「神奈川県横浜市神奈川区東神奈川町一丁目……」とは、広域と中間的な広さと小域の「かながわ」が混在しているような住所が興味深いです。東海道五十三次は第3番目の宿場の名前が元々です。品川宿、川崎宿、神奈川宿、保土ケ谷宿、戸塚宿、藤沢宿、平塚宿、…………。東海道本線の駅を考えると、品川、大井町、大森、蒲田、川崎、鶴見、新子安、東神奈川、横浜、保土ケ谷、東戸塚、戸塚、大船、藤沢、と続きます。根岸線の桜木町駅が初代の横浜駅です。五十三次の順と東海道本線の駅とを比べると、東神奈川~神奈川~保土ケ谷と続く駅群において、東海道本線の神奈川駅を改名して横浜駅としたように見えます。そうすれば「ひがし」神奈川という駅名がしっくりします。明治23年時点の陸蒸気の停車駅は始発から新橋、品川、大森、川崎、鶴見、神奈川、横濱(現・桜木町)です。「神奈川駅」が存在しますね。この辺の事情と面白い番地とを探っていきたいです。現在京急には神奈川駅があります。
冒頭に挙げた「神奈川」の3つ入る住所は東神奈川駅のそれです。先ず『東神奈川駅』(Wiki.)から調べます。その「歴史」のところです。
“東神奈川駅は東海道本線上にある駅であるが、この区間の東海道本線開通時にはまだなく、横浜と八王子を結ぶことを目的として建設された私鉄の横浜鉄道(後の横浜線)が、東海道本線との接続駅として建設した。横浜鉄道では、横浜側の接続駅として神奈川駅や平沼駅などを検討していたが、土地が狭いなどの理由で、東神奈川駅の位置において接続する方針となった[2]。…………1911年(明治44年)12月10日に海神奈川駅までの支線が開通した。………この当時、東神奈川駅のすぐ海側にはすでに京浜電車(後の京急本線)が通っていたため、貨物支線を通すために仲木戸駅(現:京急東神奈川駅)付近を高架化する工事を行っている[3]。この横浜鉄道線は1910年(明治43年)4月1日から国鉄が全線を借り受けて営業することになり、1917年(大正6年)10月1日付で正式に国有化され、国鉄横浜線となった[5]。”
東神奈川駅は東海道本線から分岐する横浜線の始発駅の性格を持っていました。次は『神奈川駅』(Wiki.)を。しかしこの神奈川駅は京急の「神奈川駅」です。
“神奈川駅(かながわえき)は、神奈川県横浜市神奈川区青木町にある、京浜急行電鉄(京急)本線の駅である。………駅名は東海道の宿場・神奈川宿に由来する。
歴史[編集]
1872年(明治5年)、品川駅 - 横浜駅(現桜木町駅)に日本最初の鉄道が仮開業してすぐに神奈川駅が設置された。その後、1928年に横浜駅が現在位置に移転したため廃止となった経緯もあるが由緒のある駅名である。この神奈川駅は現在の神奈川県横浜市神奈川区金港町6[2]にあたる。………
当駅の開業時は国有鉄道の神奈川駅に接する京浜電気鉄道のターミナル駅であったが、路線が横浜駅まで延伸されるとその役割を譲った。その後の市街化も横浜駅周辺で進んでいるため、当駅は小規模な中間駅となっている。”
昭和3年(1928年)に廃止された東海道線の神奈川駅は現・神奈川駅(京急)と寄り添って存在したようです。そして現・JR横浜駅は、今は無い神奈川駅の西方向に当たるのでしょうか。その3年前の1925年時刻表ではこんな具合です。大正十四年『汽車時間表』(日本旅行文化協会)より、
1925年時刻表では東神奈川、神奈川、横濱、桜木町と全部揃っています。東海道本線のこの辺りで、それぞれの駅の位置関係が段々掴めて来ました。同時刻表は絵も載っています。。
現・横浜駅は3代目のようで、第1代横浜駅(現・桜木町駅)の時代は、東海道本線は横浜駅でスイッチバックして神戸方向へ出ていました。横浜駅は段々東海道本線に近づいていき、スイッチバックも解消され、今の横浜駅があると言って良いでしょうか。詳しくは『横浜駅』(Wiki.)参照を。
神奈川駅が横浜駅になったのではないと分かりました。東海道の宿場の「神奈川」が県名として採用され、その中の横浜市となった経緯を是非知りたいと思って検索していたところ、面白い発見がありました。『きびナビ』(ホーム>地名由来>地名由来・地域探訪>都道府県>)の「神奈川県の県名由来は?いろんな説があるけど真実はこうだ!」に書かれています。
“…………米国代表ハリスは神奈川(現 横浜市神奈川区)を開港することを強く希望。
一方、江戸幕府は当時江戸に近い商都であった神奈川はどうしても開港したくなかった。
神奈川は東海道の主要宿場「神奈川宿」であると同時に大きな港町「神奈川湊」として大いに繁栄しており、幕府にとって重要都市だったからだ。
幕府は神奈川に近い漁村の横浜村(現 横浜市中区)を整備して新たな港町を作り、そこを開港することを画策していた。ちょうど長崎の出島のような感じだろうか。だがハリスの米国側も譲らない。そこで幕府はある作戦にうってでる。
条約上の「神奈川」を拡大解釈し、当時の神奈川湾(横浜湾)の沿岸地帯を「神奈川」と称し、神奈川を開港するとして条約を締結。
その上で「神奈川の一部」である横浜村を開港する、という寸法だ。…………”。
この話は日本史の授業で聞いた覚えがあります。「神奈川」を開港すると約束した日米修好通商条約でしたが、少し離れた横浜村に横浜港を整備して、こちらで我慢して貰った恰好です。ハリスは良く承知してくれましたね。日本としては「神奈川の地にある横浜」を強調したい気持ちが強くあったためか、やがて県名の「神奈川」が誕生する流れになったのやら。廃藩置県時の府県図は『新詳日本史図説』(浜島書店、2000)より、
廃藩置県により命名された足柄県と神奈川県が直ぐに統合されて神奈川県となりました。現在の神奈川県とはだいぶ形が違いますが。県都が横浜市です。「神奈川」は東海道中の大きな宿場とは申せ、県名に抜擢されました。そうすると神奈川県神奈川市なんていう名前が出来そうですが、どんどん大きくなった横浜市に明治後半に飲み込まれました。興味深い県・市・区・町名の成り立ちが大まかに掴めました。それと東神奈川駅の次が横浜駅である理由も。