偏愛映画音楽秘宝館 その13『炎のランナー』ヴァンゲリス | 空閨残夢録

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言








 ヒュー・ハドソン監督による英国映画(1981年)の『炎のランナー(Chariots of Fire)』は、映像のなかに美に包まれた典雅でクラッシックなスタイルに、まるで生命の脈動のように魂に響いてくる主題曲の「タイトルズ」と、効果的に映画全篇に流れる音楽の作曲、編曲、演奏を担当しているヴァンゲリスのサウンドが絶妙に伴った感動的なヒューマン・ドラマである。



 この映画は、1924年、第八回パリ・オリンピックの陸上短距離走で、祖国イギリスに金メダルをもたらしたハロルド・エーブラムスとエリック・リデルの情熱と信仰の物語である。二人の初めての試合である100メートル走でエーブラムスはリデルに敗れる。映画前半はエーブラムスによる渾身の打倒リデルを目標とした執念の練習訓練が物語りを駆動していく。



 後半はオリンピック開催中に、伝道師であるリデルが信仰上の都合で、日曜日の100メートル走予選欠場にからむ問題が浮上する。100メートルから急遽、リデルは400メートル走のレースに参加する場面は聖書のリデルによる説教と物語りは重なって感動的な競技へと展開する。



 イザヤ書第40章にある言葉は、1924年のパリ・オリンピックで、400メートル走で優勝したエリック・リデルが、オリンピック期間中の聖日礼拝で説教をしたときのテキストであった。エリックが、聖日遵守を理由に100メートルの予選を棄権したその聖日、彼はパリ中心部のスコットランドのプレスビディアン(長老派教会)の礼拝で説教をする。 長老派教会特有の十数段の踏み段をのぼって、高い説教壇に立ったエリックは、落ち着いた声で聖書朗読を始めた。



 彼が聖書を朗読をしている最中にも、競技は進行していき、勝っては喜ぶ選手もあり、敗れては疲労感に苛まれている選手も続出していた。それらを想像しながらエリックは宣言する・・・・・・、「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」・・・・・・。



 エリックは、その後400メートルの決勝に出場するが、周りの選手達は彼に注目しなかった。彼が400メートルのためには訓練をされていなかったからだ。彼の走法はスムーズとは言い難い、野生の馬のような荒っぽい型破りなものだった。前半の200で力を使い果たして、後半はバテてしまうと予想されていたが、しかしエリックは前半を全速力で駆け続けトップを保ち続けた。



 いよいよ後半戦に入り「そのとき、エリックの頭がうしろに倒れた。力がこんこんと湧きでているときに見せる、エリック独特のランニング・ポーズだった。これまでより、いっそうスピードが加わった。走りながら流れ込む空気を吸うように口を開け、力をふりしぼるように両腕を振った。ますますペースが速くなった。」(「炎のランナー」より)、その時の優勝記録は47秒6で、その後20年間破られなかったと伝わる。



 さて、ヴァンゲリスのシンセサイザーによるサウンドは、このクラッシックな映像美と絶妙に躍動感のある荘厳な世界を融合していたが、この映画が公開された同じく1981年の『ミッシング』、82年には『ブレードランナー』、83年の『南極物語』でもヴァンゲリスのサウンドは印象的に表現されていた。



 ヴァンゲリス・パパサナシューは1943年にギリシアのボロスに生まれた。1968年に結成されたアフロディテス・チャイルドで音楽家としてデビューする。1972年にこのグループは解散するが、その後ソロで活動して、『炎のランナー』による映画音楽で世界的に成功して名声を得る。



 SF映画では、その独特なシンセサイザーによるサウンドが『ブレードランナー』で一層の魅力的な効果として顕現していく。人間の未来への楽観と絶望感の両極性でゆらぐ不確かな生命体を、混沌とした世紀末的な幻想世界のように手がけた質感はヴァンゲルスの音源が生命の根源と同一な鼓動と一致しているような錯覚さえ覚えてくるだろう。



 ヴァンゲリスのサウンドには生命の躍動的な汎神論的な自然観が潜在しているようだが、この哲学的な要素は太古の子宮的世界のように血と鼓動で満たされたサウンドのように感じてやまない。それは神秘的というよりは生きる躍動の現実で支配されている意志で溢れている音質なのである。




 
炎のランナー
http://youtu.be/u-KU2_HVBf8




ブレードランナー(愛のテーマ)
http://youtu.be/C9KAqhbIZ7o




南極物語
http://youtu.be/n315ERP7Uqw