空閨残夢録 -6ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言



 


 リヒャルト・ワーグナー(1813-83)が1857年は『トリスタンとイゾルデ』の台本を完成させて、このオペラを1859年にスイスで書き上げたのが、後期第一作と呼ばれる作品。初演は1865年当時の南独逸バイエルン国の首都ミュンヘン、王立国民宮廷劇場にて行われた。



 ワーグナーは1854年にショーペンハウアーの『意志と表象の世界』を読むに及び、厭世哲学の意志否定思想に感銘を受けて、これを自らの恋愛に反映させて楽劇『トリスタンとイゾルデ』を作品化した経緯がある。それは愛とは永遠に渇望するものであり、その究極は死であるというエロティシズムをオペラ化した訳である。



 このワーグナーの楽劇のエロティシズムの情念と思想を三島由紀夫は自ら製作した『憂国』で、ワーグナーの楽劇のアリアを全編に音楽としたが、このことは既に今年の4月7日にこのブログで紹介したので省略するが、このワーグナーの曲、「トリスタンとイゾルデ『愛の死』」がつかわれた映画で思い出深い洋画は、1988年に公開されたオムニバス映画で『アリア』が印象的である。




 この映画は・・・・・・


 [原題]Aria
 [製作国]イギリス
 [製作年]1987
 [配給]松竹富士


 スタッフ ・監督: Nicolas Roeg ニコラス・ローグ
       Charles Sturridge チャールズ・スターリッジ
       Jean-Luc Godard ジャン・リュック・ゴダール
       Julien Temple ジュリアン・テンプル
      Bruce Beresford ブルース・ベレスフォード
       Robert Altman ロバート・アルトマン
      Franc Roddam フランク・ロダム
       Ken Russell ケン・ラッセル
       Derek Jarman デレク・ジャーマン
      Bill Bryden ビル・ブライドン



 <解説>

 世界有数の音楽家によるアリアを10人の監督たちがそれぞれ自分のテーマにそって選んで描いた10篇から成るオムニバス映画で、製作はすべてドン・ボイドによる作品。




①〈仮面舞踏会〉ヴェルディ作曲のメロドラマ・オペラ。監督は「マリリンとアインシュタイン」のニコラス・ローグ、撮影はハーヴェイ・ハリソン、編集はトニー・ローソンが担当。出演はテレサ・ラッセルほか。



②〈運命の力〉ヴェルディの宗教的な作品をチャールズ・スターリッジが監督。撮影はゲイル・タタソール、編集はマシュー・ロングフェローが担当。出演はニコラ・スウェイン、ジャック・カイルほか。



③〈アルミードとルノー〉フランスの十字軍の騎士ルノーとアルミードの運命を歌ったリュリーのアリアを「ゴダールの探偵」のジャン・リュック・ゴダールが監督。撮影はカロリーヌ・シャンペティエ、編集はゴダール。出演はマリオン・ピーターソン、ヴァレリー・アランほか。



④〈リゴレット〉放埒な公爵に娘をもてあそばれた道化師リゴレットの復讐を描いたヴェルディのヒット・オペラをジュリアン・テンプルが監督。撮影はオリヴァー・ステイプルトン、編集はネール・アブラムソンが担当。出演はバック・ヘンリー、アニタ・モリスほか。



⑤〈死の都〉亡き妻の幻に縛られている男をテーマにしたコルンゴルトのアリアをブルース・ベレスフォードが監督。撮影はダンテ・スピノッティ、編集はマリー・テレーズ・ボワシュ、美術はアンドリュー・マッカルパインが担当。出演はエリザベス・ハーレイほか。



⑥〈アバリス〉ラモーのアリアを「フール・フォア・ラブ」のロバート・アルトマンが監督。撮影はピエール・ミニョー、編集はアルトマン、美術はスティーヴン・アルトマンが担当。出演はジュリー・ハガティ、ジュヌヴィエーヴ・パージュほか。



⑦〈トリスタンとイゾルデ〉 監督はフランク・ロッダムで、ザ・フーのLP“四重人格”をもとに「さらば青春の光」を監督したことで知られている。




⑧〈トゥーランドット〉中国の皇帝トゥーランドットをテーマにしたプッチーニのアリアを「狂えるメサイア」のケン・ラッセルが監督。撮影はガブリエル・ベリスタイン、編集はマイケル・ブラッドセルが担当。出演はリンジ・ドリュー、アンドレアス・ウィスニュースキーほか。



⑨〈ルイーズ〉シャルパンティエのアリアを「カラヴァッジオ」のデレク・ジャーマンが監督。撮影はマイク・サウソン、編集はピーター・カートライト、アンガス・クックが担当。出演はティルダ・スウィントンほか。



⑩〈道化師〉レオンカヴァルロのアリアをビル・ブライドンが監督。撮影はガブリエル・ベリスタイン、編集はマリー・テレーズ・ボワシュが担当。出演はジョン・ハートほか。





 <物語>




〈仮面舞踏会〉1931年、ウィーン。アルバニアのゾグ王(テレサ・ラッセル)はオペラ・ハウスに公式訪問中、美しい男爵夫人(ステファニー・レーン)と熱い視線を交わす。舞台を満たす華やかな仮面の人々。やがて、オペラを見終え、出口へ向かう王と従者たち。次の瞬間、待ち構えていた数人のアルバニア亡命者から発射される銃弾で、その場は血の海と化すのだった。しかし、倒れた人々の中に王の姿はなかった。



〈運命の力〉クレモナの聖堂の祭壇の上の聖母マリアと御子の絵画。絵画の中の御子は聖母に救いを求めるように聖母の視線を追う。3人の子供たち、ケイト(マリアンヌ・マクローリン)、マリア(ニコラ・スウェイン)、トラヴィス(ジャック・カイル)は学校をさぼり、ドライヴを始める。やがて3人の車はパトカーに追跡され、後には散乱し燃えた車の破片が……。



〈アルミードとルノー〉時代は現代。スポーツ・センターで身体を鍛えている若者たち。掃除に来た娘は一人の若者に魅せられる。彼は彼女の存在に気づかない。この時、彼女の中にアルミードと同じ怒りがわき、彼の背にナイフをかざすのだった。 〈リゴレット〉中年の映画プロデューサー(バック・ヘンリー)が、スウェーデン女優(ビヴァリー・ダンジェロ)をアメリカのマドンナ・インに連れていく。このホテルにはそれぞれの部屋にテーマがつけられている。たとえばネアンダルタール・ルームなら、岩穴が型どられた部屋というように……若い男を連れたプロデューサー夫人(アニタ・モリス)がなんと、そのホテルにやってきた……。



〈死の都〉ベルギーのフルージュに住む男(ピーター・バーチ)は亡き妻が忘れられない。この町自体、死の雰囲気を漂わせ、彼はその呪いに縛られている。ある日彼女にそっくりなダンサーに会い、家につれてくる。そして、かつて妻の演奏に合わせて歌ったリュートを贈る。



〈アバリス〉18世紀には、一般人が料金さえ払えば、動物園に動物を見にいくように精神病院を見学することができる。貴族の気まぐれの楽しみのために、患者たちがオペラに参加させられることもあったのだ……。



〈トゥーランドット〉自分を縛っている邪悪な惑星土星の輪から少しずつ逃れようとする若い女性。彼女は神官と3人の巫女たちによって体の様ざまな部分に夥しい宝石がつけられていく。 〈ルイーズ〉シャルパンティエのアリアを「カラヴァッジオ」のデレク・ジャーマンが監督。撮影はマイク・サウソン、編集はピーター・カートライト、アンガス・クックが担当。出演はティルダ・スウィントンほか。恐ろしく年をとったレディ(エイミー・ジョンソン)が舞台でカーテン・コールを受ける。今、彼女の脳裏には若かりし頃の自分(ティルダ・スウィントン)の愛の日々が甦ってくる……。




〈道化師〉道化師(ジョン・ハート)は、舞台に上り、自分の人生をふり返る。舞台で演じる役と実像が重なる彼……。


〈トリスタンとイゾルデ〉愛と死をテーマにしたリヒャルト・ワグナーのオペラをフランク・ロッダムが監督する。撮影はフレデリック・エルムス、編集はリック・エルグッドが担当。出演はブリジット・フォンダ、ジェームス・マザーズほか。撮影場所はラスヴェガス。ネオン煌めくベガスの街並みのホテルの一室で若い2人(ブリジット・フォンダ、ジェームズ・マザーズ)が愛を交わし、バスルームで手首を切って心中する物語をMTV

風に映像としている。主演の女優はジェーン・フォンダの娘で、当時22~23歳の美しい無垢な瞳をしていた女優で印象的。



 この映画は、所謂、オペラのMTVであり、アリアのミュージック・テレビジョン的な演出であるオムニバス映画なのである。










 映画と音楽は不文律ともいえる共存関係にある芸術といえるが、グスタフ・マーラーの音楽を映画全編に使用し、1971年にイタリアで製作されたルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』(原題:Morte a Venezia)は、マーラーの音楽の代名詞的な映画ともいえる不朽の名作である。



 『ベニスに死す』の銀幕に流れる楽曲は、マーラーのアダージョで、これは交響曲の第5番第4楽章である。ヴィスコンティのドイツ三部作の代表的な映画でもある。



 ドイツの高名な老作曲家であるアッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、静養の為に赴いたベニスで、究極の美を体現したような美少年タージオ(ビョルン・アンドルセン)と出逢う。ゆるくカールした金髪と澄んだ碧眼の瞳。それは、まるでギリシャ彫刻のようなタージオにアッシェンバッハは次第に心を奪われてゆく・・・・・・。



 アッシェンバッハのモデルはグスタフ・マーラーとも言われているが、原作をヴィスコンティはアッシェンバッハをマーラーとも思える人物風に脚色した経緯がある。



 ただひたすらに美しい、愛と死の一大交響詩の如き映像に、マーラーのアダージェットは斯くも美しき形而上の神髄を讃える美と退廃の音楽と映像に心奪われるであろう。







 この映画を観たのは、横浜の旧スカイ・ビル劇場で1982年にボクは観劇した。スカイ・ビルには当時、横浜放送映画専門学院があり、ボクはその学校の演劇科の生徒で、授業として『ベニスに死す』を見たわけである。



 横浜放送映画専門学校は、現在は日本映画大学になったが、当時、ボクは学校に7期生で入学した。この専門学校は映画監督の今村昌平が1975年に開校し、1985年に日本映画学校と改称している。



 この専門学校に入学した動機は、高校生の時に聴いていたラジオ番組の淀川長治名画劇場で、今村昌平監督作品の特集の余談として横浜放送映画専門学院の存在を知ったのが原因である。当時、淀川さんは横浜放送映画専門学校の講師をしていたのである。



 さて、ボクは高校を卒業して陸上自衛隊に入隊して、2年間の活動後に除隊してから、志していた横浜のスカイビルにある専門学校に入学する。



 その横浜放送映画専門学院のキャンパス内にあったスカイ劇場で『ベニスに死す』を初めて観たのだが、講師の淀川長治の講義と解説が映画の終了後にあったのが思い出深く記憶に残る。この映画を淀川さんが本当に愛していたことを印象的に思い起こされる。そしてボクもこの映画を最も好きな作品の一つになったしまった。



 この映画を観てからマーラーのアダージェットも好きな作品となり、今ではヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏を主に聴いている次第である。 











 ルイ・マル監督の作品で、1963年(日本では1977年公開)の『鬼火(Le Feu Follet)』は、ピエール・ドリュ=ラ=ロシェルの小説『ゆらめく炎(Le Feu Follet)』を原作にしている。これをルイ・マルが脚本化しているのだが、モーリス・ロネ演じるところの主人公アラン・ルロワとは、ダダイストのジャック・リゴーをモデルとしている。



 ジャック・リゴーは、アンドレ・ブルトンと交流があり、マン・レイの映画にも出演していたが、アルコール中毒で4年間パリ郊外の病院に入院する。その後、完治後にピストルで心臓を打ち抜いて自殺をはかる詩人にして小説家。



 映画はジャック・リゴーと思わしき男の自殺に至るまでの48時間を映像化している。そして、この黒白の映像にエリック・サティの『グノシェンヌ』と『ジムノペディ』が効果的に使われているのが秀逸な印象を与える作品。



 ルイ・マル監督の音楽センスは『死刑台のエレベーター』でマイルス・ディビスを起用したり、『恋人たち』ではブラームスの「弦楽六重奏曲第一番」を効果的に映像と絡ませた巧みな業でもうかがえるのだが、当時、評価の芳しくなかったサティのピアノ曲を見事に映像化しているのが拍手喝采を送りたい。



 日本ではこの映画の公開は遅かったが、この映画が公開されてから、サティの音楽も一機に本邦で注目されることになる。1980年代に入るとサティの『ジムノペディ』が日本のテレビでコマーシャルに頻繁に使用されることにもなる。


 エリック・サティも、ジャック・リゴーとともに、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトー、ルイス・ブニュエル等と同時代人の芸術家たちであり親交が深かった。サティの『グノシェンヌ』は1番、2番、3番があり、総じて「3つのグノシェンヌ」と呼ばれている。



 この曲は1890年に書きあげられたもので、異国的な旋法などの効果的な使用により、独特なエキゾティックな雰囲気を静かに沈黙の彼方から響く旋律を有する。第1番は「ゆっくりと」と記されているて、第2番は「驚いて」とあり、第3番は更に「ゆっくりと」記された作品として成るが、1番はジャワの舞踏、3番は聖ジュリアン・ル・ポール寺院で耳にしたギリシアの合唱から、それぞれ着想されたという。


 『ジムノペディ』も同じく、第1番「ゆっくりと悩める如く」、第2番「ゆっくりと悲しげに」、第3番「ゆっくりと荘重に」と記された1888年に書きあげられた作品。ドビュシーが第1番と第3番をオーケストラのためにアレンジしたことは有名。



 この初期のサティの作品である「3つのジムノペディ」は古代スパルタの神々を讃える祭典、ジムノペディアに因んで作曲されたと伝わる簡素な旋律美に幻想的な芳香が淡く漂う曲である。サティの音楽性はその指標として古代の音楽を探索し復元する作業でもあった。



 また沈黙と暗闇の底から拾い上げたようなその音源には、映画『鬼火』の主人公の内面と魂の深淵とも通じるものを感じさせるせいか、映画のなかで静かに息づいている音色が映像を強くひきたたせている。






 


 さて、ジャック・リゴーの最後の詩であり、また遺言ともいえる言葉を最期に以下へ載せておこう。





  僕は死ぬ 君に愛されず 君を愛さなかったから

  互に愛が緩んだから

  死ぬことで 僕の烙印を君に残そう










 スワンはレ・ローム大公夫人がたいそう好きだった。それに彼女を見ると、コンブレーに近いあのゲルマントの土地、あんなに気に入りながら、オデットから離れないために、いまではもう出向かなくなったあの土地を、くまなく思いうかべるのであった。



 (中略)・・・・・・「おや!」とスワンは、うわべの話相手のサン=トゥーヴェルト夫人と真実の話相手のレ・ローム夫人とに、同時に通じるような言いかたをした、「美しい大公夫人がおいでになっている! ごらん、リストの『アッシジの聖フランチェスコ』をきくために、大いそぎでゲルマントからいらっしゃったので、かわいい山雀のように、野ばらの小さな実とさんざしの小さな実をついばんでやっとそれをおつむにかざる時間しかなかったのですよ、まだ露の小さなしずく、かすかに白い霜さえも、つけていらっしゃる、さぞつめたくて、ゲルマントの館の奥さまはふるえていらっしゃいますよ。とてもおきれいですね、私の大公夫人は。」

 


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 上記の文は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』から、第二部「スワンの恋」(井上究一郎 訳)の一節を載せた。リストの『アッシジの聖フランチェスコ』をピアノで耳にしている場面なのだが、この曲は、リストの1861~63年作曲の《2つの伝説曲》の第1曲。



 リストが題材にしたのは、12世紀の聖人フランチェスコが、小鳥に教えをほどこす場景を音画風につづった楽曲。小鳥のさえずりや森のさざめきを表す高音域のトレモロおよびトリルと、聖人の語りを表す格調にあふれた旋律が織りなす美しく神秘的な音楽である。








 アッシジの聖フランチェスコはロベルト・ロッセリーニやリリアーナ・カヴァーニ監督により映画化されているが、なかでも1972年の伊・英合作映画でフランコ・ゼフィレッリ監督による『ブラザー・サン シスター・ムーン』は感動的な作品であった。その後も1989年に、リリアーナ・カヴァーニ監督によりイタリアで映画化されている。主演はミッキー・ロークが聖フランチェスコを演じていた。



 ゼフィレッリ監督は、ルキノ・ビスコンティの助監督として映画界に入り。古典劇をベースにした清爽な青春映画に特に定評がある。1968年の『ロミオとジュリエット』では、シェイクスピアの映画化としては最高のヒットを記録させた。1972年の『ブラザー・サン シスター・ムーン』は、中世の修道士である聖フランチェスコの物語を題材に、信仰に目覚めた若い日々に焦点を絞ることで青春映画の快作に仕立て上げている。



 アッシジの地主ピエトロの息子として、また豪商の息子として、なに不自由なく成長したフランチェスコは十字軍に招集され遠征する。しかし、戦場から精神を病んで故郷に帰還する。アッシジの美しい自然の中で次第にフランチェスコは生まれ変わっていく。それは小鳥と語り、蝶を追い、花々に癒されながら・・・・・・



 街の人々はフランチェスコが気がふれていると思い遠くから傍観するが、美しい乙女のクララだけは心が通じた。父も母も健康をとりもどしたフランチェスコを、或る日、礼拝に連れて行く。教会の十字架に王冠を戴いたキリスト像、磔刑という悲惨にもかかわらず壮麗に飾られたキリスト像を観て、フランチェスコは「NO!」と教会で絶叫する。



 着ているもの身に付けている全てを両親に返し、教会と街から生まれたままの姿で立ち去るフランチェスコは、今は廃墟となったサン・ダミアン教会の石をただひたすら積み上げていく。やがて十字軍の遠征から帰還するフランチェスコの友人たちは、そんな姿を冷ややかに傍観していた。ただベルナルドだけはフランチェスコの言葉に心を打たれサン・ダミアン教会の再建を手伝う。





 「君も心に神殿を築け、生きた石になるのだ」





 1182年にイタリアのアッシジに生誕したフランチェスコは、28歳の時に、ローマ教皇に謁見を認められて、11人の有志とともにフランチェスコ修道会を設立する。映画ではローマ教皇のインノケンティウス3世に英国の名優アレックス・ギネスが扮するラスト場面は圧倒的な存在感で物語を昂揚させている。(了)




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 2010年公開の米国映画の『ランナウェイズ』(原題:The Runaways)は、1970年代後半に活動し、日本でも人気を博したガールズ・バンドの草分け的な女性ロック・バンドであるランナウェイズの伝記映画である。


 ランナウェイズのボーカルのシェリー・カーリーは、当時ブロンドの15歳の少女で、そしてバンドの平均年齢は16歳、シェリーはコルセットにガーターベルトの殆んど下着姿で歌うことで当時はセンセーショナルな話題となる。



 原作はシェリー・カーリーの自伝的回顧録の『ネオン・エンジェル』をもとに、監督はミュージック・ビデオでマリリン・マンソンやデビット・ボウイの作品を手掛けてきたフローリア・シジスモンディがあたる。



 この映画は子役から人気の超カワイイ、女優のダコタ・ファニングちゃんが主演で、彼女はシェリー・カーリー役を演じているのだが、ランジュリー姿のステージ衣装を見てみたい気もするし、永遠に観たくもない気持ちもあり、とても矛盾した葛藤がココロにありつつも誘惑に負けて観てみました。


 でもでも、観て見て、正解である最高の作品でありましたが、ランナウェイズのギターリストのジョーン・ジェット役のクリスティン・スチュワートが最高の演技で、ダコタ・ファニングを超える存在感と、敏腕レコード・プロデューサーのキム・フォウリーの演技力にも圧倒される映画作品。



 然るに、この映画はシェリーとジョーンとキムが拮抗するように銀幕に存在力を漲ぎらせるが、もう一人重要な人物としてシェリーの双子の姉の存在が大きい物語にもなっている。








 知らなかったのだが、シェリー・カーリーは双子で姉にマリー・カーリーがおりまして、映画冒頭の場面でシェリーとマリーが町にくり出す処から物語は始まる。そして路上に一滴の血が滴るが、それはシェリーの初潮の徴だった・・・・・・、マリーはとっさに自分のパンツをシェリーに穿かせて、トイレで化粧を施し、今宵はマリーの‘パパさん’の車で行楽に街へ出かけるが、シェリーはオクテというよりも男には未だまだまだ関心は薄いのでありました。



 次の場面は、衣料品店で黒髪の少女が男物のレザースーツを物色しているところに切り替わる。この少女はおこずかいを叩いて‘スージー・クワトロ’になるべくレザー・ファッションでロックン・ロール魂を手に入れに来たシーンなのだが、ここでタイトルが出て、スージー・クワトロの『ワイルド・ワン』が流れると、ボクちんは、ジョーン・ジェットと同世代であるからして、このオープニングでウルウル状態で涙を浮かべて興奮してしまう。



 だってさ、だってだってガキの頃にスージー・クワトロにシビレっぱなしだったボクちんだもの、すぐにこの少女に感情移入してしまうのであるが、この黒髪の少女はランナウェイズのリード・ギターのジョーン・ジェットを演ずるはクリスティン・スチュワートがジョーンにそっくりに見えるので驚いてしまう。



 お次の場面は、コタちゃん(どうでもイイけどボクはダコちゃんと呼んでいる)演じるシェリーが学園祭でデビット・ボウイのメイクで口パクの「Lady Grinning Soul」を披露するが、観客には殆んど顰蹙モノのステージ場面。



 実はシェリーが双子だったとはいざ知らず、最初は年の離れた姉妹と思って映画を見ていたが、双子の姉のほうがメイクするとシェリー・カーリーにそっくりなのに驚く。そして映画では双子の姉妹の家庭環境もさりげなく描かれている。



 シェリーのパパはアルコール依存症で、やがてママと離婚して家を追い出される。そんなママにシェリーは不満を感じていているが、ママは再婚を期にインドネシアに移住しようと娘たちに持ちかけるが、パパとお祖母ちゃんと暮らすことを選択する。このママ役がテイタム・オニールなのだが、なんとも懐かしい気持ちになる。



 シェリーのお祖母ちゃんの家に、激写で有名な写真家である篠山紀信が下着姿のシェリーを激写する場面があり、フトドキ者と激写男をお祖母ちゃんが箒で叩く場面があるのが何とも笑える場面。



 さて、物語はロックンロール、ドラッグ、セックスと当然の如く物語は退廃的に加速していくが、シェリーとジョーンのレズビアン場面、ジョーンの前でドラム担当のサンディーがフェラ・フォーセットメジャースを思い浮かべながらシャワーでオナニーする場面、シェリーがドラックを求めて男にトイレで体を許す場面、ジョーンが気に入らない男のギターに放尿するシーンなどがあるが、何故かダーティーでもエロくもない場面が淡々とエピソードとして描かれている。


 やがてトレナーハウスで練習していたガールズ・バンドは、メジャー・レーベルと契約して日本にも来日して成功を収めていくが、シェリーの大胆なランジェリー姿で国内では色物扱いされて、バンド内部は亀裂をはたし破綻していく。そしてシェリーは精神的に動揺し混乱してバンドから脱退してしまいドラックに溺れていくハメとなる。



 終幕の場面で健康を取り戻し雑貨店でアルバイトをするシェリーの姿が映しだされるが、このシーンではシェリーというよりは素のダコタ・ファニングそのもので、とってもカワイイ・・・・・・、それはさておきアルバイトのお店にラジオが流れているが、その放送にゲストでジョーン・ジェットが出演していた。シェリーは思わず電話でラジオ局に電話をしてジョーンに挨拶をするが、この場面泣ける終幕シーンである。



 さてさて、この映画のミドコロは敏腕レコード・プロデューサーのキム・フォウリーがジョーン・ジェットと出逢い、ドラム担当のサンディの二人を磨きにかけるが、ヴォーカルに新たな顔を加えることを思いつきシェリーをスカウトする場面。



 そして、キムやジョーンの練習場所であるトレーナー・ハウスにオーディションへ訪れるシェリーはペギー・リーの『フィーバー』を歌うと言い出すが、他のバンド・メンバーから馬鹿にされてしまう。



 意外にもシェリーはデビット・ボウイは好きでも口パクでしか歌ったことはなく、ママの好きなペギー・リーの曲しか歌ったことはなかったのだ。そこで、機転を利かせてキムはジョーンのギターの力を借りて即興のシェリー用の歌を作ることにした。


 それが、あのランナウェイズの最初で最後のヒット曲『チェリー・ボム』である。さてさてさて、このあまりにも卑猥すぎる歌詞にシェリーはたじろぎ、歌えないと尻込みするが、ここがダコタ・ファニング演じるところの初々しさったらありゃしない!



 ここで歌詞を披露しようと思いましたがヤメテおきましょうネ・・・・・・、因みにチェリーボムとは、サクランボの大きさであるカンシャク玉である爆弾の事で、チェリーの隠語はバージンを表している。



 この映画の最初に流れる曲は、Sweeney Todd の『ロキシー・ローラー』、次の場面のカットでは『ルイジアナ・ママ』が店内でBGMで流れる。そしてタイトルとジョーン・ジェット役のクリスティン・スチュワートが、おこずかいをはたいて買ったレザー・スーツを着て馳走するシーンで、スージー・クワトロの『ワイルド・ワン』が流れる。



 続いて場面はシェリー・カーリーが学園祭でデビット・ボウイのメイクをして口パクの『Lady Grinning Soul』を歌う?・・・・・・、デビット・ボウイの曲は敏腕レコード・プロデューサーのキム・フォーリーとジョーン・ジェットが金髪のボーカリストをスカウトする時に『レベル・レベル』が流れ、シェリーとキムとジョーンが出逢う最初のシーンでも流れる。



 その後は、ランナウェイズの曲と終幕でジョーン・ジェットの曲が中心となるが、途中でセックス・ピストルズの『プリティ・ヴェイカイト』なども挿入されている。この映画のオリジナル・サウンド・トラック盤の挿入曲は以下に・・・・・・




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〔アルバム収録曲〕



01. ロキシー・ローラー/ニック・ギルダー作


02. ザ・ワイルド・ワン/スージー・クアトロ


03. イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド/MC5


04. レベル・レベル/デヴィッド・ボウイ


05. チェリー・ボム/ダコタ・ファニング


06. ハリウッド/ザ・ランナウェイズ


07. カリフォルニア・パラダイス/ダコタ・ファニング


08. ユー・ドライブ・ミー・ワイルド/ザ・ランナウェイズ


09. クイーンズ・オブ・ノイズ/ダコタ・ファニング&クリステン・スチュワート


10. デッド・エンド・ジャスティス/クリステン・スチュワート&ダコタ・ファニング


11. アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ/ザ・ストゥージズ


12. アイ・ワナ・ビー・ウェア・ザ・ボーイズ・アー(ライヴ)/ザ・ランナウェイズ


13. プリティ・ヴェイカント/セックス・ピストルズ


14. ドント・アビューズ・ミー/ジョーン・ジェット



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 もちろん映画ではサントラ盤の曲の他にペギー・リーとか、ロックンロールてんこ盛り状態であるが、伝説のレコード・プロデューサーとして登場するキム・フォーリー曰くに、ランナウェイズはコンセプト・ロックの失敗例と映画の中で述べているが、年頃の少女たちにショービジネスの世界でロックンロール魂で大人にすることは甚だ難しいことを感じるとキムは語っていた。



 薬物依存症となるシェリー・カーリーは、その後、双子の姉マリーと音楽活動を再開したり、映画などにも出演し演技を磨くが、再び薬物による使用で業界から消えてしまう。現在は薬物依存症の問題を抱える患者のカウンセラーをしているシェリーである。



 ジョーン・ジェットはランナウェイズの解散にともない英国へ渡りパンクの洗礼を受ける。そして帰国してから、ジョーン・ジェット&ブラック・ハーツを結成して全米でヒット曲をくりだすことになる。ジョーンの軌跡はスージー・クワトロの模倣から、そしてパンク・ムーブメントを通過して、やがて80年代にロックンロールの独自の世界を開花していくのであった。