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あらすじ
大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば…。さらに、赤石が論文データを捏造したと告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。個性的な研修医達の指導をし、告発の真相を探るなか、怪文書が巻き起こした騒動は、やがて予想もしなかった事態へと発展していく―。
(2019年 本屋大賞 8位)

 

ひと言
昨年の本屋大賞8位の知念さんの「崩れる脳を抱きしめて」もよかったけれど、この本もよかったです。ただ、三浦しをんさんの「愛なき世界」が7位、「ひとつむぎの手」が8位。本屋大賞を選考する書店員さんの傾向として音楽・家族関係の本は上位にくるのに、医学・理学関係の本はあまり上位にはこない傾向があるのが少し残念です。

 

 

両親の慟哭がやむのを数分間待った祐介は、宇佐美に向き直る。 「宇佐美先生、確認をお願いします」 宇佐美は目を見張って棒立ちになる。 「君が確認をするんだ。できるね」 もう一度促すと、宇佐美は決意のこもった顔つきで頷き、ペッドに近づいた。光也が涙で濡れた顔を上げる。 「……確認させていただいてよろしいでしょうか?」 かすれ声で宇佐美が言うと、光也は涙を拭い、妻を支えてベッドから一歩離れた。 「絵里香ちゃん、ちょっとごめんね」 宇佐美は絵里香の瞼を優しく持ち上げ、ペンライトの光を当てて瞳孔反射を確認する。それが終わると聴診器を使い、丁寧に聴診を行った。 「ありがとうね、絵里香ちゃん。お疲れ様。……本当にお疲れ様だったね」 絵里香の頭を優しく撫でた宇佐美は、光也と聡子に向き直る。 「瞳孔の反射が消えているのと、呼吸、心臓が停止しているのを確認させていただきました。九時三十六分、…… ご臨終です」 宇佐美は深々と頭を下げた。祐介や周りに控えていた看護師たちもそれにならう。 「お世話になりました……」 光也が声を振り絞り、聡子は弱々しくこうべを垂れた。 「このたびはご愁傷様です。これから絵里香ちゃんのお体を拭いてきれいにさせていただきます。 その間ご両親は……」看護師がマニュアル通りの説明をはじめるのを尻目に、祐介と宇佐美はベッドから離れる。 「良くやった」 ねぎらいの言葉をかけると、宇佐美は口を真一文字に結んだまま、少しだけあごを引いた。背後から「宇佐美先生」と声がかけられる。ふり返ると、聡子と光也がお互いを支見合うようにしながら立っていた。 「本当にお世話になりました」 二人は声を重ねる。宇佐美は驚きの表情で視線を彷徨わせた。 「そんな……。私はなにもできなくて……」 「そんなことありません。宇佐美先生は、本当に絵里香のことを親身に考えてくださって……。絵里香も宇佐美先生に感謝して……、先生のことが大好きで……」 聡子は声を詰まらせる。 「宇佐美先生のような方に担当していただけて、絵里香は本当に幸せだったと思います。絵里香の一生は短かったですが、その間、みんなに愛してもらって……。本当にありがとうございました」 光也が妻のあとを継いで礼を述べると、青木夫妻は離れていった。
二人の背中を見送った宇佐美の唇が、わずかに震えはじめる。 「……行こう」 祐介は宇佐美の手を引いて歩きはじめた。 「え、平良先生? どこに?」 戸惑う宇佐美を連れてICUから出た祐介は、すぐわきにある病状説明室の扉を開ける。 「あの……私またなにか、おかしなことをしましたか?」部屋に入った宇佐美が不安げに言った。祐介は首を左右に振る。 「まず、この前言ったことを訂正させてくれ」 「この前言ったこと?」 「ああ、君のこの二日間の態度は素晴らしかった。君はどこの科に行ったとしても、素晴らしいドクターになれるはずだ」 宇佐美はなにを言われたか分からないかのように、口を半開きにする。 「よく家族の前で涙を見せなかったね」 「それは、……ご両親の方が、私よりずっと哀しいはずだから」 宇佐美はかすれ声を絞り出した。 「ああ、そうだな。けれど、君だって哀しかったはずだ。友達が亡くなったんだからね。よく耐えた」 「はい……」「医者は患者の家族の前では泣くなって教えたね。けれど、ここには家族はいない」 「え? どういうことですか」 「絵里香ちゃんをお見送りするまで、まだ時間があるはずだ。宇佐美さんも泊まり込みで疲れただろ。少しこの部屋で、一人で休んでいるといいよ。……しっかり防音されているこの部屋で」 意味が分かったのか、宇佐美が両手を目元に当てる。「本当にお疲れさまだったね」細かく肩が震えはじめた宇佐美を置いて部屋を出た祐介は、閉じた扉に背中をつける。どこからかかすかに、深い慟哭が聞こえてきた。
(第三章 追憶の傷痕)

 

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今日は知立へ行く用事があり、お昼は三河安城駅前の「北京本店」の豚の唐揚げが倍の6枚のデラックス北京飯(800円)を食べに行きました。TVなどでもよく取り上げられている安城のソウルフードで近くに行ったときは是非立ち寄ろうと思っていたお店です。トロトロ卵でとじたご飯に豚の唐揚げが乗ったとてもシンプルな一品なんですが北京飯のたれが絶妙な卵の味を引き出しているのか う、うまい! しばらくするとまた食べたくなるおいしさです。

 

持ち帰り用に売っている 極 北京飯のたれ(500円)を買えばよかった。次行ったときは忘れずに たれ を買おう。ごちそうさまでした♪

 

 

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北京本店(食べログ)
安城市三河安城本町2

 

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あらすじ
母の故郷の鳥取で店を開くも失敗、交通事故死した調理師の父。女手ひとつ、学食で働きながら一人っ子の僕を東京の大学に進ませてくれた母。その母が急死した。柏木聖輔は二十歳の秋、たった一人になった。全財産は百五十万円、奨学金を返せる自信はなく、大学は中退。仕事を探さなければと思いつつ、動き出せない日々が続いた。そんなある日の午後、空腹に負けて吸い寄せられた商店街の総菜屋で、買おうとしていた最後に残った五十円コロッケを見知らぬお婆さんに譲った。それが運命を変えるとも知らずに……。

 

そんな君を見ている人が、きっといる。
(2019年 本屋大賞 2位)

 

 

ひと言
最後の青葉だけは譲らないを強調するための設定なのか、ちょっと譲りすぎな聖輔に少しヤキモキしながら読みました。少し設定が軽いし甘いところも否めませんが、こういう小説のほうが元気をもらえるので好きです。それにしても どうしてこんなに「ニトリ」が出てくるの?そして無性に揚げたてのコロッケが食べたくなりました。

 

 

「いくらある?」 わかっているのに財布を開き、もう一度なかを見る。「五十五円、です」「五十五円かあ。よし。負けてやるよ」「え?」「今のお客さんにコロッケを譲ってくれたから、メンチ、五十五円」「でも」 「いや、きりよく五十円でいいや」 「だったら五十五円でいいです」 「いいよ。財布がすっからかんになるのも不安だろ? 五円じゃ何も買えないけど、残しときな。ご縁を残すってのは語呂もいいしな。ウチとの縁も残して、また今度買いに来てよ」 「じゃあ、そのときに差額を払います」 「いいって。それじゃおれが無理やり高いものを売りつけたことになっちゃう。貸しなんてつくりたくないよ」 そして店生らしき人は奥の厨房に声をかける。 「おい、エイキ。メンチ揚がるか?」 「今揚がります」とそのエイキさんが返事をする。二十代前半ぐらいの人だ。 「じゃ、兄さん、どうせなら熱々を食いな」 エイキさんが五つほどのメンチを載せた銀色のトレーを渡す。店主らしき人はその一つをトングでつかみ、油が染みない小さな紙袋に入れて、こちらに差しだす。 「ほい。揚げたても揚げたて。熱いから気をつけて」 五十円を渡し、メンチを受けとる。紙袋越しに熱が伝わってくる。
(一人の秋)

 

 

玄関で、いよ子さんが僕に言った。 「遠慮しないでまた来てね。ご飯ぐらい、いつでも食べさせてあげる」 「ありがとうございます」 「あと、本当に困ったらそのときは言って。お金も少しなら貸せるから」 「いえ、それは」 「いいの。困ったときは借りられる。そう思っておいて。一人でがんばることも大事。でも頼っていいと言ってる人に頼るのも大事」 いよ子さんは僕に白い封筒を差しだした。 何だかわからないまま、受けとる。「電車代」「いえ、それは」とまた同じことを言って、返そうとした。 が、いよ子さんは受けとらない。「ご飯を食べさせてあげるなんて言いながら電車代は負担させるんじゃ、意味ないでしょ?」
(一人の春)

 

 

青葉がお賽銭を入れ、二度深くおじぎをする。次いで二度拍手。もう一度おじぎ。 僕もまねする。財布にちょうど五円玉があったので、お賽銭箱に入れ、二礼、二拍手、一礼。 僕が終えるのを待って、青葉が言う。 「初めてお賽銭で百円入れた。これまでは五円か十円だったのに。贅沢。どうか神様がわたしのためにがんばってくれますようにってお願いしたよ。せめて百円分はがんばってくれますようにって」 「神様ががんばってくれますようにって、神様にお願いしたの?」 「うん。あとは、実習がうまくいきますようにって。柏木くんのこともお願いしといたよ。調理師試験に受かりますようにって」 「ありかたいけど。お願い、多くない?」 「銀座にはあんまり来ないから、欲ばった」 「お願いごと、言っちゃっていいの?」 「ダメなんだっけ」 「わかんないけど」 「拍木くんは? 何をお願いした?」 「いいことがありますように。というか、もういやなことがありませんようにって。五円しか入れなかった。足りないかな」「だいじょうぶ。銀座の神様だもん。太っ腹だと思うよ」 二人、神社をあとにし、今度は並木通りを歩く。
(一人の春)

 

 

大切なのはものじゃない。形がない何かでもない。人だ。人材に代わりはいても、人に代わりはいない。 道は譲る。ベースも譲る。店のあれこれも譲る。でも青葉は譲らない。譲りたくない。自分よりずっと上にいる相手にも。自分よりずっといい条件を示せる相手にも。 とはいえ、青葉の気持ちは尊重したい。ほかの何よりも優先したい。だから選択を強いたりはしない。選ばれたら全力で受け止める。それでいい。 ただ、一つだけ。僕自身の気持ちを伝えるのは許してほしい。
〈今、町屋。これから荒川線に乗ります〉と青葉に送信する。 〈六分で着いちゃう。ダッシュ!〉と返信がくる。 そして七、八分後。熊野前郵便局の前には、ダッシュをかけたあとの青葉がいる。ほぼ部屋着、すっぴんに近い青葉だ。 「こんばんは」とふざけて僕に言ってくる。 申し訳ないが、そのあいさつはスルーする。 前置はなし。まずは要点を言う。「ねえ」「ん?」
「おれは青葉が好き」
(夏)

 

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パルコでの昼食の後、自転車で三蔵通を西に走り「銀座に志かわ 名古屋伏見店」の前を通ります。
最初、銀座にオープンしたのが8ヵ月前 あっという間に全国に広がり、3週間ほど前にオープンした ここ伏見店は7号店になります。

 

お店の外にいた店員さんに「電話予約していないともちろん買えないですよね」と尋ねると、なんと、しばらく待つと購入できるとのことなので整理券をいただきました。

 

 

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夕食は急きょレトルトのビーフシチューになり、生で 水にこだわる高級食パン(864円)をいただきます。 一口食べての感想はしっとりもっちり感動的においしい! 甘さが口の中に広がります。これは隠し味の蜂蜜。生クリームもけっこうふんだんに使っているのかクリーミーさも十分です。すぐ近くの 「乃が美」も感動的なおいしさでしたが、個人的にはこちらの方がおいしいかも。でもこんなおいしいパンを食べていると、普通の食パンが食べられなくなって困ることになるかも……。感動のおいしさでした。ごちそうさまでした♪

 

 

銀座に志かわ
名古屋市中区栄2

 

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昨年12月に京都の烏丸四条にオープンして、あっという間に大人気になった「京都四条くをん」が今年2月末に名古屋パルコにやってきました。早く食べに行かなきゃと思っていましたが、やっと今日のお昼に伺うことができました。かしわキーマうどん 麺-ひや 追いつゆ-鰹出汁(1080円)をいただきます。テーブルにある食べ方に従っていただきます。最初は麺だけで。ひやにしたせいもありかなり腰と香りがあるなぁ程度の感想でしたが、キーマカレーを絡めていただくととてもおいしいです。

 

ライムを絞り鰹の追いつゆをかけていただくと「何、これ」というぐらい美味しくなります。残ったキーマカレーに西京みそ漬けの卵黄をのせた麦ご飯 そして残った追いつゆをかけ、まぜていただくと、リピ確定というくらいおいしいです♪これは京都で行列になるのが納得という かしわキーマうどんでした。大変おいしかったです。ごちそうさまでした♪

 

 

京都四条くをん 名古屋パルコ店(食べログ)
名古屋市中区栄3 名古屋パルコ 7F

 

5月5日 こどもの日。知立の八橋かきつばた園へ行ってきました。

 

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10連休もあと1日。混雑するのが嫌いで、どこへも出かけず読書三昧の日々でしたが、10年以上も前からず~っと~行きたくて、この連休中 ここだけは行こうと決めていた知立 無量寿寺のかきつばた。

 

 

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約60年前から行われ、全国から毎年10万人以上が訪れる「史跡八橋かきつばたまつり」。昨年は“立枯病”で開催を見送るという異常事態に陥りました。

 

 

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TVのニュースで、去年の春は、ほぼ壊滅的な状態だったかきつばたを 池の水を全部抜いて、土壌の入れ替えを行ったり、3万本ある かきつばたの根元に30人の保存会の方々が手作業で薬剤を1本1本まき、今年は見事に復活したというニュースを見ました。

 

 

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写真は、中京テレビから拝借(ごめんなさい)。会長の平澤 信幸さんをはじめ多くの保存会の方々のご尽力で見事に復活しました。ほんとうにありがとうございました。

 

 

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在原業平像の業平はやっぱり男前でした。本堂にも業平像が祀られています(写真撮影禁止)。ボランティアの方の話では業平の像が祀られているお寺はとても珍しく全国的にみても4寺(たしか そう言われたと思う…)しかないとのことでした。
らころも つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもふ

 

 

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参考までに、かきつばた・あやめ・花しょうぶの見分け方です。付け根に白い線があるのがかきつばたです。私も今まではっきりとは知りませんでした。みなさんも覚えておいてね。

 

 

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立夏の土用の丑の日は 昨日の 5月4日でした。お昼はこれも同じTVニュースで紹介されていた「うなぎの旭屋」さん。串を刺すのではなく、網で挟んで焼くうなぎ屋さんです。

 

 

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12組、50分ほど待って人気No.1の特上うなぎ丼(2484円)をいただきます。コスパ抜群。一日30食の限定で、もうないと思っていましたがゴールデンウイーク限定のメニューでいただくことができました♪。

 

 

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知立と言えば「藤田屋」の大あんまき。ほんとうに30年ぐらいぶりで国道1号添いの本店へ。人気No.1のチーズ(220円)と令和の焼き印を押したあずき(200円)をいただきます。

 

 

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そうだ今日は 5月5日 ちまき・柏餅を食べなきゃ。なかなかこちらの方は来る機会が少ないので、これも前から行きたかった名古屋市緑区の「御菓子司 葉月」へ立ち寄ります。あの「芳光」で修業された方のお店です。ちまきは売り切れ、柏餅(210円)とわらび餅(230円)をいただきます。わらび餅は「芳光」よりもプルプルです。

 

 

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八橋のかきつばた保存会の方々がどれだけ地元のかきつばたを誇りにし、大切に守ろうとしているかがとても伝わってきて心に沁みた知立の旅でした♪。

 

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あらすじ
昭和三十七年、ヤスさんは生涯最高の喜びに包まれていた。愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、家族三人の幸せを噛みしめる日々。しかしその団らんは、突然の悲劇によって奪われてしまう―。アキラへの愛あまって、時に暴走し時に途方に暮れるヤスさん。我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた不器用な父親の姿を通して、いつの世も変わることのない不滅の情を描く。魂ふるえる、父と息子の物語。

 

ひと言
令和の最初の一冊に選んだのは、好きな重松 清さんの本。これまでも図書館で、まだ読んでいないこの本があることはわかっていましたが、他にも読みたい本がたくさんあって 評判のいい本だとはわかっていたのですが、今まで借りることのなかった本でした。令和の時代になったけれど、昭和のあたたかさのようなものを感じることができてほんとうによかったです。これからの令和もこんな父と子の物語がたくさん生まれますように!

 

 

黙って海を見ていると、どうしても美佐子さんのことを思いだしてしまう。美佐子さんが生きていれば、アキラの小学校入学を誰よりも楽しみにして、誰よりも喜んでいるはずだ。亡くなって二年半足らず。まだ笑顔がくっきりと思い浮かぶから、胸がじんとして、涙が出そうになる。
ひとの死を悲しむことができるのは幸せなのだ、と三回忌の法要のときに海雲和尚に言われた。ほんとうにつらいのは、悲しむことすらできず、ただ、ただ、悔やみつづけ、己を責めつづけるだけの日々なのだ、と。
(海に降る雪)

 

 

和尚は数珠を手のひらに掛けた右手を、「ふんっ!」と気合いを込めた声とともにアキラのほうに突き出して、言った。 「アキラ、これがお父ちゃんの温もりじゃ。お父ちゃんが抱いてくれたら、体の前のほうは温うなる。ほいでも、背中は寒い。そうじゃろ?」 アキラは、うん、うん、とヤスさんの胸に頬をこすりつけるようにうなずいた。 「お母ちゃんがおったら、背中のほうから抱いてくれる。そうしたら、背中も寒うない。お父ちゃんもお母ちゃんもおる子は、そげんして体も心も温めてもろうとる。ほいでも、アキラ、おまえにはお母ちゃんはおらん。背中はずうっと寒いままじゃ。お父ちゃんがどげん一所懸命抱いてくれても、背中までは抱ききれん。その寒さを背負ういうことが、アキラにとっての生きるいうことなんじや」
小学校入学前のアキラに言葉の意味がきちんとわかっているとは思えない。だが、アキラは黙って聞いていた。 「背中が寒いままで生きるいうんは、つらいことよ。寂しいことよ、悲しゅうて、悔しいことよ」―― 和尚の言葉のテンポに合わせるように、アキラの肩が小さく震えた。ヤスさんの胸に涙が染みた。 和尚の右手が動く。数珠を掛けたままの手のひらが、アキラの背中に添えられた。 「アキラ、温いか」 海雲和尚が訊いた。アキラの背中に当てた手は、すべてを覆い尽くしているわけではない。それでも、アキラは「少し……」と答えた。 「まだ、ちいと寒いか」 「……うん」 「正直でええ」 和尚は満足そうに笑い、かたわらの照雲に「おまえも当ててやれや」と声をかけた。 ヤスさんの手、和尚の手、照雲の手 …… 三人の手が合わさると、アキラの背中も、すっぽりと覆うことができる。「どうじゃ、温いじゃろうが」 和尚が言う。「これでも寒いときは、幸恵おばちゃんもおるし、頼子ばあちゃんもおる。まだ足りんかったら、たえ子おばちゃんを呼んできてもええんじゃ」―― ゆっくりと、拍子をつけて、アキラの背中を叩く。
「アキラ、おまえはお母ちゃんがおらん。ほいでも、背中が寒うてかなわんときは、こげんして、みんなで温めてやる。おまえが風邪をひかんように、みんなで、背中を温めちゃる。ずうっと、ずうっと、そうしちゃるよ。ええか、『さびしい』いう言葉はじゃの、『寒しい』から来た言葉じゃ。『さむしい』が『さびしい』『さみしい』に変わっていったんじゃ。じゃけん、背中が寒うないおまえは、さびしゅうない。のう、おまえにはお母ちゃんがおらん代わりに、背中を温めてくれる者がぎょうさんおるんじゃ、それを忘れるなや、のう、アキラ……」 浹をすすった。ひっく、ひっく、としゃくりあげた。 アキラではなく、ヤスさんが。
(海に降る雪)

 

 

 

「ヤス、海に雪は積もっとるか」「はあ?」「ええけん、よう見てみい。海に降った雪、積もっとるか」 積もるわけがない。空から降ってくる雪は、海に扱い込まれるように消えていく。 「おまえは海になれ」 和尚は言った。静かな声だったが、一喝する声よりも耳のずっと奥深くまで届いた。 「ええか、ヤス、おまえは海になるんじゃ。海にならんといけん」 「……ようわからんよ、和尚さん」 「雪は悲しみじゃ。悲しいことが、こげんして次から次に降っとるんじゃ、そげん想像してみい。地面にはどんどん悲しいことが積もっていく。色も真っ白に変わる。雪が溶けたあとには、地面はぐじゃぐじゃになってしまう。おまえは地面になったらいけん。海じゃ。なんぼ雪が降っても、それを黙って、知らん顔して呑み込んでいく海にならんといけん」 ヤスさん、黙って海を見つめる。眉間に力を込めて、にらむようなまなざしになった。
「アキラが悲しいときにおまえまで一緒に悲しんどったらいけん。アキラが泣いとったら、おまえは笑え。泣きたいときでも笑え。二人きりしかおらん家族が、二人で一緒に泣いたら、どげんするんな。慰めたり励ましたりしてくれる者はだーれもおらんのじゃ」 和尚が海に突きだした握り拳は、かすかに震えていた ―― 寒さのせいではなく。「ええか、ヤス……海になれ」 ヤスさんも胸が熱くなる。 「笑え、ヤス」 わははははっ、と笑った。笑うと、つっかい棒がはずれたように涙が目からあふれ出た。 波が寄せては返す。雪はあいかわらず降りしきっているが、海はそのすべてを呑み込んで、ただ静かに夜を抱いていた。
(海に降る雪)

 

 

 

肉じゃが、菜の花のおひたし、タコブツ、煮込み、そして…… 「一つしか残っとらんけん」と、ハマグリの吸い物を手早くつくって、お椀を泰子さんの前に置き、逃げるように照雲の前に立った。 「ハマグリはなあ、上の殼と下の殼がぴったり合うんは、この組み合わせしかないんよ。他の貝とでは合わんの。じゃけん、婚礼のお祝いに使うんよ。最後まで添いとげんといけんのよ、いうてね …… どげん苦労があっても、がんばって、がんばって、短気を起こさず、がんばって …… ほら、照雲ちゃん、聞いとるんっ? びいびい泣くなっ! あんた、おとなじゃろう!」
泰子さんはゆっくりと息をついて、お椀を両手で取った。「いただきます」と一礼して、目をつぶり、まるで三三九度の杯を干すように、吸い物をすする。 「おいしい?」と、たえ子さんはまたそっぽを向いて、面倒くさそうに訊いた。 泰子さんは静かにお椀を置き、「おいしいです……」と答え、あらためて一礼した。
(秘すれば、花)

 

 

「来てくださって、ほんとうにありがとうございました。父はもちろんですが、母も、私も、うれしいです」 いい家族だ、とヤスさんは思う。父親は生まれ故郷の備後から遠く離れた東京で、いい家族に出会い、幸せなわが家をつくったのだ。 昭之さんが顔を上げるのを待って、「おふくろさんはお元気でおられるんじやろう?」と訊いた。 「ええ、おかげさまで。いまも病室に詰めてます」 「失礼かもしれんけど、あんたのほんまのお父さんは、いま……」 「私が赤ん坊の頃に事故で亡くなりました。ですから、実の父親の記憶はまったくなくて、いまの父が、ほんとうに、私の父親なんです」 ここにもまた、なにかが欠けていたり、つぎはぎだったりする家族がいる。それでも、「幸せじゃったか?」とヤスさんが訊くと、少しはにかみながら「はい」とうなずく親子がいる。「両親は仲良しじゃったか?」と訊くと、息子が「ええ、すごく」と笑って答える夫婦がいる。ヤスさんは大きく二度うなずいて、「ウチもじゃ」と笑った。「わしも、幸せな人生を送らせてもろうとる」―― ほかには、もう、なにも言うことはなかった。 ヤスさんは大きく息をついて、「会わせてもろうてもええかな」と言った。……。……。
「目を覚ましたら、よろしゅう伝えてくれや、安男は元気で幸せにやっとります、息子を一丁前に育てて、いまから楽隠居ですわ、いうて」 玄関の外に出ると、初夏の陽射しが腫れぼったい目に染みた。これでいい。おてんとうさまも言ってくれている。手を握って頬をすり寄せて泣いた――親子なら、通じる。わかってもらえる。信じた。やっと確かめ合えた父親と息子のつながりは、言葉を交わすと逆に消えてしまいそうな気もした。
昭之さんはヤスさんの前に回り込んで、行く手をふさぐ。 「また来てもらえますか」 ヤスさんは黙って首を横に振った。 「今度は息子さんも一緒に……父にとっては、血のつながった孫になるわけですから」 「違うわい」 きっぱりと言った。「あのひとの孫は、あんたの子どもさんじゃ」とつづけた。 「ですから、それは確かにそうなんですが、やっぱりほんとうの……」 「ほんまもクソもあるか、家族に。大事に思うとる者同士が一緒におったら、それが家族なんじゃ、一緒におらんでも家族なんじゃ。自分の命に替えても守っちゃる思うとる相手は、みんな、家族じゃ、それでよかろうが」 ヤスさんは『備後もなか』の入った手提げ袋を昭之さんに差し出した。 「田舎の名物じゃ。あのひとも懐かしがってくれるわい。自分ではよう食わんでも、あんたやおふくろさんや、あんたの子どもさんらが、うまいうまい言うて食うてくれれば、あのひともうれしいわい」
(ヤスさんの上京)

 

 

〈海雲和尚の手紙には、おそらく安男はまだなにも話していないだろうから、と前回きして、母の死のことが書いてあった。海雲和尚の言うとおり、父は僕が中学二年生のときに告白したきり、母の死については一度も話題に出さなかった。やはり母への贖罪の意識があるのだろうと思っていたが、そうではなかった。母が自分の命と引き替えに救ったのは、僕だったのだ〉
安男の嘘をゆるしてやってほしい、と和尚は書いていた。 おまえのためを思って、悩んで悩んで、悩み抜いたあげくついた嘘なのだ、ともあった。 〈筆で書かれた海雲和尚の字は、僕の知っている字よりずっと弱々しかった。きっと体の具合が悪くなってから書いてくれたのだろう〉 和尚の言葉は文字どおりの遺言だった。おまえは母に命を守られ、父に育てられ、たくさんのひとに助けられて、成人式を迎えるまで大きくなった。それをどうか、幸せだと思ってほしい。生きて在ることの幸せを噛みしめ、育つことの喜びを噛みしめて、これからの長い人生を生きてほしい。感謝の心を忘れないおとなになってほしい。母に、まわりのひとたちに、そしてなにより父に――おまえを世界の誰よりも愛してくれた父に、いつか、ありがとう、と言ってやってほしい……。 〈手紙を読んで涙が止まらなくなったのは生まれて初めてだった。誰に向かって、どんな思いで泣いているかは自分でもわからなかった。ただ、ハナをすするときに片方の穴に指で蓋をして、右、左、右、左、と交互にすするのは、テレビドラマの最終回や甲子園の高校野球の閉会式を観て泣くときの父と同じ癖だった〉 自分はもうじき逝く、と和尚は最後に書いていた。 美佐子さんに会えたら、アキラは立派に一人前のおとなになった、と伝えてやる。美佐子さんの喜ぶ顔が目に浮かんで、いまから向こうに行くのが楽しみでしかたない。 だが、美佐子さんがいちばんうれしく思うのは ―― と、最後の最後に、あった。おまえが父の偽りの告白を聞いたあとも、一度たりとも父を恨まずにいてくれたことだろう。
〈和尚の手紙を読んで初めて気づいた。僕は確かに、母は父をかばって死んだんだと思い込んでいた。だが、ほんとうに、ただの一度も、「父のせいだ」とは思わなかったのだ。父は告白したあと「恨んでもいい」と言った。僕もそのときはうなずいた。それでも、父を恨むことはまったくなかった。我慢したのではなく、そんな思いはいっさい湧いてこなかったのだ。そのことが僕はうれしい。僕自身ではなく、僕に恨みを抱かせなかった父を誇りに思う。父は嘘をついていた。僕は二十歳になって、真実を知った。だが、ほんとうにたいせつな真実というものは、父と過ごした日々にあったのかもしれない〉
(ヤスさんの上京)

 

 

ヤスさんは息をゆっくりと吸い込んで、言った。 「わしは備後に住む。あの家で、これからもずうっと、ずうっと、暮らすけん」 「……なんで?」 「わしが備後におらんと、おまえらの逃げて帰る場所がなかろうが」 「逃げるって、そんな……」 「ケツまくって逃げる場所がないといけんのよ、人間には。錦を飾らんでもええ、そげなことせんでええ。調子のええときには忘れときやええ、ほいでも、つらいことがあったら思いだせや。最後の最後に帰るところがあるんじゃ思うたら、ちょっとは元気が出るじゃろう、踏ん張れるじゃろうが」 閉じたまぶたの中で、照雲が笑っている。たえ子さんが笑っている。会社の若い衆が笑っている。そして、美佐子さんが、優しく何度もうなずいてくれていた。
(ふるさと)

 

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あらすじ
あの嫌われ者は、何のために闘い続けたのか――。豊臣家への「義」か、はたまた自らの「野心」からなのか。覇王信長の死後、天下人を目指す秀吉のもと、綺羅星の如く登場し活躍する武将たちを差し置いて、最も栄達した男、石田三成。彼の「眼」は戦国を優に超えていた――。歴史の細部を丁寧に掬う作家、吉川永青が現代人に問う、政治家石田三成の志。渾身の書き下ろし長編小説。

 

ひと言
私が好きな石田三成の本は何冊が読んだが、この本は大谷吉継や島左近との友情がより詳しく描かれていたし、織田秀信(三法師)との鷹狩りのシーン(これは創作?)もよかった。
「水清ければ魚棲まず」三成はあまりにも純粋で愚直過ぎた。歴史は為政者(家康)のものであるから、天下を盗む大悪党のように三成が後世に伝えられている感があるのが少し寂しい。
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と言われる清興と三成の出会いが詳しく描かれていたので、自分への備忘録として長めですが引用させていただきました。吉川 永青さんごめんなさい。

 

 

心中に踏ん切りを付けて口を開いた。「利休殿の遺言に従い、参じた次第」 清興の目が驚きを湛えた。「……そう聞いては、お引き取り願う訳にも参らぬ。まずは入られよ」 幾分渋った声で歩を進め、手ずから竹垣の扉を開けて三成を招き入れた。中は土間と薄汚れた板間、囲炉裏がひとつという、質素そのものの体である。
……。……。「利休殿ご生涯の日、今生の別れに一服を頂戴した。茶室から下がる折、是非にとお勧めいただいたのだ。秀長様が亡くなられた後、ご辺が近江に下がったゆえ、召し抱えてやれと」清興は戸惑うように返した。「何ゆえ利休様が、左様なことを」「話せば長くなる。ご辺がわしに仕えてくれたら、追い追い話すこともできよう」「片腹痛いことを。お断り申し上げる」 鼻で笑って返された。だが退けぬ。秀吉の歯止めとなるには、清興のような切れ者を抱え、自らの及ばぬところを補ってもらうのが良い。大いなる先達、千利休が是非にと薦めたのだ。自らの決意を示すべく、三成は床に両手を突いて頭を下げた。「できるだけのことはさせていただこう。二万石でどうか」清興は失笑交じりに応じた。「安く見られたものよな。同じだけの知行を蹴って、筒井家を出奔した身ぞ」「左様であったか。されど、わしに出せるのはそれが精一杯だ」返答がない。頭を上げると、清興が何とも意外そうな顔をしていた。
「その……。不躾な話だが、石田殿はどれほどの知行を頂戴しておられる」 控えめな問いに、二度頷いて答えた。 「四万石。佐和山城代として十万石を差配できるが、これは代官として殿下よりお預かりしたものゆえ、家臣の知行割りに転じて良いものではない」 「待て、待たれよ」 清興は、今度は愕然とした面持ちを見せた。「ならば二万とは、半分ではないか。主従の知行が同じなど聞いたことがない。それではご辺が窮するだろうに」「わしが富を得れば国が良くなるのか。知行など。どう使うかが大事であろう」 平然と返す。身を捨てて世に臨む覚悟を固めたのだ。知行地を治め、兵を雇えるだけのものが手元に残れば良い。清興には確かな見識があり、己と違って人の心を細やかに知っている。昔年のこと、大和郡山城で筒井順慶を説得できたのも、この男があったればこそだ。残る二万石の全てを渡すだけの値打ちがある。 俯いて考えることしばし、清興は「どうにも解せぬ」という顔を上げた。 「四万石の知行ならば、何ゆえ忍城で水攻めなどなされた。四十里の堤を築いたと聞いておる。佐和山の十万石を加えたとて、易々と――」 
そこまで言って、今度は「あっ」と口を開いた。三成は軽く頷く。「佐和山城代は小田原征伐の後、奥羽仕置の功により任じられたもの」 「では……あの水攻めは、ご辺の思い付きではなく」 三成は、ゆるりと笑って見せた。 清興は少し考えて幾分得心したように頷き、やや嫌気を薄れさせた目を向けた。「ご辺が裏方の任に長けるは、豊臣家中では隠れなきことぞ。殿下のご下命なら財は十二分に使えたはず。早々に水を引き入れて、戦を終えてしまえば良かったろうに」「あの城は、水では落ちぬ」 頭を振り、説明を加えた。至るところ川だらけの中、忍城だけは盛り土をして高めた地に築かれている。古来「浮き城」と呼ばれたのは、名ばかりではないのだと。 
話を聞くほどに、清興の目が輝きを湛え始めた。 「ご辺は……殿下の面目とご自身の面目を引き換えになされたのか」ひけらかすつもりはなかったが、話の流れである。ここにも分かってくれる者があったことは素直に嬉しい。面映いものを隠すべく、寸時目を逸らした。 「わしが戦下手と蔑まれれば、殿下には瑕が付かぬ」 すると、清興は居住まいを正し、真っすぐこちらを向いた。「お聞かせ願いたい。ご辺はいったい、何のために働いておられるのか。自らが富むことを望まず、功を誇ろうともせず、あまつさえ名を損なっても良いと申される」 三成も居住まいを正し、胸を張って返した。 
「利休殿との別れにて、もうひとつを受け取った。我が全て……命すら投げ打つべしと」 清興は、これを聞くと感じ入ったように□を噤んだ。 思いの出どころを伝えておかねばなるまい。三成は幼少の頃の話をした。当時の主家であった浅井が滅び、石田村の百姓が父の下知を聞かぬようになったこと。その有様を見て、寺に預けられていた己が無念に思ったこと――。 「斯様な世を鎮めるには何か要るのか。十八で殿下にお仕えするようになってからも、ずっと考え続け、やっと答を見出した。わしは、天下に秩序を求めて働くのだ」 語り口に、次第に熱が籠もる。 「寛容、寛典。秀長様の仰せは尊い。されど領国ごとに思い思いの差配を認めれば、天下をひとつにした意味は薄れよう。利休殿も商人を守ろうとしておられたが、統べる力がなければ商人の財は私利私欲の域を出ず、世を蝕む毒にしかならぬ。百姓衆とて同じよな」 清興が声を揺らした。「武士、商人、百姓、全てに秩序を……」「左様な世で人々が手を携えてこそ。戦乱は終わったと言えるのではないか。わしはただ、幼き日の思いを形にしたい。そのために殿下の泥除けに任じ、殿下の歯止めにならんと欲する」 清興の目が熱く輝いている。三成はじっと見据え、噛んで含めるように付け加えた。 「豊臣は未だ、大名の上に立ったに過ぎぬ」 眼差しを絡めること如何ほどか、不意に清興が板間から後ずさって土間に下りる。そして両手を地に置き、平伏した。 「秀長様とのことも、何もかも、それがしの思い違いだったとは。今までの非礼、このとおりお詫び申し上げまする」
伝わった。何よりそれが嬉しい。それなのに「構わぬ」と返す声音は、相変わらず素っ気ない響きであった。自ら呆れて苦笑を漏らすと、清興が平伏の体から頭だけを上げた。「お願い申し上げます。それがしを二百石でお抱えくだされませ。我が願いは栄達に非ず、ただ甲斐のある生を欲するのです」 その姿を真っすぐ見つめ、首を横に振った。「二万石と申した。それだけ受け取らねば、ご辺の仕官は認めぬ」 「……はっ。殿の仰せのままに」 再び面を伏せる。三成は座を立って自らも土間へ運び、ひれ伏す肩にぽんと手を置いた。 「これにて、お主は石田家中ぞ。されど主従ではない。友として、わしを支えて欲しい」 清興は、びくりと身を震わせ、伏せた顔からぼたぼたと涙を落とした。
(第二章 決意 利休切腹)

 

 

「三成」声がかかる。少しおかしな抑揚は、口を動かしにくい吉継だとすぐに分かった。 「どうかしたのか」 振り向いて問うと、吉継は深く頭を垂れた。 「お主のお陰で助かった。わしはこのとおりの病ゆえ……。友とは申せ、ああまでしてくれたとあっては、どう礼を申して良いのか」 三成は「はは」と小さく笑った。 「お主には恩がある。無用にいたせ」 「左様なもの、施した覚えはないが」 困惑した声で顔を上げた友に、ゆっくりと三度、首を横に振って見せる。
「わしらが駆け出しの頃だ。あの賤ケ岳の戦いで、わしは先駆衆に名乗り出ながら何もできなんだ。気落ちしたところへ申してくれたろう。この戦があるのは二人で道を整え、裏方の働きを十分にしたからだと。お主が胸を張れと言うてくれたからこそ、今のわしがある」 思いを込めて目元に笑みを湛える。吉継はしばし黙ったままだったが、やがて、しわがれ声でぼそりと漏らした。「……古い話を」 ろくに閉じない目から、ぼろぼろと涙が零れている。咽ぶ声を聞き、三成はぽんと肩を叩いて立ち去った。 
(第三章 混迷 秀次無残)

 

 

「わしはな、治部。織田の天下が奪われて良かったと思うておる」 驚きに声を出せないでいると、秀信(三法師)は穏やかな笑みでこちらを向いた。 「祖父・信長公が、あのようなことになっていなければ。そう思うたこともあった。が、折に触れてわしを訪ねてくれた其方を見続けて分かった。天下とは、人ひとりの手には大きすぎる」三成は常にすまし顔ながら、何度も会っているうちに細かな違いが見えるようになったと秀信は言う。疲れや苦悩、何らかの決意、そうしたものを感じるたびに、自らの身の上をすんなりと受け入れられるようになったのだ、と。
「天下か……。重すぎるものを背負うには、常に上だけを見ておらねばならぬ。されど、それゆえに祖父は躓いたのだ。太閤殿下も同じよな。治郎がおって、足許を固めておるから躓かぬ。わしと我が家臣に同じことができたかどうか」 「勿体なきお言葉にござります」 三成は恐縮して馬上で居住まいを正し、頭を下げた。右手甲の鷹が驚いて羽ばたき、秀信の方へと行った。 「おっ」 秀信は嬉しそうに声を上げ、右手を差し出す。鷹はそこに止まって、きょろりとした目で首を傾げた。 「治郎がいてくれなんだら、わしの目は開かれなかったやも知れぬ。この先は、わしが其方の力になれたら良いのう。唐入りもあることゆえ、未だ世が落ち着いたとは申せぬが、な」「……はっ」
(第三章 混迷 巨星堕つ)

 

 

清興が仁王立ちで見下ろしてきた。 「まことの士とは、いたずらに潔からんとする者ではない。自らの才を用い、智を振り絞り、最後まで諦めない者を言うのだ。お主、この国の明日を作るために身を賭すと決めたのであろう。ならば諦めず、逃げ延びて再起すべし! 家康より早く大坂に上がり、秀頼公を御旗に立てて戦わば、この一戦の負けなど取り返すに足る。返答や如何に」お主、と言った。家臣ではない、友としての忠言である。 
「……斯様な時に。ずるいな、お主は」 三成は苦い笑みを浮かべ、身を起こした。すくと立って言う。 「目が覚めた思いぞ。礼を申す」 清興は、ようやく面持ちを緩めた。 「それがしと郷舎殿で踏み止まり、大殿が逃げる隙を作ります。大坂で戦うにも手足は要ることでしょう。本陣の家臣は全てお連れなさい」 黙って頷く。清興も頷き返して戦場へと踵を返した。最後まで諦めずに戦うという覚悟が伝わった。死ぬつもりなのだ。 吉継と清興、またとない友に二人も恵まれた。己は果報者である。命懸けで傾けてくれた情に、何としても応えねばならぬ。友として、そして、人として。
(第四章 決戦 天下の礎)

 

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あらすじ
地下鉄で、酒場で、河原町の雑踏で――京の街角には歴史を見つける愉しみがある。人生の閉幕を意識し始めた作家は、常にこの国の歴史の大舞台であった地で思索を巡らせるべく、京都に仕事場を構えた。先斗町のバーで津田三蔵の幻を見、花街・島原に反体制の気配を感じ、「司馬遼太郎のソファ」に新撰組を想う。小さな発見が思わぬ史話へ発展する週刊新潮の好評連載を書籍化。知的興奮に満ちた68話の随想集。

 

ひと言
図書館で葉室 麟さんが京都のことを綴ったこの本を見つけた。葉室さんが亡くなってもう1年4ヶ月、66歳という早すぎる死だった。「蜩ノ記」「秋月記」、そして映画化もされた「散り椿」。ことしの春は、見に行きたいと思っていた京都「地蔵院」の五色八重散椿を観に行けなかったのが残念。それにして葉室 麟さんの幅広い知識には驚かされる。もっともっと葉室さんの作品を楽しみにしていたのに……。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

昔、読んだ文芸評論家、桶谷秀昭さんのエッセイを思い出した。明治の小説家、二葉亭四迷の筆名は「くたばってしめえ!」に由来するのは、よく知られているが、実は「くたばって」をロシア語表記すると、最初のKは子音になり、子音のKにTが続いた場合、日本語の「ふ」に近い音になるのだという。 二葉亭四迷は筆名を考えるにあたって、「くたばってしめえ」をまず、ロシア語表記したから「二葉亭」になったのだ、という指摘をしたのは司馬遼太郎さんだと述べてあった。
(ウオッカバーにて)

 

 

〈いもぼう〉は九州の唐芋と北海道の棒鱈を組み合わせた「奇跡の逸品」だから、九州の食べ物という感覚が間違っているわけではない。店の説明によると、〈いもぼう〉は江戸時代、元禄から享保にかけて青蓮院宮に仕えていた平野権太夫がある時、宮様が九州から持ち帰った唐芋を栽培したところ海老に似た独特の形と縞模様を持った「海老芋」となった。権太夫は宮中への献上品であった棒鱈と一緒に炊き上げて「いもぼう」を考案した。厚く面取りした海老芋と、一週間余りかけて柔らかく戻した棒鱈を一昼夜かけて炊き上げるのだという。
(いもぼうの味)

 

 

『近思録』(南宋の朱子が呂祖謙とともに、北宋時代の学者の言説からその精粋を選んで編纂したもの)に、
感慨して身を殺すは易く、従容として義に就くは難し
という言葉がある。興奮して命を捨てることはできるが、落ち着いた平常心のまま正しい道を選択するのは難しい、ということだ。 大石は「従容として義に就」いたのだ。しかし、迷わないわけではなかったろう。 山科に住んだ大石は、忠臣蔵では、祇園の「一力」で遊蕩したことになっているが、実際には伏見の撞木町で遊んだ。壮年の男性が女色に走る理由は「死」への恐怖ではないか。
(大石内蔵助の「狐火」)

 

 

沖縄戦での死亡者数は、日米合わせて二十万六百五十六人。日本人死亡者は十八万八千百三十六人で、そのうち、一般住民九万四千人を含む沖縄県出身者が十二万二千二百二十八人を占めている。県外出身の日本兵は六万五千九百八人が戦死している。 沖縄で戦った日本軍兵士の出身地は当然ながら全国におよんでいる。このため沖縄県内には全国四十六都道府県別の慰霊碑がある。
〈京都の塔〉は、そんな慰霊碑のひとつだ。那覇市より北の宜野湾市の嘉数高台公園にある。塔というよりは横長の自然石(鞍馬山の石で造られた)の慰霊碑だ。 首里の第三十二軍司令部を守るための陣地が築かれていた嘉数高地は米軍の戦史に記録されるほどの激戦地となった。 日本軍はトンネル陣地を構築しており、地形を利用して米軍を攻撃し、さらに爆雷を抱えて戦車に体当たりするという凄惨な特攻戦術までとった。米軍は嘉数高地を「死の罠」「忌々しい丘」と呼んだという。 戦闘は十六日間に及び、米軍は二十二台の戦車を失う損害を被った。 この嘉数高地の日本軍の主力は京都の部隊だった。京都出身の戦死者は二千五百三十六人である。戦後、沖縄に建てられた多くの慰霊碑には〈英霊〉を称える碑文が記されている。 だが、沖縄戦で軍と住民の間には、いわゆる〈集団自決〉の問題を含む深刻な亀裂が起きた。軍の慰霊碑に違和感を抱く住民もいるに違いない。 慰霊碑で沖縄県民についてふれているのは〈京都の塔〉と〈群馬の塔〉だけである。さらに郷土出身の兵士とともに、―― 多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない。 として非戦闘員である沖縄県民を哀悼しているのは〈京都の塔〉だけだ。 そのことの重みが、暑い陽射しの中でひしひしと伝わってくる。言葉にするのは難しいが、何かが見失われている気がするのだ。政府と沖縄県の対立を見るにつけ、もどかしい思いにかられる。
(沖縄の〈京都の塔〉)

 

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あらすじ
嫁がず、産まず、この齢に。負け犬、今なお増殖中! 日本を揺るがしたベストセラーが文庫に! どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは「女の負け犬」なのです! 鋭い分析と、ユーモア溢れる文章で、同世代の本音を描き出した超ベストセラー。国内外で話題騒然、大論争にも発展した、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞受賞作。〈文庫版特典「オス負け犬たち4人との座談会」を収録〉

 

ひと言
15年以上前のベストセラー。「負け犬」という言葉を作り出した本で、今読んでも古さを感じませんでした。最後の 林 真理子さんの解説がとても面白くて、すぐに2度読み直しました。

 

 

負け犬とは……狭義には、未婚、子ナシ、三十代以上の女性のことを示します。この中で最も重要
視されるのは「現在、結婚していない」という条件ですので、離婚して今は独身という人も、もちろん負け犬。二十代だけどバリバリ負け犬体質とか、結婚経験の無いシングルマザーといった立場の女性も、広義では負け犬に入ります。つまりまあ、いわゆる普通の家庭というものを築いていない人を、負け犬と呼ぶわけです。
(本書を読まれる前に)

 

 

ではなぜ負け犬は「負け」ていると見做されるのか。……というと、″何を生産しているのか″の違い、という問題に行き着くと私は思います。人間というものは、家族の一員であったり、経済社会の一員であったり、国家の一員であったりと、様々な立場を持っています。誰しも同じである″国家の一員″という立場を除けば、結婚して子供を産み育てている専業主婦の勝ち犬は″家族の一員″としてのみ、存在していることになる。対して負け犬は、自分の親と自分、という家族は持っていても自分が作った家族は無いわけで、″経済社会の一員″としてのみ、存在している。
(本書を読まれる前に)

 

 

「面白いことより、将来的に得なこと」と考えるのが未来の勝ち犬、 「将来のこととかはよくわからないから、今面白いことを」と考えるのが、未来の負け犬。家庭を持つのにどちらが適性を持っているかは、一目瞭然でありましょう。
(余はいかにして負け犬となりし乎)

 

 

結婚もせず子も産まず、という負け犬がなぜ現代、大量発生しているか。まず、統計的に見て理解できることは、高学歴の女子と低学歴の男子が余っている、ということです。それはいきおい、高収入の女子と低収入の男子が余っているということにもなります。 実際に自分の周囲を見てみても、高学歴で高収入、なおかつ見た目も悪くないというメス負け犬がぞろぞろといるのに対して、高学歴高収入で見た目も悪くないというオス負け犬は、ほとんどいない。
なぜこのような現象が起こるのかというと、伝統的に日本の男性は、自分より色々な意味で「低」な女性を好むからだとされております。これを専門用語では低方婚と言うらしいのですが、学歴、収入、身長といった条件が、たとえほんの少しであっても自分より「低」である女性と一緒にいる方が、男性は安心する。逆もまた真ということで、自分よりも様々な面において「高」な男性を、女性は好む。 すると結果的に、全般的に「高」な女性と、全般的に「低」な男性は、相手がいなくて余る、ということになります。
(負け犬発生の原因)

 

 

負け犬は実際、仕事のできる人が多いものです。結婚をしていないことに対する言い訳になるようにと、つい仕事を頑張ってしまう、という理由が一つ。さらには「仕事ができる人はあまり男性から好かれない」という厳然たる事実もあるので、負け犬が「結婚してないのだからせめて仕事くらい」と頑張れば頑張るほどさらに縁遠くなるというスパイラルも、そこにはあります。 負け犬は、ごく普通の「自分よりちょっと頼り甲斐があって、自分の仕事を認めてくれる男性」ってやつを求めているわけですが、ごく普通の男というのは「仕事がバリバリできて給料をたくさんもらってる女」が好きなわけではない。結婚後の経済状況が多少悪くなったとて、短大卒で「えへっ」とか言ってる妻の方が、ホッとできる家庭が築けそうだと、彼等は判断します。……。……。
実際のところは……と見てみると、超一流エリートの負け犬も、わんさといるのです。東大を出て、海外の研究所で何やら難しい研究に勤しむ知人は、負け犬どころかほぼ確実に処女。また東大進学率が女子ではナンバーワンの桜蔭高校出身者に聞いたところ、 「卒業生の負け犬率はひっじょーうに高い!」 と言っていました。相変わらず日本では、エリート女性は余りゆき、ヤンキー達の子孫のみが増えていくという事態が続いているのです。
(負け犬の特徴) 

 

 

負け犬にならないための十ヵ条
1 不倫をしない
2 「……っすよ」と言わない
3 腕を組まない
4 女性誌を読む
5 ナチュラルストッキングを愛用する
6 一人旅はしない
7 同性に嫌われることを恐れない
8 名字で呼ばれないようにする
9 「大丈夫」って言わない
10 長期的視野のもとで物事を考える
(負け犬にならないための十ヵ条)

 

 

負け犬になってしまってからの十ヵ条
1 悲惨すぎない先輩負け犬の友達を持つ
2 崇拝者をキープ
3 セックス経験を喧伝しない
4 落ち込んだ時の対処法を開発する
5 外見はそこそこキープ
6 特定の負け犬とだけツルまない
7 産んでいない子の歳は数えない
8 身体を鍛える
9 愛玩欲求を放出させる
10 突き抜ける
(負け犬になってしまってからの十ヵ条)