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あらすじ
島を愛する旅人の純子と、故郷の沖縄を出て東京のキャリアウーマンとして生きる成子。「おんな一人旅の宿」というテーマで奄美諸島の神秘の島々を取材する二人だが、彼女らが見つけたものは、取材の目的以上の大きなもの。それは、それぞれが背負う「宿命」だった―。
第1回日本ラブストーリー大賞・大賞作『カフーを待ちわびて』の明青と幸の暮らしの傍でくり広げられていた、もう一つの感動ストーリー。

 

ひと言
『カフーを待ちわびて』の姉妹編、続編とも言える純子と成子の物語ということですぐに図書館へ借りに行きました。
自分も子供の頃、ときどきお土産に買ってきてもらえるヒロタのシュークリームが大好きでした。
すごくおいしくて、大きくなって自分でお金を稼げるようになったら、シュークリームをお腹いっぱいになるまで買って食べようと思っていました。そのシュークリームをお土産に買ってきてくれた親父も今年の1月に亡くなってしまいました。そーいえば、子供のころに思っていたシュークリームをお腹いっぱい食べるという夢を実現していないなぁ。この7月親父のお墓を建てるために大阪に帰ったときに、親父のことを思い出しながら、ヒロタのシュークリームをお腹いっぱい食べるという子供のときの夢を実現させようと思いました。

 

 

母の給料日が、唯一の楽しみだった。小さな箱に入ったシュークリームを買ってきてくれるのだ。そして、いつもより少しだけ早く帰宅してくれた。箱の中、なかよく寄り添う三つのシュークリーム。兄も純子も、思いきり□を開けて頬張る。とろけるような甘さに、涙が出そうになる。世界じゅうのどんな食べ物も、このシュークリームのおいしさにはかなわない。いつだって、そう思った。
純子が大人になったら、お母さんにシュークリーム買うてきてあげるけんね。そんなふうに言うと、母は楽しそうに笑った。お母さん、シュークリームやこ、いらんよ。純子が元気でおってくれたらええ。だんだんと大人になる息子と娘を、母はいつも励ますのだった。シュークリームを食べさせながら。
苦労するんはお母さんだけでええけ。あんたたちは、自分の好きなように生きるんよ。どんな生き方でもいい。自分の居場所をみつけて、後梅せんように、まっすぐ、生きていきんさい。苦労だらけ、後悔だらけの人生だったのだろう。母はきょうだいに、何よりも、くよくよせずにまっすぐに生きていくことをひたすら望んだ。あんたらは、ぐんぐん伸びる植物みたいなもんよ。お兄ちゃんはいっぱいに実をつけて、純子はきれいに花を咲かせんさい。
(鳳仙花)

 

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あらすじ
「嫁に来ないか。幸せにします」「絵馬の言葉が本当なら、私をお嫁さんにしてください」
から始まるスピリチュアルなほどピュアなラブストーリー。
ゆるやかな時間が流れる、沖縄の小さな島。一枚の絵馬と一通の手紙から始まる、明青(あきお)と幸(さち)の出会い。偶然に見えた二人の出会いは、思いも寄らない運命的な愛の結末へ。
第1回「日本ラブストーリー大賞」大賞受賞作品。

 

ひと言
昨年の夏読んだ、原田 マハさんの「キネマの神様」がすごくよくて、原田 マハさんにハマってしまいました。他にも原田さんの本を、特に「カフーを待ちわびて」を読みたいと探していたのですが、図書館でたまたま借りることができました♪。リゾート開発の部分にとらわれてしまうと、読了感はあまりよくない印象になるのかもしれませんが、こんな素敵なラブストーリー、人にプレゼントしたくなるような本でした。また好きな作家が一人増えたなぁ♪という感想です。
この連休を利用してレンタルDVDで映画も観てみようかな。
何年か後、この本の感動が思い出せるように、すこし長いですが幸の手紙の一部を残しておきます。

 

 

 

翌日、私は休みを取っていました。夕方、波頭崖から飛び降りる前に、最後の祈りを捧げようと飛泡神社を訪ねました。そこで、思いがけないものをみつけたのです。あなたの書いた、絵馬でした。驚きました。笑っちゃった。だってあなたは、絵馬にプロポーズ書いている。なんて人だろう。明るくって、暢気で、とことん平和で。実は、あなたの絵馬をこっそり持って帰っちゃったの。神様に怒られちゃうんじゃないかと、おっかなびっくりだったけど。コートの中にそっと隠して、雪に滑りながら走って逃げました。走りながら自分の足が、波頭崖には向かっていないことに気づきました。

 

 

 

あの夜、あなたの絵馬とデイゴのペンダントを枕元に並べて、ひとすじの希望が舞い降りてくるのを感じていました。母は私の死を望んではいない。その証拠に、あなたと私をこうして結びつけてくれた。そして、あなたのメッセージは私のために書かれたんだ。そう素直に信じられました。ずっとずっと考えて、とうとう沖縄に行く決心をしました。那覇についてから手紙を書いて、目をつぶってポストにえいっと入れました。そしてそれから、また迷いました。もしも訪ねて行って、あなたに受け入れてもらえなかったらどうしよう。ほんとはもう、奥さんがいたらどうしよう。迷って迷って、おろおろして、自分でもおかしいくらい。けれど、三週間と三日目に、今帰仁(なきじん)行きのバスに飛び乗りました。あなたに会おう。そして、母の言っていた通り、デイゴの小枝のペンダントを返そう。この人生を、変えるんだ。そう誓いながら。そういえば、子供の時から夢見ていたかもしれない。明青兄ちゃんのお嫁さんになるって。そんなに簡単に、夢は叶わなかったけれど。

 

 

なんだか、自分がずっと不幸だなって思っていたの。一生懸命生きてるつもりで、一生懸命誰かを好きになって、がんばってるつもりなのに、なんでかなあ、って。なんで幸せはやって来てくれないのかな、って。入院中のおばあに全部打ち明けました。絶対にあなたには言わないで、と約束して。すごく怒られました。「うぬ、大馬鹿もんが」って。幸せは、いくら待ってても、やって来ない。自分から出かけて行かなくちゃ、みつけられないんだ、って。だから何もかもあなたに打ち明けて、幸せになれ。それが遺言だ。そう言われたの。涙が、止まらなかった。

 

 

いままでの生活を全部捨てて、思い切って出かけて行って、私はあなたにとうとう会った。
あなたと一緒にいられて、私かどんなに幸せだったか、わかる?島の自然も、おばあのお祈りも、ガジマルの木も、何もかも母の言ってた通りだった。そして、あなたという人も。私の名前も呼べないほど、照れ屋でぶぎっちょで。なんにも言わないけど、ずっとそばで見守ってくれて。私を抱きとめてくれた、あなたの大きな腕。暗い水の中からすくい上げられた時、私の中に、本当の命が宿りました。だから、あなたにもらったこの命を、もう無駄にすることはできないの。

 

 

あなたというやさしさ、あなたという明るさ、あなたという人が、私の新しい宝物になった。かけがえのない存在になった。あなたのことを考えると、なんだか涙があふれて、同時に笑ってしまうの。どうしてかな、こんな気持ち、いままでなかった。この先二度と会えなくても、この思いを胸に抱いて生きていきたい。

 

 

最後のお願い。
いちどだけ、名前を呼ばせてね。

 

 

明青さん。愛してる。
カフー、アラシミソーリ(幸せで ありますように)。
                         幸
PS
母の宝物、返しました。みつけてください。私の宝物だったあの絵馬も、返そうと思っています。(14)

 

 

 

「庭の花、摘んで来たよ。早く帰れるように」おばあはじっとそれに視線を注いでいたが「いらん」とまたそっぽを向いた。「持って帰れ」と厳しい声で言う。「どうして」ちょっと残念そうに幸が聞いた。おばあは答えなかった。
………。……。
明青は「それ、持って帰るよ」と、幸がずっと手にしていた小さな花束を受け取った。幸は納得がいかない様子だ。「おばあも頑固だなあ。かわいくないのはわかってるけど。せっかく早起きして摘んだのに」
明青は小さく笑った。「おばあ、照れくさくてほんとの理由を言えなかったんだよ」「ほんとの理由?」
「『島のものは、どんなものでも、持ち出しちゃならん。持ち出すと、その者に災いがある』」遠い昔、母から聞かされたおばあの言葉を、なぜだか明青ははっきりと覚えていた。「おばあは、その花を摘んだひとを、災いから守りたかったのさ」幸の唇が、かすかに動く。泣き出しそうな笑顔になった。(10)

 

 

 

 

けれど、明青の心はもう決まっていた。幸にもう一度会ったら、真っ先に、言おう。

 

 

 

カフーが待ってる。島へ、帰ろう。

 

 

あの日、虹のかかったカミンヤーをはるかに眺めて、明青はいつまでも向かい風にあおられて立ち尽くしていた。(15)

 

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あらすじ
おおらかな夫、お気に入りのマンション、やりがいのある仕事。子ども嫌いだった千花子はこのまま二人で仲睦まじく年をとろうと旦那の一斗と話していた。しかし、雑誌編集者である千花子は、予定外の妊娠を機に、正面から人生の見直しを迫られる。戸惑いながらも出産を決意した千花子だったがそこには色々な問題があって…。

 

ひと言
こういう小説を書かせたら……やっぱり石田衣良でしょ。いつもながらどうして男なのにこんな作品が書けるのと 感心してしまいます。こういう作品を書ける男だから、女性に大人気なんでしょうね。

 

 

最近見た再春館製薬「ドモホルンリンクル」のTVコマーシャルに

 

 

女性が幸せに働けない会社が、女性を幸せにできるはずがない。

 

 

というコピーがありました。ほんとうにその通りだと思います。
がんばれ!すべての女性たち

 

 

「設備とか、お庭とか、LOHASとかより、動物っぽいところが気にいったんだ。わたし、妊娠がわかってからもう何週間にもなるけど、初めて自分が赤ちゃんを産むんだって実感できたの。たくさんの女の先輩だちと同じように、わたしも産むんだ。あれこれ悩むより、自分のなかにある動物を信じてみよう。この身体なら、きっとやってくれる。わたしがわからないことも、身体がきっとわかってるって。初めてそう思えたよ」一斗が夕暮れの住宅街で、しっかりと手をにぎってくれた。それだけで幸せでいっぱいになる。(22)

 

 

 

コラムを書きすすめていくうちに、弓佳だけではなく、流産を経験したたくさんの女性のために書いている気もちになった。こんな自分でもきっとなにかを伝えることができるはずだ。悲しみの底にいて声をあげることもできず、ひとりぼっちで母親学級から去っていったあの人たちになにかメッセージを手わたせるはずだ。千花子の思いはしだいに祈りに似てきた。空に帰った無数のちいさな命を鎮め、わが子の顔を見ることもなく母であることを奪われた多くの女性の心の平安を祈る。干花子は生まれて初めて言葉の力に目覚めた。(37)

 

 

 

 

臨月が近づけばショッピングもむずかしくなるし、出産後は赤ちゃんにつききりになるだろう。夏のあいだに育児の必需品をそろえておかなければならない。出産祝いは普通、赤ちゃんが誕生してからもらうものだけれど、その方法は間違っているのではないか。子花子はつぎのコラムで、そう書こうと決心した。出産の三ヵ月まえに、友人や家族から出産祝いが集まったら、どれほど楽になることだろう。(51)

 

 

先月3月22日に今 話題の少額投資非課税制度「NISA」を申し込みましたが、4月22日 やっと税務署の審査が通り、NISA口座が開設されたというメールが届きました。
さっそく株主優待が楽しみな現在352円の銘柄を1000株 指値350円で4月28日までの期間で注文を出しましたが 成立するかどうか。

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また余力があれば他の株主優待が魅力的な銘柄も買ってみたいです。
とりあえずNISAという楽しみが一つ増えました。
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あらすじ
マルキ・ド・サドをもじって名づけられた、書籍編集者の鳴木戸定。
彼女は幼い頃、紀行作家の父に連れられていった旅先で、誰もが目を覆うような特異な体験をした。その時から、定は、世間と自分を隔てる壁を強く意識するようになる。日常を機械的に送る定だったが、ある日、心の奥底にしまいこんでいた、自分でも忘れていたはずの思いに気づいてしまう。その瞬間、彼女の心の壁は崩れ去り、熱い思いが止めどなく溢れ出すのだった。
(2013年本屋大賞 5位)

 

ひと言
好き嫌いの分かれる作品。
「ゲシュタルト崩壊」同じ漢字を長時間注視しているとその漢字の各部分がバラバラに見え、その漢字が何という文字であったかわからなくなる現象。ゲシュタルト崩壊と言えば、認知心理学で言う「文字のゲシュタルト崩壊」という現象を差す場合が多い。例えば、「を」という文字を

 

 

をををををををを
をををををををを
をををををををを
をををををををを
をををををををを
をををををををを
をををををををを
をををををををを

のように並べたものを数分間見続けてみると、並べられた文字がばらばらに分裂して見え、記号や絵のように認識され始める。このとき意味や読み方を含めて「を」という文字の全体の構造を見失ってしまうが、この感覚が、文字のゲシュタルト崩壊だ。ゲシュタルト崩壊を起こしやすいとして有名な文字には「借、多、野、今、傷、ル、を」などがある。
 
定は、守口の真似をして、カルピスをゆっくり飲んだ。それはやはり喉を滑って、優しく胃の中に落ちて行った。何故かそのことに背中を押されて、定は口を開いた。
「言葉を組み合わせて、文章が出来る瞬間に立ち会いたい、という守□さんの気持ち、本当に分かります。私はそれが、私以外の誰かが作った、ということに、とても感銘を受けるんです。言葉そのものを作ったのが誰か分からないけれど、その言葉を組み合わせることによって、文章が出来る、しかも、誰かが作ると、それは私の、思いもよらないものになります。その文章が、言葉が、その人そのものに思えてきます。」
守口の汗は、涙は、止まらなかった、カーペットに、ぽた、ぽた、と、染みを作った。それは血の染みのように見えるが、血ではなかった。いずれ乾いて、透明になるのだった。
「私には、ずっと友人と呼べる人がいませんでした。ずっと、ずっと。人と接することがどういうことなのか、よく分からないし、友達がいないことがどういうことなのか、寂しいという感情がどういうものなのかさえ、よく分からないんです。でも、何かが出来あがる瞬間、それを目撃することに、私は感動するんです。そのときには、寂しいだとか、嬉しいだとか、そういう、人間らしい、というのですか、そういう感情が、分かる気がするんです。言葉を、それを誰が作ったのか分からないのですが、それらを組み合わせて、文章が出来る。誰かがそれをすると、私は、その誰かの感情を、なぞれるような気がするんです。」(P222)

 

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あらすじ
感謝の心、思いやりの心、敬う心、詫びる心、赦す心。薬師寺管主がまごころ込めて説く心の教科書。
CD付き。

 

ひと言
この本に書かれている5つの心。頭ではじゅうぶんすぎるぐらいわかっているのだが、実践するのは非常に難しい。特に「赦す」ということをいつも心掛けていたいと思う。

 

 

君は怒りの中で 子どもの頃を生きてきたね 
でも時には 誰かを許すことも 覚えて欲しい

 

 

「悲しみは雪のように」 (浜田 省吾)
 
メジャーリーガーである松井秀喜選手の高校時代の恩師・山下智茂監督が松井選手に贈った言葉のひとつに
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」
というものがあります。これはヒンドウ教の中にある言葉のようですが、私もその通りだと思います。

 

 

人は誰しも幸せを求めています。お釈迦様も幸せを求めて一生を生きられました。
でもその幸せは、誰かが与えてくれるものではありません。自分自身が発見するのです。
不平・不満だらけのマイナス志向を捨て、物事を前向きにとらえて現状に満足し、小さなことに感謝するプラス志向こそが、あなたを幸せにします。

 

 

まずはお互いに、よけいな先入観を取り払い、ひとりの人間として相手を見直してみましょう。よいところは尊重し、欠点には目をつぶるのです。そして、相手の生まれ育った時代背景や環境、価値観など、自分と違うものは強引にすりあわせようとせず「違うのだ」と認めるのです。ただそれだけで、関係は大きく変わりましょうし、あなた自身の心持ちも安らかになることでしょう。

 

 

お詫びの極意は①すぐに、②自分から、③真剣に、詫びることです。

 

 

古くから僧侶の間で伝えられてきた腹を立てない呪文をお教えしましょう。
「オンニコニコ、ハラタテマイソソワカ」
腹が立ったとき、心の中でこれを数度唱えるのです。ユーモラスな言葉の
響きに、少し気持ちが治まり、ささいなことなら不問に付す気持ちになりませんか?
これはお薬師様を賛嘆するときに唱える
「オンコロコロ、センダリマトオギソワカ」
をもじったものです。

 

 

般若心経というお経の中には、空の心、色即是空、空即是色などと「空」という言葉がたくさん出てきます。元管主の高田好胤師は、この「空」をどう説明したらいいか、いろいろと苦労した結果、ふっとお薬師様の前で「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、広く広くもっと広く、これが般若心経、空の心なり」という言葉が出てきたそうです。自分の言葉ながら「これは自分が言ったのではない。お薬師様が自分の口を借りて言わしめたのだ。お薬師様の言葉なのだ」と、講演会場などでは必ず、最初と最後にこの言葉を唱和され、特に講演後には、聴聞者と一緒に大きな声で唱和されていました。
しかしそう簡単に、かたよらない、こだわらない、とらわれない心にはなれません。どうすれば広い心になれるか、寛容な心になれるのか。そのひとつの方法は、人を赦す心を持つことなのです。

 

 

しかし実際には、赦すことは非常に難しい行為です。生きる幸せに気づくための「五つの心」の中でも、最も難しいものでしょう。

 

3月31日、この春、大学に合格した上の娘のお礼参りを兼ね、久しぶりに家族4人で京都へ桜を見に行きました。

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京都東ICで降りて、山科駅前のラクト駐車場(平日 最大1200円)に車を停め 電車・バスで移動です。

まずは地下鉄で醍醐寺へ向かいます。三宝院の「太閤しだれ桜」。
醍醐寺も清水や二条城なみの外人さんの多さにびっくりです。

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地下鉄で二条城前まで行き、市バス50系統で衣笠校前まで乗って、次の桜は平野神社の桜です。
京都の桜の季節は楼門の左脇にある「魁(さきがけ)桜」が咲くことから始まるといわれている桜です。

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平野神社を抜けて北門から北野天満宮へ。

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古札をお返しし、来年 高校受験する下の娘が集中力をもって勉学に取り組めるようお見守りください
とお祈りしてきました。

お昼は天満宮のすぐ前の「とようけ茶屋」です。

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単品の生麩丼、生ゆば丼、とようけ丼、きぬかけ丼の4種類の丼を4人で廻して食べます。
子どもたちもおいしい!おいしい!と喜んでくれ、並んだ甲斐があります。
他に湯葉3種、生麩田楽も注文し お腹いっぱい大満足の昼食でした。

バスで河原町三条まで行き、新京極をショッピングして歩き、錦市場へ。

とようけ茶屋で食べ過ぎてあまり食べられないのですが、
錦市場の「魚力」の はもカツ・はもてんぷらだけはやっぱり外せません。

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錦の天神さんにもお参りし、都路里の祇園本店の大行列の前を通って都路里の高台寺店へ。
2組が待っているだけでしたが都路里パフェはもうお腹いっぱいで無理ということなので、
「洛匠」の草わらび餅をいただきます。

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日も暮れ、これからは夜桜を楽しみます。
夜桜のまず最初は「高台寺桜」です。ライトアップされた竹林も綺麗でした。

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ねねの道を歩いて円山公園へ。次は「祇園の夜桜」として有名な祇園枝垂桜との再会です。

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ここは京都を訪れるときにはよく前を通るのですが、満開の祇園の夜桜を観るのは、30年以上ぶりです。
この桜は、間違いなく日本一の夜桜だと思います。
桂離宮のブルーノ・タウトじゃないけれど「泣きたくなるほど美しい」桜です。
桜守の佐野 藤右衛門さんに唯々 ありがとう と感謝の気持ちでいっぱいです。

帰りは、地下鉄東山駅ではなく三条京阪駅まで祇園白川の巽橋を通り夜桜を眺めながらそぞろ歩きします。

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祇園白川の桜も満開で、家族みんなも大喜びの京都旅行でした。
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あらすじ
桜は守りをせな、手入れではあきませんのや 桜守りと呼ばれ京都・仁和寺出入りの植木職・植藤の十六代目が語る桜と庭と自然の興味つきない話。

 

ひと言

 

 

佐野 藤右衛門さんの本をもう1冊。来週の3月31日が京都の桜の満開予想日。
下の写真の場所の桜も大好きです。ここがどこかわかるかな?

 

 

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桜は全部下を向いて咲くんです。ですから中へ入り込んで見て、初めて桜も喜ぶんです。横から見ては、全然あきませんものね。そやから、どんな昔の絵を見ても、みんな、幹のまわりで花見をしてますやろ。花が覆いかぶさってくれるのやから、そこへ入ればいいんです。
 ゴザをしいて、女の膝枕でごろーんと上向いて寝てたら、あれほどええもんはないでっせ。ふわっと包み込んでくれるんです。横から見るのは、ほんまにただ見てるだけで、味わいがないですわな。
(Ⅱ 桜のいのち 花の見方・楽しみ方)

 

 

 
 やっぱり桜は月に引かれるというのか、自然の営みには月が大きくかかわっているみたいですな。ですから桜がいつごろ咲くかは暦を見ていたらわかります。満月に向かって咲きよるんです。北のほうへいくとまた変わりますけど、京都あたりだと、だいたい満月に向かって咲いていきますわね。
平成七年は、四月の一日が十五夜でしたな。そこを目指して、ぐうーっと咲いて、それで一気に春になりました。
(Ⅱ 桜のいのち 花の見方・楽しみ方)

 

 

わしの生き方はやんちゃです。やんちゃっていうのは生きていくための活力ですわ。やんちゃというのは、人に頼らずに、自分の力で生きとるということです。やんちゃと、悪いことをするやつとは全然違うものやからね。
 木でもやんちゃの木のほうがよう育ちよる。それにちょっとやんちゃしている木のほうが使いやすいでっせ。あんまり素直な木は、植えてもおもしろ味がないんですわ。石でもそうでっせ。素直な石やったらおもしろ味がない。味がないんですな。やんちゃの木も石も使い方によって、ものすごくおもしろいものができる。その代わり使うほうに見る目がないとあきませんな。人間もそうです。癖のあるやつを避けたがりますが、そうではなくて癖を利用すればいいんですわ。癖というのは使い方しだいです。同じような人間ばっかり集まってもおもしろうないでしょう。今は使い分けるということが面倒だから、同じような素直な人だけをつくりすぎているんですわ。そのほうが扱いやすいんです。数でかぞえればすみますからな。寄せ植えの庭というのはそういうものです。日本の庭が美しく味があるのは、やんちゃさや癖を生かしているからです。
(Ⅴ 植木職の今日と明日 個性を見抜き個性を生かす)

 

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あらすじ
「桜守」佐野藤右衛門さんの活動を通じて、いのちをつなぐとはどういったことかを伝える写真絵本。
日本全国を飛び回り、傷ついた桜の手当てをし、桜の新種をさがす佐野さんは、「桜守(さくらもり)」とよばれています。桜のいのちを守るしごととは。

 

藤右衛門さんは四十年来の私の親友である。もちろん、寂庵の桜もすべてお世話になっている。ふだんは磊落豪放な人柄だが、桜の話をするとたちまち人相まで慈悲にみちた仏さまのように和んでくる。桜はこの人にとってはいとしい子供であり、命がけで恋いこがれた永遠の恋人である。桜に男一生の夢と命をそそいだ桜守のつぶやきは、どの言葉にも深い愛と祈りと哲学にみたされている。(瀬戸内寂聴)

 

 

ひと言
先日、恵那で永田西行桜と出会ったとき、桜守り佐野藤右衛門さんのことを知り、藤右衛門さんのことをもっと知りたくなって図書館で検索してこの本を借りました。
四季折々の祇園枝垂桜の写真が載せられていて、自分の中で桜と言えば 祇園枝垂桜。
祇園枝垂桜と言えば 与謝野晶子の
「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢う人 みなうつくしき」 を思い出します。

 

 

巻末の寂聴さんの「桜に男一生の夢と命をそそいだ桜守のつぶやきは、どの言葉にも深い愛と祈りと哲学にみたされている」の言葉通りの本でした。
もうすぐ桜の季節、久しぶりに満開の祇園枝垂桜を見に行きたくなりました。
それに 山越の佐野藤右衛門さんのお宅の桜も

 

 

桜は、かならず下をむいて咲きます。ほかの花は太陽にむかって咲くのに、桜は下をむく。
それだけ人をつつみこんでるのやと思います。

 

 

桜は守りをしないといけない木なんです。手いれではあきません。

 

 

日本のあちこちで長くのこってきた桜いうのは、その木のまわりに住む人たちの心づかいで生きてきた桜なんです。

 

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あらすじ
自殺未遂、薬品中毒…。3枚の奇怪な写真とともに渡された睡眠薬中毒者の手記に、克明に描かれた陰惨な半生…。太宰治の自伝であり、遺書でもある作品。太宰 没後60年。人間を合格と失格に分けるラインはどこにあるのか? 「もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました」。人と接することを恐れるがゆえに、本心を隠して生きる男。彼は自殺未遂を繰り返し、薬物におぼれていく。太宰治が死の1ヶ月前に完成させ、60年を経てなお、愛され読まれ続ける傑作。

 

ひと言
子どもが、もういらなくなったと持ってきた文庫本の中の1冊。
おお!懐かしい「人間失格」だ。それも集英社文庫の好き嫌いの分かれる話題になった表紙の本だ。
約40年近くぶりに読み返した。一度読んで、すぐまた最初からもう一度読み直した。
やっぱり太宰はいいな。他の作品もまた読み直そうと思った。

 

 

 

そこで考えだしたのは、道化でした。
 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事ができたのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。(P15)

 

 

 

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きてきたのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、「世間というのは、君じゃないか」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀本を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。(それは世間が、ゆるさない)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)(P109)

 

 

 
神に問う。信頼は罪なりや。
ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨシ子の無垢の信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思われていたのです。(P141)