あらすじ
小学生のとき、担任の先生と町の外からやって来た男が駆け落ちしたのを忘れられない主婦。東京でバツイチ子持ちの恋人との関係に寂しさを覚える看護師。認知症の義母に夫とのセックスレスの悩みを打ち明ける管理栄養士。父と離婚した母が迎えに来て、まもなく転校することになる小六の女の子。発達障害のある娘を一人で育てるシングルマザー。小さな町で、それぞれの人生を自分らしく懸命に生きる女性たちを描いた感動作。
ひと言
うん、これもいい!。やっぱり町田 そのこは全部いい!ということを再確認させてくれる一冊でした。ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章(ラルゴ)の「家路」。学校の下校時の放送に一番多く使われているであろう名曲「遠き山に 日は落ちて……」。この本の最後を以下に抜粋しますね。ほらドヴォルザークが聞こえてくるでしょ。
「春風、今日は楽しかった?」「カレーがおいしかった。おばあちゃんに、お夕飯はカレーにしてって言った」「え!夕飯もカレーなの?」小さなぬくもりを握りしめて、校門を出た。「あ、お母さん見て。いちばんぼしだよ」春風が、空いている方の手で空を指す。綺麗な金色が輝いていた。「きれいだねえ。明日もきっと、晴れるね」「ほんとうだね」賑やかな夕暮れは過ぎ、明日を告げる星が静かに煌(きら)めいている。そっと、校舎を振り返る。わたしたちはここに集い、多くを学び、多くの失敗をし、多くを感じ、多くの記憶を重ねた。そして、それぞれの家に帰っていく。明日への希望を抱えて、明日を迎える支度をして、生きていく。人生の故郷をときどき振り返りながら、これからも、ずっと。
「四十四で、甘えたことを言ってるんかもしれません。だから、仕方ないことなのだからと言い聞かせて、受け入れようとしました。でも、寂しいし、虚しいし、辛いんです」ははあ、と義母が呟いた。壁の展示にしばらく視線を向ける。ばかなことを言っている嫁だと呆れたのだろうかと思っていると、「嫌やねえ」と苦々しく呟いた。「子どもは親の背中を見て育つち言うけど、あの子は父親の背中しか見とらんやったんやろうねえ」やれやれ、というように義母が頭を振った。「一緒にいて寂しいと思わないといけんなんて、そんな悲しいことありますか。夫婦は互いの人生を豊かにするために寄り添うんです。佳代子さん、あなた、嫌な思いをしたねえ」分かってくれるひとがいた。耐えきれず、涙が一粒だけ転がった。慌てて手の甲で拭う。「でもね、あたしは務の母親やけん、話し合って歩み寄ってくれち、言います」展示を見つめたまま、義母が続ける。務は務なりにあなたを大事にしとって、間に生まれた陵介ももちろん大事にしとる。あなたがもし離れていけば、務はきっと傷つくしいろんな苦労もする。愛情のかたちなんぞにこだわらんと、このまま一緒に生きていってやってくれんね、ち言います。やはり、そうか。胸に小さな穴が開き、そこがぐりぐりと押し広げられているような痛みを覚える。相談すべきひとを、間違えた。そりゃそうだ。このひとはどこまでも、夫の母だ。すみませんでした。嫌でもそう謝らなければいけないと口を開こうとした。「……けれども、あなたはあたしが娘やと決めたひとでもある。娘が泣きながら寂しいち言うんなら、あたしは我慢せえなんて酷いこと、よう言えん。辛いんなら、離れてしまいなさい、ち言うよ。やけん、務に、愛情のかたちが違うのが苦しい、っち伝えなさい。寂しくてたまらん、ち。言葉を砕いて本気で伝えてみて。それでも務が理解しないのなら、あなたが辛い思いをし続けなくていい。務と別の道を進みなさい」
「……お義母、さん?」義母がわたしを見て、そっと笑った。昔からのやさしい義母の笑顔でもなく、病気で曖昧になった笑顔でもない。今日何度か見た、意地の悪い笑顔でもない。わたしと同じ、女の笑顔だと感じた。「我慢して、諦めて生きんでええ。昔と違うて、何があっても死ぬまで連れ添わないけん時代やない。誰かの目やら体裁やらを気にして生きる時代でもない。いまは、自分に嘘ばつかんで、自分のために生きられる時代でしょうもん」「で、でも。自分のためと言っても、陵介が」「ええ。子どもは、確かに可哀相。やけん、もしそういう道を選ぶんやったら、ふたりでしっかりあの子を支えられる方法ば考えんといけんよ。あなたと務は、夫婦ちいう席からは降りられても、両親ちいう席からは決して、降りられませんけんね」ぽん、と腕をやさしく叩かれた。温かくて、力強い手のひらだった。
(第3話 クロコンドルの集落で)
「そっちの君。君はこれから、死ぬ気で勉強しなさい。そして、無事合格して、引っ越すその日にぜーんぶ、みんなにバラしてしまいなさい。それが、君のお母さんのためでもあるんだよ」美冬が、ゆっくりと顔を上げた。鼻の頭が赤い。「ママのため?」「そう。覚悟がきちんとあるひとなら、とうとう断罪される日が来たか、って腹を括るだろう。みんなに告白する勇気のなかったひとなら、君が、隠れた恋愛を白日の下に晒してくれたことに安堵するだろう。間違った恋愛に夢中になっていただけのひとなら、君が道を正してくれたことにいつか感謝するんじゃないかな。そして最後。『どうしてこんなことをしたのか』と激怒するひとだったら、君との関係をすっぱり断ち切るきっかけになる。そのときにはきっと、もう好きに生きなさいと言い捨ててあげられるだろうからね」
(第4話 サンクチュアリの終わりの日)
「結局さ、自分の口から自分の真実を話さないと、何にも伝わらないんだよ」夏海はカメラを自分に向けて、「ねえ群ちゃん」と話し始めた。「いまから説教じみたこと言わせてもらうね。どんな事情があっても、黙って逃げちゃだめなんだよ。そうしてしまえば、逃げた側が絶対的に悪くなる。相手に言い訳の理由を与えて、被害者の顔をさせてしまう。彼らは自分がしたことを反省しなくて、むしろ、逃げたやつが悪いって恨む。群ちゃんの苦しみや哀しみは、伝えるべきひとたちにきちんと伝わらなくなってしまったんだよ。そんなの、もったいないよ」……。……。「でもさ、それよりももっと……一番大事なのは、死ぬほど苦しんだ自分を、自分自身がリセットしてしまうなよってこと。自分のお墓に、誰かにとって都合のいい言葉を彫られてしまうようなもんなんだよ。そんなのだめでしよ。だから自分だけは、自分のために最後まで足掻くべきだ。ひとは、どれだけ辛くても、自分のために闘うことを放棄しちゃだめだ」三好さんもそう思わない?と夏海が見る。その目はどこまでも強くて、わたしを叱咤しているように思えた。
(第5話 わたしたちの祭り)
「先生って、画家のこと好きだったのかな」「そりゃ、最初はそうなんじゃない? 前に、やっぱりいまも画家のことが好きなの?って訊いたことがあるんだけど、縁だって言われた。好きとか嫌いとかそういうものを越えて、繋がったらもう切り離せないものがあるんだって。やっぱ、いろいろあったんだろうね」「そういう縁って、羨ましい気もするね」何もかもを乗り越えて、それでも繋がれるひとがいる。先生はすべてをリセットしたように思っていたけれど、すべてと引き換えにたったひとつの縁だけは摑めたのだ。その縁が、いまも彼女を支えている。「そうだね。でも、ひとにはそれぞれ、ひとじゃなくっても繋がれるものや場所があるんだよね。」……。
(第5話 わたしたちの祭り)













