あらすじ
敗戦の夏、異端の石油会社「国岡商店」を率いる国岡鐵造は、なにもかも失い、残ったのは借金のみ。そのうえ石油会社大手から排斥され売る油もない。しかし国岡商店は社員ひとりたりとも馘首せず、旧海軍の残油集めなどで糊口をしのぎながら、たくましく再生していく。20世紀の産業を興し、人を狂わせ、戦争の火種となった巨大エネルギー・石油。その石油を武器に変えて世界と闘った男とはいったい何者か。1953年春、極秘裏に一隻の日本のタンカーが神戸港を出港した。「日章丸事件」に材をとった、圧倒的感動の歴史経済小説。
敗戦の夏、異端の石油会社「国岡商店」を率いる国岡鐵造は、なにもかも失い、残ったのは借金のみ。そのうえ石油会社大手から排斥され売る油もない。しかし国岡商店は社員ひとりたりとも馘首せず、旧海軍の残油集めなどで糊口をしのぎながら、たくましく再生していく。20世紀の産業を興し、人を狂わせ、戦争の火種となった巨大エネルギー・石油。その石油を武器に変えて世界と闘った男とはいったい何者か。1953年春、極秘裏に一隻の日本のタンカーが神戸港を出港した。「日章丸事件」に材をとった、圧倒的感動の歴史経済小説。
ひと言
巷ではもう2014年の本屋大賞にノミネートされた10作品が発表になっているが、ずっと読みたくてやっと借りることができた2013年本屋大賞の「海賊とよばれた男」。上・下が一緒に借りられたのはラッキーでした♪。
2010年の秋、仙厓和尚が生まれた岐阜県関市武芸川町のふるさと館で仙厓さんの禅画と出会い、私も一目でファンになり、、出光佐三(鐡造)が福岡の骨董屋で『指月布袋画賛』と出会ったときの気持ちが少しわかるような気がしました。銀行が鐡造に多額の融資を決めるシーンも感動的で、もうかなり昔に話題になったジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」を思い出しました。「永遠の0」の宮部(久蔵)をさりげなくほり込んでくるところも「探偵!ナイトスクープ」の百田尚樹さんらしいと思いました。
本屋大賞 278点 第1位 納得の作品でした♪。
巷ではもう2014年の本屋大賞にノミネートされた10作品が発表になっているが、ずっと読みたくてやっと借りることができた2013年本屋大賞の「海賊とよばれた男」。上・下が一緒に借りられたのはラッキーでした♪。
2010年の秋、仙厓和尚が生まれた岐阜県関市武芸川町のふるさと館で仙厓さんの禅画と出会い、私も一目でファンになり、、出光佐三(鐡造)が福岡の骨董屋で『指月布袋画賛』と出会ったときの気持ちが少しわかるような気がしました。銀行が鐡造に多額の融資を決めるシーンも感動的で、もうかなり昔に話題になったジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」を思い出しました。「永遠の0」の宮部(久蔵)をさりげなくほり込んでくるところも「探偵!ナイトスクープ」の百田尚樹さんらしいと思いました。
本屋大賞 278点 第1位 納得の作品でした♪。
「財産を全部失ってもいいか」妻の多津子は少し驚いた顔をしたが、笑って、「私はかまいませんよ」と答えた。「お前が嫁に来るときに持ってきた着物も売り払うことになるかもしれん」「生活のためなら、残念ですが、仕方ありませんよ」「うん、生活のためもあるが、店員の給金を払わねばならん」「それでしたら、喜んで手放しましょう」多津子はにっこりと笑って言った。鐡造は無言で頷いた。多津子に礼を言いたくはなかった。礼を言えば、妻は怒るだろうことがわかっていたからだ。寝間着に着替えながら、「乞食をすることになるかもしれんぞ」と言った。「鐡造さんも一緒にやってくださるのでしょう。だったら、平気です」鐡造は笑いながら、いい妻をもらった、と思った。(第一章 朱夏 一)
「国岡商店に戻らないのか」「国岡に?」宇佐美は召集される以前は国岡商店に勤めていた。十八歳で福岡商業を卒業して二年目の年に赤紙が来た。しかし店に籍が残っているはずはないと思っていた。「お前の復員を知った国岡商店の社長さんから、元気になったら戻ってこいという手紙が来たぞ」それは意外だったが、復職する気はなかった。というか、焼け野原になった東京に行く気などなかった。都会では米さえ満足に食べられないという話は宇佐美も聞いていた。ここにいれば、少なくとも米は食える。それにどうせ国岡商店はつぶれる。「やめとくよ」と宇佐美は言った。「国岡商店に戻る気はない。ここで親父の跡を継いで百姓をするよ」百姓を継ぐのは父の夢でもあった。それに反抗して都会の学校へ行き、国岡商店に入社したのだ。結局、巡りめぐって百姓をすることになるのも自分の運命なのだなと思った。父も喜んでくれるだろう。「馬鹿もん!」いきなり父が怒鳴った。「国岡商店は、お前が軍隊に行っている間、ずっとうちに給金を送り続けてくれたんだ。辞めるなら、その四年分の恩返しをしてから辞めろ!」宇佐美は父の剣幕にも驚いたが、国岡商店がずっと給料を払い続けてくれていたことにも驚いた。「俺は息子をそんな恩知らずな男に育てた覚えはない」これほど激高する父を見だのははじめてだった。「わかった」父の怒りに圧倒された宇佐美は言った。「俺は国岡商店に戻る」父はにこりともせずに大きく頷いた。「米だけはたっぷりと持たせてやる。もしも社長さんが食う米に困っていたら、すぐに知らせろ。俺が東京まで米を持っていく」翌日、宇佐美はリュックに米を山ほど詰め込んで、東京行きの列車に乗った。(第一章 朱夏 五)
このころ、鐡造は生涯愛することになる「仙厓」と出会っている。ある日、父と福岡の町を歩いているときに、骨董屋の店先で一幅の掛け軸が目に止まった。それは布袋が天を指差し、子供が嬉しそうにその指を見つめている様子が、ポンチ絵のような単純な線で描かれたものだった。作者の仙厓義梵は江戸時代後期の臨済宗の禅僧で、洒脱で飄逸な禅画を多数描き残したが、当時はまったく無名であった。もともとは美濃(岐阜県)の生まれだが、博多の聖福寺の住職を二十年も務めていたことから、北九州には多くの絵が残っていた。このとき、父にせがんで購ってもらった『指月布袋画賛』と呼ばれる絵は、後に仙厓の代表作として世に知られることになる。禅宗の教えでは「月」とは悟りのことで、それを示す「指」は経典である。そのころの鐡造はそんなものは知らなかったが、その絵に魅了され、晩年にいたるまで仙厓を追い求めることになる。(第二章 青春 一)
「日田さん」と鐡造は声をかけた。「返済の件なのですが―」日田は、うん? といった表情で振り返った。「返済って何のことや。ぼくは国岡はんにお金を貸すとは言うてへんで。あげると言うたんや」日田はそれだけ言うと、また池のほうに向いて、餌を与えた。「六千円もの大金をいただくわけにはいきません。これは融資として考えています」日田が振り向いた。その顔にはさっきまでの柔和な表情は消えていた。「国岡はん、六千円は君の志にあげるんや。そやから返す必要はない。当然、利子なども無用。事業報告なんかも無用」鐡造は声を失った。「ただし、条件が三つある」日田は指を三本立てて言った。「家族で仲良く暮らすこと。そして自分の初志を貫くこと」その後で、日田はにっこりと笑って付け加えた。「ほんで、このことは誰にも言わんこと」鐡造の全身は震えた。日田の溢れんばかりの厚意と、自分に対する揺るぎない信頼に心の底から感動した。目にみるみる涙が浮かんだ。「日田さん―」喉が詰まり、言葉が出なかった。しかし日田はそれに気づかぬように、振り返りもせずに、鼻歌を歌いながら庭を歩いた。……鐡造が帰ってから、重太郎は八重に言った。「京都の家を売ったお金を国岡にあげると約束した」「はい」「怒らないのか」「怒る必要かありますか」八重は食器を下げながら言った。「あなたがそれほどの人と見込んでのことでしょう」重太郎は静かに頷いた。「国岡はいずれ立派なことを為す男だ」「はい」八重は言った。「それはいつごろですか」「そうやなあ。何十年も後のことかもしれんなあ」重太郎は腕を組んだ。「もしかしたら、そのときは、わしはもうこの世におらんかもしれん」「それでもいいではありませんか」 八重はおかしそうに笑った。それを見て重太郎もにっこりと微笑んだ。(第二章 青春 四)
「日田さん―」「なんや?」鐡造は日田の隣に正座すると、頭を地面にこすりつけるほどに下げた。「申し訳ありません」「どないしたんや」日田は言った。「まあ、頭を上げえな」鐡造は顔を上げて言った。「国岡商店は廃業します」日田は何も答えず、関門海峡に視線を移した。そしてそのまま海をじっと見つめた。「三年間、必死でやってきましたが、とうとう資金が底をついてしまいました。せっかく日田さんからいただいたお金を増やすことができませんでした。お返しすることは叶わなくなりました」「あと、なんぼあったらええんや」日田は海を見ながら呟くように言った。鐡造は思わず頭を上げて日田の横顔を見た。「三年であかんかったら五年やってみいや。五年であかんかったら十年やってみいや。わしはまだ神戸に家がある。あれを売ったら七千円くらいの金はできる」鐡造は声が出なかった。日田は鐡造のほうを向くと、にっこり笑った。「なあ、とことんやってみようや。わしも精一杯応援する。それでも、どうしてもあかなんだら―」日田は優しい声で、しかし力強く言った。「一緒に乞食をやろうや」鐡造の目から涙がこぼれ落ち、止めようとしても止められなかった。(第二章 青春 六)
「ほう、ゼロ戦闘機ですか。何とも不思議な名前ですな」そのとき、零式艦上戦闘機からひとりの若い航空兵が降りてきてこちらに向かってくるのが見えた。航空兵は司令部に向かう途中、鍼造の前方を通った。「ご苦労様です」鐡造は思わず航空兵に頭を下げた。若い航空兵は立ち止まり、海軍式の敬礼をした。鍼造は青年の無駄のない美しい動きに感服した。二十歳をわずかに過ぎたくらいの背の高い痩せた男だったが、全身から精悍な空気が漲っていた。胸の名札に「宮部」と書いてあるのが見えた。(第二章 青春 十四)
これには正明も驚いた。二億円の資本金に対して四百万ドルという融資額は桁外れである。当時の交換レートは公式的には一ドル三百六十円だったが、実質的には円の価値はもっと安く、四百万ドルという金額は二十億円以上の価値があった。「なぜ、うちみたいな会社に?」と正明は思わず訊いた。タールパーグは笑って答えた。「あなたの会社の資本金に対しては、とても融資はできない。しかしあなたの会社の合理的経営に対してなら融資できる。われわれはあなたの会社と取り引きすることを名誉と思っている」正明は深く頭を下げた。(第三章 白秋 四)
昭和四十五年、国岡商店は兵庫県の姫路市の埋め立て地に製油所を建設したが、鐡造はその地を「日田町」と名付けることを姫路市に申請し、認められた。これにより製油所の正式な住所は、「兵庫県姫路市飾磨区妻鹿日田町一の一」となった。鐡造は、日田の出身地、兵庫県に彼の名前を残すことができたことを心より嬉しく思った。(第四章 玄冬 九)

二月の半ば、懇意にしていた古美術商が訪れた。彼は鐡造の前に一幅の掛け軸を見せた。それを見た鐡造は思わず唸った。それはかつて手放した仙厓の『双鶴画賛』だったからだ。生涯にわたって仙厓を愛してきた鐡造だったが、戦後の苦しいときに多くを手放していた。そのほとんどは国岡商店が大きくなってから買い戻すことに成功し、今では千を超える作品を所有するまでになっていたが、『双鶴画賛』は今日までついに見ることができないものだった。それはユキが気に入っていたものだった。絵には二羽の鶴が描かれていた。一羽の鶴は下を向き、もう一羽の鶴は上を向いている。賛には「鶴ハ千年 亀ハ万年 我れハ天年」と書かれてあった。「天年」というのは天命の意味であろう。思えば、自分が最初に手に入れた骨董が仙厓の『指月布袋画賛』であった。月を指差す布袋と、それを喜んで眺める子供が描かれた絵だ。その賛には「を月様幾ツ十三七ツ」と書かれていた。遠い昔、少年のころ、その掛け軸を父にねだって買ってもらったものだ。『指月布袋画賛』は今、国岡美術館に所蔵されているが、目を閉じれば、その絵は今もはっきりと脳裏に浮かぶ。国岡商店での七十年におよぶわが人生は、『指月布袋』の布袋のようなものだったのかもしれない、と鐡造は思った。大勢の店員たちは、月を見つめる子供だ。自分は店員たちのために、七十年にわたってずっと月を指差し続けた―。いや違う、と小さく呟いた。両手を広げて月を?もうとしている絵の中の子供は、自分だ。己の人生こそ、けっして?むことができない月をひたすら追い求め続けた一生だった。鐡造はひとりでふっと笑った。それでもいいではないか。もう一度、『双鶴画賛』を見た。おそらく二羽の鶴はつがいであろう。見つめるほどに、その絵に心を奪われた。かつて所有しているときには、この魅力に気づかなかった。この絵がなぜ今自分の下へ戻ってきたのかわかったような気がした。(終章)