あらすじ

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。
(2020年本屋大賞 大賞)

 

ひと言

やっと今年の本屋大賞作品を借りることができました♪

読み終えてすぐに、知らなかったトネリコという植物を調べてみました。花言葉は偉大、荘厳、服従、高潔。

 


人によって好き嫌いが大きく分かれるような作品だと思います。読んでいて、もどかしい気分からどうしても抜け出せない、何かしっくりこない感じが残る作品でしたが、この作品が本屋大賞であることには十分納得できる不思議な作品でした。ところどころハッとさせられるようなフレイズがちりばめられているのもよかったです。

昔から、わたしの言葉は伝わらない。思いやりという余計なフィルターを通されて、ただ笑っただけで『無理をしているのではないか』、ただうつむいただけで『過去のトラウマがあるのではないか』という取扱注意のシールを貼られる。秘密を打ち明けた中学や高校のときの友人もそうだった。あの子たちも、亮くんも、きっと優しいのだろう。 多くの人の中にある『力なく従順な被害者』というイメージから外れることなく、常にかわいそうな人であるかぎり、わたしはとても優しくしてもらえる。世間は別に冷たくない。逆に出口のない思いやりで満ちていて、わたしはもう窒息しそうだ。
(三章 彼女のはなし Ⅱ)

家内さん、今の彼氏、絶対逃がしちゃ駄目だよ。ちょっとくらいねちゃっとしたことされても、そんだけ愛されてるってことなんだから。結婚したら、どんないい男も点数下がってく一方なんだよ。男から見た女も一緒。結婚って相手の点数が下がってくシステムなの。でもお金の価値は変わらないよ」  安西さんは怒ったように言う。 「頼りになる身内のいない人間にとってさ、彼氏は恋愛以上に、普通の社会生活送ってくための必需品でしょ。引っ越しとか入院とか、いざってときの保証人になってくれたり。普通に考えて、 友達は書類に判子押してくれないからね。押してとも頼めないし」かなり生々しいことを、ちゃきちゃきとテンポよく話す。同意できる部分も多くて、わたしはうなずくばかりだった。
(三章 彼女のはなし Ⅱ)

世の中に『本物の愛』なんてどれくらいある? よく似ていて、でも少しちがうもののほうが多いんじゃない? みんなうっすら気づいていて、でもこれは本物じゃないからと捨てたりしない。本物なんてそうそう世の中に転がっていない。だから自分が手にしたものを愛と定めて、そこに殉じようと心を決める。それが結婚かもしれない。
(三章 彼女のはなし Ⅱ)

 

今日は用事で夕飯が遅くなり、外に食べに行こうか ということで、前から行きたかった「萬珍軒」へ玉子とじラーメン(690円)を食べに行きました。TVの全国放送でも取り上げられて人気のお店で、どんどん人が訪れます。今までこんな細い麺食べたことがないというような超極細麺によく絡まる玉子とじスープの味が絶妙でとてもおいしいです♪他では味わったことのないラーメンでしばらくしたらまた食べたくなりそうです。ごちそうさまでした♪

 

萬珍軒

 

 

 

名古屋市中村区太閤通4

 

今日は名東区へ行く仕事があり、少し遅いお昼に「ヒッコリー 本店」へハンバーグを食べに行きました。お店人気No.1のジャーマンとNo.2のあらびきをセットにした あらびきとジャーマンの食べ比べセット(1880円)をいただきます。おいしい!特にジャーマンハンバーグが。さすが食べログ 洋食 百名店 2020 に選ばれるだけのことはあります。ただ、スープセットにしましたが 合計2370円。ちょっと昼飯代にしては少し高いなぁ。次はランチメニューにしよっと。ごちそうさまでした♪

 

ヒッコリー 本店

 

 

 

名古屋市名東区文教台1

 

あらすじ
20××年秋、京都国立博物館研究員の望月彩のもとに、マカオ博物館の学芸員、レイモンド・ウォンと名乗る男が現れた。彼に導かれ、マカオを訪れた彩が目にしたものは、「風神雷神」が描かれた西洋絵画、天正遣欧使節団の一員・原マルティノの署名が残る古文書、そしてその中に書かれた「俵…屋…宗…達」の四文字だった―。織田信長への謁見、狩野永徳との出会い、宣教師ヴァリニャーノとの旅路…。天才少年絵師・俵屋宗達が、イタリア・ルネサンスを体験する!?アートに満ちた壮大な冒険物語。
 
 
ひと言
どうにか上下巻を一緒に借りることができ週末を利用して読みました。俵屋宗達が天正遣欧使節団といっしょにローマへ行くという設定は面白いけれど、その旅行記が少し長いかな。でもサンタ マリア デッレ グラツィエ教会でのカラヴァッジョとの劇的な出会い、そしてそれに続くエピローグは、さすがマハさん 流石です。2月に読んだ葉室 麟さんの「墨龍賦」の海北友松の「雲龍図」、そしてこの原田 マハさんの「風神雷神」の「風神雷神国屏風」も建仁寺。もう行くっきゃないよね。心は早くも京都の建仁寺へ。早く行きたいなぁ。熊本に甚大な被害を出している雨がはやく止みますように!
 
「琳派の源」と称されている芸術家、本阿弥光悦は、洛北の地、鷹峯に住まい、書をはじめとするさまざまな芸術の潮流を生み出した。「アートプロデューサー」的存在だったといわれている光悦が、徳川家康より鷹峯の地を拝領してから四百年の節目となったのが二〇一五年だった。
(プロローグ)
 
(俵屋 宗達)
 
国宝〈風神雷神国屏風〉。京都最古の禅寺、建仁寺の至宝であるこの作品は、現在、京都国立博物館に寄託されている。 二曲一双、一対の屏風に仕立てられた、紙本金地着色の肉筆画である。右双に風神、左双に雷神が対になって描かれている。風神・雷神は千手観音の眷属であり、一 対として描かれた「二神」である。 十七世紀初頭、江戸時代の初期の作であると判明しているものの、正確な制作年は、宗達の生没年同様、不詳のままだ。
が、本作は、宗達の友人であり、学者で貿易商だった角倉素庵に棒げられたものではないか という説が打ち出された。宗達と交流のあった素庵の書状が発見され、それをもとに唱えられた 新説であった。  素庵は家督を長男に譲ったのち、京都の西、嵯峨野で学問に打ち込む生活に入った。肌が白く なる病気 ―― ハンセン病の一種であったらしい。  宗達が参考にしたといわれている〈北野天神縁起絵巻〉では、雷神は赤で描かれている。しかし、宗達の雷神は白い肌をしている。いったいなぜなのか、この謎が長いあいだ研究者たちを悩ませてきた。  雷神のモデルは素庵であった――となれば、なぜ肌が白いのか、という理由になる。  しかも、古来、中国の思想では、白は西を、青は東を示している。西に往んでいた素庵を象徴する白で雷神が描かれたというのも符合する。彩もまた、この作品を研究するうちに、「なぜ雷神が白いのか」という謎をどうしても解けずにいたのだが、この新説が打ち出されたとき、それもありうると感じた。 と同時に、ずっと謎のヴェールの向こう側にいた宗達が、ふいにひとりの人間として現れた気がした。  病気で隠遁した友を思いやる、人間味あふれる人物だったのではないか。白い肌を病の徴(しるし)とせず、血の通う肌を持つ生き生きとした姿の雷神として描くことによって、友を励ましたのではないか。 そう思うと、この絵の見え方がまったく変わってきたのだった。
(プロローグ)
 
「この〈風神雷神図屏風〉に憧れて、のちに宗達に私淑した尾形光琳と光琳に私淑した酒井抱一は、それぞれに師の作品を模写しました。……。……。
 
(尾形 光琳)
 
 「作品の画面全体を見ていただきたいのですが……風神も雷神も、それぞれに動きがありますね。スピード感にあふれている。風神は、こう、右側から風とともにやって来て、雷神は、こう、左上から雷光とともに降りてきた。まさに、空中に浮かんだ二神がいま、ここで出会った。そんなふうに見えませんか。……なぜこんなにも動きと奥行きがあるように見えるのかというと、風神も雷神も、ちょっと端が切れているんですね」
面面の中の風神は、風をはらんでふくらんだ袋と体に巻きついてはためいている紐が右端で切れている。雷神のほうは、天鼓(てんこ)の上端がやっぱり切れている。この「端を切る」手法こそ、本作を個性的に、より魅力的にしているのである。……。……。
「なぜ絵が切れているのでしょうか。もちろん、紙が足りなかったわけではなく、宗達は意図的にそうしているんです。
わざと絵のすべてを面面に収めないことによって、画面の四方に空間が広がっているということを暗示している。全部描かない、ということは、つまり、この画面の周りに無限の広がりがある、ということを表しているんです」。尾形光琳や酒井抱一が模写した〈風神雷神図屏風〉は、宗達が試みた「わざと切れている」部分を、律儀にきっちりと描き込んでいる。
 
(酒井 抱一)
 
絵というのは画面にすべてを収めるものなのだ、と思い込んでいたのか、お手本にない部分も描いてみたいと思ったのか。真意はわからないが、みっつ並べて見たときに、ほんのちょっと端を切ってある宗達の画面構成が、いかに卓越しているかがありありとわかった。
(プロローグ)

「これも一緒に入れてくれへんか」 背後で声がした。振り向くと、宗達が四角い布包みを小脇に抱えて佇んでいた。 「わいの荷物は、たまりにたまった帳面でいっぱいになってしもうたんや」 苦笑して、布包みを差し出した。 マルティノは、四角い布包みを宗達から受け取って、日記の上にそっと載せた。 〈ユピテルとアイオロス〉。カラヴァッジョからふたりへ贈られた一枚の絵。 この絵を日本へ、都へ、一緒に連れていこう。 宗達はマルティノにそう言った。そして、織田信長に献上しよう――と。―― かくも見事な絵師がイタリアにおりまする。 みつめるだけでただただ涙が込み上げるほど、すばらしい絵を描く少年が。 いつの日か、私たちは、再び彼にまみえることがあるやもしれませぬ。 彼が幸福ならば、それでよし。会いにいく必要はありますまい。 されど、もしも彼が窮地に立たされるようなことがあれば、必ずや救いに参りましょう。 さよう、いかに遠くとも。 何ゆえに? とお尋ねになられるでしょうか。 否、たいしたわけはござりませぬ。 私たちは、彼の友。ただそれだけでござります。
(第四章)
 
使節がミラノを訪れたのは一五八五年、九日間の滞在だった。とすれば、原マルティノとカラヴァッジョは「九日間だけ」同じ街にいたのだ。 その史実を知ったとき、彩の中に突風が吹き込み、稲妻が全身を駆け抜けた。 それは、歴史が生んだ「偶然」である。 が、その史実に、彩は感謝したい気持ちになった。 宗達が織田信長の前で作画を披露した史実はどこにもない。ましてや、信長の意向を受けて、 使節とともにローマヘ旅した ―― などということは、研究者が聞けば一笑に付される「夢物語」 である。 けれど――。 それでいいではないか。  史実では、帰国したマルティノたち使節を待ち受けていたのは、過酷な運命だった。  彼らの渡欧中に、織田信長は暗殺され、豊臣秀吉の天下となっていた。キリスト教徒はしだいに圧迫され、江戸時代を迎えてのち、禁教となる。 使節たちは、棄教する者、殉教する者、それぞれだった。司祭となったマルティノは日本を脱出し、マカオヘ移住。ふたたび帰国することなく、この地で没した。 歴史は、ときに残酷である。起こってしまった出来事を、なかったことには決してできない。しかし、だからこそ、人は歴史に学び、先人たちが遺してくれたさまざまな智慧を現在に活かすことができるのだ。美術(アート)は、歴史という大河が過去から現在へと運んでくれたタイムカプセルのようなものだ――。すぐれた美術品に出会ったとき、彩はそう思うことがある。 はるかな昔、この世界のどこかで誰かが描いたひとつの絵。 長いながい時間の中で、その絵は、ひょっとすると戦禍に巻き込まれたかもしれない。火災や 水害に遭ったかもしれない。破損や略奪の危機にさらされたかもしれない。  ある時代には価値を認められずに、捨て去られてしまったかもしれない。 ちょっとしたことでこの世界から永遠に姿を消してしまった可能性は、いつであれ、あったは ずだ。 けれど、いま。 目の前に、ひとつの絵がある。  それは、いつの時代にも、その絵を愛し、守り、伝えようとした人がいた証にほかならない。 人から人へ、時代から時代へと継承されてきたからこそ、その絵は、いま、自分たちの目の前に あるのだ。
(エピローグ)

 

今日は娘夫婦が遊びに来て、前から行きたかった「牛カツ専門店 尾州 縁EN」へ夕食を食べに行きました。牛カツ三種盛り合わせの日替わりメニューの縁EN定食(1250円)をいただきます。4人で A 黒毛和牛ロース、黒毛和牛イチボ、牛ロース B 黒毛和牛マルシン、黒毛和牛カメノコ、黒毛和牛ロース C 黒毛和牛もも、黒毛和牛マルカワ、黒毛和牛ラムシン を注文し少しずつ交換していただきます。

 

 

つけだれが3種、テーブルにも4種の塩があり、いろいろな味が楽しめておいしいです♪。次は清州のまぼろしの太陽ソースがかかった牛カツ丼も食べてみたいなぁ。ごちそうさまでした♪

 

牛カツ専門店 尾州 縁EN(食べログ)

 

 

 

あま市中萱津燈明先

 

2020年06月27日 コロナの他府県への移動の制限で延び延びになっていた残りの山の辺の道(天理~柳本間)を歩いてきました。
 

前回同様、天理駅前に車を停め、時間節約(40分)と体力温存(2.1km)のため、石上(いそのかみ)神宮までタクシーで移動します。
 

もうすぐ夏越の祓、特に今年はコロナ退散を祈願して、訪れる神社で茅の輪くぐりをしようと思っていましたが、茅の輪はまだでした。残念。
 
 
廃仏毀釈の難から免れ、内山永久寺から移築された国宝の出雲建雄神社割拝殿です。
 

かつては「西の日光」と呼ばれ、東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ規模や待遇を受けた大寺であった内山永久寺跡
 
 
今までも3人旅で廃仏毀釈の嵐に飲み込まれた多くの寺院を観てきましたが、ここまで徹底的に破壊された寺院は見たことがありません。
高見台からの風景です。
 
 
どうしてここまで跡形もなく破壊されたのか気になって帰って調べてみましたが、寺主であった上乗院亮珍(還俗して藤原亮珍)が勤王派であったことや、興福寺の庇護を受け地域住民の力を借りなくても寺を維持できた反面、地域との結びつきが薄く 「廃仏毀釈で消えたというより、内部から崩壊していったのでは……」ということでした。
 
 
途中の天理観光農園で休憩。内山永久寺の復元模型の写真や新聞の切り抜き、寺から流失した仏像等の写真が丁寧にファイルに保存されていて勉強になりました。
 

コロナなどの世情に関係なく咲き誇る紫陽花がきれいでした。
 
 
拝殿が珍しい藁葺き屋根の夜都伎(やとぎ)神社です。
 

夜都伎神社から300mほど行ったところにある「せんぎりや」さん。無人販売所であり、お茶やコーヒーを無料で提供していただける休憩所です。
 
 
「皆様方の善意で営業が続けられています ほんとうにありがとうございます よろしくお願いします」の貼り紙がありましたが、ご主人の人柄を感じるお店で、こちらの方こそありがとうございます!
 

冷しスイカを3人でいただきます。とてもおいしいスイカでこれだけ入って100円です!。みんな一切れずつ食べた後の写真なので実際はもっとたくさん入っています。
 

「ごちそうさまでした♪」と声をかけてお店を出ると、奥からご主人が出てきてくれました。最初の写真もご主人に撮っていただきました。とても気持ちのいいお店です。山の辺の道を歩かれる方は是非お立ち寄りください。

竹之内環濠集落や大和神社の御旅所なども見学。途中の公衆トイレもきれいに整備されていて女の人も安心して山の辺の道を歩くことができます。
 

長岳寺の横11mもある六道及び極楽世界描いた大地獄絵を拝観します。もちろん撮影禁止なのでネットの奈良女子大学から拝借です。長岳寺の庫裏でそうめんをいただく予定でしたが、コロナの影響で営業中止です。残念
 

長岳寺すぐ近く、前回 休憩に立ち寄った天理市トレイルセンター(洋食勝井)で昼食にハンバーグステーキ定食(1500円)をいただきます。
 
 

前回は立ち寄れなかった黒塚古墳。古墳の上に登ることができます。
 
 

大和神社の摂社、渟名城入(ぬなきいり)姫神社へ立ち寄ります。
 
 

日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)をお祀りした大和(おおやまと)神社をお参りし、長柄駅から天理へ戻ります。
今回の3人旅は一緒のKさんの万歩計の計測で20524歩でした。10月の前回と合わせてこれで山の辺の道の南コースを走破したことになります。また歩いてみたいなぁと思わせるステキな山の辺の道でした。
 
 
 

夕食は帰る途中に伊賀市の柘植にあるお店でアユ料理を食べる予定でしたが、コロナの影響で休業したのか電話が繋がらず、以前3人旅で訪れておいしかった鈴鹿の「海の幸 魚長」に変更します。アナゴを2本揚げた穴子天丼(1800円)をいただきます。以前の丼からはみ出してまっすぐに伸びたアナゴ丼のほうがインスタ映えだったのになぁ。
 

今回の3人旅はコロナの影響で、桜の時期の実施が延期になったり、お店や施設が休業していたり、まだまだコロナの影響を感じずにはいられない旅でした。黒塚古墳の側面には「まけるな!! コロナに」の文字が…。
 

6月19日に他府県への移動ができるようになり、今回の3人旅が再開できたことに感謝し、もう二度とこういう生活の制限や自粛がかかることのないように、今後もコロナには十分気をつけて生活していかないといけないなぁと気持ちを新たにしました。

 

あらすじ
九州豊前の小藩、小竹藩の勘定奉行・澤井家の志桜里は近習の船曳栄之進に嫁いで三年、子供が出来ず、実家に戻されている。近頃、藩士の不審死が続いていた。現藩主の小竹頼近は養子として迎えられていたが、藩主と家老三家の間に藩政の主導権争いの暗闘が火を噴きつつあった。藩主が襲われた時、命を救った木暮半五郎が志桜里の隣家に越してきた。剣を紐で縛り“抜かずの半五郎”と呼ばれてきた男が剣を抜く時! 小藩の藩政を巡る攻防と志桜里の思い。
 
ひと言
じれったいほど不器用で実直な侍を描いた、これぞ葉室 麟というような作品で、読みやすくある程度結末は予想できるのですが、読者を引き込んで読ませるあたりはさすが葉室 麟というような作品でした。
 
 
志桜里は辛夷の枝を床の間の花瓶にそっと挿した。妹たちには言わなかっ たが、辛夷の枝には、
時しあれば こぶしの花も ひらきけり 君がにぎれる 手のかかれかし
という和歌が書かれた短冊が添えられていた。
時がいたれば、蕾のころは、ひとのにぎりこぶしのような形をしていた辛夷の花も開く、あなたの握った手も開いて欲しい、とはかたくなになって閉じている心を開いて欲しい、という 意だろう。 床の間の花瓶に活けられた辛夷の花は清楚で美しかった。志桜里は半五郎がなぜ辛夷の花に和歌を添えたのだろうと考えていて、ふと、これはすみの心を開かせたいという思いを託した のかもしれない、と思った。 すみの父親は半五郎に斬られたという。そのとき、どれほど無理からぬ事情があったにしても目の前で父親を殺されたすみが心を閉ざしてしまうのは当然のことだろう。 半五郎としては何とかすみの心を開かせたいと思うかもしれないが、たやすいことではないと思える。 「半五郎様は勝手なことをおっしゃる」 志桜里は辛夷を見つめながらつぶやいた。すると、この辛夷の花に託されたのは、すみだけでなく志桜里の心も開いて欲しいとの願いかもしれない、という考えが浮かんだ。 半五郎がそれほどまでに志桜里のことを考えるはずもない、と思っていったんは打ち消そうとした。 だが、胸の裡に湧いた思いは消えず、船曳家から離縁されて以来、かたくなになっている自分の心に思い当たった。……。
それを半五郎の思い遣りだと感謝する心持ちはあったが、口にすれば志桜里なりの矜持が失われる気がして胸に秘めていた。
(六)

「おのれの生き方はおのれの心が決めるものです。ひとが求めているからとひとの心で決めては悔いが残ります。不義理も不人情もおのが心を偽らぬためにはやむを得ぬかと存じます」 きっぱりとした半五郎の口調に志桜里は胸の裡がすっとする思いだった。
(八)
 
新太郎は大きく息を吸い込んでから答えた。 「はい、ひとは自らの心に従い、行くべき道を切り開かねばならないのではないでしょうか。 定められた道がまことの道だとは限らないとわたしは思います」 志桜里は、この間まで幼かった弟がいつの間にこんなにしっかりしたことを言うようになったのだろう、と驚いた。
(十二)

「あの紐をまだ持っていてくださいましたか」 半五郎の声が震えた。 「母上様、丹精の紐でございます。わたくしが仕残したことというのは、この紐をもう一度、結んで差し上げることでございました」 「今一度、〈 抜かずの半五郎 〉に戻れと言われますか」 目を瞠って半五郎は訊いた。「此度のお働きで家中の方々は木暮様を見直されたことと存じます。されど、わたくしはひとを殺めたゆえに恐れられる木暮様よりも、ひとに侮(あなど)られても決して刀を抜かぬ木暮様 の方が好きでございます」 志桜里に好きとあからさまに言われて、半五郎はさらに顔を赤くした。
(二十九)

 

伏見駅のすぐ西の錦通沿いにお店を構える「むらさきや」さん。こんどJR名古屋髙島屋の地下1階の銘菓百選で評判の水羊羹(2160円)が買えることになり、さっそくお抹茶でいただきます。あの林修さんの「ニッポンドリル」という番組で紹介されたときは、1週間以上先まで予約でいっぱいで、林修さん曰く「飲み物のような」と形容された水羊羹です。上品な甘さで、口に入れるとスルっと溶けていき、誰かが止めてくれないとすぐに一棹でも食べてしまうぐらい美味しいです♪。ごちそうさまでした♪

 

むらさきや(食べログ)

 

 

 

名古屋市中区

 

あらすじ
本書は故・葉室麟が最期に書きたかった「近代」に挑んだ作品。「これだけは書いておきたい」と願い、病と闘いながら書き続けた物語である。明治新政府で外務大臣として欧米列強と対峙し、不平等条約の改正に尽力した陸奥宗光。日本の尊厳を賭けて強国に挑んだ陸奥の気概は、どこで育まれたものなのだろう。陸奥が生まれたのは幕末の紀州。坂本龍馬に愛され、海援隊で頭角を現し、明治新政府では県知事などを務めたが、政府転覆を企てたとして投獄されてしまう。そんな不遇の時代を経て、伊藤博文内閣のもとで外交官として、その才能を花開かせる。外務大臣となった陸奥は、日本を欧米に伍する国家にすべく奔走するのだが……。本書は残念ながら未完。しかしながら葉室麟の溢れる想いが感じ取れる貴重な作品でもある。
連載中の葉室 麟の想いは長女の涼子氏が紹介。坂本龍馬の姉を描いた短篇「乙女がゆく」を特別収録。

ひと言
葉室 麟さん最後の作品であり未完の作品。淡々と陸奥 宗光の生きざまを描いただけのような作品のような気がして、いつもの葉室 麟さんらしくないように思えました。でも、それほど病が重篤だったんだ、それでも書きたい残したいという葉室 麟さんの執念のようなものが伝わってきて、そのことに逆に感動しました。最後の娘さん葉室涼子さんの「刊行に寄せて」もよかったし、特別収録の龍馬の姉 乙女が薩長同盟が結ばれる一助になったことや、寺田屋事件にも居合わせたという設定もおもしろかったです。最後になりましたが 葉室 麟さんのご冥福を心よりお祈りいたします。(合掌)
 
陸奥が認めた書状は長州閥の領袖(りょうしゅう)である水戸孝允にあてた意見書で、この書状を陸奥は、―― 日本人 と題した。その文章は、日本人とは何かから始まる。
―― 日本人とは、西は薩摩の絶地より、東は奥蝦夷までの間に生育して、凡そ此帝国政府の下に支配せらるる者皆此称あり。既に此称あれば、各人其尊卑、賢愚、貧富、強弱に拘らず、皆此国に対する義務あり、権利あり  すなわち、明治になって初めて日本人は生まれたと陸奥は思っていた。これまでは、それぞれの藩に住む者たちの集まりが、日本人であったが、いまや誰もが日本人として平等であり、国家に対して、―― 義務あり、権利あり と陸奥は主張している。なぜ、あえてそう主張しなければならないかと言えば、明治政府は、藩閥政府になりはてているからだ。これに対して陸奥は、 「日本は日本人の日本である。薩長の日本ではない」と声を高くして言いたいのだ。このことはかつて出身藩にとらわれない海援隊を率い、―― 日本を洗濯したく候 と唱えた坂本龍馬の理想とするところでもあった。龍馬は土佐藩で身分の低い郷士だったから、藩の枠にとらわれなかった。 一方、陸奥は徳川御三家の紀州藩の名門の出だけに、たとえ倒幕、維新に功があったにしても、旧藩の出身を言い立てる者たちの田舎者ぶりが片腹痛いということもあった。……。……。
すなわち、陸奥の目から見た征韓論争は、岩倉遣欧使節団で海外をまわってきた岩倉、大久保、木戸と留守政府の西郷たちの政治の主導権争いでもあった。
(七)
 
これらの賛成意見に対して勝海舟は、日清戦争について、 ―― 日本の大間違いの戦いである。こういう余計な戦争をして突っ込んでいくと、かえって 朝鮮半島が他の国の餌食になる と猛反対した。勝に言わせれば、朝鮮と清国は日本が商売をしていくうえでの大切なお客ではないか、そのお客に戦争を仕掛けてどうするというものだった。 このころ、陸奥は外務省を訪れた勝と廊下ですれ違った。和服でステッキを突き、白髪となった勝はもともと小柄だったが、さらに小さくなったように見えた。それでも眼光は鋭かった。 勝はすれ違いざまに、 「オイ、陸奥の旦那 ―― 」 とからかうような声をかけてきた。陸奥は立ちどまって振り向き、「勝先生、何でしょうか」 と訊いた。 勝はにやにやと笑った。 「なにね、おいらは外交の要諦は戦によらずして国家の利益を守ることにあると思っている。そこらのことは、戦好きと言われた西郷南洲もよく心得ていたよ。だから江戸を火の海にする意気込みで乗り込みながら、おいらが腹を割って話せば江戸城の無血開城ができたっていう寸法さ。ところが、お前さんは国の外交を預かりながら、端から清国と戦を構えるつもりだったようだ。どんな算盤なのかと思ってね」
陸奥は勝の鋭い視線を受けながらもたじろがず、 「日清の戦の眼目は不平等条約の改正にあります」 「ほう、武力を示して外国に認められようってことかい」 さようです、とうなずいた陸奥は、廊下に人がいないことを確かめてから、「不平等条約の改正はまずイギリスと行わねばうまくいきません。そしてイギリスはおのれの利がなければ動きません。わが国がイギリスに与えることができる利は、イギリスが最も警戒しているロシアの南下を防ぐ盾となることです。そのための朝鮮への進出です」 と声を低めて言った。 勝は眉をひそめた。 「なるほど、さすがに剃刀(かみそり)陸奥だ。切れるねえ。しかし、それは権謀に過ぎやしないかね。戦争では、朝鮮の無辜の民まで巻き込まれて死ぬことになるぜ。お前さん、そんな民にも、日本の不平等条約改正のためだ、我慢しろって言うのかい」 じろりと勝は陸奥を睨んだ。陸奥は厳しい表情になって、 「勝先生、西洋ではそのようにして国を大きくしてきたことはよくご存じでございましょう」 「そのことだよ。まわりが山賊や海賊だらけだから、自分も盗人の仲間入りをしようっていうんじゃ、あんまり情けないじゃねえか。おいらはたとえ貧乏でもまっとうな世渡りをしたいと思っているぜ」 陸奥はため息をついた。
「いまの世界でまともな世渡りをするためには力がいるのです」 「まっとうに生きるために盗人になるかい。妙な理屈だが、まあいいや。とまれ、戦についちゃ、お上(天皇)も随分とご心配なさってる。始まった戦をうまく収めるのが外交の腕ってもんだ。ぬかりなくやるこったね」 勝は言い捨てると、さっと背を向けて歩き出した。数歩進んで、振り返らずに勝は、 「お前さんはひとつの道しかないと思い込み過ぎるようだ。龍馬なら目指すいただきはひとつでも登る道はいくつもあるぜよ、と言うだろうぜ」 とつぶやいた。 陸奥は一瞬、龍馬の声を聞いたような気がした。
(十六)

 

 

あらすじ
両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。なぜか湖山に気にいられ、その場で内弟子にされてしまう霜介。反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけての勝負を宣言する。水墨画とは筆先から生み出される「線」の芸術。描くのは「命」。はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、線を描くことで回復していく。そして一年後、千瑛との勝負の行方は。
(2020年本屋大賞 第3位)
 
ひと言
本屋大賞のノミネート10作が発表になってすぐに、図書館に予約を入れたのですが、コロナの影響で図書館が臨時閉館。やっと借りて読むことができました。 砥上 裕將(とがみ ひろまさ)さん、初めて聞く名前の作家さんだなと思ったら、実はこの人は水墨画家さんというから驚き。通りでこういう作品が書けるんだと納得。映画化されそうな作品で面白かったです。

「水墨画というのは、水暈墨章(すいうんぼくしょう)という言葉が元になっている。これは水で暈(ぼか)して墨で章(つづ)る、と いうくらいの意味の言葉だ。だから水墨画といっても、水墨といっても意味はだいたい同じだね。それから、筆の持ち方は、お箸を持つように……、そう、そうです。お箸は二本で持つけれど、お箸を棒一本で持った形が筆を持つ形だよ。それから、棒の部分、筆管(ひっかん)というのだけれど、それを心持ち手前に倒して、お箸と同じように軽く握る。そして軽く筆に人差し指と中指を添えて筆管を立たせる。そうそう、やはりきれいな手だ」湖山先生はニコニコしながら、僕の指先に手を当てて筆を持たせてくれた。
(第一章)
 
「水墨画の学習として、昔から言われているのは基本となる四つの画題の習得です。四君子と呼ばれている画題ですが、これは蘭、竹、梅、菊のことを指します。これらを順番に習得していき、画を描くのに必要な要素を段階的に学んでいくものです。もちろん、これだけですべての絵が描けるわけではないのですが、初心者が学ぶべきことはだいたい、この四つの画題の中に含まれています。普通は、まず四君子の習得を目指し、先生からもらったお手本をひたすら写すことから始めます。その後に、お手本なしで描けるようになれば合格です」
(第二章)
 
「湖山賞は私が頂いたけれど、勝負は私の敗けね」と穏やかな声で言った。 僕はわけの分からないまま、千瑛の瞳に理由を問い返した。 「お祖父ちやんも翠山先生も本当は、あなたに湖山賞をあげたかったのよ。なんとなくそんな気がするわ。技術では確かに、私があなたよりも上をいっていると思う。でも、水墨の本質に、命そのものに、より深くぎりぎりまで近づけたのはあなたのほうよ。この違いは、ほかの人には分からないかもしれない。でも私や湖峰先生や湖栖先生、そしてお祖父ちゃんたちには、はっきりと分かる。水墨が心を描く絵画、命を描く絵画なのだとしたら……、私の敗けね」  僕は千瑛の手をゆっくりと握った。 「違うよ、千瑛さん。千瑛さんが受賞したことには、確かに意味がある。僕はこの絵を描きながら、自分に足りなかったものを感じたんだよ」 「あなたに足りないもの?」 「そう。僕は確かに自分の心を描けたかもしれない。でも、自分の生き方を描いたわけじゃない。千瑛さんの技術は、千瑛さんの美しい生き方そのものだ。水墨に専心し、ひたむきに何かを続けて追い求めてきた純粋な姿勢。そのひたむきさは、誰かの心を動かすんだと思う。僕は、千瑛さんの絵に動かされた。僕にはそのことが分かるよ」 「ありがとう、青山君」 僕はうなずいた。 「そのことを湖山先生も翠山先生も理解しているんだよ。水墨が線の芸術なのだとすれば、線とは生き方そのものでもあるから。千瑛さんはそれを描くことができたんだ。湖山賞、受賞おめでとう。僕はあなたの絵があったから、ここにいるんだよ」 千瑛はうなずいた。目に涙を浮かべていた。
(第四章)