人は、暇な生物である。
その暇な一生を仕事(家事含む)や趣味で埋め尽くし、忙しいフリをして怠惰な毎日を過ごしている。
かくいう私も、暇ゆえパソコンの前に座り、キーボードを打っている。
昨日、昼寝をしすぎて、深夜に寝付けないからである。
なにか頭に浮かぶ文章を紡いでいって、一冊の本になればいいな…などと企んでわいるが、前途多難である。
なぜなら、元来(小学生の頃から)私は、作文というものが大嫌いだからである。
理系か文系かで言うと、純度100%の理系。小学生の頃(中学受験)から算数好きで、中学高校でも数学の授業だけはサボらなかった。文系の最たる象徴である古文・漢文などは、別に平安時代の人々と文を交わしたり、会話するわけではないのだから…と学ぶ意味がないとバッサリ切り捨てていた。覚えることだけが多い世界史も嫌いだった。だが中学受験をしたせいで、日本史の知識は伊達にはあるようだ。政治経済や地理などは、現代社会を生きる基本的素養として、必要であるという認識を得られたため、辛うじて授業についていく決心がついた。
しかしながら、何にもまして数学が好きだった。覚えることが最低限の公式・定理だけで、それらを駆使して論理的に思考し、問題を解くことことが求められる数学に愛着が湧いたのである。物理は数学の延長線上にある。化学にも数学的要素がある。覚えることは物理に比べれば多いが、現代科学技術の基盤となっている基礎科学を理解するための基本的素養として、必須のものであるという認識があったため、というか理系の受験のためには、科目を2つ以上取らなければならなかったため、生物よりは化学を選んだのである。生物は理科の科目としては、思考することよりも記憶することを多く求める科目である。地学も同様だ。
そういうわけで、自分が大学受験をする時の戦場は、数学・物理・化学・英語と決定した。センター試験では、社会は地理を選んだ。国語は、現代文・古文・漢文をなんとか平均点に行くか行かないかレベルで通過することを目標とするしか方法がなかった。すると、自分の所属している高校のレベルから選択肢に上がったのは、京都大学工学部の前期試験か、東京大学の後期試験だった。京都大学は、理学部でも良かったのだが、工学部の方がより「Industry/産業」「Technology/技術」という実践的で社会に役立つという変な先入観から、今思えば実験服を着て研究をするイメージのある理学部の方が適していたような気もする。後悔、先に立たずである。
そもそも自分には、“確かな”「人生設計図」というものが頭になかった。

普通、京都大学工学部建築学科を卒業したら、建築事務所に入って建築家の卵として修行するとか、建設業界/不動産関連の大手ゼネコンに新卒として入社するとか、一端の社会人として社会に組み込まれようと考えたことのない今振り返れば、浅はかで薄っぺらい人間だった。
人生、成るようにしか成らない、という諦観というか、ある種の悟りを得ていたのは、しかしながら紛れもない事実である。

「人生ビジョン」なるものとしては、なんとなく自分の書いた文章を自費出版し、それが思いのほか『売れてしまい』、世界一周旅行の旅に出る。その道すがら、アフリカ大陸のサハラ砂漠で駱駝に乗ったまま、25歳の若さで心臓発作で逝去する、というのが頭の中のフィルムにはあった。

いま振り返れば、私のとっての20代は10代の頃からその兆候を見せた「うつ病」との闘いと自営業を営む父のビジネスの手伝い、そして趣味や興味の対象としてあった「波動」や「癒し」「スピリチュアル/精神世界」に関する会社で微少ではあるが仕事をさせていただいたという経験の3つの出来事に集約できるように思う。


「うつ病」との闘い…
人間の「生」の裏側には、「死」があるが…うつ病というのは、この「生」から「死」に対するベクトル(力学)が心に生ずるという症状である、と言えるのではなかろうか?
かと言って、自分の場合は、死後の世界に対する生半可な知識があったという点と実家の家業が自分なしでは成り立たないという点の2点から現実的な選択肢として
「死」(自殺)という選択肢はありえた試しがなかった。首を釣るとか、駅で電車に飛び込むとか、睡眠薬を大量に摂取するとか、そういう具体的な方策を脳が計画することすらなかったが…常に、死に対する欲求(「死にたい」というよりは「早く“あの世”に行きたい」という思い)はあった。今でも、私の母親などは、よく昔は「早く“あの世”に行きたい」と言っていたよね、と当時の私の言動をたまに回顧する。
この「生」への嫌悪と「死」への憧憬という2つの側面を持つ「うつ病」に対して、私の場合、有効だったのは、「信仰」と「祈り」である。
ある時期、自分は実家を離れて葉山にて家賃7万円の2DKアパートで静養していた時があった。毎晩のように、自分の人生の重荷が少しでも軽くなるようにと祈りを捧げる意図を持って、Archangel/大天使…ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大天使たちにアロマキャンドルを捧げていた。
そしてベッドには、個人的な『聖書』※を読んでキリストのエネルギーを目から脳に流入させていった。その本からは、文字からビンビンにエネルギーを毎晩感じ取っていたのである。そのエネルギーの体験が文字通り“魂の救い”であった。

※「心身の神癒」(M・マクドナルド・ベイン著)のこと詳しくは↓へ

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自営業を営む父のビジネスの手伝い…
父の仕事が、ボート・釣り具などのマリンレジャー業界の小売業だったため、インターネットでの宣伝広告(サーチエンジン対策など)、通信販売(ネットショップ)から店舗での紙媒体でのチラシや資料などの作成などのデジタルな側面を私が主体となって雇っている従業員さんと一緒になって仕事をさせていただきました。
Webサイト制作やWebストア運営に必要なHTMLやCSSは大学時代にホームページを制作していた経験から…
各種資料の制作や事務処理に必要なWord/Excelは高校・大学時代のパソコン実習の経験から…
AdobePhotoshop/Illustratorは大学時代にファイル共有ソフトで海賊版を手に入れていたのでホームページやチラシの制作デザインに活用しました。


「波動」や「癒し」「スピリチュアル/精神世界」に関する会社での経験…
そのエッセンスは「波動業界のウラ話」やその概要は「所長のスピリチュアル遍歴」に掲載されています。

→ 所長のスピリチュアル遍歴

→ 波動業界の裏話

→ 個人的体験~ヒーリング