ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2018年タラワ、マキン御慰霊行 目次(鋭意更新中)
タラワ環礁 その三十一 WWII Japanese memorial part 3
タラワ環礁 その三十 WWII ;Japanese memorialpart 2 より続いております
タラワ環礁日本軍主力の位置したベチオ島より西進しエイタ島より舟艇機動、ブアリキの砂浜へ上陸の後の銀輪移動。
案内人KATEさんの We arrived ! に周囲を見渡せば・・・
道路脇より少し入った所にひっそりと建つ石碑
南海の果てタラワ環礁のさらに南の果てブアリキに・・・
誰がどのような事情で建立されたのだろうか。
石碑前に位置する香炉はひっくり返っておりましたが元に戻して
日本酒 落雁 羊羹 などを並べ 低頭瞑目 合掌
供養塔の碑文
現地では取り敢えず写真に収め帰国後日本で調べれば良いと判断して写真はたくさん撮ったのですが画質が悪く読めたものではありません。
拡大して色調やコントラストなどを調整してみても・・・
この供養塔は、1943年の太平洋戦争で当地方の島々で亡くなられた人達の霊をなぐさめ、併せて当地方の住民が今後ますますの---解読不可---しました。
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2018.10.20 16:46 訂正
モモの散歩 さまより
読解不能部分、『―――――今後ますますの平和発展を祈念する為建立致しました』
ではないかと御教示戴き、拡大再調整してみたところ
確かに 『ますますの平和発展を祈念する為建立致しました』 と読むことが出来ました。
御教示ありがとうございました。
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碑の側面に至っては
白色系で現地で読むことも難しい状況
何枚もとった中で唯一確り解読できた部分
西暦1993年 平成五年十一月吉日建立
千葉県八千代市
妙徳寺 住職 櫻井 妙義
と読むことが叶いました。
この情報を元にグーグル検索で調べてみたところ以下のPDFファイルに漸く辿り着いた。
↑の5頁目を切り取り該当部分を赤く囲ってみました。
御遺族が建立された供養塔。
各資料から読み取れる米軍掃蕩作戦の日本軍戦没者175柱の御遺体埋葬の地だったのか・・・
白旗を掲げ降伏する事を教えなかった日本軍の悲劇が此の地でも繰り返されたのだと脳裏に情景が浮かんで来るのであります。
あらためて瞑目・低頭・合掌
心よりタラワ北端見張り所派遣隊他の御冥福を祈念申し上げます。
つづく
此の地を訪れる為、慌てて勉強したマキン・タラワの戦い
最後まで勉強し切れて居りません。
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。