東大卒の優秀な財務官僚たちを前に、自分が財政官僚を操るか?はてまた狡猾な財務官僚の操り人形になるか?のどちらかでした。岸田さんは、どうやら後者のように見てとれます。二枚舌を使う狡猾な財務省には、こちらも=総理も国会議員も一国民も理論武装して挑まねばなりません。

経営の神様・船井幸雄氏が注目していた時事評論家「増田俊男」さんと
ジャーナリスト「丸谷元人」さんの論説を読んで気づいたこと


まず大前提として、メディアというものには情報の系統がある。
日本のメディアは、99%欧米系のメディアの下流(一部)である。
他には、中国やロシアなどの自国のメディア系統である。

その日本のメディアで流れている情報に「?」マークを突きつけてくれたのが、
「丸谷元人」さんの月間インテリジェンスレポート(5月号)である。

 


以下、上記2人の論説の概略を記す。


増田俊男氏の情報によると、

・ロシアによるウクライナ侵攻の前に、東部ウクライナのロシア系住民が多い地域で連日テロが横行。学校が攻撃・爆破され、各地で地雷が爆発。これらのテロ行為はCIAとジョージ・ソロス等イスラエル左派の民主活動組織が造った軍事工作軍民兵によって引き起こされたものである。

・バイデン大統領は、2月18日の記者会見で「プーチン大統領はウクライナ侵攻の決意を固め、数日のうちに実行される」と公式に発言、情報源はCIAだと述べた。

CIAがバイデン大統領に、プーチンがウクライナ進攻するまで東部ウクライナでテロを続けるとの報告を受けてのことである。そこでプーチンは東部ウクライナ住民救済のためにウクライナに侵攻せざるを得なかったのである。2014年に独立宣言をした東部ドネツクとルガンスク人民共和国の独立を承認、両国からロシアが安全保障行為を要請された形をとって。

・日本の真珠湾攻撃が奇襲とされたが実は巧みに誘導されて起こされたことがアメリカの30年後に公開される秘密情報開示制度や当時の秘密工作員関係者の証言から明らかになっている。ルーズベルト当時米大統領と頻繁に内通していた吉田茂と外務省の一部高官が真珠湾攻撃を騙し撃ちにするために巧妙な画策を行った。(詳細は氏の小冊子Vol.125に掲載)
 当時の日本の軍国主義政権(東條内閣)にクーデター(政変)を起こし日本をアメリカに都合の良い民主国家に変えるために日米戦争が誘発された。
 日本が「窮鼠猫を噛む」形で追い込まれたように、プーチンもまたウクライナ侵攻に追いやられたのである。

・プーチンは「今後、非友好国(ロシアに制裁を加えている国)がロシアから天然ガスと原油を購入する場合、ルーブルで支払うこと」と発表。
欧州諸国のエネルギーの30~40%はロシアに依存しているので、背に腹は変えられず…ドルまたはユーロを売ってルーブルを調達せざるを得ない。

・SWIFT除外という欧米の制裁があるが、ロシアはいざとなったら外貨準備3,860億ドル(約50兆円)を市場で叩き売るまで。ロシアは既に人民元基軸のCIPS(Cross-Border Interbank Payment System)に加盟しているので外国とロシアとの間の国際取引決済に支障はきたさない。

・人民元を除く東陣営の通貨はIMFで国際準備通貨として認められていないので西陣営の外貨準備に存在していない。人民元は2016年から準備通貨になったが、西陣営国はほとんど保有していないから人民元もルーブルも市場で売ることができない。(先物市場での売り買いはあるが、一定期間売ったものは買い戻され、買ったものは売られるゼロサムなのでナンセンス)事実、一時下落したルーブルも対ドルで元の値まで戻っている。

一方、中国は300兆円相当の米国債を持ち、ロシアは50兆円相当の米国債を持つ。中国とロシアが米国債を市場で叩き売れば即刻ドルもユーロも破綻する。



丸谷元人氏の情報によると、

・ウクライナには、ウクライナの正規軍と2014年の暴力革命以降米英をバックとして権力を握ったネオナチの軍隊(アゾフ連隊など)とある。女子供を人間の盾にする行為、親ロシア派の住民に対する殺戮(写真の証拠有り)、・・・etc.報道されないウクライナ側軍の蛮行(現地ウクライナの東部地方から離脱した情報源A氏の証言やSNSに上げられている動画など)。

・ブチャの虐殺について、ニューヨークタイムズ紙が報じた証拠とされる衛星写真は、3/9~11に撮影したとしているが3/9~11に衛星は全く別の場所にあって、ブチャの上空にはなかったことが明らかとなっている。この衛星は2/28と4/1にブチャ上空を通っていることがわかっているが、気象データを解析すると4/1のものであることが確認されている。太陽の影とか時間さらに緯度を正確に計算した結果、この画像はロシア軍が3/31に街を出た翌日の4/1の11:57のものであることがピッタリとわかる。ここから分かることは、虐殺はアゾフ連隊によるものであろうということ。衛星の画像を改ざんさせて写真をニューヨークタイムズ紙に流させるという大掛かりな情報戦が準備されていたということ。3月の末にウクライナ軍によってロシア兵を虐待する映像が流出したが、情報戦としてロシアの残虐性を上塗りする形となった。

人口20万人のところを30万人殺されたとされるかつての南京大虐殺と同じ構図。

・クラマトルスク駅へのミサイル攻撃も西南西から打ち込まれたことが分かっているが、西南西にはロシア軍または親ロシア派勢力は存在していない。西側諸国がウクライナに軍事的な支援をするのを促進するための情報操作の一環である。
ミサイルもロシアが使用するイスカンダルだと当初は発表されていたが、トーチカUというロシアでは2019年に廃止されたミサイルであることが判明した。

・ロシアのサリン使用疑惑も追及すればするほど怪しい。かつてのシリアにおける化学兵器使用もでっち上げで、アサド政権ではなくISやアルカイダ、自由シリア軍だったことがわかっている。全く同じ構図。

・ウクライナ戦争と大東亜戦争の共通点。侵略戦争というレッテルを貼られて侵略したとされる側が一方的な悪にされる。マスコミが流す戦争プロパガンダがそうさせる。
※文藝春秋では「ウクライナ戦争の責任はアメリカにある」というアメリカ人自身による論説が掲載される。
論点は、以下のとおり。
1.今起きている戦争の責任はアメリカとNATOにある。
2.この戦争は「ロシアとウクライナの戦争」ではなく、「ロシアとアメリカ&NATOの戦争」であり、アメリカは自国民の死者を出さないために、ウクライナ人を「人間の盾」にしている。
3.プーチンは何度もNATOと話し合いを持とうとしたが、NATOが相手にしなかった。
プーチンがこれ以上、領土拡大を目論んでいるとは思えない。
ロシアはすでに広大な自国の領土を抱えており、その保全だけで手一杯だ。
4.アフガニスタン、イラク、シリア、ウクライナと、米国は常に戦争や軍事介入を繰り返してきた。戦争はもはや米国の文化やビジネスの一部になっている。



ちなみに増田俊男氏による経済解説。

・アメリカはもとより世界中がインフレ対策で引き締め政策を採っている中でなぜ日銀だけが緩和政策を続行、円安誘導で輸入価格上昇~物価高と促進しているのか?

答えは簡単、「日銀はFRBの日本支店だからである」。

FRBは加速するインフレに対して利上げと資産縮小を前倒し強化している。
このままFRBが引き締め政策を続行すれば経済はリセッション必至。
市場暴落、不況突入、ハードランディングは避けられず、「ソフトランディングは奇跡」とまで言われている。
FRBも合衆国財政もこのまま健全化(FRBは引き締め、財務省は財政支出縮小)を続行しながら、一方で第三国が市場に資金をアメリカ市場に投入すれば市場の暴落は避けられる。
したがってFRB日本支店の日銀は、本店の要請に応えて、緩和続行・円安促進で日本からアメリカへの投資資金のキャピタルフライト、邦銀の対米貸付増、安い円を借りて米資産に置き換えるキャリートレードを促進に努めているのである。

増田俊男氏は、9.11を予言した人物としても知られるが、なぜ事前にそれを知ることができたのかの手の内を公開している。以下、参考にしてほしい。

 

 

 


また8年も前から現在のロシアとアメリカの関係を予見する記事を書いていたことも付記する。

21世紀の新たな冷戦と日本

 

人は、暇な生物である。
その暇な一生を仕事(家事含む)や趣味で埋め尽くし、忙しいフリをして怠惰な毎日を過ごしている。
かくいう私も、暇ゆえパソコンの前に座り、キーボードを打っている。
昨日、昼寝をしすぎて、深夜に寝付けないからである。
なにか頭に浮かぶ文章を紡いでいって、一冊の本になればいいな…などと企んでわいるが、前途多難である。
なぜなら、元来(小学生の頃から)私は、作文というものが大嫌いだからである。
理系か文系かで言うと、純度100%の理系。小学生の頃(中学受験)から算数好きで、中学高校でも数学の授業だけはサボらなかった。文系の最たる象徴である古文・漢文などは、別に平安時代の人々と文を交わしたり、会話するわけではないのだから…と学ぶ意味がないとバッサリ切り捨てていた。覚えることだけが多い世界史も嫌いだった。だが中学受験をしたせいで、日本史の知識は伊達にはあるようだ。政治経済や地理などは、現代社会を生きる基本的素養として、必要であるという認識を得られたため、辛うじて授業についていく決心がついた。
しかしながら、何にもまして数学が好きだった。覚えることが最低限の公式・定理だけで、それらを駆使して論理的に思考し、問題を解くことことが求められる数学に愛着が湧いたのである。物理は数学の延長線上にある。化学にも数学的要素がある。覚えることは物理に比べれば多いが、現代科学技術の基盤となっている基礎科学を理解するための基本的素養として、必須のものであるという認識があったため、というか理系の受験のためには、科目を2つ以上取らなければならなかったため、生物よりは化学を選んだのである。生物は理科の科目としては、思考することよりも記憶することを多く求める科目である。地学も同様だ。
そういうわけで、自分が大学受験をする時の戦場は、数学・物理・化学・英語と決定した。センター試験では、社会は地理を選んだ。国語は、現代文・古文・漢文をなんとか平均点に行くか行かないかレベルで通過することを目標とするしか方法がなかった。すると、自分の所属している高校のレベルから選択肢に上がったのは、京都大学工学部の前期試験か、東京大学の後期試験だった。京都大学は、理学部でも良かったのだが、工学部の方がより「Industry/産業」「Technology/技術」という実践的で社会に役立つという変な先入観から、今思えば実験服を着て研究をするイメージのある理学部の方が適していたような気もする。後悔、先に立たずである。
そもそも自分には、“確かな”「人生設計図」というものが頭になかった。

普通、京都大学工学部建築学科を卒業したら、建築事務所に入って建築家の卵として修行するとか、建設業界/不動産関連の大手ゼネコンに新卒として入社するとか、一端の社会人として社会に組み込まれようと考えたことのない今振り返れば、浅はかで薄っぺらい人間だった。
人生、成るようにしか成らない、という諦観というか、ある種の悟りを得ていたのは、しかしながら紛れもない事実である。

「人生ビジョン」なるものとしては、なんとなく自分の書いた文章を自費出版し、それが思いのほか『売れてしまい』、世界一周旅行の旅に出る。その道すがら、アフリカ大陸のサハラ砂漠で駱駝に乗ったまま、25歳の若さで心臓発作で逝去する、というのが頭の中のフィルムにはあった。

いま振り返れば、私のとっての20代は10代の頃からその兆候を見せた「うつ病」との闘いと自営業を営む父のビジネスの手伝い、そして趣味や興味の対象としてあった「波動」や「癒し」「スピリチュアル/精神世界」に関する会社で微少ではあるが仕事をさせていただいたという経験の3つの出来事に集約できるように思う。


「うつ病」との闘い…
人間の「生」の裏側には、「死」があるが…うつ病というのは、この「生」から「死」に対するベクトル(力学)が心に生ずるという症状である、と言えるのではなかろうか?
かと言って、自分の場合は、死後の世界に対する生半可な知識があったという点と実家の家業が自分なしでは成り立たないという点の2点から現実的な選択肢として
「死」(自殺)という選択肢はありえた試しがなかった。首を釣るとか、駅で電車に飛び込むとか、睡眠薬を大量に摂取するとか、そういう具体的な方策を脳が計画することすらなかったが…常に、死に対する欲求(「死にたい」というよりは「早く“あの世”に行きたい」という思い)はあった。今でも、私の母親などは、よく昔は「早く“あの世”に行きたい」と言っていたよね、と当時の私の言動をたまに回顧する。
この「生」への嫌悪と「死」への憧憬という2つの側面を持つ「うつ病」に対して、私の場合、有効だったのは、「信仰」と「祈り」である。
ある時期、自分は実家を離れて葉山にて家賃7万円の2DKアパートで静養していた時があった。毎晩のように、自分の人生の重荷が少しでも軽くなるようにと祈りを捧げる意図を持って、Archangel/大天使…ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大天使たちにアロマキャンドルを捧げていた。
そしてベッドには、個人的な『聖書』※を読んでキリストのエネルギーを目から脳に流入させていった。その本からは、文字からビンビンにエネルギーを毎晩感じ取っていたのである。そのエネルギーの体験が文字通り“魂の救い”であった。

※「心身の神癒」(M・マクドナルド・ベイン著)のこと詳しくは↓へ

→ 最も波動が高い本

→ 【Update】最も波動が高い本

自営業を営む父のビジネスの手伝い…
父の仕事が、ボート・釣り具などのマリンレジャー業界の小売業だったため、インターネットでの宣伝広告(サーチエンジン対策など)、通信販売(ネットショップ)から店舗での紙媒体でのチラシや資料などの作成などのデジタルな側面を私が主体となって雇っている従業員さんと一緒になって仕事をさせていただきました。
Webサイト制作やWebストア運営に必要なHTMLやCSSは大学時代にホームページを制作していた経験から…
各種資料の制作や事務処理に必要なWord/Excelは高校・大学時代のパソコン実習の経験から…
AdobePhotoshop/Illustratorは大学時代にファイル共有ソフトで海賊版を手に入れていたのでホームページやチラシの制作デザインに活用しました。


「波動」や「癒し」「スピリチュアル/精神世界」に関する会社での経験…
そのエッセンスは「波動業界のウラ話」やその概要は「所長のスピリチュアル遍歴」に掲載されています。

→ 所長のスピリチュアル遍歴

→ 波動業界の裏話

→ 個人的体験~ヒーリング

 私は、もう十年~二十年以上も前の話にはなりますが、中学受験をして開成中学に合格し、世間的には東大に云十年と合格者を送り込んでいる名門の中高一貫校で青春を過ごし、大学受験では現役で京都大学工学部建築学科に入学したという自分で言うのも変ですが、華々しいキャリア(学歴)があります。過去の事実といってももう既に過去の栄光なので、自分のことというよりは客観的に見て珍しい特異な環境を与えられ、その中で育ってきた存在として、自分の内面で経てきたことをここにありのままに書き記そうと思います。
 一般に「受験」というと、競争社会というイメージがありますが、人と競って成績で一位を取りたいとか、どうしてもこの学校に入りたい・トップの学校に行きたい、といった競争意識やブランド意識というものは全くありませんでした。当時、通っていた小学校は、そのまま公立の中学校に行くと男子は皆、坊主頭にしなければならない…という背景があり、坊主になるのが嫌で受験勉強を始めたという時代背景/そもそもの個人的動機(きっかけ)があります。始め通っていた近所の塾で毎週あるテストで系列の塾の中でトップの成績になった時も、若い塾講師の先生から「〇〇(私の本名)は、スターだからな」と言われたときは正直嬉しかったですが、自分から1位になりたいからなったのではなく…自分なりにベストを尽くして与えられたテキストや問題をこなして結果的に1位になり、その先生からはスターと思われるようになったというのが事実です。
 小学生の5年生から6年生までの大手の塾の支部があった津田沼まで総武線に乗って通っていた頃が特に楽しかったです。学校を早く切り上げて、母親が作ってくれた保温性の高い大きな瓶に入った3~4段くらいのお弁当を持って、始業時刻よりも1~2時間早く教室に行って友達と普段は先生が使っている黒板でテトリスの様なゲームをしたり、定規をペンで弾いて飛ばす「ジョー戦」をしたり、そういうアナログの遊びをするのがとても楽しかった、という思い出が今も胸に残っています。先生に褒められると塾のロゴマークが入ったクリアファイルをプレゼントしてくれたりして、それを卒業まで20~30枚近く集めました。一般には、勉強=つまらない、将来のため?親のため?仕方なく我慢してするもの、反対に(テレビゲームやゲームボーイなどの)ゲームは、親に何時間もやるなと言われ、でも楽しくて長時間やってしまう、という印象が当時でも今でも多くの人が持つイメージかもしれません。ところが、ゲームを攻略してステージをクリアしていったりポイントを貯めていく喜びと、毎週与えられた教科書の部分の知識を吸収したり、計算や問題の解き方をマスターしていき、週に1度日曜日にある週間テストで良いポイントをはじき出すために勉強し(正式な採点を待ちきれずに)テストの直後に自身で採点をし国語は何点、算数は何点、理科は何点、社会は何点、合計何点と点数を付ける喜び、良い点数をはじき出した時の達成感と爽快感、これらがどう違うのか?当時の私には全くわかりませんでした。逆に、視力が弱くメガネをつけていたため、テレビゲームやゲームボーイをするのがあまり楽しくないという(社会の平均からしたら)変わった体質の持ち主でした。結果的に、勉強するのが楽しくて楽しくて、その結果、開成を受験し合格するという経験を踏むことになるのですが、志望校を選ぶときも、6年生の夏休み明けくらいに母が津田沼の塾の講師陣に進路相談行った際に、母は「早稲田か、慶応くらいに行ければと思っているのですが」と話したところ「○○(私の本名)くんはもっと上を目指せますよ。開成などどうですか?」と返され、びっくりして帰ってきたというのが事実で自分が好きな尊敬する先生達が勧めてくれたならそうしようということで、開成を目指すようになりました。開成に入学して「やはりそうか」と再確認したことですが、このレベルになると“将来のため、親のために嫌々勉強している”というタイプの人はほとんど見受けられませんでした。みな勉強することの楽しさを知っている、かと言ってガリガリと机にかじりつくタイプというわけでもなく、スマートに要領よく勉強してきたというタイプの人が多いように見受けられました。
 中学受験や高校受験をこれから経験する若い人たちに、何か伝えられるメッセージとしては…ありふれた陳腐な言葉ですが、人と比べたりするよりも「自分のベスト」を尽くしていくこと、そしてその努力の結果はどんな結果でも受け入れるということではないでしょうか?
 開成に合格する前に、1月中旬の千葉県の入試で東邦大東邦と渋谷幕張の2校も合格していましたが、渋谷幕張に合格したときは、最も仲の良かった友達が渋幕を第一志望にしていたこともあり、「ああ、もし開成がダメでも、渋幕に行けば、中学高校も友達の△△くんと一緒に学校生活が送れるなぁ~」と考えていました。開成の合格発表は、学校の校舎内に掲示される受験番号の結果を母と見に行きました。私には記憶がないのですが、最寄りの西日暮里の駅から学校の校舎までの途中で、不合格で母親に泣きついている子がいて「もしこの子が不合格だったら自分も同じような思いをするのだろうか」とその子を見て思ったと後日、母から話を聞きました。結果的に合格しましたが、不合格でも全く動じず、その結果を受け入れてたと思います。かといって合格しても、合格したことを知ったテレビクルーのカメラマンにインタビューを求められても、「こういうときは浮かれてインタビューに答えるものではない」と一蹴しました。「どうして?答えてあげればいいのに」と母は私のそっけない素振りを見て言いましたが、合格した本人より母や塾の先生などの方が喜んだ、という側面はあったかもしれません。
 大学受験の方については、過去の記事で大学生になる直前の高校生の私が当時通っていた塾のために記した合格体験記を転記したものがありますのでそちらを参照下さい。(勉強や学習に対する基本的なスタンスは中学受験でも大学受験でも変わっていません。)

→ 勉強~モトオーイ!「私的学習術」

 「運命」という言葉を聞いてこの本を読んでいる方はどんな印象をお持ちでしょうか?
 自分は運命を信じる/信じない。今まで自分に起こってきた過去のことはすべて必然だったと思う。はてまた運命なんて信じたくない。自分の力で人生を切り開いていくのだ。いろいろな考え方・感じ方の人がいることでしょう。
 私は、運命という言葉で考えるのは、物事が起こるにはその背景にさまざまな要因/ファクターが存在しているということです。そして、そのファクターというものは、例えば私たちの存在し目の前にある空間には数え切れない無限といっても差し支えない数の原子・分子が存在していますが、その原子・分子のようなものと捉えています。空間中や水中などの気体や液体中の分子や原子は、ランダムに振動し、さまざまに運動していて、流動的に移動しています。ずっと同じところに石のように動かず変化せずに存在しているということはありません。
 例えば、人がひとつの恋をするという例をとって考えてみましょう。まずその人が存在するという原因が必要です。これは当たり前のように思えるかもしれませんが、人が存在するには誰でも父親と母親が出会い肉体的に結ばれてその愛の結晶としてその人が生まれ、赤ん坊にお乳を与え離食を与え、おむつを替え、夜は寝かしつけ、大きくなっても1日3食と快適な家(シェルター)という物理的空間とお父さんやお母さんやそれに準ずる大人に見守られるという精神的な空間の中で健康的に暮らしていき、幼稚園や保育所そして小学校、中学校と社会的な環境の中で様々な刺激を受けながら知的にも精神的/情緒的にも肉体的にも成長していき、その人というモノが成り立っていきます。まずは恋をする人=主人公が存在するというだけでも、ただ単に「ポン」と人が宇宙の中からある程度の年齢を重ねた肉体が出現するということはありえないのです。
 人が恋をするという例に戻ってそのファクターを考えましょう。まずその人が恋をする年齢的な時期が来ているという時間的なファクターがあります。そして、相手の人(運命の人?)と出会うには…なにかのキッカケ(仏教的には「人との縁」という言い方をしますが)が必要です。日常生活のふとしたきっかけで出会う(学校に向かうバスの中で出会う…など)か?旅先などイレギュラーな所で出会うか?出会うには、これまた空間的な制約…その人の行動範囲~パターンというものがあります。自分と相手の行動領域が重なり、その中で声をかける~話をする~あるいはどんな人なのか?下調べをしてから思いっきり告白する…など具体的な行動がなければ「出会う」というまでにはならないでしょう。
 いまここに述べたのはあくまでも「外的」ファクターです。生きていれば無数の人達と目が合い、出会います。その中で“恋の火花(スパーク)”が内面で化学反応を起こして燃えなければ、「恋をする」という結果には行き着きません。しかし、この「内的」なファクターもどこまで「内的」と呼ぶことができるのでしょうか?人が「この人いいなぁ」と判断し、考えたということは、脳の神経回路が働いたということですし、恋をするときには脳の愛情ホルモン(オキシトシン)が分泌されると言われています。人間の内面も(肉体を持って生きている限りは)科学的=医学的には、脳の神経機能の現れであり、ノルアドレナリン・ドーパミン・セロトニンなどの神経伝達物質が作り出す精神状態ということができるので、どこまで「内的」「外的」と区別することができるでしょうか?
 私たちには、人生を選択する(小さく言えば、日々の献立で何を食べるか?という選択など)という(見かけ上の)自由があります。「人生、ああすれば良かった/こうすれば良かった」という人がいますが、こういう考え方には過去のレッスンから学ぶという意味では意義のあることですが、注意深く過去を振り返るとその時の自身の知識・経験・精神状態からすれば他に選択肢はなかった、つまり人は常に最善の選択をしている、ということは言えるのではないでしょうか?そういった外的/内的ファクターという観点から見ても、すべてのファクターを処理速度およびメモリー容量が無限大の宇宙AIコンピューターで私たちの人生を解析すると、「運命」というコンセプトをより深く理解することができるのではないでしょうか?

 キリスト教の言葉には、「一匹の雀とて父なる神のご意志によらずに地に落ちることはない」という言葉があります。宇宙の繊細で深い意志/流れ=神の考えということは言えるのではないでしょうか?

 インドには、「カルマ」や「ダルマ」という考え方があります。
人生の流れや宇宙の仕組み~世界がどう動き回っているか?と深く認識し、悟り=光明を得た人のことを覚者やマスターと呼びます。彼らの視点に立つと、人は皆、定められた運命の道を一歩一歩、歩んでいる。でもそれは、どんなことが起きても思慮深い神のご意志であり、魂にとっては経験の糧となるレッスン(学び)である。
 


 波動テクノロジーについて語ろうと思います。
 まず、波動測定器はダウジングやフーチ、オーリングテストと同じ類のモノという認識をしています。なぜなら、MRAやQRSなどのラジオニクス型と呼ばれる波動測定器は、測定者の体の電気抵抗を音に変換していわゆる測定行為を行っているに過ぎないからです。
 オーラ写真(オーラカメラ)というモノも世の中にはありますが、あれはプリクラのようなものだと思っています。科学的には、指の電気抵抗を測りそれを分析することで、オーラの色や位置を決めている…というのが技術的な見解です。このオーラの色と指の電気抵抗の関係性については、オーラを見ることができる能力者と技術者が共同で研究を行って生み出したものですので、あながち変なモノでもないようです。ただオーラの色がわかったところでそれが何になるのか?自分の精神状態やストレス状態などを知ったりする以上には、「自分のオーラは○○色なんだ!」というエンターテインメントとしての意味合いしかないのではないか?という意味で「プリクラのようなもの」という表現を使わせていただきました。
 オーラカメラのように「オーラを写す」と言われているものに「キルリアン写真」と呼ばれるものがあります。片方の手に電圧をかけて放電したものを写したもので、こちらはエーテル界を写したものだと思われます。キルリアン写真を専門的に解析すると5本の指は、陰陽五行の木火土金水を表しているので東洋医学的な内蔵の五臓六腑の状態がわかるとされています。キルリアン写真の解析学についての詳細は、カラーパンクチャー協会に問い合わせ下さい。

 一方の波動転写機についてですが、これはホメオパシーの薬と同程度の効果という認識をしています。ホメオパシーとは、ある物質を水で希釈して何万分の一~何億分の一というレベルにまで成分を薄め、希釈レベルによっては理論上、元の成分の分子が残らないくらいにまで希釈した水を、砂糖玉に塗りそれを服用することで薬のような作用があると謳っています。けれども、現代科学的にはその効果はプラシーボの域を超えないという結論が出てしまっていますが、ホメオパシー発祥のドイツでは「代替医療」のひとつとして専門のホメオパスと呼ばれるホメオパシー医がおり、専門の学校=教育機関もあるなど、日本で漢方薬が西洋医学の薬と同じレベルで浸透しているように、ドイツではちゃんとした市民権を得ているようです。オーラ=HEF(ヒューマンエネルギーフィールド)の第一人者でNASAの元科学者であり、ヒーラーであり、世界三大ヒーリングスクールの1つBBSHの創設者でもあるバーバラ・アン・ブレナン博士の著書によると、ホメオパシーはHEFに作用するようで、希釈率が高ければ高いほどHEFのより高い=精妙なレベル(肉体よりも精神に近い領域)に影響を及ぼすと記されています。
 波動転写機で発生される電磁場は、科学的には微弱なものです。そして、この“波動”というものをどのレベルで捉えるか?ということが波動転写機の働きを科学的に理解する上で重要だと考えています。Wikipediaで波動と調べると、波動(物理学)と波動(オカルト)という風に2つに分類されています。波動転写機が発生させる電磁場も、波動(物理学)のレベルでは…どのようなコードを入力しても、例えばAさんのために作る波動水でも、Bさんのために作る波動水でも、現代科学的には同じ電磁フィールドです。しかし、その電磁フィールドに乗っかっている情報のレベル=ラジオニクス的には例えば免疫のコードや心臓のコードなど、つまり波動(オカルト)的には全く別物だということができます。もっとわかりやすくこの話を掘り下げると、例えばラジオの電波/電磁波はAMでもFMでも周波数が決まっています。TOKYO FMのラジオ局が発する電波=私たちが受信するラジオの電波は、現代科学的には=「波動(物理学)」レベルでは、80.0MHzで変わることはありません。でも、クラシック音楽などの自然と調和したプログラム(内容)を放送するか?それとも激しいロックのような自然と調和しているとは言い難い音楽を放送するか?で「波動(オカルト)」レベルでは違ってくるというお話です。
 ちなみにロックは、前出のバーバラ・アン・ブレナン博士によるとHEFの第一レベル(肉体の一つ上の次元)と第四レベル(愛と人間関係に関する次元)に作用し、フィールドーチャージし、チャクラでは第1チャクラと第4チャクラに影響を及ぼすという報告があり、一概にロック=悪いものという認識は持っていません。
 いずれにせよ、現代科学技術が利用している電波というのは、ラジオのみならずテレビや携帯電話とスマホの4G/5G通信などに利用されている電波/電磁波はすべて同じで、「波動(物理学)」的には周波数というのは変わらないけれども、テレビでどういう内容を放送するのか?携帯電話・スマホでどういう質の会話をするのか?どういう内容の情報(Webページ~SNS~動画~写真)を通信するか?で「波動(オカルト)」的には振動波として作用するものが微弱ですがあるだろうと考えて良いのではないでしょうか?
 以上のことから、波動転写機の科学的作用としては、「ホメオパシーと同程度」という認識をしています。

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私が高校生の頃、最も頻繁にそばに置いていた本=最も図書館から借りていた本は、バーバラ・アン・ブレナン博士の「光の手」「癒しの光」です。

今現在の自分のHSP(超感覚知覚)のひとつ…波動のエネルギーを感受する能力やたまに人のオーラ(エーテルの光)が見えたりするのは、この本たちのお陰ではないかと思っています。

なによりも、バーバラ・ブレナン博士の功績は、通常は目に見えない「オーラ」や「チャクラ」を…凡人が想像し妄想する=イマジネーションすることができるようにしたことです。バーバラ・ブレナン博士の「光の手」「癒しの光」を通して、目に見えないHEF(ヒューマンエネルギーフィールド)は、目に見える形をとることが出来たのです。そして、その構造や機能を伝えるのがこれらの著書の大きな役割のひとつでもあります。

自分の肉体の周囲にもHEF第一層(エーテル)~第七層(ケセリックテンプレートレベル)のフィールドが存在するのだな…ということがイマジネーションできるか?できないか?によって大きく人生が異なります。

人間が肉体を持って生きているのは、その周囲と肉体の奥にHEFが取り巻き浸透しているからなのだということを分かりやすい図を持って示してくれます。

また、バーバラ・ブレナン自身もへヨアンという守護存在を書籍の中でもよく登場し、チャネリングしていますが…そのような霊的存在が誰にでも守護霊や指導霊として存在しているのだというレッスンを与えてくれます。

ヒーリングやオーラに興味がなくても、自分自身の存在や現実の仕組みを知るという人間としての大元を揺るがしてくれる内容も含まれています。

ある人は、バーバラ・ブレナンの功績を物理学と生物学と心理学(神学)を統合した…と形容していますが、まさにオーラが肉体に与える影響やチャクラと分泌腺の関係性などの生物学的なHEFの機能や人格構造とオーラのパターンやチャクラの心理学的機能などの心理学的なHEFの機能を詳しく解説しているのが、まさにこの本のテーマです。NASAの元科学者で衛星の打ち上げにも携わったという経歴から、その理性と発達した知的感覚とオーラを詳細に解析し見ることができる類稀な視覚的HSP(超感覚知覚)能力やへヨアンをチャネリングするなどの優れた聴覚的HSP能力=通常、霊的能力とされるものが融合してこれらの著書は世界的なベストセラーとして多くの人を魅了しました。

著名人からの推薦などを以下に紹介します。

バーバラ・A・ブレナンは、欧米で最も優れたスピリチュアル・ヒーラーである。
本書は、意欲的なヒーラーはいうまでもなく、人間存在の真実を知ろうとするすべての人にとって必読書である。
―――E・キューブラー・ロス(「死ぬ瞬間」の著者)

バーバラ・ブレナンのヒーリングの才能を個人的に体験した者として、本書を推薦できることを誇りに思う。彼女は広汎な科学的知識に裏づけられた研究方法に直感と本来の智恵を結びつけた。彼女は現代医学を広げ、より人間的にしたのだ。
―――ロロ・メイ

NASAの科学者から著名なヒーラーとなった著者による決定版ヒーリング・ガイド。“オーラとヒーリングのバイブル”として世界的大ベストセラー。奇蹟の実践法を伝授!待望の邦訳。
―――出版社の広告から

私は、バーバラブレナン式ヒーリングによって20年来患ってきた不整脈が消滅するという奇跡を体験しましたが(※個人的体験~ヒーリング)…なんとバーバラ・ブレナン博士に直接ヒーリングをされるという恩恵に預かり、脳脊髄液減少症という難病を快癒された日本人女性とその伴侶の方が書かれた「光のシャワー/ヒーリングの扉を開く―バーバラ・アン・ブレナン博士に出会って」という本を最近、読みました。

日本人の手かざしでは、HEF第五層のエーテルテンプレートレベルまでは治るが…それより高い層の第六層~第七層やチャクラの修正などのテクニックがBBSH(バーバラ・ブレナン博士が創設したヒーリングの学校/職業訓練校)にはあるということが書かれていました。

なにより、実際にヒーリングを直に受けたのは15~20分間の出来事でしたが、その後もバーバラ博士は…意図的か無意識的かは本人に確認しないとわかりませんが…遠隔でアストラル界においてヒーリングをしてくれていたそうです。また、へヨアンくんの臨在も二人そろって経験したそうです。

このへヨアンが著者に与えた“光のシャワー”が本のタイトルにもなっています。

4年間のBBSHの厳しい訓練を受けた優秀なヒーラーが日本で活躍されるのを私も願っています。

すでに医師の方とヒーリングが人体に与える効果などを検証するという雑誌の記事を読んだことがあります。(浜野登文枝さんというBBSHヒーラーだったと思いますが…)

「光の手」「癒しの光」は90年代に日本で紹介され、島国日本においてもベストセラーとなり各地の図書館でよく見かけました。時代を超えて、これらの本はその内容の普遍性や独自性(オリジナリティ)から今なお輝いています。

 

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個人的体験~ヒーリング 

バーバラ・ブレナン公式プロフィール(アメブロ/英語版Wikipediaの翻訳記事)  

「エネルギー構造療法」委員会?~22世紀の医学書?!「光の手」バーバラ・ブレナン氏プロフィール(アメブロ) 

バーバラ・アン・ブレナン/Barbara Ann Brennanの写真集(アメブロ)

昔読んでいた本の整理をしていたら「宇宙からの光と波動」(阿部憲治)という本と再会しました。

この本から最も心に引っ掛かったパートを紹介します。

菊池霊鷲さんという方の「舟を岸につなぎなさい」という著書を紹介している部分です。

「仏教は宇宙という言葉を用いないで、十方無限世界といっているのです。そして超日月光というものを発見してはじまっている。超日月光とはね、日光、月光を、超越した光という字義です。大無量寿経のなかでは、十方無限世界の本体は、魏々たる光である。この魏々たる光に比べられるものは一つもない。・・今日でさえ、太陽オンリーで拝んでいる人があるのに、三千年も昔の人間が、太陽の光でさえ、光の中に入らないという、途方もない超強大な光を発見している。しかし、この光、目にきらめかなくて、寂かな光で、心を照らす光であるのです。それで寂かな光、寂光と名づけ、心を照らす光で、心光とも名づけてあります。またこの光は、人類はおろか太陽や月さえ発生していない以前の、昔の昔、兆戴永劫の昔から・・つまり始めなき始めから、終わりなき終わりまで、延々と輝き続けているのである、ということでその寿命は量り無しということで無量寿光とも名づけてあり、これが永遠から永遠へと、不断に輝き続けていて、休むことがないので、不断光とも名づけられている。・・・これは実に智慧を具えた光であった。・・・この超強大な光は、智慧そのものだったという発見。光は智慧を具えているという発見。・・この光というものは動いてやまぬものであって、のびにのびること自体が、力の如く感ぜられる。この起伏を持って動いている力の如きものであるが光であってみれば、光は力〔エネルギー〕であるともいえる。ということから【光は波動するもの】だとわかった。・・空間が先か、物質だと思われているものが先か、いずれを先とはいい難い。微妙な相関関係の中にあったことが、見え始めて来た。すると次々とお釈迦様の発見が続出して、ついにお釈迦様は、十方無限世界の、本質、本相、本用のあり方を、究め尽くされた。これを究め尽くしたことを、〝開眼〟というのです。そして開眼者のことを「覚者」というのです。・・此処で注目して貰いたいことは、お釈迦様はこれだけを見究めるについて、道具も機械も用いられなかったのではないかと思うのですが、この道具も機会も用いないで、あらゆる学問を究めつくされた、ということです。・・」

この部分に触発されて、ネットで「舟を岸につなぎなさい」を注文してしまいました。この超日月光や十方無限世界のことについて、より多くの情報が記してありとても良い買い物となりました。

また「宇宙からの光と波動」の著書の中では、高橋信次さんや政木和三さんについても紹介しているのですが…
googleの動画検索でお二方の名前を調べると、過去の講演録を見つけることができました。お二方の著書は拝読したことは過去にありますが、音声情報というのは多元的な情報を含んでいるので、動画を拝見することは、講演内容とそれ以上にとても良い刺激となりました。

ちなみに、菊池霊鷲さんの生前の動画もYouTubeにアップされています。一見の価値ありです。

当Webサイトは、波動テクノロジー研究所のブログということになっていますが、「波動」の本質とは、この菊池霊鷲さんの説かれる「超日月光」であり、それは(神であり仏である)アミダさまの住まいである十方無限世界そのもの(あるいはその構成要素)ではないかと思うのです。

この「超日月光」そのものを自らの身体を通して発見(開眼)したいものだ…と思う今日この頃でした。

書籍とは、本来さまざまなカラーや味わいを楽しむモノですので、波動が高い/低いで判断すべきものではないと思います。
しかし、精神世界の本を数千冊読んで来て、最もエネルギーが高く素晴らしかった本はなにかと聞かれたら、この本を推薦します。
それは、「心身の神癒」「ディヴァイン・ヒーリング」です。
(「心身の神癒」は、ヒマラヤ聖者の生活探究シリーズを翻訳した仲里誠桔さんが翻訳された本で、「ディヴァイン・ヒーリング」は、同著を日英対訳本として新調した本です。)
これは、著者のマクドナルド・ベイン氏にイエス・キリスト本人が宿り、愛や神について語った講演を本に起こしたものです。
この本が本物であることの証左として、「心身の神癒」の巻頭にイエス・キリストの念写写真があります。
ある能力者は、イエス本人のエネルギー体とともに導き手として9つもの高次元生命体が感知されると数値で示しています。
本とは、意識を映し出すものです。波動の高い本とは、キリストの意識を現したものだということです。

【Update】最も波動が高い本

 

【2023.6.23最新情報追記】
最も波動が高い本「心身の神癒」と2番目に波動が高い本「解脱の真理」が
Web上で無料で全文を読むことができるようになりました。

 

■解脱の真理、心身の神癒
M.マクドナルド・ベイン(著)、
仲里 誠桔(翻訳)の2大著作を無料で公開しています。
https://ameblo.jp/macdonald-bayne/

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