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あらすじ
「オシャレの追求に励むのは来世にまわし、今生では思うぞんぶん読書しようと思う。・・・世の中にこんなに本があるのに、顔なんか洗ってる場合じゃない」
筋金入りの活字中毒者・三浦しをんによるブックガイド&カルチャーエッセイ集。

 

ひと言
2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞。2009年『神去なあなあ日常』2012年『神去なあなあ夜話』。2012年『舟を編む』で本屋大賞。大人気の三浦しをんさん。
三浦しをんさんてもっと堅い人だと思っていたけれど、こんな愛すべき人だったんだという発見があって、とても楽しく読ませていただきました。本のタイトルのネーミングもいいセンスだし、この題名でエッセイならある程度内容も推測できてグッド♪。五章の本を読むだけが人生じゃないの「きょうだい仁義」なんかは最高でした。

 

 

だれかを深く愛するというのは、愛を与えることではなく、『愛したい』と思う気持ちを、その相手から与えられる、ということなのだ(二章 三四郎はそれから門を出た 「人づきあい」を考える)

 

 

裏切られたときに憎んでしまうことを恐れて、なにかを深く愛そうとしないのは愚かなことである。
(二章 三四郎はそれから門を出た 感情の底流を描く)

 

 

すべてを手に入れ、なにもかもを愛することなど、人間にはできない。自分が欲するもの、自分が大切にしたいと思うものを、自分自身で選び、愛することこそが、満足と幸せに至る道なのだ。選ぶことによって、多少いびつになっちゃってもいいじゃないか、と私は思う。いびつな部分がうまく重なりあえば、より深くだれかとつながることだってできるのだから。(二章 三四郎はそれから門を出た 違いを認め、愛すること)

 

 

そんな貴女に私がおすすめするのは、ズバリ「片思い」である。
 片思いに元手はいらない。ひたすら脳内で恋愛感情を高めていればいいのだ。逢瀬のために自分の時間を削る必要もないし、「もうすぐ彼の誕生日だわ。プレゼントはなににしようかしら」とあれこれ悩む必要もない。片思いも恋の形態の一つであるわけだから、ちゃんとアドレナリンが噴出する。心はウキウキし、生活に張り合いが出て、なんだかお肌もツルツルである。自分の時間を大切にしつつ、恋愛の高揚感もちゃんと味わえて、心身共に活性化できる。片思いって、なんてお得なのだろう!まさに、恋の「いいとこ取り」だ。
(五章 本を読むだけが人生じゃない 片思いのすすめ)

 

3月1日 第23回目の3人旅は岐阜県の加子母(かしも)と苗木城を巡る旅です。

まずは中央道の恵那ICで下りて、伝西行庵跡(梅露庵)の梅を見に行きます。
今年は寒く、しだれ梅はまだ早いのか、一輪もほころびていませんでしたが、永田西行桜が植えられていました。

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そのしだれ桜を一目見たとき、京都 円山公園の祇園枝垂桜に似ているなと思いました。

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近くに行ってその桜の説明文を見て、すごく懐かしい友と再会したような気分になりました。

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帰ってネットで永田西行桜が満開の写真を探しましたが、見つけられませんでした。
是非、自分の目で永田西行桜が咲き誇っている姿を見てみたいと思いました。

加子母大杉、乳子の池を見て、お昼に道の駅加子母でトマトカレー(800円)をいただきました。
トマトの酸味が効いてすごくおいしかったです。

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今まで知らなかったのですが、加子母はトマトが有名で、ほとんどの定食にトマトジュースが付き、こんなおいしいトマトジュース飲んだことがないというぐらいおいしいです。迷わずお土産にビンのトマトジュース(無塩)とトマトカレーを買いました。

次は楽しみにしていた加子母歌舞伎のかしも明治座です。受付で維持補修協力金の300円を納め、木札に住所・名前を書いて半分を折って渡すと小屋の廊下に掲げてもらえます。

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普段絶対に歩くことのできない花道を歩き、すっぽんから奈落、直径5.5mの廻り舞台の下まで、案内の方に丁寧に説明をしていただきながら見学しました。

奥の衣装部屋や化粧部屋には役者さんの落し書きが壁にしてあり、2006年に今は亡き中村勘三郎さんの襲名披露公演が行われたときのサインも壁に残されていました。

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昨年9月の第41回公演会では小学生、中学生(校長先生も一緒)、加子母の保存会がそれぞれの演目を披露したということです。みんなが一丸となって後世に伝えていこう、守っていこう、そしてみんなで協力して頑張っていこう という強い意志を感じることができ、とても素敵なひとときを過ごすことができました。

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ほかにもいろいろ廻った後、中津川の苗木城近くの日帰りラジウム温泉に入り、民宿「じょうろく荘」の御主人にわざわざ案内していただいて、苗木城跡へ。
苗木藩は1万500石の最小の城持ち藩で明治4年(1871年)の廃藩置県によって苗木県となり、その後、岐阜県に編入されたということです。

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中津川市のHPの苗木城復元CGからお借りしました


大矢倉跡石垣を上から眺めると、雲海に浮かぶ天空の城として人気がある竹田城跡のように見えました。

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城に危機が迫ると木曽川から霧が一面に立ちあがり、城を隠してしまうという伝説があり「霞城」とも言われる苗木城。是非霧に覆われた苗木城を見てみたいと思いました。

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今回はラジウム温泉と明治座や民宿「じょうろく荘」のご主人の親切な案内のおかげで、身も心もポカポカする旅でした。
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あらすじ
敗戦の夏、異端の石油会社「国岡商店」を率いる国岡鐵造は、なにもかも失い、残ったのは借金のみ。そのうえ石油会社大手から排斥され売る油もない。しかし国岡商店は社員ひとりたりとも馘首せず、旧海軍の残油集めなどで糊口をしのぎながら、たくましく再生していく。20世紀の産業を興し、人を狂わせ、戦争の火種となった巨大エネルギー・石油。その石油を武器に変えて世界と闘った男とはいったい何者か。1953年春、極秘裏に一隻の日本のタンカーが神戸港を出港した。「日章丸事件」に材をとった、圧倒的感動の歴史経済小説。

 

ひと言
巷ではもう2014年の本屋大賞にノミネートされた10作品が発表になっているが、ずっと読みたくてやっと借りることができた2013年本屋大賞の「海賊とよばれた男」。上・下が一緒に借りられたのはラッキーでした♪。
2010年の秋、仙厓和尚が生まれた岐阜県関市武芸川町のふるさと館で仙厓さんの禅画と出会い、私も一目でファンになり、、出光佐三(鐡造)が福岡の骨董屋で『指月布袋画賛』と出会ったときの気持ちが少しわかるような気がしました。銀行が鐡造に多額の融資を決めるシーンも感動的で、もうかなり昔に話題になったジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」を思い出しました。「永遠の0」の宮部(久蔵)をさりげなくほり込んでくるところも「探偵!ナイトスクープ」の百田尚樹さんらしいと思いました。
本屋大賞 278点 第1位 納得の作品でした♪。

 

 

 

 

「財産を全部失ってもいいか」妻の多津子は少し驚いた顔をしたが、笑って、「私はかまいませんよ」と答えた。「お前が嫁に来るときに持ってきた着物も売り払うことになるかもしれん」「生活のためなら、残念ですが、仕方ありませんよ」「うん、生活のためもあるが、店員の給金を払わねばならん」「それでしたら、喜んで手放しましょう」多津子はにっこりと笑って言った。鐡造は無言で頷いた。多津子に礼を言いたくはなかった。礼を言えば、妻は怒るだろうことがわかっていたからだ。寝間着に着替えながら、「乞食をすることになるかもしれんぞ」と言った。「鐡造さんも一緒にやってくださるのでしょう。だったら、平気です」鐡造は笑いながら、いい妻をもらった、と思った。(第一章 朱夏 一)

 

 

「国岡商店に戻らないのか」「国岡に?」宇佐美は召集される以前は国岡商店に勤めていた。十八歳で福岡商業を卒業して二年目の年に赤紙が来た。しかし店に籍が残っているはずはないと思っていた。「お前の復員を知った国岡商店の社長さんから、元気になったら戻ってこいという手紙が来たぞ」それは意外だったが、復職する気はなかった。というか、焼け野原になった東京に行く気などなかった。都会では米さえ満足に食べられないという話は宇佐美も聞いていた。ここにいれば、少なくとも米は食える。それにどうせ国岡商店はつぶれる。「やめとくよ」と宇佐美は言った。「国岡商店に戻る気はない。ここで親父の跡を継いで百姓をするよ」百姓を継ぐのは父の夢でもあった。それに反抗して都会の学校へ行き、国岡商店に入社したのだ。結局、巡りめぐって百姓をすることになるのも自分の運命なのだなと思った。父も喜んでくれるだろう。「馬鹿もん!」いきなり父が怒鳴った。「国岡商店は、お前が軍隊に行っている間、ずっとうちに給金を送り続けてくれたんだ。辞めるなら、その四年分の恩返しをしてから辞めろ!」宇佐美は父の剣幕にも驚いたが、国岡商店がずっと給料を払い続けてくれていたことにも驚いた。「俺は息子をそんな恩知らずな男に育てた覚えはない」これほど激高する父を見だのははじめてだった。「わかった」父の怒りに圧倒された宇佐美は言った。「俺は国岡商店に戻る」父はにこりともせずに大きく頷いた。「米だけはたっぷりと持たせてやる。もしも社長さんが食う米に困っていたら、すぐに知らせろ。俺が東京まで米を持っていく」翌日、宇佐美はリュックに米を山ほど詰め込んで、東京行きの列車に乗った。(第一章 朱夏 五)

 

 

このころ、鐡造は生涯愛することになる「仙厓」と出会っている。ある日、父と福岡の町を歩いているときに、骨董屋の店先で一幅の掛け軸が目に止まった。それは布袋が天を指差し、子供が嬉しそうにその指を見つめている様子が、ポンチ絵のような単純な線で描かれたものだった。作者の仙厓義梵は江戸時代後期の臨済宗の禅僧で、洒脱で飄逸な禅画を多数描き残したが、当時はまったく無名であった。もともとは美濃(岐阜県)の生まれだが、博多の聖福寺の住職を二十年も務めていたことから、北九州には多くの絵が残っていた。このとき、父にせがんで購ってもらった『指月布袋画賛』と呼ばれる絵は、後に仙厓の代表作として世に知られることになる。禅宗の教えでは「月」とは悟りのことで、それを示す「指」は経典である。そのころの鐡造はそんなものは知らなかったが、その絵に魅了され、晩年にいたるまで仙厓を追い求めることになる。(第二章 青春 一)

 

 

「日田さん」と鐡造は声をかけた。「返済の件なのですが―」日田は、うん? といった表情で振り返った。「返済って何のことや。ぼくは国岡はんにお金を貸すとは言うてへんで。あげると言うたんや」日田はそれだけ言うと、また池のほうに向いて、餌を与えた。「六千円もの大金をいただくわけにはいきません。これは融資として考えています」日田が振り向いた。その顔にはさっきまでの柔和な表情は消えていた。「国岡はん、六千円は君の志にあげるんや。そやから返す必要はない。当然、利子なども無用。事業報告なんかも無用」鐡造は声を失った。「ただし、条件が三つある」日田は指を三本立てて言った。「家族で仲良く暮らすこと。そして自分の初志を貫くこと」その後で、日田はにっこりと笑って付け加えた。「ほんで、このことは誰にも言わんこと」鐡造の全身は震えた。日田の溢れんばかりの厚意と、自分に対する揺るぎない信頼に心の底から感動した。目にみるみる涙が浮かんだ。「日田さん―」喉が詰まり、言葉が出なかった。しかし日田はそれに気づかぬように、振り返りもせずに、鼻歌を歌いながら庭を歩いた。……鐡造が帰ってから、重太郎は八重に言った。「京都の家を売ったお金を国岡にあげると約束した」「はい」「怒らないのか」「怒る必要かありますか」八重は食器を下げながら言った。「あなたがそれほどの人と見込んでのことでしょう」重太郎は静かに頷いた。「国岡はいずれ立派なことを為す男だ」「はい」八重は言った。「それはいつごろですか」「そうやなあ。何十年も後のことかもしれんなあ」重太郎は腕を組んだ。「もしかしたら、そのときは、わしはもうこの世におらんかもしれん」「それでもいいではありませんか」 八重はおかしそうに笑った。それを見て重太郎もにっこりと微笑んだ。(第二章 青春 四)

 

 

「日田さん―」「なんや?」鐡造は日田の隣に正座すると、頭を地面にこすりつけるほどに下げた。「申し訳ありません」「どないしたんや」日田は言った。「まあ、頭を上げえな」鐡造は顔を上げて言った。「国岡商店は廃業します」日田は何も答えず、関門海峡に視線を移した。そしてそのまま海をじっと見つめた。「三年間、必死でやってきましたが、とうとう資金が底をついてしまいました。せっかく日田さんからいただいたお金を増やすことができませんでした。お返しすることは叶わなくなりました」「あと、なんぼあったらええんや」日田は海を見ながら呟くように言った。鐡造は思わず頭を上げて日田の横顔を見た。「三年であかんかったら五年やってみいや。五年であかんかったら十年やってみいや。わしはまだ神戸に家がある。あれを売ったら七千円くらいの金はできる」鐡造は声が出なかった。日田は鐡造のほうを向くと、にっこり笑った。「なあ、とことんやってみようや。わしも精一杯応援する。それでも、どうしてもあかなんだら―」日田は優しい声で、しかし力強く言った。「一緒に乞食をやろうや」鐡造の目から涙がこぼれ落ち、止めようとしても止められなかった。(第二章 青春 六)

 

 

「ほう、ゼロ戦闘機ですか。何とも不思議な名前ですな」そのとき、零式艦上戦闘機からひとりの若い航空兵が降りてきてこちらに向かってくるのが見えた。航空兵は司令部に向かう途中、鍼造の前方を通った。「ご苦労様です」鐡造は思わず航空兵に頭を下げた。若い航空兵は立ち止まり、海軍式の敬礼をした。鍼造は青年の無駄のない美しい動きに感服した。二十歳をわずかに過ぎたくらいの背の高い痩せた男だったが、全身から精悍な空気が漲っていた。胸の名札に「宮部」と書いてあるのが見えた。(第二章 青春 十四)

 

 

これには正明も驚いた。二億円の資本金に対して四百万ドルという融資額は桁外れである。当時の交換レートは公式的には一ドル三百六十円だったが、実質的には円の価値はもっと安く、四百万ドルという金額は二十億円以上の価値があった。「なぜ、うちみたいな会社に?」と正明は思わず訊いた。タールパーグは笑って答えた。「あなたの会社の資本金に対しては、とても融資はできない。しかしあなたの会社の合理的経営に対してなら融資できる。われわれはあなたの会社と取り引きすることを名誉と思っている」正明は深く頭を下げた。(第三章 白秋 四)

 

 

昭和四十五年、国岡商店は兵庫県の姫路市の埋め立て地に製油所を建設したが、鐡造はその地を「日田町」と名付けることを姫路市に申請し、認められた。これにより製油所の正式な住所は、「兵庫県姫路市飾磨区妻鹿日田町一の一」となった。鐡造は、日田の出身地、兵庫県に彼の名前を残すことができたことを心より嬉しく思った。(第四章 玄冬 九)

 

 

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二月の半ば、懇意にしていた古美術商が訪れた。彼は鐡造の前に一幅の掛け軸を見せた。それを見た鐡造は思わず唸った。それはかつて手放した仙厓の『双鶴画賛』だったからだ。生涯にわたって仙厓を愛してきた鐡造だったが、戦後の苦しいときに多くを手放していた。そのほとんどは国岡商店が大きくなってから買い戻すことに成功し、今では千を超える作品を所有するまでになっていたが、『双鶴画賛』は今日までついに見ることができないものだった。それはユキが気に入っていたものだった。絵には二羽の鶴が描かれていた。一羽の鶴は下を向き、もう一羽の鶴は上を向いている。賛には「鶴ハ千年 亀ハ万年 我れハ天年」と書かれてあった。「天年」というのは天命の意味であろう。思えば、自分が最初に手に入れた骨董が仙厓の『指月布袋画賛』であった。月を指差す布袋と、それを喜んで眺める子供が描かれた絵だ。その賛には「を月様幾ツ十三七ツ」と書かれていた。遠い昔、少年のころ、その掛け軸を父にねだって買ってもらったものだ。『指月布袋画賛』は今、国岡美術館に所蔵されているが、目を閉じれば、その絵は今もはっきりと脳裏に浮かぶ。国岡商店での七十年におよぶわが人生は、『指月布袋』の布袋のようなものだったのかもしれない、と鐡造は思った。大勢の店員たちは、月を見つめる子供だ。自分は店員たちのために、七十年にわたってずっと月を指差し続けた―。いや違う、と小さく呟いた。両手を広げて月を?もうとしている絵の中の子供は、自分だ。己の人生こそ、けっして?むことができない月をひたすら追い求め続けた一生だった。鐡造はひとりでふっと笑った。それでもいいではないか。もう一度、『双鶴画賛』を見た。おそらく二羽の鶴はつがいであろう。見つめるほどに、その絵に心を奪われた。かつて所有しているときには、この魅力に気づかなかった。この絵がなぜ今自分の下へ戻ってきたのかわかったような気がした。(終章)

 

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あらすじ
学歴、仕事、家庭。すべてを手に入れ、自分は人生の勝ち組だと信じて疑わない良多。ある日、病院からの連絡で、6年間育てた息子は病院で取り違えられた他人の子供だったことが判明する。血か、共に過ごした時間か。2つの家族に突きつけられる究極の選択。そして、妻との出会い、両親との確執、上司の嘘、かつての恋、子供との時間。映画の余白を埋めていく、文字で紡がれる、家族それぞれの物語。

 

ひと言
話題の福山雅治 主演の映画『そして父になる』を観たくて、その前に この原作本を読んでおきたいと思った。
もう映画館では上映されてないので、4月にDVDで観られるのを楽しみにしています。
Amazonのカスタマーレビューに書かれた次の言葉が印象に残った。

 

 

女は子供が生まれた瞬間から『母』になる 男は子供と一緒に過ごし、そして『父』になる

 

 

「みんながあなたみたいに、がんばれるわけじゃないわよ」みどりが低く鋭い声で言った。その目には悲しみがあった。「がんばるのが悪いみたいな言い方だな」良多も挑戦的な声になる。「がんばりたくても、がんばれない人もいるってこと」一言ずつ絞り出すような言い方だった。それは慶多のことだけではなかった。みどり自身がこれまで押し殺してきた良多への憤懣だった。良多は確かに自分に厳しかった。だがそれを他にも要求する。まったく同じことを当たり前のように。そこにどんな事情があろうとも許されない。その先にあるのは叱責だけではない。軽蔑だ。それを見ぬふりをして過ごせるのは幸せなことだったのだろう。今はもうそんなことはできない。みどりは怒りを込めて良多を睨んだ。良多は視線を逸らすことができなかった。圧倒されていた。「慶多は……」みどりは慶多の頭を撫でた。優しく愛おしむように。「慶多はきっと私に似たのよ」痛烈な皮肉だった。だが同時にそれはみどりの本音だった。慶多を育てたのは自分だ。良多ではない、と。(9)

 

 

 その夜は唐揚げだった。慶多との最後の夜はみどりが腕を振るった手作りの唐揚げだ。骨つきの肉を使って骨の部分に飾りが施されている。その唐揚げが大皿に山盛りになっている。三人で食べても、とても食べきれない量なのは一目見て分かった。慶多は喜んだ。珍しいほどに大喜びして、次々と唐揚げを頬張った。その顔を見ながらみどりは、この味を忘れないで、と思った。ゆかりさんの唐揚げも、どんな高級店の味も、ママの作ってくれた唐揚げには敵わないって思ってほしい。一生、永遠に忘れないで、とみどりは祈るような気持ちになった。だが決してそれは口にできなかった。ただ唐揚げに気持ちを込めることしか。(9)

 

 

「慶多、ごめんな。パパ、慶多に会いたくなっちゃって、約束破って会いに来ちゃった」だが慶多は少しうつむいて地面を見ながら硬い顔のまま歩き続ける。「パパなんか、パパじゃない」慶多の言葉が胸を締めつける。この数ヶ月の苦しみ、いや、それ以前からの苦しみがその言葉に込められている。「そうだよな。でもな、六年間は……。六年間はパパだったんだ。できそこないだったけど、パパだったんだよ」慶多はやはりうつむいたまま良多に目を向けずに歩く。「バラの花、なくしちゃってごめんな」良多の言葉に慶多は小さく反応した。それで充分だった。折り紙で慶多が作ったバラの花。それはどこかに打ち捨てられていたのだ。それを見つけたのは慶多だろう。どれだけ傷ついたことだろう。父親のために作ったバラの花がゴミクズのように床に落ちているのを見て。「ごめんな。ごめん……」慶多はやはりうつむいたままだ。だが歩く速度が少し鈍った。「カメラ……。あのカメラで写真もいっぱい撮ってくれてたんだな」あの写真は慶多から良多へのプレゼントだった。良多は涙が込み上げそうになるのを必死で堪えながら続けた。「慶多、それとピアノもさ。一生懸命がんばったのに叱ってごめん。パパだってさ、子供ん時、ピアノ途中でやめたからさ」まだ慶多は顔を見てくれなかった。謝るべきことはいくらでもある。語り尽くせぬほどに。だがそれをすべて打ち明けても慶多は許してくれないだろう。良多は大きな声を出した。下品なくらいに。「慶多、もうミッションなんか終わりだ!」良多の言葉に慶多はちらりと良多を見た。桜並木はそこで終わっていた。良多は慶多の前に回り込んだ。慶多はなおも歩き続けようとした。良多は慶多の頭に手を置いた。慶多はうつむいたまま立ち止まった。
これまでに数えきれないほど良多は慶多を抱いた。赤ん坊の時も、歩くようになってからもせがまれれば抱き上げてやった。良多は慶多の前にひざをついた。だが、こちらから何かを伝えたいと思って抱いたことはなかった。言葉にできない想いを慶多に伝えたくて抱くのは初めてだった。良多は慶多の小さくて細い身体を抱いた。カー杯抱いた。
 慶多の身体が硬かった。小さい棒のように硬いのだ。良多は抱いた。抱き続けた。いつまででも抱いているつもりだ。慶多の身体から力が抜けていくのが分かった。慶多の小さな手が優しく、そっと良多の背中に回される。良多は慶多の背中をさすった。想いがもっと伝われ、というように何度も強く息子の背中をさすった。(12)

 

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あらすじ
強力な生物兵器を雪山に埋めた。雪が解け、気温が上昇すれば散乱する仕組みだ。場所を知りたければ3億円を支払え―そう脅迫してきた犯人が事故死してしまった。上司から生物兵器の回収を命じられた研究員は、息子と共に、とあるスキー場に向かった。頼みの綱は目印のテディベア。だが予想外の出来事が、次々と彼等を襲う。ラスト1頁まで気が抜けない娯楽快作。

 

ひと言
読み終えた後、すぐにウィキペディアで「どどめ色」を調べた。

 

 

どどめ色(ドドメ色、土留色)とは、その名前は知られているが正確な定義のない色。方言では桑の実、また青ざめた唇の色や、打撲などによる青アザに使われ、赤紫から青紫、黒紫を指す。英語では桑の実の色(マルベリーパープル)はラベンダー色に似た色を指す。

 

 

17年ぶりの書き下ろし文庫(680円)ということだが、これを1000円を超えるハードカバーで出すのはちょっと無理かなぁ。
(6)で共犯かどうかはまだわからん と言っているのに折口真奈美を輸送役に選んだり、金属製の容器をスーツケースに入れて…ちょっと無理がありすぎでしょ。でも東野圭吾はやっぱりおもしろいね。

 

 

 

「東日本大震災の直後、全国のスキー場が早々にクローズしたよね。覚えてる?」「もちろん、覚えてる。その時に俺が働いていたスキー場もそうだった」「節電とか燃料不足という理由もあったけど、実際のところはお客さんが激減したからだった。その理由は自粛。スキーやスノーボードを楽しめる雰囲気じゃなかったってこと。あたしが出場する予定だった大会も中止になった」「あの頃は、そういうことが多かったな」
「ボランティアで、被災地に荷物を運ぶ機会があったの。現地に行ってみて、すごいショックを受けた。こんな悲惨な現実ってあるんだろうかって目眩がした。自粛も仕方がないと思った。でも同時に、こんなふうにも思った。あたしがしてきたことって、こういう時には自粛しなきゃいけないことだったんだなって。練習では苦しいことも多いし、自分なりに努力してきたりもりだけど、その成果を出すのは不謹慎ってことになっちゃう」
「当時はみんな、萎縮しすぎてたと思うよ」「じゃあ、もしまた同じようなことが起きたとしても、今度は自粛ムードにはならないと思う?」それは、といって根津は首を傾げた。「どうだろうな」「あたしは同じだと思う。スポーツなんて所詮道楽。プロ野球でさえ、開幕が延期された。ましてやスノーボード。マイナースポーツのスノーボードクロス。おなかが減っている人や家をなくした人、病気や怪我で苦しんでいる人を助けられるわけじゃない。エネルギーの無駄遣いだから、しばらくおとなしくしていましょうってことになる。きっとそうなる」生ビールが運ばれてきたが、根津はすぐには手を伸ばさず、白い泡を見つめた。「そうかもしれないな。それじゃ不満か?」「そんなことない。そういうものだとわかってるつもり。だから、こんなふうにも思う。試合であたしが勝とうが負けようが、誰も困らないってね。あたしの中にいるもう一人のあたしが、滑っている間もずっと囁きかけてくる。何だよ、千晶。何、必死になってんの。おまえがやってることなんて、何の役にも立たないのにって」「役に立つとか立たないとか、そういうものじゃないだろ、スポーツってのは」「わかってる。あのね、根津さん、理屈は全部わかってるの。むしろ、わかりすぎちゃったから身体が動かない。何も考えず、無我夢中で滑るってことができなくなっちゃった。こんなあたし、どうしたらいい?」千晶の口元には笑みが浮かんでいたが、その目に宿る光は真剣そのものだった。彼女の心に落ちた影の濃さが窺えた。(24)

 

 

 

千晶はいった。
「どこかで不幸に見舞われた人がいるからって、自分たちまでもが幸せを追求するのをやめちゃいけない。そんなこと、誰も望んでない。あたしにはあたしにしかできないこと、あたしのやるべきことがある。それを続けることが、きっと誰かのためにもなる。そう信じることにした」
力強い言葉だった。こいつはもう大丈夫だな、と根津は確信した。(43)

 

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あらすじ
「いつやるか? 今でしょ!」の名ゼリフで爆発的人気の東進ハイスクール・林修先生。夢を追いかけて勉強を重ねる現役の受験生、受験を終えてその意味を考えたい元受験生、受験生の子どもを持つ親世代、教育に携わる先生たち…すべての人に読んでほしい、カリスマ講師からの激熱真剣メッセージ!

 

ひと言
今、話題の林先生の本なので、読んでみようかなと軽い気持ちで借りた。このブログを書く必要性もあり、いつも気になるフレーズに附箋を貼って読んでいるのだが、今回は附箋だらけになってしまった。

 

 

受験というのは『合否』という勝ち負けがはっきりと出ます。勝ち負けがはっきりと出る場に自分が正面から向き合うことは、人生の財産になります。できれば勝っておきたい。しかし、正面からぶつかって負けることもある。そうであっても、それはそれでとてもいい経験で、若い受験生にはそれも財産になり得る。それが受験の一番素晴らしいところだと僕は考えています(第1章 受験とは何か?)

 

 

勉強とは、自分に合った勉強法を見つけ出していくことが一番の基礎になければならないんです。その際に、批判的精神を持ちつつ、残念だが、林の言うことを聞くしかないというような批判的受容をする。そして、それを基にして自分の勉強法というものを作り上げていくことが一番大事だよ、と話します。(第1章 受験とは何か?)

 

 

『自分がわかるための方法を考えることが大事で、そこに至るまでのわからない時間が尊い。わからないことは決して悪いことではないんだ』(第1章 受験とは何か?)

 

 

―受験勉強は何を身につけるためにやるのでしょうか―。僕は、『創造』と『解決』、この2つの能力を高めることに尽きると考えています。(第1章 受験とは何か?)

 

 

―公文式というのはどういう学習法なのですか―。渡されたプリントを延々とやるだけで、あまり教えてもらえない。でも、勉強ってそもそも自分で考えるものなんです。だから、先生があまり教えないというのは、とても素晴らしいことなんです。むしろ教えすぎること、わかりやすく教えてしまうことのデメリットのほうが大きいと思います。
(第3章 僕の受験生時代)

 

 

僕は単語帳が大嫌いでした。理由は、あまり多くの情報を書くことができないからです。しかし、知り合いのひとりに、なんでもかんでも単語帳に書き込んで覚えている優秀な生徒がいたんです。彼が言うには、『この狭いスペースに書ききれるくらいに、情報を整理することが大切なんだ』と。なるほどと思いました。だからと言って、自分もそうしようとは思わなかったし、彼もまた、『林もこうしたら?』とは言わなかった。自分はこういう方法を、こういう理由で採用している。だからと言って、それが他人にも当てはまるかどうかはわからない。そういうことをわかって勉強しているんです。(第4章 東京大学は一番いい大学か)

 

 

現代文は必要条件にすぎない、と捉えるべきではないかと思うんです。つまり、大学の勉強をするにあたって、どんな分野であれ、ある程度論理性の高い日本語がわからなければ話にならない。だから、現代文ができるから素晴らしいのではなく、できなかったら大変なんだ、そう認識しています。(第5章 予備校講師としての責任)

 

ずっと欲しかった今話題のご飯鍋を、8日の誕生日プレゼントにいただき、今日そのご飯鍋でごはんを炊いてみました。とにかくおいしい!!

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いつも、炊飯器(純銅5層 圧力IH)でお米(富山産こしひかり)そして約ひと月半ごとに汲みに行っている滋賀県米原市の名水百選の泉神社湧水のお水でご飯を炊いているのですが いつもより甘く、やや硬め(最初なのでまったく説明書通りに炊きました)で大満足の味でした♪。


ご飯鍋は伊賀焼の「長谷園のかまどさん」一合炊き で1合のお米を研ぎ、水を切って、200mlのお水と一緒に鍋に入れ20分浸します。ガスを中火にして12分炊いた後、火を止め 20分蒸らして蓋を取った直後のが上の写真です。

今度はこの鍋で人気の 北海道の「ゆめぴりか」、熊本の「森のくまさん」、山形の「つや姫」、佐賀の「さがびより」なども炊いて食べてみたいです♪。
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あらすじ
ディズニーランドが開園30周年を迎えた2013年、9割が涙した感動のベストセラー・シリーズ、『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』 『ディズニー サービスの神様が教えてくれたこと』 『ディズニー ありがとうの神様が教えてくれたこと』の3冊。なぜ、私たちはディズニーランドを訪れるとこんなにも幸せな気持ちになれるのでしょうか?いったいディズニーランドの何が、あの何度も訪れたくなるような「夢と魔法の世界」を作り上げているのでしょうか? ディズニーの夢と魔法の神様たちと一緒に、ディズニーランドのキャストとゲストが紡ぎだす奇跡の物語が収録されています。人生に迷ったとき、仕事で悩んだとき、きっとあなたに感動の涙と共に、大切な気づきを届けてくれることでしょう。

 

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ひと言
今まで何度かディズニーランドを訪れたが、いくつになっても行くとわくわくする。この本を読んで、清掃スタッフのことをカストーディアルということや、新人キャストの教育指導係がつけるジミニー・クリケット(『ピノキオ』に登場するピノキオの良心役を任されるコオロギ)のトレーナーピンやディズニー勤続○○年の業務用キャストピンやがあることを知った。
次にディズニーランドに行くときは「スピリット・オブ・東京ディズニーリゾート」と言う キャスト同士がゲスト対応に秀でたキャストを選び、その功績を讃えて贈られるピンをつけたキャストさんを見つけたいと思った。

 

 

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「お姉ちゃんお姉ちゃん! ポップコーンのお姉さんにカード渡したら、いっぱい入れてくれたよ! ……… あれ? さっきボクがこぼしたポップコーンは?」「言ったでしょう? ティンカーベルの魔法で、元通りになるって」「すごーい! お姉ちゃんのポケットって、魔法のポケットみたい」「そうよ、これは魔法のポケットなの」……。
さっきお嬢さんが男の子に渡したカードは、『サービスー・リカバリー』といって、がっかりしたゲスト(お客様)に対し、希望を与えるカードなんです」「希望を与えるカード?」「はい、風船を飛ばしてしまった子や、あの男の子のように、転んでポップコーンを落としてしまった子の気持ちをサポートするためのカードです。手にしてみるとわかりますが、魔法使いのティンカーベルの絵が描かれてあるんですよ」……。
あるアトラクションの前で、小さな女の子が泣いている。「いやだ! いやだ! 絶対に乗る!」どうやら身長制限により、搭乗を断られてしまったようだ。これも、ゲストの安全性を最優先するためには、欠かせないルールの一つなのかもしれない。そして、泣いている女の子を見た男性のキャストが、すぐさまその子に近づき、あるものを差し出した。……そのキャストは、「これは『未来の乗車券』だよ。大きくなったら、また必ず来てね。その時は、一番に乗せてあげるからね」と言うと、女の子と指きりげんまんを交わし、持ち場へ戻って行った。
(そうじの神様 魔法のポケット)

 

 

「人の気持ちなんて、誰にも分からないよ。でもね、分かるうとする気持ちが大事なんじゃないかしら」 「分かろうとする気持ち?」「そう、分からないことを『分からない』で終わらせるんじゃなく、分かろうとすることで、相手の気持ちに一歩近づくことができるんだとおばあちゃんは思うんよ」
(サービスの神様 オレンジ色のラブレター)

 

 

『与えることは最高の喜びなのだ。他人に喜びを運ぶ人は、それによって、自分自身の喜びと満足を得る』
(サービスの神様 オレンジ色のラブレター)

 

 

最高のサービスとは、たくさんの人を幸せにすることだと思っていたが、多くの人を幸せにするためには、まず目の前の人を笑顔にしなければいけないんだ。僕たちは、目の前の人のことを飛び越し、「次の人」のことばかり考えていた。そんな気持ちでゲストに接しても、幸せにすることなどできるはずがない。回転率や効率を優先することは、「結果」の先走りなのだ。安全を守るためにも……だなんて、言い訳ばかりしていた。「できないこと」に言い訳を重ねるのではなく、「できること」をどう形に表すか。目の前にいるこの人の願いを叶えることが、僕たちがするべき「真のサービス」なのだ。
(サービスの神様 希望のかけ橋)

 

 

「ウォルドーディズニーは、お金儲けのためにディズニーランドを作ったわけじやないんですよ。人間が、本来のあるべき姿になれる空間を作るために始めたんです」「人間の、あるべき姿……ですか?」 「はい、人と人が認め合い、褒め合い、許し合う関係を保つことによって、愛に溢れた人間本来の姿を引き出せると、ヴォルトは考えていたんです。そして、キャスト全員が『あるべき姿』でいることによって、ゲストヘのおもてなしにも愛を込めることができる……と。」
(ありがとうの神様 絆の糸電話)

 

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あらすじ
正義とはなにか。絶対的な正義なんてないし、正義はある日逆転する。正義のためには悪人がいなくちゃいけないし、悪人の中にも正義がある。正義を生きるのは大変だけれども、その中で僕たちが目指すべき正義とは―。私たちの絶対的なヒーロー「アンパンマン」の作者が作中に込めた正義への熱い思い!

 

ひと言
今年10月13日、94歳で心不全のためお亡くなりになった やなせたかしさん。今年を締めくくるのにふさわしい本でした。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

東日本大震災の被災地の子どもたちへのメッセージ

 

 

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「正義とは何か。傷つくことなしには正義は行えない」
(第2章 どうして正義をこう考えるようになったのか)

 

 

なんのために 生まれて なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今をいきる ことで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

 

 

なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ どこまでも
そうだ おそれないで みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ

 

 

ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

 

 

(第4章 ぼくが考える未来のこと)

 

12月25日 浄瑠璃寺(九体寺)に行ってきました。

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名古屋から名阪国道の五月橋ICで降りて、県道4号を進みます。

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ここは9体の国宝の阿弥陀如来が安置されており、職場の人からも勧められていて、ずっと行きたいと思っていたお寺です。
奈良駅からも10kmほど離れ、交通手段も路線バスしかなくなかなか行きにくい所にあるのですが、
5月に知り合いの方のお父さんが脳梗塞で倒れられ、ずっと意識が戻らないまま闘病生活を続けてこられましたが、残念ながら12月の上旬にお亡くなりになりました。
九品往生(くほんおうじょう)の上品上生(じょうぼんじょうしょう)で極楽浄土からお迎えに来ていただけますようにとの思いもあって四十九日前におまいりしました。

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境内に入ってまず左手の三重塔の方向に進み、塔の中の薬師如来に手を合わせ、後ろを振り返り、池越しに本堂の阿弥陀如来に向かって手を合わせるという正しいおまいりのしかたに従っておまいりします。

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平安時代には京都を中心に30以上あった九体仏堂もすべて失われ、当時のまま現存するのは浄瑠璃寺だけということです。

本堂の九体阿弥陀堂(国宝)の9体の阿弥陀如来は、中尊が上品下生の「来迎印」で脇尊の八体はすべて上品上生の「弥陀定印」の印相です。
まず中尊(本尊)の阿弥陀如来に 真言「オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン」を唱えておまいりし、続いて向かって右の脇尊から1体1体 真言を唱えておまいりします。

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(絵葉書の写真を使わせていただきました)

本堂に入った時には1組のご夫婦がおまいりされていましたが、すぐに出ていかれ、おまいりしている約30分間は9体の阿弥陀如来と私だけの空間になりました。(もちろん国宝なのでお寺の方がお堂にはみえます)

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時の流れが止まり、1体1体の阿弥陀さまと対峙することができる穏やかな時間と空間を過ごすことができ、私にとっては何よりのクリスマスプレゼントになりました。