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あらすじ
あの嫌われ者は、何のために闘い続けたのか――。豊臣家への「義」か、はたまた自らの「野心」からなのか。覇王信長の死後、天下人を目指す秀吉のもと、綺羅星の如く登場し活躍する武将たちを差し置いて、最も栄達した男、石田三成。彼の「眼」は戦国を優に超えていた――。歴史の細部を丁寧に掬う作家、吉川永青が現代人に問う、政治家石田三成の志。渾身の書き下ろし長編小説。

 

ひと言
私が好きな石田三成の本は何冊が読んだが、この本は大谷吉継や島左近との友情がより詳しく描かれていたし、織田秀信(三法師)との鷹狩りのシーン(これは創作?)もよかった。
「水清ければ魚棲まず」三成はあまりにも純粋で愚直過ぎた。歴史は為政者(家康)のものであるから、天下を盗む大悪党のように三成が後世に伝えられている感があるのが少し寂しい。
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と言われる清興と三成の出会いが詳しく描かれていたので、自分への備忘録として長めですが引用させていただきました。吉川 永青さんごめんなさい。

 

 

心中に踏ん切りを付けて口を開いた。「利休殿の遺言に従い、参じた次第」 清興の目が驚きを湛えた。「……そう聞いては、お引き取り願う訳にも参らぬ。まずは入られよ」 幾分渋った声で歩を進め、手ずから竹垣の扉を開けて三成を招き入れた。中は土間と薄汚れた板間、囲炉裏がひとつという、質素そのものの体である。
……。……。「利休殿ご生涯の日、今生の別れに一服を頂戴した。茶室から下がる折、是非にとお勧めいただいたのだ。秀長様が亡くなられた後、ご辺が近江に下がったゆえ、召し抱えてやれと」清興は戸惑うように返した。「何ゆえ利休様が、左様なことを」「話せば長くなる。ご辺がわしに仕えてくれたら、追い追い話すこともできよう」「片腹痛いことを。お断り申し上げる」 鼻で笑って返された。だが退けぬ。秀吉の歯止めとなるには、清興のような切れ者を抱え、自らの及ばぬところを補ってもらうのが良い。大いなる先達、千利休が是非にと薦めたのだ。自らの決意を示すべく、三成は床に両手を突いて頭を下げた。「できるだけのことはさせていただこう。二万石でどうか」清興は失笑交じりに応じた。「安く見られたものよな。同じだけの知行を蹴って、筒井家を出奔した身ぞ」「左様であったか。されど、わしに出せるのはそれが精一杯だ」返答がない。頭を上げると、清興が何とも意外そうな顔をしていた。
「その……。不躾な話だが、石田殿はどれほどの知行を頂戴しておられる」 控えめな問いに、二度頷いて答えた。 「四万石。佐和山城代として十万石を差配できるが、これは代官として殿下よりお預かりしたものゆえ、家臣の知行割りに転じて良いものではない」 「待て、待たれよ」 清興は、今度は愕然とした面持ちを見せた。「ならば二万とは、半分ではないか。主従の知行が同じなど聞いたことがない。それではご辺が窮するだろうに」「わしが富を得れば国が良くなるのか。知行など。どう使うかが大事であろう」 平然と返す。身を捨てて世に臨む覚悟を固めたのだ。知行地を治め、兵を雇えるだけのものが手元に残れば良い。清興には確かな見識があり、己と違って人の心を細やかに知っている。昔年のこと、大和郡山城で筒井順慶を説得できたのも、この男があったればこそだ。残る二万石の全てを渡すだけの値打ちがある。 俯いて考えることしばし、清興は「どうにも解せぬ」という顔を上げた。 「四万石の知行ならば、何ゆえ忍城で水攻めなどなされた。四十里の堤を築いたと聞いておる。佐和山の十万石を加えたとて、易々と――」 
そこまで言って、今度は「あっ」と口を開いた。三成は軽く頷く。「佐和山城代は小田原征伐の後、奥羽仕置の功により任じられたもの」 「では……あの水攻めは、ご辺の思い付きではなく」 三成は、ゆるりと笑って見せた。 清興は少し考えて幾分得心したように頷き、やや嫌気を薄れさせた目を向けた。「ご辺が裏方の任に長けるは、豊臣家中では隠れなきことぞ。殿下のご下命なら財は十二分に使えたはず。早々に水を引き入れて、戦を終えてしまえば良かったろうに」「あの城は、水では落ちぬ」 頭を振り、説明を加えた。至るところ川だらけの中、忍城だけは盛り土をして高めた地に築かれている。古来「浮き城」と呼ばれたのは、名ばかりではないのだと。 
話を聞くほどに、清興の目が輝きを湛え始めた。 「ご辺は……殿下の面目とご自身の面目を引き換えになされたのか」ひけらかすつもりはなかったが、話の流れである。ここにも分かってくれる者があったことは素直に嬉しい。面映いものを隠すべく、寸時目を逸らした。 「わしが戦下手と蔑まれれば、殿下には瑕が付かぬ」 すると、清興は居住まいを正し、真っすぐこちらを向いた。「お聞かせ願いたい。ご辺はいったい、何のために働いておられるのか。自らが富むことを望まず、功を誇ろうともせず、あまつさえ名を損なっても良いと申される」 三成も居住まいを正し、胸を張って返した。 
「利休殿との別れにて、もうひとつを受け取った。我が全て……命すら投げ打つべしと」 清興は、これを聞くと感じ入ったように□を噤んだ。 思いの出どころを伝えておかねばなるまい。三成は幼少の頃の話をした。当時の主家であった浅井が滅び、石田村の百姓が父の下知を聞かぬようになったこと。その有様を見て、寺に預けられていた己が無念に思ったこと――。 「斯様な世を鎮めるには何か要るのか。十八で殿下にお仕えするようになってからも、ずっと考え続け、やっと答を見出した。わしは、天下に秩序を求めて働くのだ」 語り口に、次第に熱が籠もる。 「寛容、寛典。秀長様の仰せは尊い。されど領国ごとに思い思いの差配を認めれば、天下をひとつにした意味は薄れよう。利休殿も商人を守ろうとしておられたが、統べる力がなければ商人の財は私利私欲の域を出ず、世を蝕む毒にしかならぬ。百姓衆とて同じよな」 清興が声を揺らした。「武士、商人、百姓、全てに秩序を……」「左様な世で人々が手を携えてこそ。戦乱は終わったと言えるのではないか。わしはただ、幼き日の思いを形にしたい。そのために殿下の泥除けに任じ、殿下の歯止めにならんと欲する」 清興の目が熱く輝いている。三成はじっと見据え、噛んで含めるように付け加えた。 「豊臣は未だ、大名の上に立ったに過ぎぬ」 眼差しを絡めること如何ほどか、不意に清興が板間から後ずさって土間に下りる。そして両手を地に置き、平伏した。 「秀長様とのことも、何もかも、それがしの思い違いだったとは。今までの非礼、このとおりお詫び申し上げまする」
伝わった。何よりそれが嬉しい。それなのに「構わぬ」と返す声音は、相変わらず素っ気ない響きであった。自ら呆れて苦笑を漏らすと、清興が平伏の体から頭だけを上げた。「お願い申し上げます。それがしを二百石でお抱えくだされませ。我が願いは栄達に非ず、ただ甲斐のある生を欲するのです」 その姿を真っすぐ見つめ、首を横に振った。「二万石と申した。それだけ受け取らねば、ご辺の仕官は認めぬ」 「……はっ。殿の仰せのままに」 再び面を伏せる。三成は座を立って自らも土間へ運び、ひれ伏す肩にぽんと手を置いた。 「これにて、お主は石田家中ぞ。されど主従ではない。友として、わしを支えて欲しい」 清興は、びくりと身を震わせ、伏せた顔からぼたぼたと涙を落とした。
(第二章 決意 利休切腹)

 

 

「三成」声がかかる。少しおかしな抑揚は、口を動かしにくい吉継だとすぐに分かった。 「どうかしたのか」 振り向いて問うと、吉継は深く頭を垂れた。 「お主のお陰で助かった。わしはこのとおりの病ゆえ……。友とは申せ、ああまでしてくれたとあっては、どう礼を申して良いのか」 三成は「はは」と小さく笑った。 「お主には恩がある。無用にいたせ」 「左様なもの、施した覚えはないが」 困惑した声で顔を上げた友に、ゆっくりと三度、首を横に振って見せる。
「わしらが駆け出しの頃だ。あの賤ケ岳の戦いで、わしは先駆衆に名乗り出ながら何もできなんだ。気落ちしたところへ申してくれたろう。この戦があるのは二人で道を整え、裏方の働きを十分にしたからだと。お主が胸を張れと言うてくれたからこそ、今のわしがある」 思いを込めて目元に笑みを湛える。吉継はしばし黙ったままだったが、やがて、しわがれ声でぼそりと漏らした。「……古い話を」 ろくに閉じない目から、ぼろぼろと涙が零れている。咽ぶ声を聞き、三成はぽんと肩を叩いて立ち去った。 
(第三章 混迷 秀次無残)

 

 

「わしはな、治部。織田の天下が奪われて良かったと思うておる」 驚きに声を出せないでいると、秀信(三法師)は穏やかな笑みでこちらを向いた。 「祖父・信長公が、あのようなことになっていなければ。そう思うたこともあった。が、折に触れてわしを訪ねてくれた其方を見続けて分かった。天下とは、人ひとりの手には大きすぎる」三成は常にすまし顔ながら、何度も会っているうちに細かな違いが見えるようになったと秀信は言う。疲れや苦悩、何らかの決意、そうしたものを感じるたびに、自らの身の上をすんなりと受け入れられるようになったのだ、と。
「天下か……。重すぎるものを背負うには、常に上だけを見ておらねばならぬ。されど、それゆえに祖父は躓いたのだ。太閤殿下も同じよな。治郎がおって、足許を固めておるから躓かぬ。わしと我が家臣に同じことができたかどうか」 「勿体なきお言葉にござります」 三成は恐縮して馬上で居住まいを正し、頭を下げた。右手甲の鷹が驚いて羽ばたき、秀信の方へと行った。 「おっ」 秀信は嬉しそうに声を上げ、右手を差し出す。鷹はそこに止まって、きょろりとした目で首を傾げた。 「治郎がいてくれなんだら、わしの目は開かれなかったやも知れぬ。この先は、わしが其方の力になれたら良いのう。唐入りもあることゆえ、未だ世が落ち着いたとは申せぬが、な」「……はっ」
(第三章 混迷 巨星堕つ)

 

 

清興が仁王立ちで見下ろしてきた。 「まことの士とは、いたずらに潔からんとする者ではない。自らの才を用い、智を振り絞り、最後まで諦めない者を言うのだ。お主、この国の明日を作るために身を賭すと決めたのであろう。ならば諦めず、逃げ延びて再起すべし! 家康より早く大坂に上がり、秀頼公を御旗に立てて戦わば、この一戦の負けなど取り返すに足る。返答や如何に」お主、と言った。家臣ではない、友としての忠言である。 
「……斯様な時に。ずるいな、お主は」 三成は苦い笑みを浮かべ、身を起こした。すくと立って言う。 「目が覚めた思いぞ。礼を申す」 清興は、ようやく面持ちを緩めた。 「それがしと郷舎殿で踏み止まり、大殿が逃げる隙を作ります。大坂で戦うにも手足は要ることでしょう。本陣の家臣は全てお連れなさい」 黙って頷く。清興も頷き返して戦場へと踵を返した。最後まで諦めずに戦うという覚悟が伝わった。死ぬつもりなのだ。 吉継と清興、またとない友に二人も恵まれた。己は果報者である。命懸けで傾けてくれた情に、何としても応えねばならぬ。友として、そして、人として。
(第四章 決戦 天下の礎)