峠を越えたい

峠を越えたい

戻るより未だ見ぬ向こうへ

 サザンの歌に「希望の轍」という素敵な歌があります。茅ヶ崎駅を電車が出て行く際、そのメロディーが流れていましたが、現在はどうでしょうか。読みは「きぼうのわだち」でしょうね。これを「きぼうのてつ」と呼んだらどうでしょう。比喩的意味の「てつ」も匂わせて。

 と言うのは、「轍を踏む」なる慣用句は100パーセント「わだちをふむ」とは読みません。でも実際ぬかるんだ道に出来ている「轍」に足を突っ込んで、中々抜けない場合は「わだちをふむ」でないと、おかしいですね。

 ここまで思いを巡らせて、「きぼうのてつ」はやはりいけません。良からぬ意味に向かいそうです。広辞苑で「轍を踏む」は、

 “先例をくり返す。また、前人の陥ったと同じ失敗を後人がする。「前車の―」”。

 「希望」と「てつ」は結びつきません。希望への道標にならないと。日本国語大辞典の「てつ[轍]」は、

   “1.車が通った輪の跡。わだち。

   2.(比喩的に)前人の行ったあと。先例。先例の通りのやり方”。

 どちらで読んでも間違いとは言えなくも、このように漢字一字で、その読みで、意味の違いが出そうな漢字はありましょうか。    例によってCopilotに探してもらいました。

 「空」なんて面白いです。

  “空(そら/から/くう

    ・そら:大気・天空

    ・から:中身がない

    ・くう:空間・空気など漢語的 → 「空の瓶(から)」「空を見上げる(そら)」「空気(くう)」で意味が別物”。

 「空蝉」の時は「うつ」と読みます。源氏物語に登場します。さだまさしの歌にもあります。また「うつろ」とも読みます。動詞として、「あく」、「すく」、形容詞で「むなしい(空・虚)」。

 読み方で意味の異なる場合をもっと探します。「認める」は「したためる」とも読み、「みとめる」と送り仮名は一緒なので、困ってしまいます。文脈で考えれば分かるでしょ、といわれればそうですが。「したためる」は沢山の意味があることを、日本国語大辞典を引いて認めました(みとめました)。

 “整理する。片づける/用意する。食事の支度をする。料理する/食事をする/書き記す”。

 困った読みの漢字があります。「臭い(におい)」は「臭い(くさい)」とも読みます。でもここで辞書を引いて確かめ、恥をかかずに済みました。今度は広辞苑ですが、“「におい[臭]ニホヒ」→におい(匂)④⑦”との指示があります。

 “におい[匂]ニホヒ

 ①   赤などの鮮やかな色が美しく映えること/②はなやかなこと。つやつやしいこと/③かおり。香気/④(「臭」と書く)くさいかおり。臭気/⑤ひかり。威光/⑥人柄などのおもむき。気品。/⑦(「臭」とも書く)そのものが持つ雰囲気。それらしい感じ/⑧同色の濃淡によるぼかし。/⑨芸能や和歌・俳句などで、そのものに漂う気分・情緒・余情など”。

 末尾には“◇「臭」は、好ましないものに使うことが多い”との但し書きがあります。「におい」には「匂い」を専ら使うことにします。

 「のち」と読ませたいとき、「あと」と読まれる心配があるので、その際は「後」を平仮名で書くしかありません。この両者は「読み」によって意味の違いがありましょうか。Copilotの回答を。

 “使い分けの核心

  ● 時間の距離感

   ・あと:短い

   ・のち:長い/抽象的

  ● 文体

   ・あと:口語

   ・のち:文語・書き言葉・公式文書

  ● 意味の広さ

   ・あと:時間・順番・残り・場所

   ・のち:ほぼ時間のみ”。

 殆ど時間のみに使う「のち」は、「あと」よりも時間的に長いんだそうです。どちらを主に使うかを例示してくれました。“のちで電話します”;“彼はあとに医者になった”はおかしいですね。前者は“あとで”、後者は“のちに”です。

 「棟」は「とう」と読んでも良いのでしょうが、ニュースでは「むね」ばかりです。昔は「とう」とも言っていた気がするんですが。日本国語大辞典(N)には、「とう」の項目に「棟」は載っていません。一方、広辞苑(K)では「とう[棟]」が存在します。

 “①むね。むなぎ。/②長いむねの建物。「研究―」”。

 言われれば、「研究むね」には違和感があります。でもNはこう読みなさい、ということでしょうか。そんなことはないでしょう。「上棟式(じょうとうしき)」を思い出しました。Nによると、“棟上げ(むねあげ)の儀式”となっています。