おとといは千葉県館山市の「幸田旅館」に泊まった。
 
 
 
18時を回った頃、1階の食堂に行った。

 

数組の客がいるようだが、自分は一番のりだったようだ。

 

 

 

すでにセッティングされた料理はかなりの豪華版。

 

瓶ビールを注文し、早速いただくことにする。

 

地物の鯛をはじめ5種類の刺身の盛り合わせ。

 

1名向けではない量だった。

 

どれも新鮮で美味である。

 

 

 

蒸したアワビもいただく。

 
火のついた鍋のフタを開いたものがこちら。

 

「この後もまだ出ます」の言葉は本当だった。

 

 

 

イサキのフライ。

 

特大サザエ。

 

伊勢海老汁。

 

どれも素材の味を生かしたシンプルな味付けで美味しい。

 

女将さんも、

「なるべく地物を使い、余計な味付けはしないようにしているんですよ」

と言っていた。

 

「その日のいいものをお出しするので、何が出るかはわからないんですよ」

とも。

 

特大サザエは、この日たまたま見つけて珍しいから、と食膳にあげてくれたらしい。

 

 

 

正直なところ料理には期待していなかったのだが、良い意味で期待を大きく裏切られた。

 

ビールの後には鴨川の冷酒を2本吞んだ。

 

大満足である。

 

セルフサービスとなっているご飯、味噌汁、お新香、お茶のコーナーに行く必要もなかった。

 

「おもてなしキャンペーン中です」

とのことで、箱に入った日本酒までプレゼントされ、ご機嫌で部屋に戻った。

 

 

 

少しすると、部屋の扉がノックされる。

 

扉を開くと女将さんだった。

 

「トイレ付きのお部屋が空きましたから、こちらへどうぞ。隣りですので」

と言う。

 

せっかくのご厚意なので、移動することにする。

 

散らかした荷物や衣類などをまとめて「真砂」から隣室の「若汐」に移る。

 

角部屋で、落ち着いた雰囲気だ。

 

女将さんからは部屋の鍵と共に、お茶菓子も手渡された。

 

「キャンペーン」など抜きにしても充分、心遣いを感じてくる。

 

 

 

落ち着いたところで、ふと思い出した。

 

旅館のパンフレットを開く。

 

この客室こそ「若汐」である。

 

「丹波哲郎も愛した」とも記され、いわばこの宿を代表する部屋のようなのだ。

 

一応は高めの宿泊料金を奮発してお支払いしたとはいえ、一見のこんな独り客に対しての厚情はありがたく、身に沁みる。

 

単に40年あまり前の記憶をたどるだけの好奇心で泊まったのに、すっかりと「今」の滞在を堪能しているのが不思議だった。

 

 

 

その夜、夢に祖母か丹波哲郎氏でも現れればネタになるのだが、そんなことは一切なく朝を迎えた。

 

 

 

「舟風呂」に行く。

 

ゆっくりと朝風呂に入れるのは嬉しい。

 

 

 

朝食も食堂でとる。

 
セルフサービスコーナーからご飯、味噌汁、お新香、納豆を取った。
 
生卵はパスした。
 
理想のような朝食をしっかりと味わえた。
 
紙コップに注いだ食後のコーヒーは、部屋へ持って行き飲んだ。
 
 
 
9時過ぎに宿を発つことにした。
 
帳場には女将さんが座っていた。
 
前夜の瓶ビールと冷酒2本で2,090円。
 
「カードですか?」と訊かれたが、現金でお支払いした。
 
 
 
「お土産もいただき、立派なお部屋にまで替えていただき本当にありがとうございました。ゆっくり出来ました」
と、正直に礼を告げた。
 
「あのお部屋は丹波哲郎さんも泊まられて」と、当時のエピソードもおしえてくれた。
 
 
 
「あの舟風呂は昔からありますよね?40年前に泊まったときにも記憶があって」
とも尋ねてみた。
 
なんでも、特殊な構造らしく、職人さんが少なくなってきた昨今ではメンテナンスも大変らしい。
 
塗装の塗り替え時には藁を敷き詰めて何日間か放置するのだというようなことも聞いた。
 
 
 
いずれにしても、老舗宿ならではである。
 
 
 
「またいらしてくださいね」
 
「ぜひまた伺います」

 

 

 

天気予報では天気は下り坂だと聞いていたが、外は青空である。

 

裏の駐車場へと歩みを進めて行けば、物干しざおには洗濯物がかけられていた。

 

この光景。

 

40余年の長い長い時を経て、再びこの景色を目にすることが出来た。

 

遠い日の祖母との思い出が、あらためて確固たるものになった。

 

 

 

『「幸田旅館」はとても良い宿だったよ』

 

近いうちに、墓前で報告しよう。