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あらすじ
大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば…。さらに、赤石が論文データを捏造したと告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。個性的な研修医達の指導をし、告発の真相を探るなか、怪文書が巻き起こした騒動は、やがて予想もしなかった事態へと発展していく―。
(2019年 本屋大賞 8位)

 

ひと言
昨年の本屋大賞8位の知念さんの「崩れる脳を抱きしめて」もよかったけれど、この本もよかったです。ただ、三浦しをんさんの「愛なき世界」が7位、「ひとつむぎの手」が8位。本屋大賞を選考する書店員さんの傾向として音楽・家族関係の本は上位にくるのに、医学・理学関係の本はあまり上位にはこない傾向があるのが少し残念です。

 

 

両親の慟哭がやむのを数分間待った祐介は、宇佐美に向き直る。 「宇佐美先生、確認をお願いします」 宇佐美は目を見張って棒立ちになる。 「君が確認をするんだ。できるね」 もう一度促すと、宇佐美は決意のこもった顔つきで頷き、ペッドに近づいた。光也が涙で濡れた顔を上げる。 「……確認させていただいてよろしいでしょうか?」 かすれ声で宇佐美が言うと、光也は涙を拭い、妻を支えてベッドから一歩離れた。 「絵里香ちゃん、ちょっとごめんね」 宇佐美は絵里香の瞼を優しく持ち上げ、ペンライトの光を当てて瞳孔反射を確認する。それが終わると聴診器を使い、丁寧に聴診を行った。 「ありがとうね、絵里香ちゃん。お疲れ様。……本当にお疲れ様だったね」 絵里香の頭を優しく撫でた宇佐美は、光也と聡子に向き直る。 「瞳孔の反射が消えているのと、呼吸、心臓が停止しているのを確認させていただきました。九時三十六分、…… ご臨終です」 宇佐美は深々と頭を下げた。祐介や周りに控えていた看護師たちもそれにならう。 「お世話になりました……」 光也が声を振り絞り、聡子は弱々しくこうべを垂れた。 「このたびはご愁傷様です。これから絵里香ちゃんのお体を拭いてきれいにさせていただきます。 その間ご両親は……」看護師がマニュアル通りの説明をはじめるのを尻目に、祐介と宇佐美はベッドから離れる。 「良くやった」 ねぎらいの言葉をかけると、宇佐美は口を真一文字に結んだまま、少しだけあごを引いた。背後から「宇佐美先生」と声がかけられる。ふり返ると、聡子と光也がお互いを支見合うようにしながら立っていた。 「本当にお世話になりました」 二人は声を重ねる。宇佐美は驚きの表情で視線を彷徨わせた。 「そんな……。私はなにもできなくて……」 「そんなことありません。宇佐美先生は、本当に絵里香のことを親身に考えてくださって……。絵里香も宇佐美先生に感謝して……、先生のことが大好きで……」 聡子は声を詰まらせる。 「宇佐美先生のような方に担当していただけて、絵里香は本当に幸せだったと思います。絵里香の一生は短かったですが、その間、みんなに愛してもらって……。本当にありがとうございました」 光也が妻のあとを継いで礼を述べると、青木夫妻は離れていった。
二人の背中を見送った宇佐美の唇が、わずかに震えはじめる。 「……行こう」 祐介は宇佐美の手を引いて歩きはじめた。 「え、平良先生? どこに?」 戸惑う宇佐美を連れてICUから出た祐介は、すぐわきにある病状説明室の扉を開ける。 「あの……私またなにか、おかしなことをしましたか?」部屋に入った宇佐美が不安げに言った。祐介は首を左右に振る。 「まず、この前言ったことを訂正させてくれ」 「この前言ったこと?」 「ああ、君のこの二日間の態度は素晴らしかった。君はどこの科に行ったとしても、素晴らしいドクターになれるはずだ」 宇佐美はなにを言われたか分からないかのように、口を半開きにする。 「よく家族の前で涙を見せなかったね」 「それは、……ご両親の方が、私よりずっと哀しいはずだから」 宇佐美はかすれ声を絞り出した。 「ああ、そうだな。けれど、君だって哀しかったはずだ。友達が亡くなったんだからね。よく耐えた」 「はい……」「医者は患者の家族の前では泣くなって教えたね。けれど、ここには家族はいない」 「え? どういうことですか」 「絵里香ちゃんをお見送りするまで、まだ時間があるはずだ。宇佐美さんも泊まり込みで疲れただろ。少しこの部屋で、一人で休んでいるといいよ。……しっかり防音されているこの部屋で」 意味が分かったのか、宇佐美が両手を目元に当てる。「本当にお疲れさまだったね」細かく肩が震えはじめた宇佐美を置いて部屋を出た祐介は、閉じた扉に背中をつける。どこからかかすかに、深い慟哭が聞こえてきた。
(第三章 追憶の傷痕)