空閨残夢録 -5ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言






http://youtu.be/a-e47wAkg9g




 西部劇とは、つまり“ Westen” の訳語であるが、ハリウッド製の西部劇ならびに、またマカロニ・ウェスタンの全盛期には、歴史的に米国の開拓期である1860~90年代が主な舞台である。その時代背景にある映画もしくはテレビのドラマが多くを占めている物語を西部劇というジャンルに包括している。

 

 また東部劇である日本の時代劇というジャンルは、西部劇よりも時間軸の幅が長い。黒澤明の『七人の侍』は戦国時代が背景であり、幕末に新撰組が活躍するのだが、戦国から幕末の時代まで300年の時間軸が長く展開している。



 時代劇やチャンバラ映画は、さておくが、ボクが映画館に通うようになる頃には西部劇の終焉の時代であった。ジョージ・ロイ・ヒル監督の1969年の作品である『明日に向かって撃て!』(原題: Butch Cassidy and the Sundance Kid)という作品は、すでに西部劇ではなくて、アメリカン・ニュー・シネマと呼ばれていた。



 この映画の主人公であるブッチ・キャシディーとサンダンス・キッドはワイルド・バンチ(強盗団)を結党して列車強盗を繰り返すも、やがて賞金稼ぎに追われる身となり、たかとびしたボリビアで殺されたのが1908年の事。








 サム・ペキンパーの1969年の映画である『ワイルド・バンチ』はテキサス国境の町サン・ラファエルから物語は始まるが、時代は、既に1913年であり、強盗団の拳銃はリボルバーから、M1911A1の自動拳銃を手にしているのが記憶に残る。つまり、この拳銃は通称でコルト・ガバメント(ハンド・キャノン)という軍用拳銃として知られるオートマティック式なのである。



 1976年のジョン・ウェイン主演による最後の映画である『ラスト・シューティスト』(原題: The Shootist)は、ドン・シーゲル監督による本当に最後の西部劇であろう。物語はネバダ州カーソン・シティーに、有名なガンマンであるJ・B・ブックスが、1901年に帰還するところから始まる。


 カーソン・シティーの冒頭シーンでは、カメラワークは電線を張った電柱から、やがてメインストリートにゆっくり降りて、鉄道、電気、電話、そして自動車が西部の町にも普及してきたことをさり気なく写して行く。つまり、時代は20世紀に移行したことを、さりげなく、淡々と描写しているのだ。



 19世紀の西部は、「自分の命は自分で守る。そのために人を殺すことは悪いことではない。」という常識の時代から、治安は国家に包括されて、文明は次第に開化していく。映画で語られるJ・B・ブックスの信条は、「中傷や侮辱は許さん、干渉もだ、わしもしないし、他人にもさせない」、という強靭な西部流の個人主義は、やがて、それを凌駕する国家的な概念が幅をきかせていく時代に呑みこまれていく。


 正義も悪も個人主義の概念から霧散すると、ならず者や無法者も黒白が法的に鮮明となり、単なる犯罪者でしかなくなる。こうしたアウトサイダーがやがて世間に浮かび上がるのは1930年代の禁酒法の時代まで待たねばならない。



 さて、『ワイルド・バンチ』で、西部劇に引導を叩きつけたと思わしかったペキンパー監督は、1970年に『砂漠の流れ者』(The of Cable Hogue)を撮る。この映画は1908年が物語の舞台であり時代背景なのだが、ペキンパー節の暴力は全く描かれていない温和な作品でコミカルでさえある珍しい作品で、これこそペキンパー西部劇の終焉劇だといえる傑作であろう。



 しかし、ながら、ペキンパーは1973年にビリー・ザ・キッドを題材にしてウェスタンを再度撮るのであった。この映画は『ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯』(原題:Pat Garret & Billy the Kid)なのだが、あいかわらず邦題がお粗末でありながらも、主役は主演のジェームス・コバーンが保安官パット・ギャレット役で、悪名高きビリー・ザ・キッドがクリス・クリストファーソン、ボブ・ディランが全篇に音楽を担当しながら共演した作品。



 ビリー・ザ・キッドは21歳で1881年に死んだ伝説化された西部の有名なアウトローである。本名はウィリアム・ヘンリー・マカティー(自称:ウィリアム・H・ボニー)、ワイアット・アープやジェシー・ジェームスと並ぶ西部の伝説的ガンマンである。



 保安官になったパットとお尋ね者ビリーは旧知の友であったが、なりゆきで追う者と追われる関係となる。この映画はペキンパーのバイオレンス感覚がかなり抑制されて描かれていて、男と男の、男と女の、愛と友情が静逸に画面を漂うのが印象的な映像である。だからこそ、ボブ・ディランの音楽がシンミリと画面に響きわたる所以でもある。



 ボブ・ディランも、ビーリ・ザ・キッドを演じたクリス・クリストファーソンもミュージシャンであり、ペキンパーは配役の主要人物に配したキャスティングは、この映画では成功しているといえよう。



 ボブ・ディランの劇中歌で最も印象的なのは『天国の扉』("Knockin' on Heaven's Door")である。この曲は映画のサウンド・トラック版からシングル曲として1973年にリリースされた。ビルボードのランキングでは12位にチャートされたヒット曲となる。










 ヒュー・ハドソン監督による英国映画(1981年)の『炎のランナー(Chariots of Fire)』は、映像のなかに美に包まれた典雅でクラッシックなスタイルに、まるで生命の脈動のように魂に響いてくる主題曲の「タイトルズ」と、効果的に映画全篇に流れる音楽の作曲、編曲、演奏を担当しているヴァンゲリスのサウンドが絶妙に伴った感動的なヒューマン・ドラマである。



 この映画は、1924年、第八回パリ・オリンピックの陸上短距離走で、祖国イギリスに金メダルをもたらしたハロルド・エーブラムスとエリック・リデルの情熱と信仰の物語である。二人の初めての試合である100メートル走でエーブラムスはリデルに敗れる。映画前半はエーブラムスによる渾身の打倒リデルを目標とした執念の練習訓練が物語りを駆動していく。



 後半はオリンピック開催中に、伝道師であるリデルが信仰上の都合で、日曜日の100メートル走予選欠場にからむ問題が浮上する。100メートルから急遽、リデルは400メートル走のレースに参加する場面は聖書のリデルによる説教と物語りは重なって感動的な競技へと展開する。



 イザヤ書第40章にある言葉は、1924年のパリ・オリンピックで、400メートル走で優勝したエリック・リデルが、オリンピック期間中の聖日礼拝で説教をしたときのテキストであった。エリックが、聖日遵守を理由に100メートルの予選を棄権したその聖日、彼はパリ中心部のスコットランドのプレスビディアン(長老派教会)の礼拝で説教をする。 長老派教会特有の十数段の踏み段をのぼって、高い説教壇に立ったエリックは、落ち着いた声で聖書朗読を始めた。



 彼が聖書を朗読をしている最中にも、競技は進行していき、勝っては喜ぶ選手もあり、敗れては疲労感に苛まれている選手も続出していた。それらを想像しながらエリックは宣言する・・・・・・、「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」・・・・・・。



 エリックは、その後400メートルの決勝に出場するが、周りの選手達は彼に注目しなかった。彼が400メートルのためには訓練をされていなかったからだ。彼の走法はスムーズとは言い難い、野生の馬のような荒っぽい型破りなものだった。前半の200で力を使い果たして、後半はバテてしまうと予想されていたが、しかしエリックは前半を全速力で駆け続けトップを保ち続けた。



 いよいよ後半戦に入り「そのとき、エリックの頭がうしろに倒れた。力がこんこんと湧きでているときに見せる、エリック独特のランニング・ポーズだった。これまでより、いっそうスピードが加わった。走りながら流れ込む空気を吸うように口を開け、力をふりしぼるように両腕を振った。ますますペースが速くなった。」(「炎のランナー」より)、その時の優勝記録は47秒6で、その後20年間破られなかったと伝わる。



 さて、ヴァンゲリスのシンセサイザーによるサウンドは、このクラッシックな映像美と絶妙に躍動感のある荘厳な世界を融合していたが、この映画が公開された同じく1981年の『ミッシング』、82年には『ブレードランナー』、83年の『南極物語』でもヴァンゲリスのサウンドは印象的に表現されていた。



 ヴァンゲリス・パパサナシューは1943年にギリシアのボロスに生まれた。1968年に結成されたアフロディテス・チャイルドで音楽家としてデビューする。1972年にこのグループは解散するが、その後ソロで活動して、『炎のランナー』による映画音楽で世界的に成功して名声を得る。



 SF映画では、その独特なシンセサイザーによるサウンドが『ブレードランナー』で一層の魅力的な効果として顕現していく。人間の未来への楽観と絶望感の両極性でゆらぐ不確かな生命体を、混沌とした世紀末的な幻想世界のように手がけた質感はヴァンゲルスの音源が生命の根源と同一な鼓動と一致しているような錯覚さえ覚えてくるだろう。



 ヴァンゲリスのサウンドには生命の躍動的な汎神論的な自然観が潜在しているようだが、この哲学的な要素は太古の子宮的世界のように血と鼓動で満たされたサウンドのように感じてやまない。それは神秘的というよりは生きる躍動の現実で支配されている意志で溢れている音質なのである。




 
炎のランナー
http://youtu.be/u-KU2_HVBf8




ブレードランナー(愛のテーマ)
http://youtu.be/C9KAqhbIZ7o




南極物語
http://youtu.be/n315ERP7Uqw

 







 1960年代にイタリア映画のヌーヴェルバーグの旗手となったベルナルド・ベルトリッチは、映像とタンゴを深く結びつけた作品を撮った監督である。1970年公開の『暗殺の森 Il Conformista』ではタンゴを重要な場面に使っている。



 この映画はイタリア・ファシズムを心理的描写で浮き彫りにしていく。反ファシズム派の指導者で大学教授とその妻(ドミニク・サンダ)を暗殺する主人公のファシスト(ジャン=ルイ・トランティニャン)の妻(ステファニア・サンドレッリ)が、同性愛的なムードを漂わせて踊るタンゴのシーンは官能的で美しい魅力を放っている名場面である。



 ベルトリッチといえばその代表作として世界を騒然とさせた問題作の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』で、中年の男ポール(マーロン・ブランド)と20歳のジャンヌ(マリア・シュナイダー)が酒に酔ってふざけてタンゴを踊る場面も印象的であり、タンゴの審査員に咎められてポールはズボンを下ろして尻まで見せる悪態ぶりは名演技である。


 この『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の音楽を担当したガトー・バルビエリは、この映画音楽で世界的に有名になったアルゼンチン生まれのサックス奏者である。12歳でチャーリー・パーカーに憧れてクラリネットを始める。その後、アルト・サックスに転向する。プロのオーケストラで活躍して、50年代にテナー・サックスに転向して自ら率いる楽団を結成し、活動拠点をヨーロッパへと移す。



 バルビエリはタンゴの奏者ではなくて、フリー・ジャズの畑で演奏をしていた。やがてジャズ・フュージョンや生まれ故郷のタンゴなどを創作の枠の中に収めて、あの独特な『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の音楽性に至る。然るに、この映画はタンゴという世界からは、ピアソラのモダンなタンゴを越えて、ある種、前衛的な異色な音色をかもし出している。


 当初は、アストラル・ピアソラがこの映画の音楽を担当する予定だった伝わるが、ピアソラといえば、75年の『サンチャゴに雨が降る』や85年の『タンゴ~ガルデルの亡命』の映画音楽を担当していた。95年のテリー・ギリアム監督のSF映画『12・モンキーズ Twelve Monkeys』では主題曲に、「プンタ・デル・エステ」組曲がピアソラの演奏で使われていたこともある。



 1996年のテリー・ギリアム監督による映画『12モンキーズ(Twelve Monkeys)』は、主演にブルース・ウィリス、ブラット・ピットが出演のSF映画。テリー・ギリアムというえばモンティー・パイソン、そしてボクは1981年の『Time Bandits(邦題:バンテッドQ)』の大ファンでもある。この映画はファンタジーというよりも時空を越えたスラップ・スティック・アドベンチャーであった。



 さて 『12モンキーズ(Twelve Monkeys)』なのであるが、この映画のサウンド・トラックがテリー・ギリアムこだわりの作品でもある。まずはテーマ曲にアストル・ピアソラの「プンタ・デル・エステ組曲」のバンドネオンの響きが超印象的に映画全篇に一際耳に残り胸にざわめく。



 劇中にカー・ラジオから聴こえるBGMはファッツ・ドミノの「ブルーベリー・ヒル」もいい響きで、美空ひばりの歌う「ブルーベリー・ヒル」もお薦めですネ。



 1959年の全米1位の大ヒット曲は、サント&ジョニーのインストロメンタル曲である「Sleep Walk」をB・J・コールがギターで演奏するのもいい感じだ。



 映画のエンディング・クレジットに流れるルイ・アームストロングの「この素晴らしき人生(What a Wonderful World)」も実にしめくくりとしてはうまい演出であった。



  さてさて、いずれにしても、ベルトリッチ監督はタンゴ狂のようで、64年の『革命前夜』、69年の『暗殺のオペラ』の作品でも象徴的にタンゴを使っていた。映画とタンゴを語るにはガルデルについても述べなければならないのであろうが、ボクはまだまだ若くて?・・・・・・タンゴを語るには青二才である悪しからず。
(了)









 


 1973年公開のオカルト映画『エクソシスト』は衝撃的なホラー映画でもあった。76年公開の『オーメン』もこれまた恐怖と怪奇を体感させてくれた。77年に公開されたイタリア映画の『サスペリア』もダリオ・アルジェットの映像とゴブリンによる音楽で恐怖を震撼させてくれたのを記憶している。



 今、あらためてこれらのオカルト・ホラー映画の映像を観て音楽を鑑賞してみるに、リチャード・ドナ監督による『オーメン』の映画音楽が秀逸と感じられる。『エクソシスト』も『サスペリア』も恐怖感という体感を音楽から強く感じられるが、『オーメン』の音楽性から感じられる恐怖は魂の深淵にまで響く奥行を感じられる。



 『オーメン』のあらすじであるが、米国の外交官であるロバート・ソーン(グレゴリー・ペック)は、ローマの産院にて、死産した我が子の代わりに、同時刻に誕生した孤児である男子を養子として引き取り、ダミアンと名付ける。ほどなくして駐英大使に任命され、その後も公私共に順風満帆な生活を送るロバートであった。しかし、乳母の異常な自殺を境に、ダミアンの周囲で奇妙な出来事が続発する。疑惑を持ったロバートは調査を開始するが、ついにダミアンの恐るべき正体を知ることになる。



 この映画の音楽を担当するは、ジェリー・ゴールドスミス(1929~2004年)である。彼はアメリカ合衆国カリフォルニア州出身。父は建築家、母は教師。幼少の頃、母親がピアノを習わせたところ非凡な才能があると言われたため、ジェイコブ・ギンペルについてピアノを習い、さらにマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ に理論を学ぶ。



 最初はピアニストを志したが、後に作曲家へと関心が向かい、ロサンゼルス市立大学に進学したのち『白い恐怖』を観て映画音楽に興味を持ち、同映画の音楽担当ミクロス・ローザが南カリフォルニア大学にて講義を受け持っているのを知ると、1年間聴講し指導を受ける。



 事務員としてCBSに入社し、当初タイピストをしていたが、すぐに音楽部門へ転属。ラジオドラマから料理番組まで放送用音楽を作り、アルフレッド・ニューマンの推薦などで、50年代半ばからTVや映画の音楽を書き始める。生涯において170作品を超える映画を手がけ、アカデミー賞に18回ノミネートされて、その後、『オーメン』で受賞した。またエミー賞を5回受賞している。



 以下の映画が音楽を担当したゴールドスミスによる代表作品。




『危険な道』In Harm's Way(1965年)
『ブルー・マックス』The Blue Max(1966年)
『電撃フリント/GO!GO作戦』Our Man Flint(1966年)
『猿の惑星』Planet of the Apes(1968年)
『パットン大戦車軍団』Patton(1970年)
『トラ・トラ・トラ!』TORA!TORA!TORA!(1970年)
『パピヨン』Papillon(1973年)
『チャイナタウン』Chinatown(1974年)
『風とライオン』The Wind and the Lion(1975年)
『オーメン』The Omen(1976年)
『ブラジルから来た少年』The Boys from Brazil(1978年)
『カプリコン・1』Capricorn One(1978年)
『エイリアン』Alien(1979年)
『大列車強盗』The First Great Train Robbery(1979年)
『スタートレック』Star Trek: The Motion Picture(1979年)
『アウトランド』Outland(1981年)
『ランボー』First Blood(1982年)
『ポルターガイスト』Poltergeist(1982年)
『トワイライトゾーン/超次元の体験』Twilight Zone The Movie(1983年)
『サイコ2』Psycho II(1983年)
『アンダー・ファイア』Under Fire(1983年)
『グレムリン』Gremlins(1984年)
『スーパーガール』Supergirl(1984年)
『未来警察』Runaway(1984年)
『スティーブ・マーティンのロンリー・ガイ』 The Lonely Guy(1984年)
『レジェンド / 光と闇の伝説』Legend(1985年)
『ロマンシング・アドベンチャー キング・ソロモンの秘宝』King Solomon's Mines(1985年)
『ランボー/怒りの脱出』Rambo: First Blood Part II(1985年)
『ポルターガイスト2』Poltergeist2 : The Other Side(1986年)
『ライオンハート』Lionheart (1987年)
『ダブルボーダー』Extreme Prejudice(1987年)
『レンタ・コップ』Rent-a-cop(1987年)
『インナースペース』Innerspace(1987年)
『ランボー3/怒りのアフガン』Rambo III(1988年)
『リバイアサン』Leviathan(1989年)
『スタートレックV 新たなる未知へ』Star Trek V: The Final Frontier(1989年)
『トータル・リコール』Total Recall(1990年)
『グレムリン2 新・種・誕・生』Gremlins 2: The New Batch(1990年)
『ロシア・ハウス』The Russia House(1990年)
『氷の微笑』Basic Instinct (1992年)
『ミスター・ベースボール』Mr. Baseball(1992年)
『私に近い6人の他人』Six Degrees of Separation(1993年)
『ルディ/涙のウイニング・ラン』Rudy(1993年)
『激流』The River Wild(1994年)
『トゥルーナイト』First Knight(1995年)
『パウダー』Powder(1995年)
『コンゴ』Congo(1995年)
『ゴースト&ダークネス』THE GHOST AND THE DARKNESS(1995年)
『スタートレック ファーストコンタクト』Star Trek: First Contact(1996年)
『チェーン・リアクション』Chain Reaction(1996年)
『エグゼクティブ・デシジョン』Executive Decision(1996年)
『L.A.コンフィデンシャル』L.A. Confidential(1997年)
『ザ・ワイルド』The Edge(1997年)
『エアフォース・ワン』Air Force One(1997年)
『ムーラン』Mulan(1998年)
『スタートレック 叛乱』Star Trek: Insurrection(1998年)
『スモール・ソルジャーズ』Small Soldiers(1998年)
『ザ・グリード』Deep Rising(1998年)
『追跡者』U.S. Marshals(1998年)
『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』The Mummy(1999年)
『13ウォーリアーズ』The 13th Warrior(1999年)
『インビジブル』Hollow Man(2000年)
『ネメシス/S.T.X』Star Trek: Nemesis(2002年)
『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』Looney Tunes: Back in Action(2003年)







 エクソシスト
 http://www.youtube.com/watch?v=ONGXB6uEh7k





 サスペリア
 http://www.youtube.com/watch?v=egUxn_bb448





 オーメン 「アヴェ・サターニ」
 http://www.youtube.com/watch?v=bWpdbXTQfnE






 オーメンのアヴェ・サターニは、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』のように荘厳な響きで圧倒的に人間の不安感を揺さぶる力を感じてしまう不吉な魅力がある。



 ジェリー・ゴールドスミスの映画音楽『オーメン』のサウンド・トラック盤は、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』に類似している。このオルフによる『カルミナ・ブラーナ』の序曲をジョン・ブアマン監督は『エクスカリバー』で効果的に使用している。



 カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)は19世紀初めにドイツ南部、バイエルン州にあるベネディクト会のボイレン修道院で発見された詩歌集で、カール・オルフがこれに基づいて作曲した同名の世俗カンタータがある。


 カール・オルフ(Carl Orff、1895 ~1982年)はドイツの作曲家。ミュンヘンに生まれ、同地で死去。オルフは作曲家としてジャンルを特定させない特異性を持っていた。彼の作風は独自のジャンルを作り出しているからである。オルフ自身は、自分の音楽劇を、単なるオペラではなく、メルヘン・オペラ(Märchenoper)と呼んでいた。


 オルフによる1937年6月8日、フランクフルト・アム・マインの市立劇場で初演された「カルミナ・ブラーナ」 (Carmina Burana) は大成功を修めドイツ各都市で上演された。



 しかし、第2次世界大戦の勃発によってドイツと他国との文化の交流が断絶したため、カール・オルフの名は同世代のイベール 、プロコフィエフ 、オネゲル、ミヨー 、ヒンデミット等よりも国外で知られるようになるのは遅かった。結局国際的に名が知られるようになったのは1954年で、オルフが59歳頃でレコード化された後である。


 オルフはカルミナ・ブラーナの成功によって自信を得て、出版社に寄せた手紙の中で、「今までの作品すべて破棄して欲しい。と言うのは私にとってカルミナ・ブラーナが本当の出発点になるからである」と記している。






カルミナ・ブラーナ「おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna (Chorus)」
http://www.youtube.com/watch?v=snxEhsGwAls






 ジョン・ブアマン監督は映画『エクスカリバー』でオルフの曲以上に、ワグナーの音楽も映画に強く意識的に使用している。楽劇『神々の黄昏』からジーク・フリートの葬送曲、『トリスタンとイゾルデ』の第一幕の前奏曲である愛の旋律、『パルシヴァル』の前奏曲と聖杯の動機などである。これだけでワグネリアンとしては痺れるにふさわしかろう作品になっている。


 またパゾリーニも『ソドムの市』でオルフの『カルミナ・ブラーナ』の「麗しき春の場」を使用していたが、「おお、運命の女神よ」が最も効果的に映画・TVドラマ・CMなどで今でも多く使用されている名曲である。







 





 フランスで1958年に公開されたルイ・マル監督の作品『恋人たち (Les Amants) 』は、ジャンヌ・モロー主演の映画であり、黒白の映像ながら人妻ジャンヌと考古学者ベルナールの夜の愛の密会場面は美しい交歓を、ブラームスの「弦楽六重奏曲第一番変ロ長調op.18」の曲で見事な場面となって映し出されている。



 ブラームスは1860年にこの弦楽六重奏曲を作曲しが、それはブラームス27歳の時に若々しくも情熱的な曲風を讃えた室内楽の名曲であった。この楽曲が映画の男と女の熱愛を高揚させて終幕を迎える演出になっている。



 人妻ジャンヌは、ブルゴーニュ地方にあるディジョン市の新聞社主アンリと結婚して8年を迎えていた。娘も一人いるが、夫が自分に無関心なことを口実にパリに住む幼なじみのマギーの家に頻繁に通う日々がが続いていた。そして、ラウルというマギーの友人と恋におちる。



 ジャンヌの夫はパリの街に遊びまわる妻を訝って、ディジョンの自邸にマギーやラウルを晩餐に招くように工作する。そして、晩餐の日にパリからの帰途にジャンヌのプジョーの車が故障して、通りがかりの青年ベルナールのシトロエンで自邸へ送ってもらうことになる。



 ベルナールは考古学者で、ジャンヌの夫アンリと意気投合し、晩餐に招かれ自邸に泊まることを勧められる。そんなベルナールは社交界の雰囲気を濃厚に発散するマギーやラウルとは気が合わなかった。アンリもベルナールと同じで晩餐はにはシラケて、その夜は最悪のものとなる会合であった。



 ジャンヌはラウルに部屋へ誘われるが良識としてそれを断った。眠れぬジャンヌは月夜の庭へ出て寝酒を飲んでいると、ベルナールが現れて、二人は加速度的に結ばれていく。そして、朝になると二人は逃亡するハメになる。ジャンヌは夫も娘も捨てて、家を出て不安の旅にでることになるが、しかし、ジャンヌは後悔をしなかった。



 この映画のジャンヌ・モローの美しさといったら譬えようもない。しかし、ボクは1960年に公開された『雨のしのび逢い (Moderat Cantbile)』のジャンヌ・モローの美しさの方を讃えたい。



 ボクには、マルグリット・デュラス原作の『雨のしのび逢い』という映画は、ルイ・マルの映画のアンチ・テーゼに観えてしまうのである。


 ガロンヌ川河口の町はボルドー近郊の小さな港町ブレにある鉄鋼会社夫人アンヌ・デパレート(ジャンヌ・モロー)は、一人息子を連れてピアノのレッスンのために町へ訪れていた。ピアノの教師はアンヌの息子にディアベリのソナチネを練習曲の題材としてピアノの指導をする。


 ピアノの練習としては、ディアベリの二流でツマラナイ作曲家の作品を押し付けられた子供は、まるでお気の毒で、子供もピアノの練習を相当に嫌がっている様子が冒頭の場面でうかがえる場面。


 おまけにタイトルにもなっている「モデラート・カンタービレ」の意味は?・・・・・・とピアノの先生からしつこく執拗に問い詰められる子供は何だか気の毒になってしまう程である。



 音楽についてかなりの知識があるデュラスが、これほど執拗に「モデラート・カンタービレ」という言葉を繰り返していることには、この作品のテーマに深く関わっているのであろうが、なんせ邦題は雨なんか一滴も降らないのに『雨のしのび逢い』とは、いささか呆れてしまうしかない邦題のタイトルがつけられている。



 それは、さておき、ここで「モデラート」というのは「穏やか」に、「普通に」といった意味がある。「カンタービレ」とは「歌うように」といった意味である。



 このモデラート・カンタービレと楽譜にある強弱記号と表情指定されたディアベリのソナチネは、映画の全篇にも流れ、映画を暗示的に支配するかのように物語りは進展していく。



 その最初の不穏なる出来事が窓の外から女性の悲鳴として聴こえてくる。それは階下のカフェで情痴事件による殺人から展開していくことが、この物語の表題に真意があるのであろう。

 

 モデラートとは・・・・・・、音楽では「穏やかに」だが、「特に取り立てて何もなく」といった主人公の女性の生活の状態を示しているようでもあるのだ。そして、カンタービレ・・・・・・とは、「歌うように」だが、こちらも主人公の女性の生活の状態を表しているようで、カンタービレを別の意味から解釈すると、それは「楽しげに」または「享楽的に」となる意味あいも含まれる。」


 つまり、この「モデラート・カンタービレ」という表情指定には、「享楽的で、取り立てて何も起こらない主人公の女性の生活」、・・・・・・そのものを描写していて、人妻ジャンヌは事実、夫の自分に対する無関心から、平凡な生活への不満、またブルジョワジーの欺瞞的な交際に嫌気がさしている訳で、そのような生活がディアベリの音楽に全て収斂されている。



 アンヌはカフェの情痴殺人事件に異様な関心を示す。鉄鋼会社の工員が集まるその酒場でショーヴァン(ジャンポール・ベルモンド)と知り合って、この事件を契機に二人は度々逢瀬を重ねる。されど、経営者夫人とその労働者との関係は異質な関係として酒場の人々は、遠巻きに二人を異質な眼差しで見つめていた。



 アンヌは次第にショーヴァンに惹かれていく。そして、ショーヴァンと町を抜け出し、夫や子どもを捨てるべく覚悟をして恋を打ち明けるのだが、ショーヴァンは冷たくアンヌに、・・・・・・「あんたは死んだほうがいい」と、あまりにも無残な言葉で突き放すのであった。



 映画のラストは、冒頭の情痴事件で階下のカフェから聴こえた女の悲鳴が、今ではその事件のあったカフェで、アンヌ自信が恋に破れて、現実を喪失した不安の底からのムンクの絵のような絶叫をもって終焉する。



 ヌーヴェルバーグの旗手としてルイ・マルは映画界に登場したが、いささか『恋人たち』のリアリズムに欠けた終幕の恋愛劇に、デュラスは男のロマンに一撃をくらわしたような作風で『雨のしのび逢い』を発表したような気がするでもない。



 ブラームスの「弦楽六重奏曲第一番」は映画を見事に情熱恋愛を奏でていたわけだが、ディアベリのソナチナをもって映画にしたディラスは、意図的に、ルイ・マルの『恋人たち』を意識して選んだ平凡な楽曲だったのではないだろうかと密かに感じている次第である。

  


  『雨のしのび逢い』はディラスの1958年の小説であるが、この小説の映画化には監督にピーター・ブルックがあたっている秀作として記念に残る作品であるが、『恋人たち』とは違う質感と現実性は実存主義的な映画の作風を感じさせてくれる秀逸な作品である。