あらすじ
両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。なぜか湖山に気にいられ、その場で内弟子にされてしまう霜介。反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけての勝負を宣言する。水墨画とは筆先から生み出される「線」の芸術。描くのは「命」。はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、線を描くことで回復していく。そして一年後、千瑛との勝負の行方は。
(2020年本屋大賞 第3位)
 
ひと言
本屋大賞のノミネート10作が発表になってすぐに、図書館に予約を入れたのですが、コロナの影響で図書館が臨時閉館。やっと借りて読むことができました。 砥上 裕將(とがみ ひろまさ)さん、初めて聞く名前の作家さんだなと思ったら、実はこの人は水墨画家さんというから驚き。通りでこういう作品が書けるんだと納得。映画化されそうな作品で面白かったです。

「水墨画というのは、水暈墨章(すいうんぼくしょう)という言葉が元になっている。これは水で暈(ぼか)して墨で章(つづ)る、と いうくらいの意味の言葉だ。だから水墨画といっても、水墨といっても意味はだいたい同じだね。それから、筆の持ち方は、お箸を持つように……、そう、そうです。お箸は二本で持つけれど、お箸を棒一本で持った形が筆を持つ形だよ。それから、棒の部分、筆管(ひっかん)というのだけれど、それを心持ち手前に倒して、お箸と同じように軽く握る。そして軽く筆に人差し指と中指を添えて筆管を立たせる。そうそう、やはりきれいな手だ」湖山先生はニコニコしながら、僕の指先に手を当てて筆を持たせてくれた。
(第一章)
 
「水墨画の学習として、昔から言われているのは基本となる四つの画題の習得です。四君子と呼ばれている画題ですが、これは蘭、竹、梅、菊のことを指します。これらを順番に習得していき、画を描くのに必要な要素を段階的に学んでいくものです。もちろん、これだけですべての絵が描けるわけではないのですが、初心者が学ぶべきことはだいたい、この四つの画題の中に含まれています。普通は、まず四君子の習得を目指し、先生からもらったお手本をひたすら写すことから始めます。その後に、お手本なしで描けるようになれば合格です」
(第二章)
 
「湖山賞は私が頂いたけれど、勝負は私の敗けね」と穏やかな声で言った。 僕はわけの分からないまま、千瑛の瞳に理由を問い返した。 「お祖父ちやんも翠山先生も本当は、あなたに湖山賞をあげたかったのよ。なんとなくそんな気がするわ。技術では確かに、私があなたよりも上をいっていると思う。でも、水墨の本質に、命そのものに、より深くぎりぎりまで近づけたのはあなたのほうよ。この違いは、ほかの人には分からないかもしれない。でも私や湖峰先生や湖栖先生、そしてお祖父ちゃんたちには、はっきりと分かる。水墨が心を描く絵画、命を描く絵画なのだとしたら……、私の敗けね」  僕は千瑛の手をゆっくりと握った。 「違うよ、千瑛さん。千瑛さんが受賞したことには、確かに意味がある。僕はこの絵を描きながら、自分に足りなかったものを感じたんだよ」 「あなたに足りないもの?」 「そう。僕は確かに自分の心を描けたかもしれない。でも、自分の生き方を描いたわけじゃない。千瑛さんの技術は、千瑛さんの美しい生き方そのものだ。水墨に専心し、ひたむきに何かを続けて追い求めてきた純粋な姿勢。そのひたむきさは、誰かの心を動かすんだと思う。僕は、千瑛さんの絵に動かされた。僕にはそのことが分かるよ」 「ありがとう、青山君」 僕はうなずいた。 「そのことを湖山先生も翠山先生も理解しているんだよ。水墨が線の芸術なのだとすれば、線とは生き方そのものでもあるから。千瑛さんはそれを描くことができたんだ。湖山賞、受賞おめでとう。僕はあなたの絵があったから、ここにいるんだよ」 千瑛はうなずいた。目に涙を浮かべていた。
(第四章)