ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2018年タラワ、マキン御慰霊行 目次(鋭意更新中)
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現在更新中のガ島戦後のソロモン戦
から続いております。
↓作るのにとてつもなく時間を要したウィックハムの戦闘要図
昭和18年6月30日早朝から7月1日日没まで続いたウィックハムの戦いは米軍の撤退で幕を閉じた。
ウィックハム派遣隊約360-70名
戦死40数名 負傷者多数
wikiの怪しい翻訳では
海兵隊の戦死者12人、戦傷21人。
米陸軍の戦死者10人、戦傷22人。
となっているがどこまで信じて良いものだろうか。
戦闘が終わりウィックハム派遣隊は司令部からの命令
「敵レンドバに上陸す。ウィックハム派遣隊は北水路を通過し裏ムンダへ引上ぐべし」
を実施すべく裏ムンダへの引き揚げ準備に入っている。
ウィックハム派遣隊配属の大発動艇は4隻。
米軍との戦闘で2隻大破炎上しているので残っているのは2隻である。
大発動艇の積載量は
完全武装兵 70名 又は貨物 10屯
満載時 時速14km
残る2隻の大発動艇では総員輸送は不可能である。
従って輸送は二回に分け負傷者・マラリア患者・護衛戦闘員として機関銃小隊が第一次輸送と決まる。
他に医務隊、主計隊、そして米軍との戦闘で負傷した山本中隊長、一小隊長下前少尉、三小隊長秋田少尉も一次輸送で裏ムンダへと向かう。
残りの約170名は第二次輸送。
海軍陸戦隊速射砲小隊長山田少尉も第二次輸送である。
ガダルカナル揚陸作戦時の鬼怒川丸と大発動艇
このスペースに70名・・・戦傷者は苦しい体勢を余儀なくされたであろう。
7月1日夜、総員集合し第一次輸送隊を載せた2隻の大発動艇を見送る。
第二次輸送隊は仮眠の後、2日早朝バリキ半島を目指し行軍開始。
第一次輸送隊が任務を完了後、折り返しバリキ半島まで迎えに来る予定である。
ウィックハムからバリキ半島までは直線距離約20km大きな湾を迂回するので大凡50km程の行軍距離であった。
第二次輸送隊指揮官は陸軍歩兵第229連隊 福島康明中尉 (陸士55期)
准士官以上は五名、速射砲小隊長 山田少尉もこの中に含まれる。
だが誰もバリキ半島までの地理、地勢、地形を知る者はいなかった。
戦死した米軍将校より鹵獲したニュージョージア諸島の地図が一枚、海岸線と主要河川、山頂してか記入されておらず等高線も入っていなかった。
つづく
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。