偏愛映画音楽秘宝館 その8『ベニスに死す』グスタフ・マーラー | 空閨残夢録

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 映画と音楽は不文律ともいえる共存関係にある芸術といえるが、グスタフ・マーラーの音楽を映画全編に使用し、1971年にイタリアで製作されたルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』(原題:Morte a Venezia)は、マーラーの音楽の代名詞的な映画ともいえる不朽の名作である。



 『ベニスに死す』の銀幕に流れる楽曲は、マーラーのアダージョで、これは交響曲の第5番第4楽章である。ヴィスコンティのドイツ三部作の代表的な映画でもある。



 ドイツの高名な老作曲家であるアッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、静養の為に赴いたベニスで、究極の美を体現したような美少年タージオ(ビョルン・アンドルセン)と出逢う。ゆるくカールした金髪と澄んだ碧眼の瞳。それは、まるでギリシャ彫刻のようなタージオにアッシェンバッハは次第に心を奪われてゆく・・・・・・。



 アッシェンバッハのモデルはグスタフ・マーラーとも言われているが、原作をヴィスコンティはアッシェンバッハをマーラーとも思える人物風に脚色した経緯がある。



 ただひたすらに美しい、愛と死の一大交響詩の如き映像に、マーラーのアダージェットは斯くも美しき形而上の神髄を讃える美と退廃の音楽と映像に心奪われるであろう。







 この映画を観たのは、横浜の旧スカイ・ビル劇場で1982年にボクは観劇した。スカイ・ビルには当時、横浜放送映画専門学院があり、ボクはその学校の演劇科の生徒で、授業として『ベニスに死す』を見たわけである。



 横浜放送映画専門学校は、現在は日本映画大学になったが、当時、ボクは学校に7期生で入学した。この専門学校は映画監督の今村昌平が1975年に開校し、1985年に日本映画学校と改称している。



 この専門学校に入学した動機は、高校生の時に聴いていたラジオ番組の淀川長治名画劇場で、今村昌平監督作品の特集の余談として横浜放送映画専門学院の存在を知ったのが原因である。当時、淀川さんは横浜放送映画専門学校の講師をしていたのである。



 さて、ボクは高校を卒業して陸上自衛隊に入隊して、2年間の活動後に除隊してから、志していた横浜のスカイビルにある専門学校に入学する。



 その横浜放送映画専門学院のキャンパス内にあったスカイ劇場で『ベニスに死す』を初めて観たのだが、講師の淀川長治の講義と解説が映画の終了後にあったのが思い出深く記憶に残る。この映画を淀川さんが本当に愛していたことを印象的に思い起こされる。そしてボクもこの映画を最も好きな作品の一つになったしまった。



 この映画を観てからマーラーのアダージェットも好きな作品となり、今ではヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏を主に聴いている次第である。