栄で美味しい餃子を食べた後、バスで名駅に行き「ペンギンベーカリーCoco 名駅サンロード店」に立ち寄りました。サンロードからミッドランドスクエアへの連絡通路の左側にお店があります。今日はカレーパンは封印して、北海道プレミアムシュー(380円)あげいも(本当は3個なのですが揚げたてなのでその場ですぐ1つ食べてしまいました)(480円)チーズぶたパン(350円)を購入。ペンギンはどれも美味しいのですが、プレミアムシューがとても美味しかったです♪。名駅でペンギンのパンが買えるのはとても魅力。これからも利用させてもらいます。ごちそうさまでした♪。

 

ペンギンベーカリーCoco 名駅サンロード店

名古屋市中村区名駅4 名駅地下街サンロード

 

 

今日のお昼は、昨日TVで紹介された「夜来香 栄本店」へスペシャルランチ(900円)を食べにいきました。お店の大きな看板に「餃子なら夜来香」とあり、名古屋で焼き餃子を始めたお店だけあってとても美味しい餃子です。個人的には有名店の餃子よりも「餃子の王将」の餃子が一番好きなのですが、この餃子もとても美味しく、また食べたくなるような餃子でした。ごちそうさまでした♪♪。

 

夜来香 栄本店

名古屋市中区栄3

 

今日も職場の若い人たちに誘われて丸の内にお昼を食べにいきました。「濃厚中華そば 佐とう」を目指しましたが、行列がすごいので、近くのこれも行きたかったお店「肉うどん さんすけ」へ。さんすけうどん(1000円)をいただきます。ネギとしょうがを自分で自由に皿に盛って追加(無料)できます。麺が見えないくらいの焼豚がたっぷり。熱々のスープにしょうがを追加したので身体じゅうポッカポカになりました。うどんと言うよりラーメンに近いような美味しいうどんでした。いつもは自転車でこの寒い中移動なのですが、今日は車に乗せてもらったので寒くもなく、駐車場代も男気じゃんけんで負けてしまったので払うこともなく、なんかとても申し訳なかったです。ごちそうさまでした♪。

 

肉うどん さんすけ

名古屋市中区丸の内2

読書2026(索引)
 
 
 
2010年1月5日、以前に読んだ本をまた図書館で借りて 60頁ほど読むまで気付かなかったという経験から、yahooブログを始めました。9年間お世話になったyahooブログが閉鎖することになり、2019年9月5日から、 こちらのAmebaブログのお世話になることになりました。ほとんど多くは簡単に移行できたのですが、リンク(文字等をクリックするとそのページに飛ぶ機能)は手作業で1つ1つ作業をする必要があったので、今まで放りっぱなしのままになっていました。
 
このブログを訪れてくれる方や自分自身が、いままでの読書を振り返りやすくするために索引がちゃんとリンクするように作り直しました。
これからも心に残ったフレーズを書き留めて、その本の内容をいつまでも忘れず、振り返ることができればいいなぁと思っています。
 
文字をクリックするとリンクします。
 
2026年(7冊)
 
 
読書2025(索引)
 
 
 
2010年1月5日、以前に読んだ本をまた図書館で借りて 60頁ほど読むまで気付かなかったという経験から、yahooブログを始めました。9年間お世話になったyahooブログが閉鎖することになり、2019年9月5日から、 こちらのAmebaブログのお世話になることになりました。ほとんど多くは簡単に移行できたのですが、リンク(文字等をクリックするとそのページに飛ぶ機能)は手作業で1つ1つ作業をする必要があったので、今まで放りっぱなしのままになっていました。
 
このブログを訪れてくれる方や自分自身が、いままでの読書を振り返りやすくするために索引がちゃんとリンクするように作り直しました。
これからも心に残ったフレーズを書き留めて、その本の内容をいつまでも忘れず、振り返ることができればいいなぁと思っています。
 
文字をクリックするとリンクします。
 
2025年(39冊)
 
 
 
 
 

 

あらすじ
私の大学生活には華がない。特に女性とは絶望的に縁がない。三回生の時、水尾さんという恋人ができた。毎日が愉快だった。しかし水尾さんはあろうことか、この私を振ったのであった! クリスマスの嵐が吹き荒れる京の都、巨大な妄想力の他に何も持たぬ男が無闇に疾走する。失恋を経験したすべての男たちとこれから失恋する予定の人に捧ぐ。

ひと言
先日「成瀬は都を駆け抜ける」を読んで、森見 登美彦さんの「太陽の塔」を以前読んだなぁ でも何も覚えていないなぁ ということでもう一度読み直そうと思いました。以前のブログを見直してみると、2010年の4月の記載が残っていました。今読み返してみても「何のこっちゃ」という小説ですが、大学生時代を京都で過ごした者にとってはやっぱり懐かしく感じました。

この「東大路通り」というヤツ、洛北を通るときにはあたかも京都を南北にまっすぐ貫いているように装いながら、そのじつ祇園八坂でぐにゃぐにゃと腰砕けになり、やがてなし崩しに九十度回転して九条通りになってしまうという、私の嫌いなタイプである。私は東大路通りを通る機会が多いが、つねに警戒を怠らないようにしている。油断すると、どこへ連れて行かれるか分かったものではないからだ。
(P13)

太陽の塔を御存知であろうか。遠い昔、私という男が誰からも愛されるふわふわした可愛いものであった頃、私の家族は大阪の郊外にあるマンションに住んでいた。そこは大阪万博の跡地に作られた「万博公園」から、歩いてすぐのところにあった。週末になると私は両親に連れられて公園に出かけ、一日中野原や木立の中をころころ転がっていたと言う。したがって私の人格の底辺界隈はほとんど万博公園の風景で埋め尽くされている。その風景の中ににゅううっと屹立して、あたりを睥睨しているのが太陽の塔であった。作り手たる岡本太郎の名を知っだのは随分後のことで、今に至るも私は岡本太郎についてほとんど何も知らないし、これ以上知る必要性を感じない。私の場合、まずそこに太陽の塔があった。太陽の塔には人間の于を思わせる余地がなかった。それは異次元宇宙の彼方から突如飛来し、ずうんと大地に降り立って動かなくなり、もう我々人類には手のほどこしようもなくなってしまったという雰囲気が漂っていた。岡本太郎なる人物も、大阪万博という過去のお祭り騒ぎも、あるいは日本の戦後史なども関係がない。むくむくと盛り上がる緑の森の向こうに、ただすべてを超越して、太陽の塔は立っている。
一度見れば、人々はその異様な大きさと形に圧倒される。あまりに滑らかに湾曲する体格、にゅうっと両側に突きだす溶けたような腕、天頂に輝く金色の顔、腹部にわだかまる灰色のふくれっ面、背面にある不気味で平面的な黒い顔、ことごとく我々の神経を掻き乱さぬものはない。何よりも、常軌を逸した呆れるばかりの大きさである。「なんじゃこりゃあ」と彼らは言うことであろう。しかし、それで満足して太陽の塔の前を立ち去り、「あれは確かにヘンテコなものであった」と吹聴するのでは足りないのだ。「あれは一度見てみるべきだよ」なんぞと暢気(のんき)に言っているようでは、全然、からっきし、足りない。もう一度、もう二度、もう三度、太陽の塔のもとへ立ち帰りたまえ。
(P115)

 

 

 

 

 

 

今日もとても寒く、先週の土曜日に続き夕食に2人で「まことや」へ行きました。このブログを始める遥か前、今から40年近く前に職場の人に連れてきてもらった以来の「まことや」です。親子(かしわ・玉子入)(1380円)をいただきます。先週の「山本屋本店」よりも味噌が濃く感じました。具材もたっぷりでとても美味しくいただきました。ごちそうさまでした♪。

 

まことや

名古屋市昭和区檀渓通4

 

今日は職場の人たちと「Early Cafe」へ食べに行きました。ジャンボチキンカツ定食(1500円)をいただきます。圧倒的なボリューム さすがに65歳にしては量が多いので一緒に行った若い人に4,5切れを食べてもらいました。コーヒーがテイクアウト無料なのでコーヒーもいただきました。もうお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした♪。

 

Early Cafe (アーリーカフェ)

名古屋市東区代官町15

 

今日のお昼は「ひものや 官兵衛」の限定15食の漢のランチ【北海道礼文島産 真ほっけ(半身)・南知多ぶっかけしらす丼・若鶏のから揚げランチ 】(1199円)をいただきます。真ほっけは脂が乗っていてとても美味しいです♪しらす丼もグッド。他にも魅力的なメニューがいっぱいでどれもお値打ちです。ひものを食べたくなったときはまた伺わせてもらいます。ごちそうさまでした♪。

 

ひものや 官兵衛

名古屋市中区新栄町3

 

あらすじ
千日回峰行。それは平安時代に相応和尚が神仏に捧げた祈りを起源とする、大阿闍梨へと至るための仏道修行であり、文字通り通算1000日間、足掛け7年間にも及ぶ。700日目まで、行者は叡山の諸堂を深更から早暁にかけ、ひたすら毎日巡り続ける。それが終わると最大の難所「堂入り」が待っている。9日もの間、断水・断食・不眠・不臥の状態で真言を唱え続けるのだ。これを満ずれば当行満阿闍梨となる。その後、京大廻りなどを経て、ようやく大行満大阿闍梨と認められるのである。この千日回峰行は「行不退」、つまり満ずるか、さもなくば死するかの二者択一とされている。ここに恃照と戒閻という、千日回峰行に挑む二人の僧侶がいる。二人にはなんとしても大阿闍梨になって歴史に名を刻まねばならないとある秘密があった。出生の秘密ゆえ、叡山に閉じ込められ、それでいて死ぬことも許されない立場にあった。自分が生きた証をこの世に刻み付ける、そのための最後にして最大の方法こそ、大阿闍梨になることだった。


ひと言
今まで千日回峰行のことを取り上げた作品に出会ったことがなく、直木賞の候補が発表されてすぐに読んでみたいと図書館に予約を入れました。読み始めてすぐに引き込まれ、早く先が知りたいとどんどん読み進めて、最後は涙が止まりませんでした。読み終えて、どうしてこんなに詳しく千日回峰行のことが書けるのか、作者の住田 祐(さち)さんのことを調べてみました。新聞社勤務を経て作家デビューし、近年は歴史や宗教的修行を題材にした作品で注目を集めています。学歴は公表されていませんが、三重県立伊勢高等学校を卒業し、龍谷大学文学部哲学科を卒業しています とのことで叡山の関係者ではないのによくもまあこんな作品が書けるものだと唯々感嘆。他の候補作を読んでいないので何とも言えませんが、直木賞を取って欲しいと思わせてくれる、人にも勧めたくなる感動作でした。

叡山には、三大地獄と呼ばれるものがある。
看経(かんきん)地獄。横川の元三大師堂にて三年間、ひたすら読経、勤行、論義、護摩供などを繰り返す。
掃除地獄。西塔の浄土院にて厳しい勤行を続けながら、その庭をひたすらに掃き、清め続ける。これは、侍眞と称される僧が十二年間続けるものとされる。ゆえに、十二年籠山行とも呼ばれる。
そして回峰地獄。言わずもがな、これが北嶺千日回峰行を指す。行者は叡山の諸堂を、深更から早暁にかけ、ひたすら毎日巡る。道程は叡山の険しい山道、距離にして七里半(約三十キロメートル)。毎夜九ツ半(午前零時から一時頃)に出峰し、明け六ツ(午前六時頃)から五ツ(午前八時頃)の間に帰坊する。まず三年目までは、一年につき百日を連続で歩き通す。と言っても、最初の年は千日回峰行とは切り離された百日回峰行と呼ばれるもので、これを満行した者から二年目に入る者―― すなわち千日回峰行に挑む者が選抜される。従って、一年目と二年目は連続しないことが多い。四年目と五年目には二百日を連続で歩き通す。百日あるいは二百日の間、行者は真言を唱えながら、叡山内のおよそ二百六十箇所の寺院や墓所にて礼拝し、樒(しきみ)の葉を供える。都合七百日の回峰を終えると、終えたその日から明王堂にて「堂入り」と呼ばれる足掛け九日間の断水、断食、不眠、不臥の行に入る。これが無事済めば、六年目に入る。この年の百日は、五年目までと同じ道程に、叡山の南西、御所の鬼門に位置する赤山禅院までの雲母(きらら)坂の往復が加わり、毎日十五里(約六十キロメートル)もの距離を歩き通さねばならぬ。また、堂入りまでは自利行(じりぎょう)といってあくまでも己のための行とされているが、堂入りを終えた六年目からは他者のための行、化他行(げたぎょう)となり、京で行き交う人々の求めに応じ、加持を行う。そして最後の年。まず百日間は京大廻(きょうおおまわ)りといって、叡山回峰に加えて京中を歩く。一日に歩く距離は二十一里(約八十四キロメートル)に及ぶ。それを終えれば、最後は七十五日間、最初の五年で歩いた七里半の峰道を歩く。合算すると千日には二十五日ほど足らぬわけであるが、これは「残りの二十五日は生涯かけて達せよ」という意味が込められている。
(妙案)

「まだ五日であろう。千日を語るには早すぎる」恃照(じしょう)が笑うと、良照はゆっくりと首を左右に振った。「いえ、お言葉にはござりまするが、あの者が私を置いて漆黒の闇を駆け上っていく姿は……そうでござりますね、まさに白鷺(はくろ)そのものにござりました。私はその鷺が闇に舞い上がり、溶け込んでゆくまで茫然と見送ってしまいました」
白鷺とは、叡山における回峰行者を指して用いられる比喩である。白き麻の浄衣をその身に纏い、山道を跳ぶように歩く姿から来ているという。良照が陶酔するが如く語るその口ぶりに、恃照は寒気がした。
(傑僧)

執行の言葉には耳を傾けず、恃照は己が膝に力を込めた。あの大きく見えた戒閻(かいえん)の身体が、まるで霧か霞かと思えるほどに軽かった。戒閻と共に恃照は立ち上がり、不動明王に相対し、一礼した。「恃照!」執行の制止するのも聞かず、恃照は不動明王の忿怒の形相の前に立った。「やめよ、もう……もう詮無きことなのじゃ!」「黙らっしゃい!」恃照の一喝が堂内に響き渡った。堂内のすべてがその動きを止めた。恃照の肩に寄り掛かる戒閻は、まだわずかに熱を帯びている。ここでやめるわけには、ははは、やめるわけにはゆかぬ、ゆかぬ。そうじゃろう、戒閻―― 。戒閻の首はだらりと垂れ、その顔は見えぬ。しかし、恃照の思いは必ず戒閻に伝わっておると信じていた。「恃照!」「……執行どの」今まさに恃照に襲い掛からんとしている高僧どもに向き直り、恃照は口を開いた。「歩くだけでよいのでござりまする。このお不動さまの周りを、三周歩くのみにござる。お許しいただきたい」執行は恃照の口が閉じる前に左右に首を振った。その動きは、この判断に吟味すべき点も酌量する点もないと言い添えているようだった。「戒閻はもうこと切れておるのだ。これからお主が共に歩いたとて、三匝を歩ききったことにはならぬ。認めることはできぬ。堂入りを満じたとすることは叶わぬ。お主も分かっておるのじゃろう!」「三匝を満じたいなどとは、一言も申しておりませぬ」恃照は懇願するように見えて、もうその允許(いんきょ)は下されずとも構わぬと思っていた。無理やり止められればそれまでである。だが、恃照にはそれは起こらぬという自信があった。この場に己より気骨のある者などあるはずがないと断じていた。「三匝 としてお不動さまの周りを歩くのではありませぬ。ただ、この戒閻と二人で、お不動さまにお礼を申し上げたいだけにござりまする。それさえも許されますまいか」恃照の眼光は執行のそれを凌駕していた。執行は黙らざるを得なかった。座主の姿は、いつの間にかこの場から消えていた。
さあ戒閻、ゆこうぞ。恃照は弟子の右腕を肩に担ぎ、己が左手を弟子の腰に添え、ゆっくりとその足を前に動かした。戒閣の両の脚は腰骨の下にだらりと垂れ下がり、板敷の上をすべり始める。のう、戒閻。わしら二人とも、お不動さまにはなり損ねたの。わしらは共に、このようになる定めだったのじやろうかの。共に帝の血を享けた、実に……実に不運な僧じゃったの。
(点睛)

恃照は不動明王の眼差しを正面から受け止め、そして眞超に向いた。「この玉照院恃照、これより、再び北嶺千日回峰行に入行致す」恃照の目は真剣そのものであった。眞超は恃照のその両の目を見据えた。眞超はゆっくりと息を吸い、細く吐き出した。
「……は。恃照さまの千日回峰……僣越ながら、この什善坊眞超が見届けさせていただきまする。ただ……恃照さま。この眞超に約してくださりませぬか。必ず……必ず満ずると」恃照は不敵に笑った。その笑顔はまるで、憎き弟子のそれが乗り移ったようであった。「… …約しましょう。しかし眞超どの、もう少し驚かれたり、止められたりするかと思いましたがの」眞超は参ったと言わんばかりに大きく息をついた。「戒閻にござる。戒閻が堂入りに臨む直前に、私に問うたのでござりまする」「あ奴が……?何を問うたというので」眞超は笑みを浮かべている。「一つ。堂入りを一日延ばしたいと思うが、是か非か……即座に非だと答えました。これには相当食い下がられました。先例にないと言うと、先例とは従うものではなくつくるものだと言って譲りませぬ。結句、私が折れました……今一つ」
恃照は固唾を呑んだ。「半行満は、再び千日回峰行に入行することはできるのか、否か」恃照は息を呑んだ。そして、先ほど胸に迫ってきたことどもが胸を通り過ぎて両の目にまで達し、雫となって溢れ出た。「おかしな話にござる」眞超は慈愛に満ちた表情を湛えている。「お二人はいったい、どのような間柄なのです。師弟でありながら、反目し合うて、憎み合うて、ののしり合うておられる……だのに、最後はこうでござる。お二人とも、ある一つのことを望んでおられる。ただひたすら、ある一つのことを為さんとしておられる」恃照は己の頬が緩むのを抑えられなかった。そうじゃのう。言われてみれば、その通りじゃ。いったい、わしら二人はどのような間柄だったのじゃろうの。……。……。
「何の、ご案じなされますな。それよりも、やはりこの眞超、不安がないと申せば嘘に……まこと失礼にはござりまするが、齢四十八での入行など聞いたこともありませぬ。蓋し古録にも見つけられぬでしょうな」恃照は笑った。肩の荷が下りたとはこのような顔をいうのやもしれぬ。これから死の荒行へ向かうというにもかかわらず、恃照は身も心も軽うなっているのをはっきりと感じていた。「戒閻も申したのでしょう。先例とは従うものではない、つくるものなのだと」「……左様にござりましたな」恃照と眞超は互いに見合ってから、双方ともに頭を下げた。叡山に細い曙光が差した。琵琶湖のさざなみがその光を受け、きらきらと四方八方に散らせていた。
(点睛)